31.日常と書いて虚飾(いつわり)と読む
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幼い頃読んだお話。
〈昔々、あるところに、とてもいじわるなおばあさんがいました――〉
さして珍しくもない言葉から始まる、けれど不思議と物語の内容は覚えてる。
けれどその結末は、思い出せない。
ラドゥーがギータニアから戻ってからそれなりに日が経った頃、ようよう日差しが強くなってきた。
照り返す太陽は容赦なく生徒達の肌を焼き、汗が拭いても拭いても湧き出てくる。男子は気にしないが、女子には肌の管理に敏感になる季節。
そう、夏だ。そしてその夏には付き物の「それ」が、恒例として学校で流行り出す。
学校の隅にある池に夜な夜な嘆く声がするとか、廊下を徘徊する首なし妖怪とか…。
ラドゥーのクラスに限らず、そういった類の話を真昼間から引っ張り出す生徒達がそこかしこで溢れる。
ラドゥーは不思議でならない。どうして冬には現れないのか。幽霊も冬は寒いからか。池とか寒そうなとこに出没する…
「……あぁ、だから夏は涼しくて良いのか。納得」
「なぁラドゥー! クリスちゃんもう帰って来ないってほんとかよ!」
ラドゥーの学友達がラドゥーの周りで騒ぐ。読書中のラドゥーを慮る気皆無な奴らだ。
「知りませんよ。さっき先生が言ってたんですからそうなんでしょう」
素知らぬふりでページを繰る。
「校内美少女ランキングトップ10の一角! クリスちゃんが抜けたら何の為の肝試しだ―――――!!」
一人の生徒がラドゥーの机に突っ伏した。持っていた本を頭上に避難させる。こいつは彼女のファンクラブの一員だったと思い出す。
同じクラスなんだから直に話しかければよかったものを。
そんな度胸など無いのをラドゥーはよく知っているけれど。
「肝試しは肝試しです。可愛い女の子に抱きつかれたい盛った狼共の…」
欲求不満解消の場ではない。と言いかけたラドゥーの言葉を遮り、突っ伏した生徒ががばっと顔を上げた。
「女の子とのウキドキ☆アクシデントが無ければ肝試しの存在意義は無い」
真顔で言い切った。
今朝の連絡事項でクラスメイトのクリス・ウォールが家の都合で帰国したという連絡がもたらされた。まあ色々手続きとかあって連絡が今になったのだろうが、クリスに憧れる男子学生も結構いたらしく、クリスの帰還を待ちわびた男共がそこかしこで打ちひしがれてる様を見かける。まるで本物の幽霊だ。
「じゃあ、今夜お前も参加しろよ! 校内一周肝試しツアー」
ツアー?みんなで回る気か?結局怖いんじゃねーかお前ら。頷いてんじゃねーよ、ソコ。チキン共め。
「『じゃあ』の意味が分からないよ。さっきのと今の言葉、繋がってないじゃないですか」
「お前が来れば女子はこぞって来てくれる」
だからなんだ。声を揃えて言うな。変なとこで団結しやがって。
「俺は客寄せパンダですか」
やりたいなら自分で誘えよ。それが出来ないからラドゥーを巻き込もうとしているのは重々承知だが、付き合わされる身にもなれ。
結局、今夜の肝試しは断った。代わりに、いつか埋め合わせすると約束をさせられた。やれやれだ。
あっという間に会話のネタが変わり、隙あらば関節技を決めようとするそいつらをかわして、読書に集中しようとした。
「貴方、憑かれてるわよぉ…」
何の前触れもなくオドロオドロしい声が背後から忍び寄ってきた。
「……ファルデさん?」
その特徴的なハスキーな声は絶妙に背筋をひやりとさせる。ラドゥーは目を後ろにやった。
「とぉっても強いのが貴方に憑いてるわよぉ…うふふ」
ラドゥーでさえも気配を読むのが難しい、黒い服を纏った少女の名は、アルネイラ・ファルデ。
緩いウェーブの黒髪に白い肌。いつも物憂げな雰囲気を醸す垂れ目なチャコールグレイの瞳。可愛らしい、というよりはしっとりとした美人だ。
文句なしの美少女なのだが、今の台詞で察せられる通り、彼女の趣味はオカルト。自身も『見える』らしく、たまにクラスメイトに何処何処に何々がいるとか言って怖がらせては楽しむ少々困った性癖があった。
成績順位で名簿順が決まる実力主義のこの学校にあって、主席のラドゥーの次に呼ばれる才女でもある。さらに校内美少女ランキングトップ10の一人だ。学校にファルデを知らない者はいない。顔と頭が良いだけに、無駄に説得力のあるアルネイラの言う事を真に受けて真剣に相談する者もいるのだから始末が悪い。
「へぇ…どんなのが憑いているんです?」
この時期、特に活発になる彼女は、本日の標的をラドゥーに絞ったらしい。ラドゥーは本を閉じて相手を伺った。
怖がるどころか面白そうに小さく笑った彼を見て、少々的が外れた顔をしたけが、すぐにクスリ笑いが復活した。
「若い女の人よぉ。今はいないけど、その残滓が感じるわぁ。なんだか緑がかってるのよねぇ」
ラドゥーには心当たりが凄くあった。
「へぇ、でもそれ、本当に幽霊なんでしょうかね?」
ラドゥーは腕輪を付けている方の腕で頬杖をついた。
「…信じてない顔ね」
「そういう訳じゃありませんって。貴女にはその若い女性が幽霊に見えるのかと、純粋な興味だよ」
どころか今まで眉唾ものとしか思ってなかった少女は、本物かもしれないと見直したほどだ。
「……その女性に心当たりがあるみたいな口振りねぇ…」
「そう聞こえましたか?」
二人は数秒見つめあった。先に引いたのはアルネイラだった。
「……確かに幽霊とはちょっと違和感があるのよぉ、でもぉ幽霊以外の見えないモノといえば…」
ラドゥーは彼女の言葉を引き継いだ。
「“夢の旅人”くらい?」
「…そう、ね。妖精とか精霊なんかよりもずっと特別な…神秘の化身くらいね」
「“夢の旅人”が人間に憑くのは、そんなに珍しいことでした?」
ラドゥーは悩む様に首を傾げた彼女に純粋な興味で訊いた。
「珍しいも何も…そもそも実在するかさえ怪しいじゃない」
それで言うなら、普段アルネイラが口にしている心霊現象の方がずっと怪しい。
「お伽噺では沢山あるけどぉ。“夢の旅人”は、時に憑いた人に覇権を齎すっていう伝説だってあるじゃない? グリューノスが国として独立する時だって…」
ラドゥーもその話は知っている。初代当主ゴルグルドが独立を勝ち取った歴史の裏に“夢の旅人”が助力したという言い伝えだ。だからグリューノスにおいて、“夢の旅人”はどちらかというと神聖な存在として受け止められている。とはいえ、“夢の旅人”という存在がそもそも架空と化している今、本当にただの伝説としか思われていない。
しかし、彼女が実在した以上、今のラドゥーにはそれが作り話ではないことを知っている。
「…ええ、確かに、御大層な伝説はありますね」
その伝説はラドゥーの先祖に纏わる話。家にはもう少し詳しい話が残されているはずだ。あまり興味なかったので今まで見た事は無かったが、これを機に古文書でも紐解くのもいいかもしれない。
体内の本の虫が俄かに疼きだした。
「でも、“夢の旅人”が人の世に現れる時は、必ずしもそんな大それた目的の為でもないでしょう?」
“夢の旅人”は神秘の化身。時折、現に現れては人に何かを残していく。それが今に残る数々の伝説だ。他愛のない喜劇や、人間の男の片思いの悲恋モノといった俗っぽいものまで。
「…そうね。でも…ムークット君…」
「何ですか?」
「そうやって話すのを見るとぉ…貴方もこういうの好きなのぉ?」
「いいえ、別に?」
オカルトクラブ(密かに部員数が多いと噂)に勧誘されそうな雰囲気をかぎ取り、ラドゥーは否定した。
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○石月××日 曇り
道に迷って辿り着いた先は深い森。そこに暮らすかぼちゃ好きのいい人に助けられる。
家政婦さんお手製のかぼちゃのクッキーをご馳走になった。同じく手作りのかぼ茶が美味しかった。かぼちゃな彼は森の主。彼の森は悪い奴に乗っ取られそうだということ。お茶の御礼に森の主を助けることにした。
(中略)
いろいろあったけれど、なんだかんだで彼の縄張りは奪還できたので良しとする。
実はかぼちゃの種を貰った。家の庭師に栽培を頼もうと思う。
○石月×△日 曇り
こっちに帰ってきた。五日も日が過ぎていた。吃驚。
何処にいたのか問い詰められた。適当に流しておいた。国際問題? そんなものどうとでもなる。握りつぶしてしまえ。
帰りの道中、不審な観光客にあった。何故かタックァを大量に買い占めていた。なんだか知らない人とは思えなかった。
ついでに言うと、ファンデルン侯爵と文友になった。狸だけど、不思議と会話が弾む御仁だ。油断禁物だが、うまくすれば彼とは共同戦線を組めそうな気がする。
…本当に、気がするだけの気がするけれど。
○石月×□日 雨
実家に帰った。土産のお酒とタックァで誤魔化す。じい様の視線が気になったが無視しておいた。どうせじい様には筒抜けなんだろう。じい様とギルは古い酒飲み友達だ。
目的も果たした。何故か打って変わっておとなしくなった例の彼女はそのまま退学する事になるらしい。俺よりもずっといい男に出会えると良い。俺が言えた義理じゃないけど。
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夜、ラドゥーは自室でこれまで書いた日記を繰っていた。こうして読み返してみると現と夢の出来事が一緒くたになっている。万が一日記を見られても誤魔化せるようにぼかしてはいるが、実際に体験した自分は何というか複雑だ。
「エルメラに出会ってからというもの、俺の日記は時折冒険日誌なんじゃないかと疑いたくなる」
夢だが、妄想ではない。幻だけど、この手に触れる確かなもの。未だに慣れないあの世界。あの空気。あの曖昧さ。長いことそこに居座っては帰れなくなる。それは、帰りたくなくなると言い換えてもいいかもしれない。そこにいたくないのに、いたくなる、そんな感覚。
「…へえ、こんなのまで書いてある」
慣れなくてもいいと思う。現実を生きる人として、慣れてはいけない。あそこは人の世界とは決して相容れず、けれど同時に共存し、互いに受け入れている世界。不気味で奇妙な不思議な世界だが、不思議と忌避する気持ちは沸かない。
本当に、何もかもが自分の世界では考えられない出来事ばかり。この気持ちを何と言えばいいだろうか。
夢だけど、夢じゃなかったー!
「……んー」
こんな気持ちだ。
何となくすっきりとした。
〈お前の世界はなんという?〉
唐突に、何の前触れもなく、脳裏に蘇った言葉。それはかぼちゃ頭さんこと、ジャック・オ・ランタンの言葉。
俺の世界? 世界は世界だろう? まるで、呼び分ける必要があるみたいな物言いじゃないか。
ラドゥーはページを繰る手が止まっているのにも気付かず、頭に直接囁く言葉に反論した。
夢の世界は受け入れよう。現実ではないあの空間を知ってしまった以上、知らぬふりをするのは逃げでしかない。
だが、この世界以外の現など知らない。
ラドゥーが受け入れるのは、自身が見たものだけだ。
それからまた数日後。その日もいつもと変わり映えしない授業だった。鞄に荷物を仕舞ったラドゥーは『本の虫屋』に向かった。
ラドゥーの趣味は読書だ。決して非現実的な冒険が趣味な訳ではない。いつ見ても荘厳で、静かな雰囲気を纏う不思議な店の中はラドゥーのお気に入りの場所だ。
この店の会員はどれくらいいるのか長年通っているラドゥーもよくは知らない。何故ならあまり他の客と顔を合わせる機会がないからだ。どういうわけか、この貸本屋には不思議と客が一斉に集まることがない。客数は常にせいぜい数人。本好きの会員は沢山いるはずだが、ラドゥーが店に行くときに混んでいることがないのだ。だからこそ、この静謐な雰囲気が保たれている。
本を物色していると、童話が集められた本棚の列で見知った少女を見かけた。
「ファルデさん」
アルネイラは本棚から顔を外してラドゥーを振り返った。
「あらぁ…奇遇ねぇ」
「貴女も会員だったんですね」
「ええ。私も読書好きだしぃ」
ラドゥーは彼女の腕に抱えられた数冊の本を何とはなしに見ると、見事に黒表紙ばかり。
…オカルト系と一目で分かる。
「ん?」
しかし、黒いばかりの装丁の本の中にあって一つだけ、毛色の違うものを見つけた。
「これは懐かしい。『いじわるおばあさん』じゃないですか」
アルネイラはその本を目の前にかざした。
「でしょう? なんか久々に見つけて、懐かしくってつい手に取っちゃったのぉ」
『いじわるおばあさん』とはよく知られた童話だ。子供の頃によく読み聞かせられるお話。
「でもぉ、借りるか止めようか悩んでるの。…だって最後がねぇ」
パラパラと捲って最後を見せてくれた。ラドゥーにも彼女の言う意味がすぐに分かった。あるページを最後に真っ白なページが続いていた。結末が書かれていないのだ。
「最後だけごっそり抜けていますね…」
ラドゥーは眉をひそめた。この貸本屋に限って本の損傷などあり得ない。古びてはいてもページが抜けていたり、読めない程の汚れなんて見かけない。乱暴に扱う客が門前払いになるのもその理由の一つだが、この店では本がそのままに保存されているみたいなのだ。アビスやおじじあたりが修復している様子もないのに、本のその状態はずっとそのまま維持されている。この店の七不思議の一つだ。謎は七つにとどまらないけれど。
つまり、考えられることは…
「元々、無かった…」
「このお話…最後はどうやって終わるんだったかしらぁ?」
幼い頃読んだお話。
〈昔々、あるところに、とてもいじわるなおばあさんがいました―――〉
ありふれた言葉から始まるごく普通のお伽噺。けれど不思議と物語の内容は覚えてる。
なのに、その結末はどうなっていただろう?
思い出せない。否、読んだこと自体無かったのだろうか? あんなに読み聞かせられたのに? やはり、忘れて…しまっただけだろうか。
「……。ファルデさん」
「…なぁに?」
「差し支えなければ、この本、俺が貸りてもいいでしょうか?」
アルネイラは目を瞬かせ、すぐに頷いた。
「いいわよぉ。私はちょっと気になって手に取っただけだしぃ」
アルネイラに礼を言い、その本を受け取った。早速貸出しの手続きをしにカウンターに向かおうとすると、彼女に意味深な笑みを向けられた。
「ふふ…『本の虫屋』に珍しい落丁の本。もしかしたら…曰く付きかもねぇ」
怖がらせようというのか、声を潜める彼女にラドゥーは軽く笑って見せた。
「もし、実際にそうでも別に気にしませんよ」
不満げにアルネイラは口を尖らせた。
「ムークット君に苦手なものってないのかしらぁ?」
ラドゥーはきょとんとした。
「…いきなりなんです?」
苦笑したラドゥーにアルネイラは緩くウェーブのかかった綺麗な黒髪を弄りながら続ける。
「…ムークット君ってほんとぉに何でもそつなくこなせる万能君よねぇ。文武両道でぇ、素敵な容姿。こういうのも平気だし、誰にでも平等に接する柔らかい態度。皆貴方を慕ってるわぁ」
「買い被りですよ。俺はそこまで万能な人間なんかじゃありません」
「じゃあ、苦手なものとかってあるのぉ?」
言って、ラドゥーの顔を見たアルネイラは、身体を僅かに強張らせた。冷や水を浴びせられた様な心地がした。
「…さあ? どうでしょう」
ラドゥーは変わらず笑っていた。けれど…
「人間誰しも苦手なものはあるものですが」
「…ムークット君の…場合は?」
アルネイラは尻込みしそうな自分を叱咤して挑戦的に問い返す。
「さて……どうしても知りたいなら探してみてください」
探せるものなら、ね。
ラドゥーは弱味を悟られぬよう振る舞うのに慣れている。
幼い頃よりそのように心がけてきた。今では無意識でも振る舞えるようになってしまった。そんな自分は時々マリオネットの様に感じてしまう。彼女の言う“完璧な自分”を演じる自分を自分で動かすマリオネット。
ただし、自分の意志だけに従うマリオネットだ。
隠すことに長けた自分は、なるほど外から見たら確かに何でも出来る人間の様に映るかもしれない。
これといった個性を披露せず、つけ入らせるすきを与えず、本心を心に留め、優しい笑顔で全てを覆う。
〈――ムークット君は何でも出来て凄いよねっ〉
〈――お前ほど何でも出来りゃ人生楽だろうなぁ〉
〈――ひ弱な身体で当主と認めさせたいなら、それを補って余りある頭脳を身につけろ――〉
それが必要だったからそうしたまでだ。病弱だったかつての自分を、次期当主として周りに認めさせるために、自身を守る意味でも、自力で何とかしなければいけなかった。
じい様は直系の孫だからと言って無条件に後継者として優遇したりしない。候補者は一人ではないのだ。相応しくなければ躊躇わずにラドゥーを切り捨てるだろう。箱入りの母は当てにならない。のんびり屋な父など論外だ。
あくまでラドゥー個人の能力を示して、初めて認められる。それはとても有効だと思う。甘やかされて育った御曹司程、領土を乱すものはないから。
当主の座に執着はないが、嫡男として、グリューノス家に生まれおちた者の義務として、その役目を果たしてきた。
いままでも、これからも。
虚飾の姿の自分が立つ場所が本来の居場所。
でもそうでない筈の学校でも、素の自分と言えるのだろうか。
ラドゥーは短く笑った。栓ないことだ。
でも、これだけは言える。
素の自分が得た友人は、ラドゥーがラドゥーでいられるよすが。
ラドゥーの遠ざかっていく背中を見送りながら、アルネイラは頬に手をあて、溜息を吐いた。
「一瞬だけと、彼自身を見られたのかしらぁ?………素敵」
夢の世界はラドゥーにとっていい息抜きという事です。