33.機械細工師オイボレーのねぐら
彼の手に収まっているナイフが、円形の的のすぐ脇、何もない壁に突き刺さった。
「首尾は?」
もう一本ナイフを構え、また投げた。
「上々です。しかし少々懸念する件が…」
タンっと音が響く。刺さった位置は前のナイフより斜め下。
「…そうですか。ではノックスに親書を送っときます」
タンッタタンッ
ナイフはまるで吸い込まれるように投手の意図通りの位置に収まる。室内には二人の声の他にはナイフが壁に突き刺さる鈍い音のみ。
「一応、保険をかけときますか。遠国のゼマイにも…」
話している間にも次々と刺さっていく。投手本人は壁の方を見もしない。当てずっぽうに投げているのかとセナンがそっと目だけを的に向ければ、的を綺麗に囲むように、何本ものナイフが突き刺さっていた。
「…承知致しました。では、ミティの穀物輸入額の交渉の件では…」
タンッ
磨き抜かれた大きめのナイフが、紅く灯るランプに照らされて怪しげに煌めいた。今度は的の中央に。
「そうですねぇ…これからのことを考えて、奮発して多少高値でも買い取っておくことにしましょう」
中央のナイフの柄は他のものとは絵柄が違った。その周囲の、まるで退路を断ち外堀を埋めるかのように取り囲むナイフとは。
「御意。では、大公さまにご報告を」
これで完成かと思いきや、セナンは主人に呼びとめられた。少年の手にはさらにもう一振りのナイフが握られている。
「それともう一つ」
ガキイイイィィィィンン―――………
「さる方に…こないだ愉快な方を紹介してくださったお礼として、ささやかな贈り物を贈っておいてください」
柔らかな声音は、あるいは本当に感謝しているかのようで、少し、背筋が冷えた。
「…では地下にいらっしゃる方々の小指でもお贈りしておきます」
「頼みます」
彼の腹心は顔色一つ変えず、淡々とその意を汲むと、壁を一瞬だけ見た後は、静かに退出していった。
一人になった彼は親書を書くために立ち上がった。
「全く懲りない。あの方達にも困ったものですね。……そろそろ、日陰者でいるのは止めにしましょうか」
変わらぬ声音で一人呟くと、突き刺さった物もそのままに彼もその部屋を後にした。
残された部屋には、的の中央に刺さっていたナイフを真っ二つに割り、グリューノス家の紋章入りのそれが、新たに中央に突き刺さっていた。
「さてさて、ついにやってまいりました、『エルメラさんといちゃいちゃしましょうハプニング付きデート』!」
エルメラがラドゥーの部屋に現れるや否やそう宣言した。
「何ですかそのけったいなタイトルは…」
ハプニングはもはや予定に組み込まれているのか。
「しおりにも書いてあるじゃない」
本当に書いてあった。ラドゥーはしおりの表紙を見て半眼になった。
「時が経つのはほんとに早い…」
ついこないだ約束したと思ったら、あっという間に期末試験は終わり、晴れて夏休みがやってきた。その前に簡単な終業式があった。といってもクラス毎に担任から夏休みの心得などという誰も守りそうにないお言葉を頂いて終わりな代物だが。ちなみにラドゥーのクラスのグック先生(男・独身・無精ヒゲの三点セット)は良い意味で気の抜けた人なので「まあ、死ぬなよ」の一言で終わった。
耳半分な他のクラスメイトとは違い、ラドゥーはその一言を真剣に胸に刻みこんだ。夢の世界でのデートは色んな意味で覚悟がいる気がしたので。
「それで? 何処連れて行って下さるんです?」
不安はあるにせよ、エルメラの性格を思えば、ありきたりなところではあるまい。現にしおりを見るだけでは意味が分からない場所ばかりだった。だから、実は少し楽しみでもあった。
エルメラはにっこりと楽しそうに笑った。
「うふふ、ついてからのお楽しみよ」
そうしてラドゥーはエルメラの手を取り夢の世界へ。
ギーコギーコカタカタカタカタバタコンバタコンガタゴトガタゴトガラガラガラガラプシュープシュー………
四方八方から歯車が絡み合いながら回り、周囲の機械がそれに合わせて動く音が反響する。
「ここは…」
音が大きすぎて叫ぶように言わないと自分の声さえ聞こえない。
「『きか――いく―オイ―――のね―――』よ」
よく聞こえなかったのでラドゥーはしおりで確認してみた。一ページ目の上部に『機械細工師、オイボレーのねぐら』という項目を見つける。
「オイボレーさんという人のお家なんですか?」
「オイボレーっていう機械が恋人を地で行くイカれたおっさんがいるのよ」
若かりし頃はその名でさぞや揉めたことだろう。
ドコドコドコドコカラカラカラカラガンガンガンガンチキチキチキチキウィーンウィーンゴーンゴーン………
何が目的で動いているのか皆目見当がつかない。何と何が繋がっていて何処をどう動かしているのやら。
機械そのものは木製。そんな機械仕掛けの空間は、殺伐とした雰囲気はなかった。木のおかげか柔らかい空気さえ感じる。ここの主がここを大事にしているのが容易に分かる。ネジが自動的に回る時計、定期的に扉から出てきて踊る人形、巨大なシンバルの様な物が幾台も並び、それぞれが上下にガシャンガシャンと打ち合わさっていた。
「ここはその人の夢なんですよね」
「そうよ、意志を持つ夢。そのおっさんの見る夢。そのおっさんは、この夢ばっかり見るものだから、こんな意味分かんない機械が増えに増えてごっちゃになっちゃったのよ」
同じ夢を見ることはある。けれど何度も見る事は稀だろう。よっぽどそのおっさんの頭は機械でいっぱいらしい。男とは少なかれ機械が好きな生き物だ。ラドゥーも例にもれず、せわしなく動く機械を眺めるのはそれだけで楽しめる。
「そのオイボレーさんは人間なんですよね?」
「ええ、ムシルカって国のお抱え科学者」
生憎、ムシルカなる国名は凄まじい爆音に掻き消され、ラドゥーの耳に入らずに済んだ。ムシルカという国はラドゥーの世界にはない。
ラドゥーはエルメラとあちこちを見て回った。ラドゥーの世界にはないものが殆どではあったが、ラドゥーは気にする事はなかった。夢だからか、珍しいとは思っても、異世界の物だという認識に行きつかないのだ。
ラドゥーが隅にあった階段を上ると、そこに白衣を着た初老に差し掛かった男性がいた。オイボレーという人で間違いないだろう。
「おお、おお可愛い子たちじゃ。メッサリーヌ、気分は如何かね? そうかそうかうんうん今日も美しいの」
オイボレーはそんな調子で溢れかえる機械達に語りまわっていた。
ラドゥーとエルメラには気付いていない様でキャルネ、ボーマル、ゼリル、フォルネオイなどと呼びかけて行く。どうやら一つ一つに名前が付けられているようだ。勿論ラドゥーらには見分けがつかない。
「傍から見たら機械に語りかける痛い人ですが…」
オイボレーの表情は親馬鹿のそれと相違ない。でもそれを向けているのは物言わぬ機械。
「実際そうでしょ。機械以外には愛想の無い偏屈ジジイいで有名なおっさんだから」
機械を見る目は、とても優しい目をしている。偏屈とは程遠い。目の前の彼しか知らない今のラドゥーでは少し想像が出来かねた。
「お知合いなんですか?」
「ちょっとね。一方的にだけど。こないだつぎはぎを探している時にたまたまこの夢に立ち寄ってね。ちょっと面白そうな人だったから。もうこの人ったら、夢も実生活もそのままだったわ。機械尽くし」
…覗いたのだろうか?
ラドゥーはあたりを見渡した。相変わらず凄い音だが、騒音とは感じない。気を付けて聴いてみると、全ての機械達が一定のリズムを伴って動いている。まるで一つの巨大なオルゴールの様だ。
「気に入ったら、また今度オイボレーの家に連れてってあげるわ。そこも面白いから。でも今日はちょっと立ち寄っただけ」
「え? どうしてですか?」
もう少し見たいという思いからの言葉は不満げに聞こえたのだろうか。エルメラはにっこりと笑うとラドゥーの手を取って、もっと楽しいところがあると言った。
「今日のメインは別にあるのよ」
で、
「あの…」
「なぁに?」
「ここは何処でしょう?」
「んー居酒屋?」
「居酒屋?」
「お酒を飲む、クラブみたいなとこ」
「まあ…内装はそんな感じですが」
気が付いたらラドゥーはカウンターに座っていた。いかにも下町にある地元の酒場といった様相の店内は結構な繁盛ぶりだ。
それはいい。なんで、こんなところにいるかが知りたいのだ。つい一瞬前まではオイボレーのところにいたのに。
ラドゥーは隣を見る。どんぶりを持ち上げ、切り分けられた柿を勢いよくかきこむ男達を。
「……。酒場はお酒とつまみを提供する店ですよね?」
柿をどんぶり一杯に出す店なんて初めて見た。いや、それはまだ許容範囲だ。ちょっと変わったメニューを出す店など珍しくない。柿だって立派な食材だ。
問題は…
「店のメニューが全て柿ってところなんですよね」
柿どんぶり、柿揚げ、柿煮込み、柿酒、柿ピー…etc。柿は嫌いじゃないが特別好きという訳でもない。今は特に食べたいと思わない。
「柿揚げとか上手いこと言う」
聞いただけならとてもおいしそうだ。
「突っ込むとこそこなんだ?」
エルメラは隣の客の柿ピーを摘みながら言った。
「ところで、ここが今日のメインなんですか?」
エルメラは問いには答えず逆に質問してきた。
「ラゥは今お腹すいてる? すいてないわよね?」
何故に断定。
「え、ええ、まあ、そうですね。あまり…」
オイボレーさんのところで少しはすいてはいたが、今はむしろ周りの男達のあまりの食いっぷりに食欲は減るばかりだ。
「でしょ? だから、その前に運動でも、と」
運 動 ?
「…ここ酒場ですよね?」
実はお腹周りが気になった方の為の運動施設でも備えた店なのかだろうか?
まだ早い気もするが、一休みにここで一服をするのかと思っていたのだがどうやら違うらしい。
「もっといい所があるから、そこ行く前にちょっと、ね」
明らかに何かある様子にとてつもなくいやな予感がした。
と、その時、勢いよく柿を食べていた男達は、空けた皿や器をテーブルに音を立てて置いた。
「…………隣の――よく――く――だ」
「……はい?」
聞こえないくらいぼそぼそと呟いてゆらりと男達が立ち上がる。皆が一斉にこちらを向いた。
嫌な予感しかしない。
「…。……。――――――――」
「隣の客はよく柿食う客だ!!!」
意味不明な大合唱と同時にラドゥー達に飛びかかって来た。
しかし、その時には既にラドゥーはエルメラの手を引いて店を飛び出していた。
「何なんですか!? あれ!」
走りながら叫ぶ。店から男達が喚きながら追いかけてきたのを見てスピードを上げる。
追いかけてくるから逃げる。が、そもそも追いかけられる理由が分からない。理由を問おうにも、追いかけてくる人の目が尋常じゃないので、話も通じそうもない。
「『早口亭』っていうんだけど。早口言葉を叫びながら追いかけてくるホラーなんだかコメディなんだか分からない意志を持った夢よ」
「意味が分かりませんっ」
確かにあの男達の顔は凄まじい形相で恐ろしいが、走りながら振りまわしているのは何故かお勘定。まるでラドゥー達が食い逃げ犯の様だ。本格的なホラーなら、斧やハンマーやらを振り回しているところだ。
「ほらほら追いかけてくるでしょう? 彼らが叫んでいる言葉を復唱しながら逃げないといつまで経っても出口は現れないって仕組みよ」
ラドゥーは気付きたくもない事に気付いた。まさか…
「……食前…運動って…」
「そう。コレの事」
さあ行ってみよう! と元気に号令をかけたエルメラをラドゥーはど突きたくなった。しかし、後ろの追手がそれを許さない。
そんなわけでラドゥーは強制リアル鬼ごっこを余儀なくされた。
走る 走る 走る…
もうどれだけ走ったか分からない。様々な障害を越え、ひたすら走る走る。途中合流したらしく、いつの間にか追いかけてくる人数が増えている。ちらほらと女性も見えた。でも握っているのは全てお勘定。食い逃げ犯の気持ちがよく分かる。
もはや惰性で走っているので何か考えないと無我の境地に至りそうだったので、ラドゥーは取りとめもない事を考えていた。
ラドゥーは相応に鍛えられた男だ。そこらの騎士よりよほど強い。だから、持久走も数キロ程度は軽い。ただし、何もしゃべらなければ、という事だが。
「生麦生米生卵ぉぉぉぉおおぉぉ!!」
男達が走りながら、いつの間にか掴んでいた生麦生米生卵を投げつけてきた。
「な…ま麦…生…米、生た…まご…」
ラドゥーらはそれをかわしながらも前に進む。
いかな鍛えた者だって延々と早口言葉を言いながら走れば息も悲壮なまでにあがるというものだ。
いつまで続くんだろう…これ。もうやだ。
同様に走っているエルメラが後ろを見た。エルメラの方は息一つ乱していない。まるで体重を感じさせない軽やかな走り。“夢の旅人”には疲れというものがないのか。エルメラが特別なのか。なんだか悔しい。
「あら、なんか服装変わったわよ」
ラドゥーも振り返った。同時に顔が引きつった。
「赤パジャマ・青パジャマ・黄パジャマぁぁぁぁぁ!!」
そんなテカテカな蛍光色の夜着はごめんだ。絶対落ちつかない。この野郎が。
ラドゥーは悪態をついた。
だいたいこれは誰の夢なんだ。意志を持つ夢だかなんだか知らんが、意味が分からない。夢には意味の分からないものもあるが、これもそういうものなのだろう。
意思を持ってはいても、意図はない。
早口言葉を強制する悪夢なんて馬鹿げている。だが実際に体験している身としては笑い事じゃない。
捕まったらどうなるんだろう…。
後ろの狂気じみた顔触れを見ると、ロクな目じゃないのは確かみたいだ。考えるのが怖かった。
どうにか逃げ切っていると、前方に何やら四角い物が見えた。
四角の下には黒い丸いタイヤが付いている。
「大型の車…」
「バスね」
「バ…ス…?」
ラドゥーの世界にはまだ車は乗用車のみで、専ら移動手段は馬車だ。バスという交通機関は存在していない。
「何…何やら漏れてますが…」
思わず立ち止まって見上げる。車から匂いのする水の様な物が流れ出ていた。
「あれよ、ゴール。ヒジョウ口」
エルメラの指す方を見ると、金属の扉があった。その上には長方形の箱が緑と白に光りを放っていた。扉にかけ込む人が書かれている。
「あそこに入ればこの鬼ごっこは終わるんですね」
鬼ごっこにゴールなんてあったっけかと思ったが、最早どうでも良かった。この無意味な追いかけっこを終われるなら何でも良い。
ラドゥーがほっとしたのもつかの間、男達がもうすぐ間近に迫っていた。
「バスガス爆発ぅぅううぅぅうぅぅ!!」
「さ、爆発しないうちに行きましょ」
言われるまでもなくラドゥーは扉に向かって駈け出した。
どがぁぁぁああああああんん――――!!
間一髪で扉にかけ込めたラドゥーは落下した。
え ?
エルメラはラドゥーの腕を取った。
「上見て」
落下しながらもなんとか身を捩り、上に顔を向けた。どんどん遠ざかって小さくなっていく、まず目に映るはもうもうと煙があふれ出す扉。視線を横にスライドして、目に入った天井に書かれていた文字を反射的に読んだ。
非情口↓シタヘマイリマス
非 情 ?
ラドゥーは思わず叫んだ。
「こんなベタなオチあってたまるか――――――――――!!」
無念の叫びは虚しく堕ちて行く暗闇に溶けて行った。
誰が見た夢なんでしょうね?全く…傍迷惑な夢もあったものです。
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「と、いうわけで前回予告した通り、ここに3.5で書かれないあれこれを解説、時にネタバレ有なコーナーが始まったわけなんだけど」
「…し、死ぬかと思いました…」
「大丈夫よ。私が死なせるわけないじゃない」
「…頼もしい限りですね」
「で、このコーナーなんて名前にしようか?」
「作者の戯言でいいじゃないですか」
「でも作者が語るわけじゃないじゃない」
「じゃあ無難に解説広場でいいじゃないですか」
「貴方がそれでいいなら私は構わないわ」
「じゃあそれで。どうせこんな作者の自己満足な駄文蛇足無駄話三拍子そろったところなんて誰も見ないでしょうし」
「暇つぶしに見てくれるかもしれないじゃない」
「そんな素敵な方がいて下さったら感謝感激雨あられの一言に尽きますね」
「どうして機嫌が悪いの?」
「さっき体験したアレを振り返れば当然じゃないですか」
「楽しかったでしょ?」
「エエ、トテモ」
「でしょ? じゃあそういうことで…んーまず何を話そう?」
「そりゃ当然、夢の世界の事なんじゃないですか?」
「でもすでにどこかの親切なかぼちゃが解説してくれたじゃない、何話もかけて」
「彼は本当に良い方ですよ。快くかぼちゃの種をくださいまして、今自宅で育ててます」
「彼を気に入ったのね」
「ええ。また遊びに行きたいほどには」
「良いわよ。いつでも連れてってあげる」
「ありがとうございます。って脱線しましたね…何かネタは…そうだ、『仮名』と『称号名』についてとか」
「ああ、それね。私にしてみたら当たり前の今更だったからすっかり失念してたわ」
「じゃあ、この事について補足を」
「『仮名』はそのままよ。単に生前の名前を捨てるから不便の内容に自分の呼び名を適当に付けたり付けられたり」
「名前を捨てることに意味はあるんですか?」
「……さあ」
「なんだか気になりますが…。気に入らないのは、どうして最初に名前を俺に教えてくれなかったんですか。エルメラなんて態々つける必要なかったじゃないですか」
「最初会った時言ったじゃない。私に名前はないわって」
「あったじゃないですか」
「どうでもいい名前だったし、あの名で呼んでほしくなかったもの」
「何か言いました?」
「エルメラって名前が気に入ってるって言ったのよ」
「ありがとうございます。実は俺もその名前気に入ってるんですよ(突発的に考えた割には)」
「ふふ。じゃあ次回は『称号名』について話しましょうか」
「そうですね。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。こんな感じに進んでいきますんで、もし長いとかつまらないとかその他のご指摘、ご意見がございましたら、お気軽にどうぞ」
「何とかまとまったわね」
「…まあ、最初くらいは」