36.ある日 森の中 ケンさんに 出会った
あの有名フレーズで歌おう
食糧や水を求める村人達に分け与えなかったいじわるなおばあさん。
その理由を知っていたはずなのに、掴もうとする程に記憶の底に沈んでいく。
殺されてまで木の実や水に拘る必要があったのだろうか?
ラドゥーは悲鳴のあった方へすぐさま駆けだした。いや、駆けだそうとした。
「…」
未遂だったのは、悲鳴のせいで緊張の限界を迎えたテリーがパニックになり、がむしゃらに腕を振り回したり、縋りついたあげくに腰を抜かしたせいで歩けなかったことと、そもそも駆けつけるべき問題の場所が分からなかった為だ。
森中に悲鳴がわんわんと反響して、場所の特定ができなかったのだ。首を巡らし、耳を澄ましても、叫び声はもう聞こえない。
無理に木々を分け入って、規定のルートから外れてしまえば、今度はラドゥー達が迷子になってしまう。かといって女性を二人を置いて行くわけにはいかない。
樹海は真っ昼間でも薄暗く、垂れ下がった葉があったりするものだから気味が悪いことこの上ない。しかし、地元民の中には日常の散歩道として通う強者(主にアルネイラを始めとしたオカルトクラブの皆さん)もいるのだから、人間は分からないものだ。一応、森の奥は立ち入り禁止なのだが、ある程度人が通る道はある。肝試しの目的地である祠へも、順当にその道を伝って行けば辿りつけるはずなのだ。ただし道は一本道ではないので、ちゃんと道順を把握しておかなければ迷う。だから、事前に地図で確認もした。一組に一つ地図も配られた。だから、よっぽど方向音痴で無い限り道を間違えることなどあり得ない。
なのに、正しい道なりを歩いていても先方の組の奴らと一向に出会わす気配は無かった。ということは彼らは道を逸れて獣道へ入ってしまったのだろうか。
全員が? でも何故?
証拠はないが、そうとしか考えられない。
「ここはぁ、夜になると昼間には感じないオーラが感じるんだけどぉ」
テリーと違い、別段うろたえた様子もないアルネイラは、冷静にあたりを見渡した。
「いきなり…何なのよぉ?」
テリーが目を真っ赤にしてアルネイラを見上げた。
「だからぁ、わたし達を誘いだして、あっちに引きこもうとする、ちょっと外れちゃったモノが出るのよねってことぉ」
おろおろするしか出来ないテリーは、落ち着きなく首をきょろきょろさせた。
「ちょっと外れたモノって、ど、ど、ど、何処から外れたモノなの!?」
「そりゃあ…このy…」
「いいっ!! やっぱ言わなくていい! 世の中知らない方がいいこともあるよねっ!」
「…あの悲鳴がメンバーの誰かである可能性もあります。何とか場所を特定する術は」
ないものでしょうか。と言いかけ、アルネイラの手にあるものに気付いた。
「何ですか? それ」
いつの間に…。
「ダウジングって知ってるぅ?」
それくらいならオカルトに詳しくないラドゥーでも知っている。失せ物などを探すために用いる、そういう系においてとてもメジャーな道具だ。
彼女の手にあるのは先程の籤と、コンパスの様な物。中央を軸にくるくると回る指針には片方の先が青く塗られていているが、盤には方位やメモリなど何も書かれていない。これでは何を指すものか分からないが。
「この籤は、皆同じ一つの紙から出来ているのよぉ。元は同じの物同士って互いに引き合うからぁ、ダウジングの示す方向に辿って行けば籤を持ってる誰かに辿り着けると思うわぁ。役に立てそうで良かった、というかこうなる事を予想してたから、持ってきんだけどぉ。籤もわたしが作っておいたしね」
「………」
ここは凄いと素直に感心すべきか、どういうことだと真剣に問い詰めるべきか迷った。すごく迷った。ちなみにテリーは突っ込む余裕もないらしい。ひたすらラドゥーにへばりついている。
「でぇ使い方だけどぉ、この一見無方位なコンパスに籤を近づけて記憶させるとぉ、同じ気のある方へとこの指針が回るわけぇ」
コンパスを見ると、なるほど、先程までくるくると適当に回っていた指針が籤を近づけられると、数秒後、ぴたりと一つの方向へ狙いを定めた。
「…あっちねぇ」
ラドゥー達は無方位コンパス型ダウジングという、何とも胡散臭く不確かなものを頼りに、森の奥深くに足を踏み入れた。
さく さく がさっ ぱきっ さく さく
「あ、痛っ髪が! 幽霊!?」
「落ち着いてください。枝に絡まっただけです」
アルネイラを先頭に道なき道を歩く。テリーの髪を解き、草をかき分け撓る枝を押しのけて。
「ファルデさんは道を外れて散歩した事ってあります?」
幾らダウジングがあるからとはいえ、その足取りが未知に対するものではなかったので、もしかして、と思って聞いてみた。
「ええ、昼間なら」
やっぱりあるのか。それは禁止事項な筈だがアルネイラはさっくりと白状する。元より夜にこの樹海へ足を踏み入れるのも禁止なので、ラドゥーがとやかく言える立場ではないが。
「でもぉ、夜中っていうのは初めてなのよぉ」
「そうなんですか?」
それは意外だ。寧ろ夜中にこそスキップで歩いているかと思っていた。
「『酩酊の森』はぁ、昼はまだしも夜は本当に危ない所でねぇ。わたしでも迂闊に近づけないくらいなのぉ」
のんびりと呟くアルネイラにテリーは唖然とした。
「じゃ…じゃあ何で、ここでやるのを反対しなかったのよ」
「んん? …だってぇ、言っても聞かないじゃない。分からない人は」
アルネイラは変わらずとろんとした表情だったが、一瞬、何処か冷めた光が瞳に宿った。
「ここに来るまでだって、どんどんヤな空気が流れて来てるっていうのに、皆よく楽しそうにしてられるわぁって思ってたわ」
アルネイラも十分楽しそうだったと思うが。
「でもまあ…それほどひどくはならないかなぁ、とも思ったからそのまま来た訳だけどぉ」
アルネイラはチラリと意味深長にラドゥーを見やる。ラドゥーが首を傾げるがアルネイラは続けた。
「それにわたし、ぞくぞくするの大好きだしぃ今も凄く楽しい」
わくわくしちゃう、と頬に手を当てうっとりと笑う美少女の感性は一般と少々ずれているようだ。
と、その時。
「…あらぁ」
アルネイラがダウジングを見下ろした。
「近いみたい」
ラドゥーの顔が引き締まった。同級生以外がいないとも限らない。
ラドゥーは念のためテリーを引き剥がしてアルネイラの横にやると、アルネイラが示す方の茂みをかき分けていくと、開けた場所に出た。
「ここは…?」
そこら一帯だけ、草一本生えていない地肌がむき出しの開けたところだった。
周りの、むせ返る生い茂った木々の中にあって、ここだけ更地だ。余談だがエルメラがいたなら十円禿げと表現しただろう。
「ムークット君…? 何か、あった?」
立ち尽くすラドゥーを訝しがった彼女らはラドゥーに続こうとした。
「待って。茂みから出ないで」
ラドゥーは振り向かず、彼女らを制した。ラドゥーは前方の一点から目を離さない。
きりきり…きりきりきり…
ラドゥーの目の前には鈍く輝く銀色の矢じりが付きつけられていた。
ケンタウルス…
当たり前だが初めて見た、と弓矢をつがった逞しい体躯の雄々しい半人半馬を見て、口には出さずに思った。口を開いた瞬間矢を放たれると瞬時に理解したからだ。
ケンタウルスは人体の巻き毛も馬の毛も褐色で、上半身は何も纏っていないので鍛えた筋肉が浅黒い肌に盛り上がっているのをはっきり見ることができた。
男の外見はまだ若い。ラドゥー達より幾ばくか上といったところだ。野性味溢れていて、生粋の狩人のようだった。
ラドゥーは一瞬夢の世界に紛れこんだのかと錯覚した。幻の獣が目の前にいるのだ。御伽の中のみの存在。しかし夢の中でなら存在し得る。
しかし夢独特の空気というか肌に纏わりつく不思議な感覚はない。ピリピリと肌に直接響く殺気は馴染みのある、紛れもない現のものだった。
「何者だ…?」
半人半馬である男はラドゥー達に対してきりきりと弓矢を引きのばしたまま問うた。警戒心を微塵も隠さない低い声。
「ムークットといいます。貴方は?」
こちらも一定の距離を保ちつつ、冷静に言葉を返す。その間相手を刺激しないように身動ぎ一つしない。
「…敵かもしれぬ奴に名乗る名など無い」
名乗れと言ったくせに、と憮然としていたら、
「ケンさんと呼べ」
愛称で名乗りよった。
「はぁ…ではケンさん。その弓矢を収めて下さいませんか」
「まだお前が危険な存在ではないと証明されたわけではない」
「肝試し中の唯の通りすがりの学生ですよ」
それまで後ろで様子を伺っていた彼女達は恐る恐る歩いてきた(恐る恐るなのはテリーだけだったが)。
「ムークット君…そのヒトだぁれ…?」
アルネイラは警戒はこそしているものの、変わらずおっとりとした口調で訊いてきた。ほんとに頼もしい限りだ。
「ケンさんという方らしいです」
「二人とも…何で…そんな冷静なの?」
人など住んでいるはずのない樹海の真ん中で人と出会う。とっても怪しさ満点なのは重々承知だ。
「さぁ…」
とあるエメラルドの美少女のせいでこういう事態に慣れてきた、とは言えない。
テリーは真っ青な顔色ながらも幽霊ではないと判断したのか前に出て行こうとする。
しかし…
「ひっ…キ…キャーーーーッ!!! …ば…化け物ぉぉ!!」
茂みから出てきたテリーは男の下半身を目の当たりにした。彼女は目を見開いき恐怖のままに叫んでしまった。
ケンタウルスの瞳が殺気を帯びた。
「誇り高いケンタウルスの私に向かって化け物とはっ…許さぬ!!」
矢の標的をテリーに変えて迷いなく矢を放った。ラドゥーは舌打ちした。懐のナイフを取り出す。
キンッ
空中の矢をラドゥーの刃は弾いた。それを見たケンさんは驚き、次の矢をラドゥーに向けた。
「私の矢を弾くとは…お前人間ではないな!」
互いに矢と刃を構える。ケンタウルスの身体が心なしか赤く染まっているように見えた。
やばいな…馬は興奮するとやみくもに暴走しだす生物だ。
「失礼なことを言わないで下さい。何処からどう見てもまっとうな人間でしょう?」
なるべく声を荒げず平静に声を出す。
「人の皮を被った悪魔かっ貴様!」
「天使に例えられたことはあっても悪魔は初めてですね」
「ほざけっ! 力の籠った矢を唯の剣で弾けるものか! 死ね! 悪魔!!」
矢を放とうと再び弓を引きのばす間際、話しても無駄だと悟ったラドゥーは、ケンタウルスに向かって走り出した。
弓矢という飛び道具は接近戦を苦手とするものだ。一矢をかわせば勝負はラドゥーにある。
放たれた矢を見切り、ケンタウルスの懐に飛び込んだ。
「うっ…」
矢を下に抑えられ、喉元にナイフを突き付けられたケンさんは動けなくなった。
「どうか落ち着いて下さい。俺達に貴方を害する気はありません」
暫く抑えたままでケンさんの様子を伺う。
「…わ…分かった…私の…負けだ」
ケンさんに反撃の意志が失せると見るや、ラドゥーはそっとナイフを離した。
「なるほど…行方の知れぬ友を探しているのだな」
「そうなのぉ。それでダウってその人達を探してたら貴方に辿り着いたわけなのぉ」
ダウる。アルネイラ発祥語。ダウジングを利用して探し物をする行為のこと…らしい。
「なんと友思いの優しき心。まだ若いながらも見上げた性根よ」
更地で焚き火を焚いて、事情を一通り話した。すると、ケンさんは感動して涙ぐんだ。怖いもの知らずなアルネイラは早速ケンさんに馴染んだようで、未だラドゥーの後ろで、びくびくと警戒しているテリーとは違い、和やかに話し込んでいた。
「ほらぁ、テリーちゃん。いつまでもムークット君に寄生してないで出ていらっしゃい」
「ぃや…でもぉ」
ラドゥー達が異常であってテリーの方が普通の反応なのだ。ましてや矢を向けられた相手。すぐに打ち解けろという方が無理な話だ。
「冷静に考えてみれば、この世界はそういう要素が薄かったな。故に、私の様な存在に、人間は免疫が無いのも頷ける。私も大人げなかった。許せ」
ケンタウルスのケンさんはパカッと蹄の音を立てて潔く謝った。
「は…はぁ…こちらこそ」
変なところで気真面目なのか、謝られたからには対応せざるを得ないテリーは、ラドゥーの背中からおずおずと顔だけを出した。
「それでぇ、ケンさんはそれらしい人見なかったぁ?」
「お主らと同年代の人の子か。特には見なかったが」
「叫び声なんか聞こえませんでした?」
「叫び声?…ああ、それは…」
と、何か言いかけて「おお、そう言えば、」何やら思い出したとケンさんは肩かけの袋の中をごそごそしだした。
「私の祠付近でこのような物を拾ったのだが…」
「あっ…それ!」
差し出された物を見てテリーが声を上げた。それは先程組分けにラドゥー達が使った籤だった。籤の先には赤色が塗ってある。赤組の誰かのものだろう。
「道理で…彼に辿り着いたわけですね」
「でもぉ…可笑しいわ…」
アルネイラが首を傾げる。心なしか緊張した面持ちだった。
「籤って複数あったじゃない? その場合、このダウジングは一番近い物を指し示すものなのよ」
そして行きついたのはケンさんの所。
「で、見つけたら今度はその次に近い場所を指すはずなんだけどぉ…」
ダウジングを見下ろす。何の反応も示さない。くるくると指針は回っているだけだ。
「…バル達は…この近くにいない、と?」
「そうなるわぁ…」
テリーが青くなってラドゥーに縋る。
「え…どういうこと? リリーは? メルは? この森の何処かにはいるんだよねっ?」
ラドゥーもアルネイラも答えようがなく俯いたままだ。
彼らが迷ったとして、人の足ではそれほど遠くに行けない。足場も悪く、一刻ほどしか経っていないのだ。彼らはラドゥーらの近くにいる筈である。だが…
「…この森は、夜間は夢に浸食されておる」
ケンさんはラドゥー達の様子を見てぽつりと呟いた。
「あっちに行ってしまったのかもしれんな…」
ラドゥーを除く二人は首を傾げた。ラドゥーの目が鋭くなった。
「夢…」
「ここは別な森と共存しておるでな。だからもう一方の森に紛れてしまった可能性も」
別の森と共存? よく分からないが彼らがそこにいるかもしれないなら探しに行かなくては。無防備な彼らは夢の世界では危険だ。
「とはいえ、私はこの森の番をしておる者だ。私に気付かれず三十人もの人間がそっちに行ったとは考えづらい」
「けれど実際ここから彼らが消えてるんです。そこへ連れて行ってくれませんか」
ラドゥーの頼みにケンさんは渋い顔をした。
「唯人は、あそこでは正気を保てぬぞ? それに許可なく連れて行く訳には…」
「多分俺は大丈夫です。これがありますから」
ラドゥーはエメラルドに輝く腕輪を見せた。
「それは…」
ケンさんは目を見開いた。
「ですから、俺だけでも連れて行って下さい。その間彼女達を預かって下されば…」
「…何言ってるのぉ?」
アルネイラが突然口を開いた。
「わたしも行くわよぉ」
テリーも決然と頷く。
「リリーもメルもそっちなんでしょ? 私の友達だもん。一緒に行く!」
恐怖から立ち直ったのかテリーはいつもの明るく活発な性分を発揮してきっぱりと言った。
「危険かもしれません。そんなところに連れて行くわけには…」
「そんなところに私の友達が行ってるかも知れないんだよっ? じっと待ってなんかいられない」
「おお…なんと熱き友情か…!」
ケンさんは感極まったように指を目頭にあてて上を仰いだ。
「そこまでいうのなら連れて行こう。決して私の傍を離れない事だ」
鼻を啜って赤い目で。
弓を上に番えて矢を放った。矢は祠の方角へ飛んでいく。
ラドゥーだけは気付いた。その行為が“開く”儀式なのを。
「さぁ“扉”よ――――――拓け」
その瞬間ラドゥー達の視界が交じり合う絵具の様に歪んだ。
アルネイラ強し。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「“生きた夢”とは主に、相応に強い力を持つ“夢の旅人”でなきゃ創れないってのは知ってると思うけど」
「はい。夢人が暮らす夢でしたよね」
「夢ってのは、創造主が自分による自分のための理想郷を築くための夢で、夢人はそこに居させてもらう、みたいな感じなのよね。“道”にずっといたら狂っちゃうから」
「夢人はどうしてそこに集うんですか。夢人だって“生きた夢”でなくとも自分の夢を持てますよね」
「そりゃ寂しいからよ。貴方の言う通り夢人も自身の夢を持っていた筈なんだけど、そこには他に住人がいないし、招けない。最初は誰でも自分だけの楽園を手に入れたって喜ぶんだけど、幻でしかない世界に、いつしか孤独に耐えきれなくなって、結局自分の夢を捨てて“道”に飛び出して彷徨う羽目になるのよ」
「ジャックさんとこの方達もそんな境遇だったんですね。“道”…彼らにとっては“迷宮”で彷徨ってたのを、ジャックさんに拾われたとか」
「まあね。だからめちゃくちゃ幸運よあの人達。自力で辿り着くことは稀にあっても、拾われるなんてまず無いもの。殆どは夢人にとってはまさに“迷宮”でしかないあそこは当てもなく彷徨うしかない。出口さえない闇の迷路でね。救われるなんて、あのかぼちゃ頭さんが善良な妖精だったからよ。まさに天文学的数値の確率」
「でも…いくら不安で孤独だったからといって、彼らはそれなりの覚悟をもって夢に生きることを選んだのでしょう? 生きることを諦めてまで選んだものを、そう簡単に捨ててえるんですか?」
「………絶え間ない不安は全てを潰すからね…」
「え? 何か言いました?」
「いいえ。…次は死した夢を、その後は夢の住人について語りましょうか。ま、死した夢なんて終わってる夢、そんなに語ることも無いんだけど」