23.少女の素顔
つぎはぎは棒を拾うと、彼なりに精いっぱいラドゥーの方へ投げ返してきた。
そしてやっぱり距離が足りなかった。
「…いきますよぉ」
棒のところまで歩いて拾った。やはりボール投げをご所望だったらしかったので、ラドゥーはボールの代わりに棒きれを投げた。
つぎはぎは、うさぎより、犬よりも、五歳児だった。
子供はボール投げをするのに、必ずしもボールである必要はない。擦れていない子供は、どんなものでも遊び道具にしてしまえる自由な発想がある。ラドゥーの弟妹らも、びっくりするようなものをままごとやごっこ遊びに持ち出してくる。ラドゥーはそんな才能はなかった。昔は身体が弱くて遊ぶことさえままならなかったから。けれど、かすかに残る記憶を懐かしく思った。
そうだ、調子がいい日には、こんな感じで、父や母と…。
和んだ気持ちのまま、子守のつもりでつぎはぎと遊んでいると、背後から人影が近付いてきた。
「見ぃつけた」
エメラルドグリーンの少女だった。
「探したわ。こんなとこにいたのね」
ラドゥーと目が合うとエルメラはほっとしたように笑った。
探してくれていたのか。ちょっと嬉しい。
「素敵な格好してるのね。まるで舞踏会の貴公子みたい。あら、髪も染めてるのね」
「みたいじゃなくて、その通りです」
色々あって失念していたが、こんな新緑の美しい森の中にあって場違いな格好をしているのだ、自分は。サラの勧めに従わずに、もっと地味な格好をするべきだったかもしれない。
「…舞踏会に参加しているところに、こちらに来てしまったんですよ」
くすくす笑う彼女に決り悪げに弁解した。
「やっぱりね。どうせつぎはぎに巻き込まれてこっちに連れて来られたあげく、帰れなくなっちゃったんだろうと思っていたのよ。災難だったわね」
「全くです。でも」
「後でつぎはぎにはよぉく言っとくからね。ま、言ったって聞きゃしないんだけど」
いい勝負だろう。
「ぬいぐるみなんでしょうがないと思いますが、それよりも」
「でももう心配いらないわ。私がちょちょいのチョイで帰してあげるから」
話を…
「はい、あの、でもその」
話をさせてくれ。
「…誰だ?」
ラドゥーだけを視界に入れていたエルメラは、そこで初めて第三者に目を向けた。
かぼちゃ頭と、緑玉の美少女が目を合わせた。
「…ねえ、この人誰?」
しかし、エルメラが言葉を向たのはラドゥーだった。ラドゥーはエルメラを見下ろしたが、エルメラの表情は見えなかった。
「彼には困っていたところを助けて頂きました。美味しいかぼちゃクッキーもご馳走になりました」
「ふぅん…そう」
エルメラの空気が若干和らいだ。
「突然お邪魔してごめんなさいね」
エルメラは幾分態度を和らげた。
「…名は?」
「私に名前は…っと…“エルメラ”。エルメラと呼んでちょうだい」
ラドゥーは少女に顔を向けた。視線に気づいた少女はラドゥーの方を見た。
その顔に美しい笑みを浮かべて。
それは、時折見せる月の様に神秘的な笑顔とはまた違う、太陽の様な明るい笑顔だった。ラドゥーは不覚にも一瞬見惚れた。
「…そうか。ではエルメラ、この少年を送ると言ったな。手間が省けた。すぐに帰してやりなさい」
「言われなくともそうさせて貰うわ」
エルメラはラドゥーの腕を取ろうとした。だが、それは叶わなかった。
「ちょっと待って下さい」
「どうしたの?」
エルメラの不満げな顔に苦笑した。
「…ちょっと、お姫様に挨拶をしていきたいんですけど」
「……お姫様?」
彼女は器用に方眉をあげた。
「……ラドゥー」
「ただの興味ですよ」
咎めるような声に笑ってみせる。
「…話が見えないんだけど?」
「そちらの事情をお話しても?」
ジャックは溜息を吐いた。
「……いいだろう。信のおける知り合いならば」
「勿論です」
ラドゥーはエルメラと向き合った。
「今、この夢は“姫”という方によって、困った事態になっているようでして…」
ラドゥーはエルメラにジャックが彼に聴かせた話をそのまま説明した。
「―という訳で、そんなに凄い方なら、お会いしてみたいな、と」
「………」
話を聞いたエルメラは妙に静かだった。
「どうしました?」
「え? いえ、何でもないわ。うん。何でもない。……“姫”、“姫”…ねぇ…」
複雑な顔をして曖昧に頷く。
「?」
「でも、私が来たから、態々扉から帰らなくてもよくなったんだし、何もそんな奴に挨拶していかなくても…」
「さっきも言ったでしょう。唯の興味ですよ」
その時、ぱたぱたと地を飛び跳ねながら、つぎはぎが棒を拾って帰って来た。
「おぉい、行っくぞぉって、あっ! お~い、ひ…ぐえっ」
エルメラは、突然つぎはぎを抱きしめた。
「まぁつぎはぎ! すっごい久しぶりね! エルメラ寂しかったっ」
つぎはぎの言を遮るように捲し立てた。つぎはぎはもがくが、エルメラががっちり締め上げている。
「メアリーも心配してるわよ」
つぎはぎが大人しくなったのを確認すると、手を離した。
「プヘッ…“ひび割れ”が?」
「ええ、缶蹴りしていたら、またいなくなったとか言って泣いてたわ。ダメじゃない。遊んでるのに途中で投げ出しちゃ」
「そういやしてたような?」
「…もういいわ」
エルメラは溜息を吐き、つぎはぎを撫でた。
「全くあんたは…いつもいつもふらふらして。しかも今回は危うく人を、あの真っ暗な“道”で永劫彷徨わせるとこだったのよ」
「え、そうだったんですか」
それは結構ぞっとしない話だ。
あの何も見えない闇は、目を閉じたときの眼裏に似ている。目隠しをされ、見知らぬ街に放り出されたような。言い尽せぬ不安が付き纏う孤独の闇。
「そうよ。その腕輪あげて正解だったわ」
「腕輪に、ここまで導いてもらいました。とても助かりました。ところで、メアリーとは、例の隠れ鬼を一緒にしてた子の一人ですか?」
「そうよ。“ひび割れメアリー”。つぎはぎの遊び仲間の一人よ。その子らに泣きつかれたから、今まで仕方なく探してたのよ。そこら中の夢をね。でも、つぎはぎは一時もじっとしていないものだから、全然見つかんなくて。疲れたし、飽きたし、探すのやめて貴方の所に遊びに行ったら貴方もいなくなってるし。なのに、何故か貴方とつぎはぎの気配が一緒に残ってたから、まさかと思っていたけど」
そこら中の夢、と簡単に彼女は言ったが、規模が分からないだけにどれだけの苦労か計りかねた。
「この私にここまでさせるのはこの子くらいよ」
つぎはぎの耳を引っ張って顔を顰めた。くすぐったさにじたばたしたつぎはぎは無視した。
「貴方と合流できたんだからもういいけど。…それで? 本当に“姫”に会いに行くの?」
「はい」
「…どうしても?」
「何か不都合でも?」
「…無いけど」
「ならいいじゃないですか。挨拶に行くだけですから。…まあ、ついでにジャックさんの夢からお暇してくれたら儲けものですよね」
「………」
「…そういえば、外に置きっぱなしにしていた方がいるんでした。少し様子を見てきますね」
クッキーを一つ摘んで、ラドゥーはつぎはぎの頭を一撫でして、外へ出て行った。
途端、場の空気が沈んだ。
「さむい」
つぎはぎが耳を震わせた。温感などない筈だが。
「…あんたがあの人に変なこと吹き込んだせいで、あの人が動き出しちゃったじゃない」
「不可抗力だ。わたしは自分の現状況を語っただけ。何も助けを求めたわけではない」
「それがダメだっていうのよ。あの人は淡白そうに見えて情が深い一面もあるのだから」
エルメラはジャックを睨んだ。
ラドゥーは基本、他人の深い所に踏み込むお節介な真似はしない。同時に踏み込ませない。自分と他人いう境界をくっきり引いてる。適度に人を受け入れ、適度に距離を置き、最後の部分では自分自身の世界を確立させている。そんな男。
「……」
「あの人は許せないんでしょうね。ここにいる“姫”とやらが、貴方を踏みにじっているのに」
夢は心そのもの。それを犯すのは心を土足で踏み荒らすこと。それが今日あったばかりの他人の心だろうと、関係ない。だから、お茶のお礼という建前で、“姫”に“挨拶”に行くと言い張った。
「それに、あんた“ジャック”だっけ。ジャックねえ…。ふぅん」
「…何が言いたいの?」
いつの間にかリンがジャックの後ろに控えていた。
「いいえ? 今はまだ追及するつもりわないわ」
エルメラはリンの警戒する眼差しをあしらった。
「動機はどうあれ彼が望むなら仕方がないわ。彼を助けてくれた借りもあることだし。その“姫”とやらを片づけてあげましょう」
ジャックとリンは、そのまるで決定事項の様な言い方に目を見開いた。
「お前…何を言っているのか分かっているのか? 相手は…」
ヒュルっと風がジャックの頬を撫でた。ジャックの言葉が途切れた。
「さっき聞いたわ」
エルメラはラドゥーに見せる表情からは想像もできないほど、無感動で感情の起伏が乏しい瞳を二人に向けた。
「それに…あんたに“お前”なんて言われたくはないわね」
澄んだ眼をしているだけに感情の籠らない瞳はより硬質で、より冷たく、まるで本物のエメラルドのようだ。
エルメラはジャックの頬に入った一筋の線を省みることなく、ラドゥーを追っていった。
ジャック達はしばし二人が出て行った扉を見つめていた。
「何者なんでしょう、彼女」
リンおばちゃんはぱっくり割れたジャックのかぼちゃ頬の下に在る顔にそっと布を当てながら呟いた。
ジャックは答えなかったが考えている事は一緒だった。
今回はあの少女はこちらの味方と見ていいだろうが…。
「あの少女を向こう側に回すのは恐ろしいな」
ジャックは裂けた頬を撫でた。
傷を付けた張本人、鮮やかな青のグラデーションのワンピースを纏った絶世の美少女。
彼女は“夢の旅人”らしい。それも、三角形の頂点に近いところにいる。付けられた傷は小さなものだが、放たれた気には底知れない力を秘められていた。
その気になれば、自分など簡単に木端に切り裂けるぐらいには。
それを実行に移さなかったのは、一重にあのラドゥーという少年を助けた恩があるからだ。彼女の力は“姫”にも引けを取らないかもしれない。それだけの力を持つ者はまず群れることはなく、人と慣れ合わない。少年に寄り添う彼女は例外だ。
少女はラドゥーに対して、柔らかな感情を見せ、親愛の情を寄せていた。それが、彼女のその他の者に当てはまる態度でないのは、明らかだ。
少年を前にした彼女と今の彼女。果たしてどちらが本来の彼女なのか。
力を持つ者がそこら辺をふらふらして、かつぬいぐるみ一つ探し歩いていたなんてことにも驚きを隠せない。
「やはり、あの少年は何者なのだろうか?」
「そんなことよりも、部屋で寝ている彼女さんとあの少女の彼を巡るこれからあるだろう修羅場が気になります」
ジャックはリンを振り返った。リンは変わらぬ朗らかな笑顔で笑い返した。
折角シリアスに呟いたジャックの一言は、リンの一言でおじゃんになった。
ラドゥーはかぼちゃクッキーを気に入ったようです。