16.舞踏会へのお誘い
翌日、さわやかに目覚めたラドゥーは、件の巨漢をほっぽって、計画通りに街から東に向かった。
ガタガタと揺れることのない上等な馬車は、のんびりと街道を走る。
「今日もいい天気ですね」
うん。これ以上ない平和な空気だ。窓の外は、世界の半分は優しさで出来ているんじゃないかと思うくらいに長閑で牧歌的だ。夏にはまだ早いこの季節、実に快適な気温で気持ちがいい。
「セナン、後どれくらいで着きそうですか?」
演技する必要もなくなったため、今日は護衛達も一緒に馬車に乗っている。…少々せまっ苦しいが。
「そうですね、この分だとお昼過ぎになってしまうかもしれません」
懐の懐中時計と見合わせて、大凡の到着時刻を弾き出す。
「では、昼食はいかが致しましょう?」
護衛のグラン(強面のマッチョでグラサン)が御者席から振り返りラドゥーに伺う。何処か手頃な木陰の下でランチもいいが…。
「多少遅れてもいいので、町でいただきましょう」
向かう先のガーヴェという町は、泊まった街ほど大きくはないが、ワインを始め、栄養豊富な野菜や果物が採れる事で有名で、食事のうまさに定評がある。
「ガーヴェの湖のほとりで酒を飲みつつ塩魚というのもまた乙ですなぁ」
この中では最も年かさの護衛、ギルがうんうんと頷く。
「でもぉ、ガーヴェなんて田舎町、娯楽なんて皆無じゃない。つまんなぁい」
亜麻色の髪をした美女が不満げに呟く。ガーヴェは自然豊かと言えば聞こえはいいが、要は緑と食事以外に取り柄のないド田舎だ。
「そういうな、お前の好きなエステサロンにでも行けばいいだろう」
グランが窘める。
「それさえあるかどうかも分かんないじゃないっ。それに、綺麗にしたってそれを披露する所がなきゃ意味ないわっ」
頬を膨らませてぷいっと顔を背ける。
「サラ、では俺とバーでも行きましょうか。エスコートしますよ?」
ラドゥーが無邪気な顔で提案してみる。
「わ、若君っ。そんな嬉し…いえ、恐れ多い事ですわ」
唯一の女性の護衛―サラ―は恐縮しながらも頬を染める。
「若、からかうものじゃありませんよ」
ギルが諫める。ただし口元は笑っている。
「確かに年頃の女性が訪れるにはガーヴェはいささか退屈です。皆も一緒に飲みに行きませんか」
皆、というあたりでちょっと落ち込んだサラを見てセナンが溜息をつく。
「全く、うちの若君は天然なんだか、計算なんだか…」
その呟きも、これまでのやり取りも静かに聞いていた最後の護衛の一人リオは、柔らかく微笑んだ。
統一感など皆無のこの六人組は、昨夜の事など微塵も感じさせず、暢気に食事に思いを馳せて、行程を速めて町に向かった。
「んっん〜♪ 枯れた美女に、血濡れの英雄、笑う道化は至高の賢者〜♪」
つぎはぎがふらふら彷徨ってから暫くして、何処からか、なんだか楽しげな音が聞こえてきた。
「ぅん? なんだろなんだろ?」
それが音楽だと分からないながらも、弾む音の流れに惹かれたつぎはぎは、気の向くままに音のする方へと向かって行った。
「どうか、グリューノス家の若君にご出席頂きたく」
○○子爵が手揉みをして招いた。
「栄えあるグリューノス家に祝福いただけるならこれ以上の喜びはございません」
××伯爵夫人が扇を揺らして微笑んだ。
「このような所より私の屋敷へいらっしゃいませんか。今我が屋敷では―――」
△△侯爵の後継ぎがふんぞり返って誘った。
ガーヴェの噂に違わない料理を堪能し、のんびり湖を散策しながら優雅に数日過ごした後、早速嗅ぎつけてきた貴族層の輩がラドゥーの宿泊先の宿に入れ替わり立ち替わりやってきた。
「鬱陶しい…」
自分で仕向けといて何だが、想像以上に群がられてしまったこの状況に心底辟易していた。
ああ、むさ苦しくて汗臭い腹太鼓のおっさんなど見ると、「その肉で自給自足出来ませんか?」と聞きたくなる。ボクは毛並みの良い血統書付きのオボッチャンなので、そんなヒドイコト言いませんが。
仕方ないので、ごてごて装った貴族のお誘いを、差し障りのないよう丁重にお断りし、しつこい者には強面マッチョ・グランにつまみ出させるという日が続いた。
そして、今日も今日とて舌打ちを我慢し、皮肉を押し隠す柔らかな笑顔で、懲りずにやってくる貴族達の相手をしていた。
「若君はお身体のご療養のためにこちらにいらしたとか。空気も料理も実にうまい。ガーヴェはまさに最適ですな。ところで、ワタクシメもこちらの別宅に家のシェフを伴ってこちらに参っているのですよ。よろしければ、家のシェフの腕を振るわせてやって下さいませんか」
当たり障りのない世間話の後、何気なさを装い自分の別荘へ招待してくるのはいつものことだ。
「ありがたい申し出です。壮健な身体であればどれほど良かったかと思いますが、わたしは今食事制限を受けている身。病人食では素晴らしい腕前も発揮できますまい」
宿の一室を応接室として設けた部屋で、何度繰り返したか分からないセリフを述べる。ソファに座るラドゥーは上掛けを膝にかけ、ともすれば儚げに見える笑みを浮かべ、かつ、心から残念そうだという表情をにじませる。
「いえいえ、いかに美味しく体に触らない食事を作るのもシェフの腕の見せ所でもありましょう。何と言ってもグリューノス家の若君に、自分の手がけた料理を食していただける事こそ、シェフとしてこれ以上の誉れはないのですから」
お前が作るわけじゃないだろう。料理の何たるかも分からん成金に仕えるシェフも気の毒に。シェフの幸せは自分の料理を美味しく頬張ってくれる客だろう。身分は関係ない。
「今が旬の最高級の蔬菜を駆使した料理を召し上がれば、あっという間に貧弱な身体など何処かに行ってしまいますよ!」
ピクっとラドゥーの目が動いた。
その反応を察したグランが素早くその貴族の背後に回り、丁重ながらも威圧しながら御帰りを願う。
「我が主はお疲れのご様子、まことに残念でございますが、これにてお引き取り下さい」
大きな体を折り曲げて礼をする強面マッチョはそれだけで凄味がある。
「なんだね、君はっ。わたしはまだ若君と話が…」
「お引き取り下さい」
「何を生意気なっ、護衛風情がっ! 引っ込んでおれっ」
素をあっけなく出した貴族は、グランの威圧にうろたえながらも、しぶとくソファから腰を上げようとしない。
「申し訳ありません。何分このような貧弱な身のため、主治医にこれ以上の面会は止められておりますので」
男は失言に気付いたがもう遅かった。青褪めたままグランに引きずられて退出していった。
「さっきの貴族、正妻が病気で伏せっているのに、こんな療養にピッタリなここに連れてきてるのは愛人の一人だそうですよ」
隣の自室に戻り、サラがお茶を淹れながら先程の貴族の情報を報告する。
「なんでも、もともとはあの男、商家出身らしく、たらしこんで貴族の御令嬢を奥さんにもらうや否や、手のひら返したように奥さんに見向きもせず、奥様の持参金で何人も愛人囲って好き勝手遊びまわっているそうです」
最低男の見本みたいな男だ。
「じゃあ、ここに来たのは俺の滞在を嗅ぎつけて、愛人とよろしくやっていたその足で急遽のこのこやって来たってとこですか」
来客の素性はあらかじめだいたい調べておく。先程の客も例外でなく、本来なら門前払いだが、あいにく、その正妻の家がそれなりに格式のある家だったものだから、いやいやながらも面会に応じなければならなかった。奥様に泣いて感謝してひれ伏すがいい。
「まさにそうです。ああ嫌だ、さっきあたしに舐めるような視線を向けてきたんですよ。鳥肌立っちゃいました」
身震いをするサラ。女としては、いくら金を積まれても、ああいう男とは口を聞きたくもないものなのである。
「あんな趣味の悪い奴にたらしこまれる奥方も奥方ですよ。これだから箱入りは―――…」
ただの愚痴になってきたサラを聞き流しながら淹れたてのお茶を受け取る。今のサラは何処から見ても熟練の侍女風情だ。
同伴している護衛達は、皆が皆いかにも護衛という格好をしているわけではない。
セナンは、いつも通り傍付きとして傍にあるし、サラは侍女のお仕着せを着ているし、年かさの護衛のギルは主治医役としてラドゥーの側にいる。
まっとうに護衛役を任されているのは強面マッチョグラサンのグランだけだ。
グラン一人で護衛の仕事をしているように見せかければ、他の者の行動が注目されない。
そして、もう一人護衛として付いてきている青年リオ。
彼は一応主治医補佐に扮しているのだが、旅行を始めてからこっち、全くしゃべらないから存在感がまるでない。無口という点ではアビスと一緒だが、アビスと違ってリオは実に愛想のいい青年である。
柔らかい雰囲気をかもす美青年といった容貌だが、気配を隠し、声を発しないのは何か訳があるらしいがよくは知らない。特に興味は無いので問い質しはしない。
とにかく、セナンを含め六人が、それぞれの役割を演じながらラドゥーの身辺を警護している。有能な護衛を持つと主人はたいへん楽である。
これまで見舞いと称してやってきては、ラドゥーをどうにか自分の屋敷に招待しようとする者達の狙いは、言うまでもなくギータニア建国記念式典にラドゥーを伴わせることだ。
ラドゥーの家は世界に影響力を及ぼす大家だ。その後継ぎであるラドゥーを伴えば、グリューノス家との繋がりを得たも同然。さらにそれによって自分達の権威を高め、好敵手と差をつけられる。ギラギラした目を隠して(隠し切れていないが)、せっせと働きアリよろしく女王アリに貢いでくれる。花や有名店のお菓子等は常識的だが、明らかに、○百万するような宝飾品を贈ってくる者もいた(丁重な文を付随して送り返した)。中には、お見舞いのはずなのに、何故かめかしこんだ自分の娘を伴って押し掛けてきた勘違いな阿呆もいた。頭の軽そうな令嬢の媚びる目が不快だった。
そういう貴族はどれほど家柄が良くても、気分を害されたとラドゥーは厳しい態度をとり、とっとと追い返した。ラドゥーにはそれだけの権威がある。
自ら仕向けておいて、どうして追い払うのか? そいつらを片っ端から門前払いしたりはせず、それなりに接待しているのは何故なのか。
それは貴族達の情報を得るだけでなく、他の狙いもあるからだ。
「そろそろ…いらっしゃる頃合いでしょうか」
ポツリと呟いた直後、セナンが貢物だらけの部屋にやってきて、来客の旨を伝えた。
「セルナンティス殿、今不愉快な客が帰ったばかりだが?」
グランが訝しげに尋ねた。
「それが…」
来た。
「セナン、どちらの大物がいらしたのです?」
ラドゥーが特に気にせず聞いた。
「…お見通しでしたか」
「いえ、そろそろ来てもいい頃かと思ってたので」
「そうですか、さすがですね。その通りです、いらっしゃってますよ。ファンデルン侯爵とおっしゃる方が」
ラドゥーは片眉を上げた。その名は隣国の者であるラドゥーでも何度か耳にしている名前であった。
「それは…期待以上ですね」
ラドゥーはにやりと笑った。
ラドゥーの見舞いにやってくる客は、最初は小物ばかりだ。そして大物ほど、冷静で目端が利くようになり、ラドゥーの選ぶ客やその対応を見て、会う価値アリと判断してやってくるのだ。
表に出てこないグリューノスの若君をはかっているのだ。ラドゥーが繋がりをもつに足る人物かどうかを。
実際、徐々に名だたる家々が顔を覗き始めたころだった。しかし、今聞いた名が出てくるとはさすがに予想しなかった。それもこんなに早く。
「待たせては申し訳ありませんね、すぐ向かいます。サラ、一番上等なお茶を」
素早く立ちあがってラドゥーは侯爵を待たせてある部屋に向かった。
「このような突然の訪問に応じて下さり、感謝の言葉もございません」
自己紹介を互いに済ませ、一息ついたところで、ファンデルン侯爵はそう切り出した。
「いいえ、こちらこそ、このような見苦しい姿で申し訳ございません」
ラドゥーはいつもの態度で接する。
「ご療養の為と伺っております。お気になさいますな」
優雅にお茶を口に運び、穏やかに微笑む侯爵は初老の紳士だった。
彼は爵位を継ぐ前、軍に所属していた。軍部から離れて久しい今も、鍛えられた身体つきで、髪に白が混じり、顔に皺が浮かんだ今も、アッシュグレーの瞳はどこか茶目っ気を含み輝き、実際の年齢よりずっと若々しく見せていた。
「このような若輩者のために都から遠く離れた町までご足労いただいて、何と御礼申し上げたらよろしいか」
「御謙遜を。グリューノス家の若君はとても控えめでいらっしゃる」
和やかな雰囲気で談笑しているが、正直なところ、ラドゥーはこの侯爵と対面する事に緊張もしていた。
なぜなら、これまでラドゥーは公の場に出る事は極端に少なかっため、国内を含め、ファンデルン侯爵の様ないわゆる大物と言葉を交わす機会が殆どなかった。あっても彼ほどの大物ではない。
だから、これまでの貴族の比でない大物に対して、何処まで落ち着いて対応が出来るか一抹の不安もあったのだが、ラドゥーは侯爵の気迫に驚きはしても、気圧されはしなかった。それを侯爵も感じとったのだろう。初めの厳格さを取り払い、幾分態度を柔らかくした。多分こちらが素だろう。
試したな…。
少し茶目っ気の或る好々爺然とはしているが、なかなかどうして狸な一面を持つらしい。尤も、多かれ少なかれ貴族であるなら相手の腹を探るのは常識だ。それからすれば、侯爵は善人の部類に入るだろう。
侯爵が式典の話題を出してきた。
「貴国の建国式典の催しは存じています。しかし、このような脆弱な身で式典を出席する事は難しいかと。当主たる祖父も高齢。大変遺憾ではありますが、我が家からは名代の者をそちらに向かわせる予定です」
「ほぅ、グリューノス家の若君は御冗談がお好きのようだ」
ラドゥーは表情を動かさなかった。不思議そうに首を傾げた。
「冗談など申しませんよ。それとも、何か失礼な事でも申してしまいましたか」
「若君、これでも私は長いこと軍部に所属していた者ですぞ。戦場に赴いたことも数知れません。戦地で養ったこの目はまだ衰えていないつもりです」
「何をおっしゃりたいのです?」
さも驚いたように片眉を上げる。
「役者でも、病人のふりをするのは難しいものですが、若君はとてもお上手でいらっしゃる」
「何の事でしょう?」
「いいえ。ああ、長年病に伏せっていらした若君がご回復なされたと知れば、皆はこぞって喜ぶでしょうね」
「…つまり?」
「私と共に王都へいらしてくだされば幸いです。ご心配なく。我が屋敷にて御病気の再発のないよう配慮をとらせて頂きますので」
この狸…。
前言撤回だ。いや、大貴族である侯爵なのだから善人だと思う方が間違っていたのか。後ろに控えているサラやグランは、表情こそ変えなかったが、わずかに身じろぎするのは気配で分かった。
つまり、要約するとばらされたくなかったら式典に出て来い、と。どこで見抜かれたか分からないが、ただでは起きないのがラドゥーだ。
「貴国の重鎮である貴方に誘われてしまっては無碍に断れませんね。わたしでよろしければ、是非ご一緒させて頂きます。ああ、しかし、侯爵には年頃のお孫さんが沢山いらっしゃるとか。そちらには余計な気を遣わせては申し訳ないですから、世話する者に関しては、お構いなく」
おやおや、と侯爵は困ったように笑ったが、ラドゥーはほだされなかった。
やっぱりか。
何も言わずのこのこそっちに行っていたら、世話係として孫をあてがわれるとこだった。さらには舞踏会の相手役にも。それでも、厭味がないのは侯爵の人徳だ。貴族に対しては辛口な判定を下すラドゥーではあったが、この侯爵だけは素直に好感を持った。
もともと、その舞踏会には出るつもりだったのだ。その前に、ギータニア貴族の伝手を得ておこうと散々勿体ぶっていたが、そろそろ潮時だろう。共に出席するにはこの侯爵は最善だ。
渋々折れたようで、実は計算通りに進んだ事に気を良くしたラドゥーは、何食わぬ顔で冷めかけた紅茶に口をつけた。