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夢の旅人  作者: トトコ
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12.夢の崩壊

一目で分かった。

ああ、この方が一国の主なのだと。


何気なく立っているだけなのに漂う気品、気圧されそうな威厳、人の上に立って当然だと思わせる、佇まい。目の前の青年ほど、栄誉ある戴冠を前にした皇子に相応しい者などいないだろう。

その青年から低く、よく通る声が発せられた。

「…いかにも。余はウォンバルトであるが…お主はどうやってここまで来れた」

突然押し掛けてきた不届き者を責めている口調ではなかった。その考えが伝わったのだろう、彼は頷いた。

「よい、久方ぶりの会話だ。何やら事情がありそうなお主を咎めはせぬ。して、お主は何者であるか」

ラドゥーは膝を折った。

「申し遅れました。グリューノス領領主、グリューノス公爵が嫡男、ラドゥー・ムークットと申します。この度、何の手違いか、こちらに我が領民が迷い込んでしまったようです。すぐに連れて帰りますので、その許可を賜りたく」

皇子はラドゥーの姓が違うことに違和感を持ち片眉を上げたが、何も言わなかった。ここでは関係のない話だ。察しの良い皇子に、ますます好感を持った。

「折角だが、それは止してもらいたい」

愕然として、ラドゥーは思わず顔を上げた。己より高位の人間の許可なく顔を上げるのは不敬だと分かっていたが、構わなかった。

「何故でございますか。こちらに連れてこられた民は怪しげな者に強制的に連れて来られたのを御存じの上でのお言葉でしょうか」

「左様。あれにもそのように聞いておる」

"奇術師"を知っているようだ。許可を取ってあると言っていた道化の言葉は真実だったようだ。

「恐れながら、あの者が、彼らに対してどんな仕打ちをしているのかご存知ですか」

「あれは、こう言ったのだ。この世界の時を動かしたいなら、この国の民の数と同じだけの現実のヒトを、招けばいいのだと。時を動かすには、その身に時を宿す者が必要であるらしい」

時を宿す? 刻々と老いていく生身の身体のことだろうか。そうだとしたら…あれだけの虚像の人々の数だけ人間が集まるまで彼は止めないことになる。

「何てことを…」

「この国は平和だ。多少無理じいをしてしまったかもしれぬが、すぐにこの国に馴染もう」

殿下はあの“奇術師”が、攫った者を増やすどころか次々と狩っている事を知らないのか。この国の民に現実世界の人間が認識されないことも?

「そんな世迷言、本当にあの者が言ったのですか? 殿下はそれをお信じになったと?」

「現に、この夢はうつつに近づいておるではないか。疑う余地はあるまい」

それは貴方の強い思念が原因ではないのか。しかし、確証はないので口を閉ざすしかなかった。

「ともかく殿下、私の民を返していただきたい。自国の民を愛してらっしゃる殿下ならば、民を奪われる気持ちをお分かり頂けるでしょう? そして、攫われた者の家族や友人達の悲しみを」

街で諳んじられるくらい聞いた皇子への称讃。信頼。彼らは皆笑顔だった。明るいその未来を露ほども疑っていなかった。その絶対の確信のその先にはウォンバルト殿下がいる。民に慕われ崇められる聡明な方ならば、切に訴えれば、届くと思った。

「………」

ラドゥーの真摯な願いを彼が黙って聞く態度に期待を抱いた。“奇術師”にそそのかされて、このような強引な手段を取ろうとも、きっと思い直してくれる。

「我が民をこの夢から、解放なさってください」

暫く、互いの目に映る意思のやり取りがあった。無言の問答。皇子の放つ威圧感にも屈さず、顔を上げ続けた。そして、長い沈黙の末、先に口を開いたのは皇子だった。

「…そこまで言うなれば、お主が余を、この世界を、止めて見せよ」

「それはどういう…」

皇子は口を皮肉気に歪ませた。

「余ではどうにもできぬのだ。己のことだというのに情けない限りがな。妄執に取りつかれた余には最早しがらみを振り切る事は出来ぬ」

皇子の口調は何処までも静かだった。どこにあくなき執着があるというのか。

「これまで、どれほどあがこうが戴冠式を迎える事など出来なかった…。王冠を目前にして断たれた皇子など、悲劇を通り越して喜劇に踊る滑稽な道化だ」

何を、言っている? 悲しげに自嘲する皇子に、胸を突かれた。

「…ところで、ラドゥーとやら。今、お主の時間は何時いつを指しておるのか」

ラドゥーは首を傾げた。部屋には部屋の絢爛さにも引けを取らない立派な古い振り子時計があるのにも関わらず、なぜラドゥーに訊くのか。


振り子時計を見ると、針は11:59を指していた。


「これは…少々壊れておってな…そなたと話して、いつもの正確な時間が分からぬゆえ」

何処となく、うろたえた様にみえたのは気のせいだろうか。エルメラといい、彼といい、時刻を気にしている。

「…11:50少し過ぎたところですね」

それでも、聞かれた事にはきちんと答えるのがラドゥーだ。薄闇になれた目で時計の針を読んだ。

「そうか…では、そろそろであるな…。ラドゥーよ。そなたが自領の民を思うのであれば、躊躇うでないぞ。…最後に、お主と話せて…良かった」

その意味を悟る前に、躊躇いがちなノックの音によって会話が中断した。

「入れ」

彼には既に諦めのような、寂しさともつかない気配など微塵も残っていなかった。ごく自然な口調で入室の許可を与える。

直感的に、これから何かが起こるのだと分かった。

「…失礼します」

入ってきたのは、豊かな髪を緩く纏めた美女だった。美女の目にラドゥーは映らない。彼女は真っすぐに皇子を見つめる。


夜中に…美女?


唐突にその意味を悟った。よく見れば殿下も美女も薄い寝間着を着ていた。流石に気まずい。どうしたものかと視線を泳がせていると美女が口を開いた。

「あなた…。お話があります」

あなた? まるで夫に問いかけるもののようだ。とすると、この美女は殿下ともども祝福されていた妃殿下か。噂に違わぬ美貌の王太子妃。

「レーリア…分かっているよ…恨みはしない」

何を? 彼女の言わんとすることを彼は既に知っているらしい。ウォンバルトは頷いた。するとレーリアと呼ばれた美女は顔を強張らせた。涙を堪えるように歯を食いしばるも、あまり意味がなかった。眦に溜まった雫が、月に晒されてラドゥーの目には宝石のように映った。


様子がおかしい。夫婦であるはずだが…甘い雰囲気が感じられない。かといって険悪な関係とも違う。ただ緊迫した空気に交じる気配は、まるで…


「そう、ですか…。あなたがいっそ冷酷で非情な方であればどんなにか楽であったか…(わたくし)はあなたの優しさが憎い…」

はらはらと透明な涙が美女の頬を伝う。

「泣かないでくれ…レーリア…」

思いつめた様子の二人。この夫婦に何があったのだろう。

殿下はそっと涙を掬った。美女は甘くけぶる瞳で皇子を見つめたが、やがて美女は決したようにストールからきらりと光るものを取り出した。

ラドゥーは目を見張った。


 短剣


月の光に反射して輝くそれは、毒々しいほどに美しかった。ラドゥーは、はっとした。腕時計を見る。


11:56 …まさか…


「あなた…私を許せないのであれば今すぐ私を殺して下さいまし…でなければ、私は…」

美女は皇子と距離を取り、震える手で刃物を皇子に向ける。

「どうする事も出来ないのかい?」

悲しげに訊く殿下。

これは、この光景の意味する事は…。


11:57


美女は首を振る。

「私は…どうしても、このままあなたと生きていけません…自分を偽ったまま…あなたに笑顔を向けられないまま…」


『継ぎ目』は、何処だ?


「余…私に君は殺せない…国より、国民より、君一人を選んでしまう私は、執政者失格だね…そんな私は王に相応しくない」


「あ、あなた…」


ラドゥーは懐からダガーを取り出した。

軽いはずのナイフが今はずっしりと重たく感じるのは『継ぎ目』を悟ってしまったからだろうか…?


11:58


「…それでよろしいのですか? 今、私は王に刃を向ける大罪人…最も重い刑を下されるべき身でありますのに…」

ラドゥーはひどく冷静になった頭ですべきことを理解し、整理した。


あの時…すべてが闇に染まったのは、皇子の意識もその時に失ってしまったからと、エルメラは言っていた。夢は主の思うままなのだから、その主の意志が消えるとき、やはり同様に途絶えてしまうのも道理。

「君の無残な姿など、たとえこの身がどうなろうと見たくない」


『その時が止まる瞬間を第三者が介入して、この世界の予定調和を塗り替えるってとこかしら』

少女の言葉が反芻される。このレーリアという女性に殺されるというのが予定調和だというのなら、それを崩すには…ラドゥーは、彼を…。


11:59


「では…私も後から参ります…先で待っていて下さいませ…」

二人の間に何があったのかは知らないが、彼がすべきは予定調和を崩すだけ。殿下も躊躇うなと言っていた。皇子はラドゥーに引導を渡してほしいのだ。ラドゥーは戦慄く唇を噛み締め、深く呼吸する。

チャンスは…たった一瞬。


殿下がこちらを、見た気が、した。


美女が皇子の心臓に向かって短剣を突き出す。その一瞬前に別の刃が心臓に突き刺さっていた。


  ラドゥー の ダガー が



――カチッ



振り子時計が、長針と短針が頂上でぴったりと合わさった。


周りの景色がピシピシとガラスのようにヒビが入る。次の瞬間、パキンと音を立てて景色が砕け散った。豪奢な調度品も、空に浮かぶ月も、美女も。


…ウォンバルト殿下も。


崩れる瞬間皇子は安らかな顔をして微笑んだ気がした。『浦島太郎』もこんな風に崩れて消えてしまったのだろうか。何故かそんな事を思った。


砕け散った欠片は真っ白に輝きラドゥーを包む。まるで、宇宙に散りばめられた星の様だと、遠のく意識の片隅で思う。



ボーン―――…ボーン―――…



時刻を告げる音は、弔いの鐘のよう。鈍いその鐘の音は、ラドゥーの耳にいつまでも響いた。


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