19.”道”の先のおしゃれなお家
少し時は遡る。
エメラルド色に輝く髪の少女は、当てもなくあちこちの“夢”を覗きまわっていた。
「ああもう。あいつはまた何処ぞにほっつき歩いて」
うさぎのぬいぐるみ――つぎはぎが、また彼女の夢から外へ遊びに出て行ってしまったと、つぎはぎの友人らに泣きつかれ、仕方なく探しに出たのだ。そのおかげでラドゥーの許に行けず、とんだ足止めを食らっている。
「まさか、どっかの現に転がってっちゃったんじゃ…」
あり得る。なにせあのぼろうさぎは、後先を考えない脳みそ綿毛類だ。
「そうだとしたら、つぎはぎもただのぬいぐるみ」
そうしたら、自力でこっちの世界に戻ってこられない。
“夢の旅人”でもない夢の住人が、何の対策も練らずに、そのまま現に行ってしまうと大変困ったことになる。つぎはぎはまだいいが、それが“夢人”であれば、現の重圧に耐えられない。幽霊みたいに身体を形作ることも出来ず、自我も保てず、運よくこちらに帰って来られるまで当てもなく彷徨うことになる。
さもなければ、気まぐれを起こした“夢の旅人”に連れ戻してもらうかしなければ。
エルメラは気が重くなった。それでなくても、つぎはぎはこの世界の中でも、一際帰省本能が無いのに。潔いほどに全く無い。そもそも帰る気が全然ないのだ。
“夢の旅人”には世界や夢を繋ぐ道筋が分かる。“道”を正しく道として見える。しかし他の者もそうだとは限らない。目印を付けとくなり何なりしておかないと、瞬くまに迷ってしまう“迷宮”なのだ。前にも後ろにも上下左右、そして斜めにも進めなくなる。
「でも、つぎはぎには関係ないことよね」
つぎはぎは、迷うという言葉は奴の辞書にない。何故って? そもそも『目的地』などという高尚なものを考えていないからだ。
どうしようもない、というのはこの事だ。そして、探す側にしてみれば迷惑この上ない。
けれど、エルメラは既に仕方ないと諦めている。夢は、所詮仮初の居場所。他人の家だ。つぎはぎが本来帰るべき場所は、ここではないのだから。
ぬいぐるみの存在理由を、ここは満たしてやれない。
「栓ないことね」
エルメラは気を取り直してつぎはぎの捜索を再開した。
「何ここ。随分荒れてるわ」
つぎはぎの気配を追って辿り着いた“世界”。だが、ここは…
「近い内に“主”が入れ替わるのかしらね」
周囲は一面灰色の世界。ともすれば灰色に溶け込みそうな人々の顔色。皆暗い顔をしている。何処からか、怒号や悲鳴、何かが砕ける音が遠くで聞こえた。
「夢に逃げても、所詮ヒトか」
何の感情も籠らない呟きは、微かにそよぐ風に消えた。
刹那、その風は突如突風に変わり、エルメラの周囲に渦巻いた。
一瞬、間をおいて、悲鳴が少女のすぐ後ろであがった。振り向くと、荒れくれた男達が各々の武器を取り落とし、膝をついて呻いていた。彼らが抑える腕や首はぱっくりと割れていた。
「お、おま…えはっ……」
「私に触るな」
風のせいでつぎはぎの気配が完全に流れた。エルメラは舌打ちした。エルメラは彼らに一瞥もくれずにその場から消えた。
ラドゥーは、ここが何処なのか心当たりがあった。過去二度程、体験している。
「“道”…とか言いましたっけ」
一歩先どころか自分の姿さえ見えない深淵の闇。違うのは、共にいるのは“彼女”ではなく、
「いやぁ参った参った! さすがのおいらももうダメかと思ったよっ」
「キャー! 何、何々!? 真っ暗っ見えない! ムークット君、何処ぉ?」
能天気な声と、今にも泣き出しそうな声。音源は彼のすぐ側だ。
「ウォールさん、落ち着いてください。大丈夫ですから。それとぼろうさぎ君、この状況の説明をしてもらいましょうか」
ぬいぐるみの声が聞こえた方に顔を向けた。多分、こっちにいるだろうという方面だ。
「ムークット君、そこにいるの? やだやだどうなってんの? 助けてっ」
クリスが半泣きでラドゥーの方へ寄ろうとするが、見えないので不可能だった。
「大丈夫ですって。で、ぼろうさぎ君、どうしてこっちに俺達まで来てしまったんですか」
「おいらにもさっぱりだ」
だろうな。やはりこのうさぎに聞くのは間違いだ。
「じゃあ、もういいです。質問を変えますが、ぼろうさぎ君、俺達を今いたところに帰せますか?」
「おいらはぼろうさぎ何て名前じゃねぇっ。つぎはぎだっ」
どう違うのか。まぁいい、突っ込むのも面倒くさい。
「では、つぎはぎ。俺達を元の所に戻してください」
「人を世界に渡すなんておいらに出来る訳ないじゃん?」
「………」
予想はしていた。寧ろ会話が出来たことに感動するべきかもしれない。
「ムークット君? 何処にいるの?」
「ここです」
クリスには悪いが半分忘れかけていた、彼女のいるだろう方へ手を伸ばすと案外近くにいた。ついでにうさぎも掴んだ(ちょっといらっとしたので首根っこを引っ掴んでやった)。
「とりあえず誰かがいるところに行かないと。この近くに夢の世界とかないんですか」
「おいらは気ままに流れる放浪のうさぎだぞ? いつだって見知らぬ地冒険するんだ」
「つまり、知らないんですね」
こいつも迷子だ。迷子に帰り途を聞いても仕様がない。
「しょうがない…。適当に歩くしかないですね」
「歩くの? どうやって」
とはいえ、早速問題が浮上した。闇雲に歩いてもこの暗闇だ。進みようがない。
辺りを見渡しても何も見えず、誰かがいる気配ない。すぐ隣にいるクリスさえ、こうして腕をとっていなければ、そこにいると確信が持てないほどに気配が感じない。
さて、どうしようか…。
と、その時、ちら、と視界の隅が淡く灯った光をとらえた。
下を向くと、ラドゥーの手首が輝いていた。正確には、手首につけている腕輪が。
「そういえば、ずっと付けっぱなしでした」
あの皇子の夢で貰ってからこっち、ずっと腕に留まっているそれを見やる。他人には見えない上、あまりに馴染んでいたから、付けていることさえ忘れていた。けれど今、確かな存在感を伴って、ラドゥーの腕で煌いている。
「…貴女ならこんな闇、迷いなく進んで行けるだろうに」
ただ見えないというだけで立ち往生してしまう自身が情けない。彼女は神秘の化身。“夢の旅人”。果たして彼女に不可能という文字があるのだろうか。
対して、所詮無力な人間だ。彼女に釣り合わない。
「貴女なら、向かうべき場所を、見失ったりはしないんでしょうか」
いつになく自分を卑下する自分に気付かず、気落ちしていると、ラドゥーの足元に一筋の淡い光が浮かび上がった。それはくねくね曲がり、蛇行を繰り返しながら遠くまで続いていた。
「これは…」
エメラルド色の道は、彼女が導いてくれているのだろうか。
また助けられてしまった。
ちょっとだけ情けなくなりながらも、嬉しさが勝った。さっきまでの陰鬱さもさっぱり無くなった。
「ム、ムークット君。あの、何処行くの?」
ラドゥーに腕を引っ張られ、クリスは焦った。反射的に足を踏ん張って留まろうとする。
「さあ? 俺にも何処に行けるか分かりませんが、多分大丈夫でしょう」
「こんな、暗いのに道、わ、分かるの?」
「光を辿ってますので」
「光…?」
首を傾げる気配がした。
「…何でもありませんよ」
多分この光も普通の人には見えないものなのだろう。これは、俺だけの光。
暫く道に沿って歩いていくと、一つの扉に行き当たった。
その扉はクリスにも見えた。この暗闇の中にあってはっきり見えた。しかし、闇以外のものを見ることが出来ても、安心するどころが不安になった。月が太陽の光によって輝けるように、物体は、光がなければ見えない。周囲は文字通り光源が一切ない暗闇。なのにこの扉はただ、そこにあった。闇の中に浮いているかのようだ。扉自身が輝いているわけでもないのに…
「何、このドア…」
クリスは無意識にラドゥーの上着を握りしめた。
ラドゥーも扉開けるのを躊躇った。目の前にあるのは扉というよりはただのドアだ。どんな夢なのか見当もつかない。
ドアノブがあって、中央に四角く浅い掘りがあり、何処から見ても普通のドアだ。だからといって、この先に、安全な一般家屋があるとは限らない。
かといって、このままいつまでも突っ立っているわけにもいかない。糸は確かにこの扉の先に続いているのだ。
何か判断材料がほしいな、と考えていると、それまで大人しく抱えられていたぬいぐるみが声を発した。
「扉は開ける為にある!」
訳の分からないことを叫ぶや否や、つぎはぎを抱えているラドゥーをも巻き込んで、その扉に突進した。
当然、ラドゥーに腕をとられているクリスも。
体勢を立て直そうと、扉に手をついてしまった。いとも簡単に扉は開いた。
少しの間気を失ってしまっていたようだ。ラドゥーは身を起こすとまず周囲を確認した。
「森…?」
鬱蒼と茂る木々、ふくらはぎまで生えている大きな草。紛うことなき森である。暗闇に慣れた目には少々眩い。
さて、この夢はどんな世界なのだろう。
周囲を確認していると、クリスが悲鳴をあげた。
「えっ、何これっ? うそっ・…ぬいぐるみが動いてる…な、何で?」
「あんた誰だ? おいらはつぎはぎ!」
ああ、“道”は何も見えなかったから、つぎはぎがぬいぐるみだと認識してなかったのか。今更ながら気がついた。
「ウォールさん。大丈夫ですか?」
「ムークット君! 何これ何これ! ぬいぐるみがっつぎはぎって…」
「ああ、大丈夫ですよ。噛みつきゃしません」
細かい説明を求められても困る。自分もこの動く不思議なぬいぐるみの正体なんぞ知らないのだから。
「それで、つぎはぎ君? ここはどんなところか分かりますか?」
「んん? あれ、ここなんか知ってるかも」
予想に反してちょっと手応えがあった。
「本当ですか? じゃあ些細なことでもいいんで教えてください」
つぎはぎは、こてっと首を傾げて考える仕草をした。そのままの姿勢で三十秒経った。もしや忘れてしまったのかと心配になった頃、後ろの茂みが音を立てた。
ラドゥーはすぐさま反応した。気配からして音を立てた正体は大型。獣ならまだいいが、人間だと敵か否かを判断する必要がある。
ラドゥーは一瞬で考え、それが姿を現すのを待つ。
ガサッガササッ
背中に緊張が走る。クリスを背中に庇う。
ガサッ
「………」
「………」
ラドゥー達も、現れた“それ”も沈黙した。
“それ”は手足の生えたかぼちゃだった…。
ラドゥーは何も言わなかった。いや、言えなかった。
「…」
「…」
「……」
「……よぅ」
「…?」
「……よぅ」
「……え?」
「…こんにちは」
そいつは今度は腕をあげて言った。
え、挨拶?
「あ、こ、こんにちは」
とりあえず会釈。
「……ん」
満足したように頷き、かぼちゃ頭はちょいちょいと手招きをし、さっさと歩き出した。
「ど、何処行くんですか?」
かぼちゃについていくか否か躊躇う。
「……家」
案内してくれるのか? 事情も何も知らない不審な三人組を?
だが、今彼以外に頼る者はいなさそうだ。
「え、ムークット君。ついて行くの?」
歩き出したラドゥーに、小声でクリスが抗議してくる。
「右も左も分からない状況ではこれ以外に状況を打破できる手立てはありません」
「そうだけど…」
「安心して下さい。貴女は俺が守ります」
顔を真っ赤にしたクリスに気付かず、ラドゥーは率先してかぼちゃの後を追った。
そんなに歩くことなく、かぼちゃ頭の家に着いた。
「わあ、素敵なお家」
クリスは瞳を輝かせてその家を見上げた。それもそうだろう、夢見る乙女が一度は憧れるだろう理想そのものの住居だった。
あえて名を付けるとしたら『森のお家』だろうか。
白い壁に赤い屋根、窓を飾るは桃色のカーテン。テラスにはおされ〜なテーブル。そして小鳥さえずる周りの木々の間にはハンモックまで吊るされていた。くぐってきたあのドアにぴったりな家だ。
ここまで完璧だとついラドゥーも期待してしまう。赤毛のおさげをした少女が、網籠もって飛び出してくることを。
そして期待通り、人が飛び出してきた。
「おかえりなさいまし」
飛び出してきたのは普通の元気なおばちゃんだった。残念。
このおばちゃんも網籠が似合いそうだが、どうしても思い浮かぶのはお花畑に出掛けるのではなく、近所の八百屋に出掛ける姿だった。
「お茶のご用意が出来ておりますよ…そちらのお方は?」
ラドゥーらに気付き、おばちゃんは顔を向けた。一瞬、警戒するそぶりを見せたのは気のせいか。
「……客」
「ムークットといいます。彼女はウォール。それとこのぬいぐるみはつぎはぎです」
失礼なことを考えていたことをおくびにも出さず、貴婦人に対する仕草でおばちゃんの手の甲に唇を寄せた。
「あらあら、まあまあ。こんな辺鄙なところにようこそ。さぁさ、どうぞお上がり下さい」
おばちゃんはにこにこと嬉しそうに微笑み、ラドゥー達をホワイトハウスの中へ招き入れた。
自分は今貴重な体験をしていると思う。
何せ、かぼちゃと、ぼろぼろのぬいぐるみと、おまけに着飾った王女という何とも奇抜な顔触れで同じお茶の席についているからだ。
「そんで、風がぶわぁああ〜って吹いて~」
うさぎがダイナミックに身振り手振りで表現する。
「…」
いちいち頷くかぼちゃ頭さん。
「そしたら、何か外にすっ飛ばされて気付いたらこいつらと出会ったンだっ」
「…」
再び頷くかぼちゃ。つぎはぎはひたすらしゃべった。ラドゥーは何とも言えない目でかぼちゃとうさぎを眺めていた。
「さぁさ、どうぞおかわりはたくさんありますよ」
おばちゃんは席につかずに給仕にまわっていた。賑やかな様子が嬉しいようだ。
一通りしゃべって満足したうさぎは(ぬいぐるみだから飲食不可能のようだ)、退屈したのかまた唐突に遊んでくるっと言って飛び出していった。
「落ち着きがない…まるで五歳児ですね」
その背中を見送っていたラドゥーは視線を感じその方へ顔を向けるとかぼちゃ頭の人がこちらをじっと見ていた。
「…で?」
ラドゥーは一瞬何のことか分からず首を傾げたが、うさぎの話の事だと悟り苦笑した。
「ああ、すみません。あれでは分かりにくいですよね」
効果音が盛り沢山の解説だったが、詳しい事はあまり分からなかったようだ。当然だが。
だったら相槌打つなとは思ったが、うさぎの動作がなんだか可愛かったからつい見物してしまったのかもしれない。
「実のところ俺もよく分かっていないんですよ。ただ、何かしらの経緯があってうさぎが俺達の所に来てしまったらしいのは確かです」
「…お前は人間か?」
ちゃんと喋れるんですね。
「現実世界の者ですよ」
かぼちゃの言わんとしていることを正確に読み取った。
「何故、意識を持ったままここにいる?」
「持ったまま来てはいけないところですか?」
「…ここは、夢だ」
「そのようですね」
「…生きた夢だぞ」
「生きた夢…」
エルメラから聞いた覚えがある。夢人のいる夢。
「それが?」
「…生きた人間が正気を保ったまま夢に留まるのは難しい」
「…そうなんですか?」
エルメラに魅せられた時に感じた夢心地の感覚のことだろうか。まるで自分の身体が他人のもののように感じるあの感覚。今は、全くの素面だが。
「現に、隣の女は意識が薄れているぞ」
言われて、隣に座るクリスを見やると、確かに、ぼんやりとした顔をしていた。
「さっきまでは普通に会話も出来ていたんですが…」
呼びかけても、肩を揺すっても、反応が薄い。かぼちゃ頭さんは頷いた。
「誰でもそうなる。それを踏まえて改めて訊こう。ムークットやら、お前は何者だ?」
「ただの読書が趣味の普通の人間ですよ」
「……」
「……」
二人はしばし見つめあった。
沈黙に負け、先に口を開いたのはラドゥーだった。
「…とはいえ、俺が一般例と少し外れてる理由に、全く心当たりがないわけではないんですが」
口元に笑みを浮かべる。
「それは?」
訳を言おうと口を開いた時、
「うわぁあ~~! った、助けてくれぇ!」
つぎはぎの悲鳴に似た声が外から聞こえ来た。ラドゥーは反射的に腰を上げて、外に走った。
玄関前に、武装した男達がいた。その一人がつぎはぎを持ち上げているのを認めるとラドゥーは前に踏み出した。
「こんな長閑なところに無粋な装いですね。その恰好が趣味だというのならとやかく言いませんが」
一斉に男達がラドゥーの方を見た。
「誰だお前」
「俺のことなどどうでもよろしい。そのぬいぐるみ返してくれませんかね」
乱暴に掴まれているので布が破けそうだ。ただでさえボロっちぃのに。
「なんだとっ! 小僧がっ生意気な!」
男らがいきり立つ。血の気が多い奴らだ。だが、何処となく不安定さも見えた。精神が統一しておらず、揺れやすい。
ラドゥーの後ろからかぼちゃ頭さんも現れた。
「……」
無言で武装集団を見る彼の表情は分からない(頭部がかぼちゃなので)。男達の方はそのかぼちゃ頭さんを見て、一瞬息を呑んむと、意を決したように武器を構え出した。
なるほど。彼の客か。
冷静に判断して男らに向き直る。
一人が号令をかけ、彼らは丸腰のラドゥー達の方へ向かってきた。