22.彼らが旅人な理由
そう言えば。
彼らの事情は、そもそもラドゥーとは全く関係がない。夢を占領されて、肩身の狭い思いをしていると知っても、所詮ただの人間に、夢の世界でのごたごたに、手の出しようがないのだから。
…………。
とりあえず、帰る為には俺はどうするべきだろうか。
「『仮名』と『称号名』があるのは分かりました。そしてその“姫”は、とても強い、と。仮にも主である貴方も敵わないほど」
「本来、主は縄張りの夢の中でなら、誰が相手でも己の意に染まぬことなどさせぬ。如何に“姫”といえどな。主の影響を超えて夢に干渉することは難しい。規則もあることだしな」
エルメラから、夢の住人がすることを原則介入してはいけないという事を聞いていたラドゥーは頷いた。
「だが、わたしは創造主ではない。勝手に主を名乗っても、それだけでは他人の夢は手中に収まったりはせん。創造主以上の強い意志と力なければな。…わたしは、創造主直々に譲られたから、主の椅子に座ることを許されたにすぎないのだ。中途半端な主故に、わたし達はあっけなく追いやられてしまったのだ」
彼は夢を受け継いでから、この夢を手中に収める事を怠っていたのか。創造主が強すぎて持て余していたのか。
「でも、それでも主でしょう? 夢を臣下としたら、貴方は王だ」
「夢は臣下ではないわ。国よ」
リンは言った。
「どの国にも代表となる王や総主なる者がいるわね。でも、彼一人では国は回らない。何故なら、彼が国を創ったのではないから。実力で国を勝ち取った始祖ならば話は別かもしれないけれど」
ラドゥーはリンと目を合わせた。創造主は始祖。そして、受け継いだジャックは、始祖に従っていた臣下や民を手中しするところから始めなければならない。
なるほど。分かりやすい。
「夢は創造主の思いの結晶。創造主の願いや、希望、理想、本質などがそのままに現れる。“生きた夢”は、元が強固だから、主が代わっても簡単にその在りようは変わらない」
何事も、変えるには力がいる。だから、より強い者でなければ、夢を手に入れられない。それは夢でも同じらしい。
「意のままにならずとも、夢が平穏ならばいい。だが、一度均衡が崩れれば、力の差が露見し、夢は乱れる。最悪、新たな主はその思いに取り込まれてしまう」
国に例えると革命か。力のない王には、反乱を鎮める力はない。さしずめジャックは王都を追われた王。
「なるほど…」
“生きた夢”の主が、強い力の持ち主でなければいけない規則はなくとも、必然的に力のある者が主となる。
創造した者に代わって、取り込まれず、かつ真っ当に主として在れる者。“生きた夢”を創ることが可能なのは“夢の旅人”。だから成り代わる主もまた、“夢の旅人”であることが多くなる。
「ただの“夢人”の主だって、いないことはないけれど、本当に稀よ。普通、“夢人”にそこまで強い意志は生まれないもの」
夢人は、理由はどうあれ現実から逃げてきた人が大半を占める。目的を持つ“夢の旅人”と比べ、夢に存在理由を見出すのは難しいのだとリンは言った。
だが、ラドゥーは、“夢の旅人”でなくとも強固な意志を持った人物を一人知っている。彼の皇子を思い、ラドゥーはそっと目を伏せた。
ラドゥーはかぼちゃクッキーを一つ摘んだ。
「…リンさんは“夢の旅人”なんですか?」
「いいえ」
「では、貴女も、夢に逃げてきたんですか?」
「いいえ。私は仕えるべきお方にお供しただけ」
リンおばちゃんは、その目に騎士のような忠実な光を湛えて、朗らかに笑った。
夢は夢なんていう幻想的な名の割には、現との類似点が多くあった。力がモノを言う見事なピラミッド型社会であることもそうだ。現実も大概弱肉強食の世界だが、少なくとも、身体を鍛えるなり、知識を蓄えれば、何とか世の中を渡って行ける糸口が見つかる。努力次第で変えられる可能性はあるのだ。
だが一方で、思いの強さがそのまま力になる夢は、本人の精神の在り様が浮き彫りになる。つまり、意志薄弱で優柔不断な者は生き抜く術がない。
心を鍛えるのは簡単ではない。内面もすぐには変えられない。一度出来上がった精神は、生半可な覚悟じゃ変えられないのだ。
果たして、努力をして精神を強靭なものにしようとして、その通りに強くなれた者はどれだけいるだろうか。
己が弱いと思う者は、心より、身体をまず鍛え始める訳が分かった。精神を鍛えるよりずっと簡単だからだ。筋力が他の者に勝れば、心にゆとりを持てる。同時に心も強くなれたと思い込むことが出来る。現実世界ならばそれは有効だろう。外見がその人を判断する要因の一つになるので、鍍金で固められた外見が派手であるほど、たいていの人に対して威圧できるからだ。
だが、それは衣だけ立派な天ぷらだ。中身はその半分もない。夢に逃げた“夢人”は、恐らくその瞬間に気付く。
「ですが、ヒトの強さの尺度はどうやって計るのです?」
“夢の旅人”は精神が強い。それに及ばないのが“夢人”。けれど、思いの強さを計る計量器などない。具体的な数量として目に分かるものじゃないのだ。
どこまで強ければ、人は強いといえるのだろう。
何処に線が引かれているのか。何事にも動じなければいいのか。どんな苦境にも耐えられればいいのか。
数泊沈黙した後、リンおばちゃんは答えた。
「良い質問ね。…“夢の旅人”は誰しもがなれるわけじゃない。強くなければ」
想いがそのまま反映される夢の世界。自分を確固たるものにするのは自分の心次第。
「現実世界でも、心が強くなきゃ生きていくのは難しいでしょう?」
精神の強さが自分をこの世界に顕現させている。その存在感が強さの証。現実世界では弱かろうが“肉体”は存在可能だが、この世界は存在そのものを揺ゆがす。
「そして、夢の住人は、意思を失ったその時点で消滅する」
霧霞むように、次第に消えていく。現実世界のように遺体が残らない。そこにいたという証さえ、残らない。
「……“夢の旅人”も?」
「“夢の旅人”は消えられない」
消えられない?
「思いの強さの根底に流れるのは、貪欲な生存本能なのかもしれないわね。その強さは夢に逃げた“夢人”にはないもの。それが、“夢の旅人”と“夢人”の境界線なんじゃないかしら。けれど…その強さは、彼らに逃げる道を塞ぐ」
生きる。原始的な欲。現実世界でも、夢の世界でも、必要なものは同じだ。夢に逃げても楽にならない。
「絶え間なく進む秒針に従う現のヒトと違って、私達は老いて死ぬことはないし、病に怯えることなく、餓えることもなく、理不尽に命を奪われる心配もない。そのままでいられれば、半永久的に生きていられる。意思が無くなった時点で消えるという事は、逆に言えば夢が嫌になったら、また逃げることが出来るということでもある。現で生きている貴方にとってはまさに夢のような、素晴らしい話に聞こえるでしょう?」
尤も、既に生きているとも言えないのだけど、とおばちゃんは笑った。ラドゥーは笑わなかった。
「“夢人”は“消える”事は出来る。でも“夢の旅人”は、それさえも許されない」
“夢の旅人”の存在理由は『探しもの』。彼らはその為に存在している。精神を大樹の如く強く堅いものにして、先の見えない“道”の中を流れ続ける。探しものを探し出すまで“旅”は終わらない。終われない。
何より己の元来強い意志が許さない。
「“夢の旅人”はだからこそ強い。悠久の時の中での探しものには、それだけの精神力が必要だものね。様々な力と引き換えに、あてのない“旅”を続けるには」
“夢の旅人”が“旅人”といわれる所以が分かった気がした。
ラドゥーの国の伝説で語られる“夢の旅人”も、探しものの途中に、気まぐれで立ち寄った誰かが、たまたま語り継がれたのかもしれない。そして伝説の“夢の旅人”は、今この時も探しものを尋ね歩いているのかもしれないと思うと不思議な感じがした。
「でも、“夢の旅人”達は、自分が望んだ上で始めた“旅”でしょう? それをつらいなんて言うの甘えでは?」
「…どれくらい彷徨えばいいか分からない、あてのない旅は、時に発狂しそうなほどつらいもの。そう、聞いた事があるわ」
どれほど辛いかなど、始めるまで分からない。耐えられるけれど、苦しくない筈がないのだ。
夢の世界は無限にある。何百年、何千年単位で続く旅。本来彼らも、ずっと短い時間でしか存在し得ない人間だった。そんな彼らにとって、旅はどれほど孤独を、虚無感を、不安を齎すのか。
久しぶりに覗いてみた故郷では、親しかった人はとおの昔に墓の下にいた。時間間隔のズレに愕然としたときの、計りしれない喪失感。
失ったモノは、ヒトとしての自分。
ラドゥーは彼のエメラルドグリーンの少女の言葉を思い出した。
〈―――私はね、昼間探してたのとは別の探し物があってね―――〉
〈―――三ケタ数えたあたりからめんど…ううん、私は永遠の17歳よ〉
そうだ、彼女は言っていたじゃないか。初めから。探しものをしていると。数えるのも億劫なくらい、長い時をその探しもののためにずっと、一人で…。
ふいに、心の、その奥の、ずっと奥の、何かが、音を立てた。
「…?」
その理由を、ラドゥーはまだ知らない。
エルメラは“道”にいた。先の見えない深淵の闇。けれど少女の進行の邪魔ではない。
「私の腕輪はちゃんと手近の夢に導いたみたいね」
よしよしと満足げに頷く。彼が“道”に放り出された際に、打開策として、何処かの夢に行こうと考え、その要望に応えたのだろう。
「全く、夢でも冷静に判断して動けるなんて、さっすが」
普通の人間は混乱の極みに堕ちる。闇は、それだけで、人を不安に突き落とす。ここでは冷静な判断を下すのは至難の業なのだ。
でも彼にしてみれば、当然なのかもしれない。初めてこの世界に来た時だって、なんだかんだと結構冷静だった。
知らず口元に笑みを浮かべて、彼のいるであろう夢の元に向かった。
それからラドゥーは、二人から“姫”についていろいろ聞いていた。
「―――それで、“姫”が主になったらこの夢を楽園にしてやる、とか何とか言ったそうですが、本当に可能なんですか?」
「出来るだろうな。わたしには主としての器はあまりない。取り込まれこそしないが、手中に収められるほどの力もない。創造主との力の差があるせいで完全にお飾りだ。一方で、“姫”は恐らくこの夢の創造主と同等以上。ここを手にするのは、さほど難しい事ではあるまい」
「“姫”が皆に言う内容は確かに正しい部分もあるわ。彼女が完全にここを掌握したなら、そしてその気が彼女に本当にあるなら、“理想郷”を築くのだって不可能じゃないもの」
“夢の旅人”の中の、さらに力を持つ者が創る“生きた夢”。この夢の創造主も力が強いということは自明。その上をいくと断言される“姫”。
どれだけ強いんだ。その“姫”ってのは。
ラドゥーには、その力が一体どれ程のものなのか見当がつかない。思い浮かべる“姫”像は、どうしても世界女子格闘選手権で覇権を握った巨壁のような姿だった。“姫”と言われるからには、そんな逞しいナリでないことを願う。
ラドゥーの知る“夢の旅人”はエルメラしかいないのだ。彼女も結構無茶苦茶なところもあるし、喧嘩っ早いところもあり、そして神秘的な美少女。彼女を基準にしようとするが、実際の彼女の実力も知らないことに今更気付く。“夢の旅人”であるというからには、それなりに強いとは思うが。
よって、ラドゥーは彼らが“姫”はとても強い、といくら言い募っても、ピンとこないのだ。
「“姫”の力はどれ程のものですか?」
指標がほしい。相手の実力を知るのは、基本中の基本。
「そうねぇ…。“姫”と名のつく『称号名』を持つ者は、実は一人じゃないの」
おばちゃんは考え考え言葉を紡ぎ出した。
「“姫”の正式な『称号名』は“星姫”っていうのだけど、普段は“星姫”とは呼ばないの」
『称号名』に姫と付く者は複数人いるという。その中で“姫”と言えば“星姫”を指す。
「『称号名』を持っていること自体が強さの指標になる。だけど、さらに周囲を圧倒しているのが“星姫”」
他の“姫”達も知らないので、規模までは分からないが、とにかく規格外なのは分かった。一握りの者が上り詰めることが出来る頂点。
エルメラの力はどのくらいなんだろう。結構長く生きてるはずなので、いい線行ってそうだが。
「…こうして主を差し置いて占領されている状況下において、俺達が帰るのは可能でしょうか」
「ああ、そうだったわね。つい、久々に話が出来る人が出来て話しこんでしまったわ」
「そうだな…人の子が長時間夢の世界にいてはあまり良くない。帰してやりたいのは山々だが、お前が来た世界を知らない事には帰しようがない」
「すぐ帰れないんですか?」
「そもそも生身のヒトがこっちに来ること自体が珍しいのだ。あるとしても、ヒトを招いた者がいるはずだ。だから、そいつが帰すのが順当だ。だが、今回お前達はそれに当てはまらないだろう?」
「…そうですね」
エルメラに連れてこられた時と違って、今回は訳が分からぬままこっちに落ちた。状況から判断すると、つぎはぎに連れてこられたと判断するのが妥当だが、肝心のつぎはぎは返すことは不可能だという。
「世界が分かればいいのだが、お前の世界は何という?」
……何て?
ラドゥーはかぼちゃ頭さんの言い方が引っ掛かった。ラドゥーの世界の名前? 国名ではなく、惑星の名前でもなく、世界の、名前?
「…何て言うんでしょう」
「知らぬも道理。現実世界にはそもそもそういう概念など無いからな。殆どの現の人間にとって自分の立つ世界が全てだ。世界は大きすぎて名前をつけるという発想がない」
概念?
「要は、帰る手段が無い、ということですか」
「そうとも言えない」
どうしよう、と頭を抱えかけたラドゥーは、その言葉に顔を上げた。あるの?
「この世界の“扉”を、主が開ければ良い。その扉をくぐった者は、自然と元の世界に帰れる」
そういえば、そんなことを“奇術師”もエルメラも言っていた気がする。
「“扉”は他人が『鍵』を見つけて、開けられてしまえば夢は壊れてしまうけれど、主が自ら開けるなら問題ないんでしたっけ」
そうだ。それをあの鎌男は利用して、帰れるという希望をちらつかせて、攫った人を弄んでいたのだ。
…なんか思い出したらむかむかしてきた。
苛立ち紛れに紅茶を飲んだラドゥーに気付かずジャックは肯定した。この夢の現主は、このかぼちゃ頭のジャックだ。彼が開けてくれれば万事解決。
「で、その“扉”は何処に?」
の、はずなのだが…
「…」
「何処に?」
「……」
「……」
「………」
嫌な予感がした。
「………“姫”が占拠したわたし達の家に」
そして、得てして嫌な予感ほど当るものはない。
エルメラはラドゥーを追って“こちら”に戻ってきていた。
「…ここさっき来た崩壊寸前の夢じゃない。主は何をしているんだか」
私には関係ない事だ。そんなことよりもラドゥーを見つけて元の世界に戻さないといけない。
「この近くね」
エルメラは腕輪の気配を頼りにラドゥーの元に向かった。
ラドゥーは溜息をついた。ふりだしに戻った。“姫”から避けて通ることはできないらしい。
「その“扉”は大丈夫なんですか? 開けられてしまう恐れは?」
壊されればラドゥーは帰れるが、人様の住む場所を壊してまで帰ろうとは思わない。
「“姫”はこの世界が欲しいようだから壊される心配はない。それに、『鍵』は絶対に奪えないのでな」
「でも、その“扉”の所に行かなければいけないんですね?」
ひいては“姫”の所に。
「…そうなるな」
さんざん、“姫”の事を聞かされた後に…気の重たくなる話である。
しかし、そうも言ってられない。一緒に来てしまったクリス共々無事に帰るにはそれしかなさそうである。
と、ここで、気付いた。そういえば、クリスは何処に行った?
「彼女は?」
「あのお姫様なら隣の部屋で寝かせていますよ」
夢の世界で眠るというのはおかしな感じだが、ラドゥーからしてみれば、ここは殆ど現と変わらない。
「お手数をお掛けます」
「いえいえ。時折意識が浮上するからその時は側にいてあげてね」
不安でしょうから、とおばちゃん。したり顔で笑う。
…どうやら恋人同士と思われてるようだ。
否定しても、おばちゃんはラドゥーが照れているようにしか映らないらしい。
ラドゥーは肩を落とした。
なにはともあれ、今後の目処も立ったし、一息つこうと紅茶をいただいているとつぎはぎがラドゥーの肩に圧し掛かった。
「なあなあ、遊ぼうぜっ」
どうやらまたどこぞで遊んできたようだ。葉っぱを耳からとってやる。道理で静かだったはずだ。
「うろちょろするなって言ったでしょう」
そう言いながらも、ちょいちょいと指で頭をつついてやる。嬉しそうに声をあげるつぎはぎに、ちょっと和みそうになった。
「遊ぼう遊ぼうっ」
ラドゥーにせっついてくるつぎはぎに、リンおばちゃんは微笑ましそうにしている。
“姫”やその周りについてを、さっき転がしといた男達から詳しく訊こうと思っていたのだが…。後にするしかないようだ。
「はいはい、いいですよ。何して遊ぶんですか?」
ラドゥーは立ちあがって肩のうさぎを床に下ろした。
「これっ」
といって差し出されたのは一本の小枝。
それはなかなかいい感じの太さと長さと艶でラドゥーの手にしっくりくる。
でも、これでどう遊べと?
チャンバラごっこでもしたいのだろうか?
意味を掴みあぐねて棒っきれを手でくるくる回していると、つぎはぎはその動きをつぶらな赤いボタンの目でじぃーっと見つめていた。
「…」
くるくる
きらきら
「…」
くるくる
きらきら
「…」
ラドゥーは手の中の物を見つめる。
それからラドゥーおもむろに、取ってこーいの要領で軽く腕を振り上げた。
その手から飛ばされた棒を、つぎはぎはきらきらお目々そのままに、大喜びで飛んで行った方へ駈け出して行った。
「……………」
つぎはぎに犬疑惑 発 生。