21.かぼちゃの名産地
〈――また逢いましょう〉
そう言って、切なげにこちらを見つめる誰かの夢を、幼い頃から時折見ることがあった。
妙に胸に残るその誰かは、最近またラドゥーの夢に現れるようになった。
夢の中での自分はその言葉に応える。そして誓うのだ。必ず、と。
あれは、誰なんだろう―――
時間にしてみれば、ほんの瞬きのこと。かぼちゃ頭の男は目の前の光景を唖然として見つめた。
男の視線を気にすることなく、ラドゥーという少年は、足元に転がる男達を跨いで地に放り出されたつぎはぎを摘みあげた。
「全く…あちこちうろちょろするからこういう目に遭うんですよ。少しはじっとしていてください」
「めんごっ」
ついさっきまで繰り広げていたの戦闘――控え目に言えば喧嘩――の名残を微塵も感じさせない落ち着いた声だった。いかに今の事態が彼にとって、慣れたものかを示していた。
「……」
…こんな穏やかな顔をした子供が? 信じがたい。
ラドゥーは彼を振り返った。
「ところで、この人達が貴方とどういった関係なのか知らないまま相手をしてしまいましたけど、招かれざる客ということでよかったですか?」
ラドゥーは彼らが問答無用で襲いかかってきたからとりあえず迎え撃ったが、そもそもこいつらの素性など知らない。なんとなくあちらが悪者っぽかったから遠慮はしなかった。
「…問題無い」
返り討ちにしても不都合はないということだろう。かぼちゃ頭さんは小さく頷いた。
「ならいいです。ああそうだ、この人達を念の為縛っておきたいので、何か縄みたいなものありませんか?」
一般の少年が言うにはあまりに殺伐としていることをさらりと言われ、かぼちゃ頭は溜め息を吐いた。
「…リン」
「はいはい、ジャック様。今お持ちします」
奥にいたおばちゃんが、恐らくハンモック用だろうロープを持って表に出てきた。
「おやまあ、また懲りずに来たみたいですねぇ」
彼女にとっても見知った顔らしい。リンおばさんは手際よく男達をふん縛った。心なしか楽しそうだ。
全員縛って転がしておいたところで、ラドゥーはかぼちゃ頭――ジャックと呼ばれていた――と向き合った。
「さて、そちらの事情も聞かせてもらえないでしょうか」
やわらかな、しかし有無を言わせぬ声にジャックは頷くしかなかった。
「…この夢は“生きた夢”だ」
「ええ、先程窺いました」
「“生きた夢”とは、夢人達が集う空間」
ジャックは窓の外を見やる。
「“意思を持つ夢”との違いは多くあるが、最たるものは創造主が“夢の旅人”である事」
「“夢の旅人”が主なら、夢の世界は“必ず生きた夢”になるんですか?」
「長い年月を経て力を得た“夢の旅人”に限られる。それと、ヒトでなくとも、きちんと喜怒哀楽を有したモノなら“生きた夢”を創ることは可能だ。しかし、そのモノが創ったそれは“生きた夢”の紛い物でな。いわば“意思を持つ夢”と“生きた夢”とのあいのこのようなものだ。“夢人”を招けるが、主が消えれば夢も消える。その点、“夢の旅人”が創る夢は、一度創られたならば、主がその夢を放棄しても消える事はない」
“夢の旅人”の夢はつまり“死した夢”にはならないらしい。それほど強固だということだ。
「消えない夢は夢人にとって有り難いものだ。己の足場を保証してくれる夢は多くない」
現実世界のように、確固たる地面が存在しない夢では、己が立つ場所にさえ気を遣わねばならないのか。
「だが、如何に“生きた夢”といえど、所詮夢。どれほど現実世界に近似していても、決して本物にはなれぬ。曖昧で、移ろいやすいもの」
夢人の暮らす夢。強い夢。けれど移ろいやすい?
「…“生きた夢”とはどんな世界なんです?」
「一言でいえば、夢人にとっての現。夢人は元は人間だ。身にしみついた習慣が、夢人となった後も続けている者も少なくない。人であった頃を忘れたくないのだろう」
「あのね、“生きた夢”では、それが可能なの。現を受け入れられるのは“生きた夢”だけだから」
「…現実世界の時間に合わせて就寝し、起床し、食物を摂取する」
ジャックは手元の紅茶に視線を落とした。
「例えば、これは、本物だ」
一瞬ラドゥーは何を言われたのか首を傾げたが、すぐにはっとなった。食べかけのクッキーをまじまじと見下ろす。
「このクッキーも?」
「そうだ。腹に入れれば堆積する、質量を伴った実物だ」
道理でこのサクサク感が絶妙だと思った。いや、そんなことより―――
「つまり“生きた夢”は本物が存在し得る夢だと?」
決った形などない夢にそんなことが可能なのか。夢には塵一つ紛れこめないはずなのに。
「持ち込めるだけだ。“生きた夢”は現実世界の物を受け入れられる骨格を持ってる。故に、現実世界の物を取り寄せ、留めることが出来る」
理屈は分からないが、出来るのは確からしい。骨格とは、外に広がる闇を遮断するための囲い。隔絶した世界。
「夢人は物を食べられるんですね」
そこまで出来れば人とどう違うのか。聞く分には生きる世界が違うだけだ。寧ろ夢人は人と同じように生活出来る分、現実世界より、とても気楽な生活が送れるのではないか。現世の煩わしいことに翻弄されることなく、夢の穏やかな世界にたゆたう。
なんだか不公平だ。
ラドゥーの気持ちが伝わったのか、かぼちゃ頭は思案するように顔を傾けた。
「食べられはする。だが良いことばかりではない。…夢人という存在の定義は何だと思う?」
“夢人”の存在自体、最近知ったばかりなのだ。定義と言われても夢人に関しては無知といっていい。
「…“扉”の向こう側である夢に生きることを選んだ、元人間でしょうか」
「はずれではないな。しかし正解でもない」
被りものの下で笑った気配がした。自嘲気味に。
「夢人とは、生きる事を諦めた者達の総称だ」
エルメラはラドゥーの生きる世界の街、グリューノスにいた。
が、ラドゥーに会いに来たのに彼はいなかった。街から出掛けている、というのではなく“この世界”にいないのだ。
「どういうことよ…」
彼に渡したブレスレットには自分の力が込められているから、気を辿ろうと思えば辿れる。しかし、その軌跡は何故かグリューノスの外の国まで続いていた。
「旅行でもしてたのかしら。それなら私が別世界に好きなだけ招待してあげるのに」
そっちの方が断然楽しいのに、残念。
とりあえず彼にあげた腕輪はエルメラの一部だ。何処にいたって感知できる。
たとえそこを最後にぷっつり軌跡が途絶えたとしても、向こうに行けばまた感知できるはずだ。
そう納得して気持ちを落ち着かせようとした。そしてはた、と気付く。
「落ち着かせる…?」
随分、御無沙汰な気分のような気がする。さらに、自分は焦っている。それもまた、随分久しぶりの感情だ。
「人間臭い部分が残っていたのね…私にも」
それとも、彼の事だからなのか。どちらにしても、彼は彼女にって無二の存在だ。彼の存在がエルメラを突き動かす。
「何故か、つぎはぎの気配も残ってんのよね。あいつ、なかなかどうして悪運が強い」
現実世界ではぬいぐるみは動かないものだ。それが消えているという事は“誰”かがあちらに戻したということだ。そしてそれを手伝ったのが、ラドゥーである可能性が高い。
変なことに巻き込まれてなければいいけど。エルメラは現から消えた。
「生きる事を諦めた人達…」
ラドゥーは目を眇めた。
「そうだ。夢人となるに至った経緯は千差万別だが、結果は一緒だ。生きとし生けるものには過たず訪れる死がある。限りある時の中で生きる柵から外れたモノは、その理から外される。―――死を認めない者は生きる権利も失うからだ」
「……」
「夢に生きる事を選んだ瞬間、その権利を放棄したも同然」
生きる権利を、放棄?
「…“夢の旅人”もですか」
「ほぼな。しかし、“夢の旅人”はまた特異な存在でもある」
“夢の旅人”。神秘の化身。現と夢を行き来する流浪の旅人。その旅の目的は『探しもの』。
「探しもの?」
「“夢の旅人”は、失くしたものを探すために、敢えて夢の世界に身を落とした者達だ」
ラドゥーはエメラルドグリーンの少女を思い出した。
彼女も、何かを探しているのだろうか。大切な宝物を、失ってしまったのだろうか。
それとも………誰か、を?
「今、この世界はその“夢の旅人”の一人に支配されている」
ラドゥーははっとした。
「…はい」
「“夢の旅人”は本来流れる者だ。夢の主になっても大抵すぐに放棄して、そこに暮らす誰かがそれに代わって主となる事が多い。だが、その“夢の旅人”はもう何十年もここに留まっている」
「その“夢の旅人”がこの夢の創造主なんですか?」
「いや、創造主は他にいる。さらにその“夢の旅人”は正式な主でもない」
支配しているのに?
「つまり…他に誰か主がいて、勝手に占領しているという事でしょうか」
ジャックは頷く。
「それ、さっきの方達と関係あります?」
頷く。
「なるほど。それで襲って来たということは、貴方が真の主だったりして?」
頷こうとしたジャックは固まった。
「しかし解せませんね。自分の夢なのでしょう? 勝手に振る舞うモノを追い出すことくらい…」
「その“夢の旅人”はただの“夢の旅人”でないのだ。…“姫”なんだぞ」
如何にもそれが答えの全てだと言わんばかりだった。悪いが今の言葉の何処にそんな威力があったか分からない。
「え…えと、“姫”ってどなたですか?」
お前そんなことも知らんのか、みたいな雰囲気を醸された。
「…仕方ないじゃないですか。俺には夢の世界での知識は断片的にしかないんですから」
「…『称号名』だ。“姫”というのは」
「タイトルネーム?」
「……『仮名』は?」
「え? 知りませんが」
「…」
「…」
「……」
「……」
「……リン」
かぼちゃ頭は疲れたようにおばちゃんを呼んだ。
「はいはい、ジャック様。バトンタッチですね」
おばちゃんはおかわりの紅茶を持ってキッチンから出てきた。
「手間かけてすみません」
「あらぁいいんですよ。元々この方口下手で。こんなにしゃべったの30年ぶりなんですから」
疲れたんでしょうね、と何処までも朗らかだ。30年もしゃべらなかったら声帯が退化しそうだが。
「それで、『称号名』と『仮名』でしたね」
「そうです」
「何処から話そうかしら。まずね、夢の住人はこちらに来る際に名を捨てるのだけど、やっぱり呼び名がないと不便でしょう? だから代わりの名を名乗るの。それが『仮名』。自分で付けるなり他人が付けるなり」
明らかに重要事項だ。なのにあの少女は一言も教えてくれなかった。だが、やっぱりエルメラや夢屋には名乗る名があったんじゃないか。なのに、ラドゥーに名乗ってくれなかったのはどういうわけか。
「『称号名』は…そうさね、『仮名』より価値が付いた名前、とでもいうのかしらね?」
「何が違うんですか?」
「そりゃありますよ。大ありです。だってその名は夢の世界にいる全てのものに知れ渡っている名なんですもの」
おばちゃんは身を乗り出した。
「『称号名』は“夢の旅人”にしか持ちえません。“夢の旅人”の絶対数は少ないんです。その中にさらに少数しか持ちえない名は、それはつまり、それだけ力のある“夢の旅人”ということ」
意気込んで話すおばちゃんに呑まれそうになった。
「で、“姫”というのは?」
「…その中でも最も力のある“夢の旅人”」
ジャックが突然口を開いた。
「気まぐれで、冷淡で、無関心という噂だった。他の者達と一線を画し、滅多に人前には現れない、と」
「でも、今ここにいる」
「そうだ。何の気まぐれを起こしたか知らんが、ここにいる夢人達を巻き込んで、今この夢は混乱期にある」
「貴方は主でしょう。そんな横暴を許すんですか」
「…わたしは、創造主ではない。それに、それほど力を持っているわけではない。ただ、かぼちゃを育てる土地がほしかったから、初めの主が放棄した時に引き継いだにすぎない」
「かぼちゃ?」
「ええ、ジャック様はかぼちゃが大好きで、このクッキーも裏で採れたかぼちゃのクッキーなんです」
くせのないほのかな甘みが口の中に広がって、香ばしい香りと共にハーモニーを奏でる…どうでもいい。
「あの男達は? そのヒトの手下ですか」
「ただの一般の夢人だ」
「一般人が仮にも主を襲うんですか?」
「…“姫”にある事ない事吹き込まれているからな」
より力ある者が主である夢はより大きく、より強固になるのは誰もが知っている。だから、“姫”は彼らに語りかけた。
私は“姫”。その主に収まってあげる。けれど、それには今の主は邪魔だ。この主を追い出せば、楽園のような夢を築いてやろうと。
「ただ、仮にも主を追い出すことは出来ない。そこで、自ら出ていくように仕向けているというわけだ」
「暫く隠れていたんですがね。見つかってしまいましたよ」
ラドゥーは聞き捨てならなかった。
「…隠れてたんですか?」
「そうでしょう? そんなこと言われて街にのうのうといられるわけないじゃないですか」
そういう事を言いたいんじゃない。
だって、この家、赤い屋根の素敵なお家だし、テラスにテーブルもあり、木にはハンモックまで吊るされている。しかも裏庭には畑まであるらしい。
どう考えても森の自給自足生活を満喫しているようにしか見えなかった。隠れる気皆無だ。
「…よく今まで無事でしたね」
「何とかなるもんよ」
おばちゃんは朗らかに笑った。
スイカでないのが残念。