10.奇術師
別行動の前に、実はこんなやり取りがあった。
「いい? 何かあったら呼んでね」
エルメラ曰く、この城は街よりもずっと胡散臭い感じがするらしい。よって、何かがあった場合、人間では対処しきれないことが起きるかもしれないので即座に自分を呼べ、と。
「女性に助けを求めるなんて男として出来かねます」
ラドゥーにとっては重要な問題だ。男の沽券にかかわる。エルメラは分かってるわよというように頷いた。
「助けを求めるんじゃなくて、ただ呼んでくれればいいの。心の中ででも」
「心の中で? 貴女は思考を読む力でもあるんですか」
だとしたら、いろいろダダ漏れのあれとかこれとか…とにかく思っていたことが全部バレていることになる。内心ギクリとしているラドゥーだったが、エルメラは首を振る。
「いくらなんでもそこまでは私には無理よ。夢の世界の中には出来る奴もいるらしいけど」
いるらしい。
「なら、結局呼んでも意味がないではないですか」
「そこで、コレ」
じゃん、と服のポケットの中を探り、取り出した物をラドゥーの前に翳した。
「…それは?」
それはエルメラの髪や瞳と同じ色の糸で、繊細に編みこまれた紐だった。
「これを、身につけていて」
ミサンガのようなそれをラドゥーの腕に巻きつける。
「この紐は私の髪で出来たものよ。この世界にいる専門の職人に依頼して、私の力を溜めておけるようにその人に加工してもらったの」
「半分も理解できません」
力とか職人とか。夢の世界は不思議で一杯だ。とりあえず、話の流れからして、これを身に付けておけば声が届くらしいことは分かる。だが…
「大丈夫よ、それを身につけたって貴方が何を考えているかまでは分からないから。あくまで、貴方の呼びかけに気付くだけよ」
「…そうですか」
ほんとに読めていないのか疑問に思うラドゥーだった。
意地を張ったところで、ここが夢の世界という曖昧で予測が難しいところであるなら、不慣れなラドゥーではどうにもならない。エルメラは引っ張り込んだ張本人として、ラドゥーの安全に責任を感じているおうだ。だったら最初から巻き込まないでほしいという願いは届かなかった。
分かっていても、女性は守るものという理念が基底にある街で育ったラドゥーは、心の中だとしても、呼びかけるのは抵抗があった。
明らかにヤバそうなピエロを前に、思わず呼んでしまったが、実際その場面を見てしまうと複雑だった。
「私の連れに手ぇ出すなんていい度胸ね、この鎌男が」
エルメラは最初から喧嘩腰だった。現れてからこっち、エルメラは危ないピエロと対峙している。怒り心頭という感じの彼女には何を言っても無駄そうだった。…じい様の威圧感とどっちが居たたまれなくなるだろう。
「…今日は見知らぬお客が多いネ。招いた覚えはないよ? とっとと死ぬか帰ってヨ」
仮面のせいで表情は分からないが、口を尖らせているようだった。
「どっちもごめんだわ。貴方に指図されたくもない。ここの主じゃないわよね、あんた。何勝手にヒトを連れ込んでんのよ。あんたこそこの夢から出て行きなさい」
厳しい口調になっていくと同時に、表情も失せていく。本物の人形のように。
「勝手じゃないよ? ちゃんと了解もとってある。だから違法じゃないよネ」
「どうせ、口八丁で丸めこんだんでしょ。あんた達の十八番じゃない」
ラドゥーは夢の住人の会話についていけない。許可って何だ。違法? 夢の世界で秩序めいた言葉を聞くとは思わなかった。
ラドゥーは視界の端に人影を認め、この場には、もう一人いるのを思い出した。
可愛らしく、そして機能性に富んだお仕着せを着た女官。彼女はラドゥーが開けようとして、そして阻まれた扉の前に立っていた。
「殿下、失礼いたします」
女官が部屋の主に声を掛ける。そうして、恭しくお辞儀をしてとびらの向こう側に消えていった。
「…………」
その際、入室許可の声がしたのをラドゥーは聞き逃さなかった。
声の主はウォンバルト皇子と考えていいだろう。他に兄弟などがいない限り。やはり、あの部屋だったのだ。道化がラドゥーに問答無用で切りかかったのもその為だろう。主との面会を強行手段で邪魔するために。
しかし、俺達が会ってはまずいことでも? いや、まずいに決まっている。ラドゥーは皇子を説得するつもりだから。
二人に注意を戻した。ちょっと見ない内に、雰囲気は一層悪くなっていた。
「そもそも君、何者なの。それの気配がぎりぎり近くまで来るまで分からなかったヨ。その腕輪のせいでショ。君と同じ気配がするから分かるヨ」
「鎌男に答える義理はないわ。いいからさっさとヒトを元の世界に帰してきなさい」
心なしかエルメラは上から目線だ。偉そうに命じる姿が堂に入っている。
「ヤダネ。それにどのみち、全員はもう無理だヨ」
ラドゥーは目を細めた。
「…どういうことです?」
ピエロはさらっと軽く言い放った。
「どうもこうもそのままの意味だヨ。最初に招待した人間はもうだいたい狩っちゃった」
背筋に冷たいものが伝った。
「な…んだって」
先程も独り言で呟いてもいたが…。既に?
「このヒトは気づいてんじゃないの?」
エルメラを見る。少女は答えなかった。それが、答えだった。
「最初って言うからには、まだ最近攫ったばっかの人たちは無事なんでしょうね?」
「さあ? 僕が狩ってないならこの世界の何処かにいるんじゃない? 餓死してなきゃ」
心底どうでもよさそうだ。人の命を軽々弄ぶ道化の怖気が走る。
「待って下さい。貴方が連れてきたんでしょう。その人達の居場所くらい知ってるはずです」
「さあ知らない」
「…何故、猶予を与えるんです」
道化は取り付く島がない。すぐには狩らず、この世界で野放しにしておくのは…何故?
「勿論、ヒトが右往左往するのを観察する為だヨ」
暇つぶしに、と道化は言った。
「ここに連れてきた人達に言うんだ。ゴールが見つかったら帰れるヨって。手掛かりは人に聞いたらいいよって教えてあげてネ。見知らぬとこでの冒険を楽しんでいるのを眺めてた」
君達が邪魔してきちゃった、と続けたピエロの声など聞いちゃいなかった。ラドゥーはピエロが最初に言っていたのを思い出す。『遊ばせてあげてる』と。遊んでいるのはお前だろうが。
「待ちなさい。この世界では部外者はここの幻の人達には認知されないはずよ」
その通りだ。そして、突然連れてこられて、放り出された人達は、当然その事情を知らない。
街の活気溢れる市場。エルメラが教えてくれなければ、きっと今もラドゥーは気付かないままだっただろう、あの完璧に近い幻の街と人々。
想像してみた。攫われてきた人が、あの街にどうにか辿り着く。きっと助かったと安堵するはずだ。けれど情報を得ようと話しかけても街の人達に、自分はまるでいないもののように振る舞われる。その時の気持ち。
あのお祭り騒ぎの中で、自分だけが存在しないかのように感じるのはどれほどの孤独なのか。安堵して希望を掴んだと思っただけにその絶望は大きい。ラドゥーはぞっとした。
「なんて残酷な事を…」
「あの顔最高だと思わない? なんてゆうの、自分を支えてた足場を崩されたような顔っていうか」
喜々とした声音がひどく耳触りに感じた。希望を、それが紛いものだと知った上で与え、彼らがそれを糧に勇気を出して前に進む様を、楽しんだ。その先の絶望の顔をが見たいがために。
「でもネ、ゴールを見つけたら帰れるって言うのは本当だヨ。完全に出口を塞いじゃったら必死で這いつくばる姿が眺めらんないからネ。ヒトはね、詰んでしまったら諦めてしまう生き物だ。でも、少しでも可能性があるならそれに向かう。己の為なら尚更。だから、連れてきた人達の中に、一人くらいはここに辿り着くかなって思ってたんだけど、結局君達が最初のお客さんになったネ」
もういい、これ以上、聞きたくない。
「脆いネ、人なんて。何ものにも縛られずに自由に生きたいとか、カッコいいこと言いながら、決められた枠の中にいることに安心してる。枠の中でぬくぬくしてるから外に幻想を抱く。枠から出ようとしない癖に―――」
これ以上聞いたら…
「だから、自由になりたいとか、見知らぬ街へ行きたいとか口に出して言った奴らをここに招待したのさ。彼らの望みを叶えてあげたんだヨ。帰してくれって泣きすがられても困るヨ。だって自由になるのを望んだのは自分自身」
「―――黙れっ!!」
ラドゥーは懐のダガーを取り出し、目にも止まらぬ速さでピエロに切りかかる。それでも驚く様子を見せずにピエロはそのナイフを大鎌で迎え撃った。
ピエロはフィっと口笛を吹いた。
「へえ…さっきは避けてるだけでつまんなかったけど、それなりに動けるんだネ。少なくとも刃物の扱いは慣れてはいるわけだ。ただの良いとこの坊ちゃんだと思ってごめんネ」
ラドゥーはもはや口を開かず、ピエロに向かっていく。大鎌をはじき、ナイフを翻し、大鎌と切り結ぶ。
大鎌は威力は大きいが、近距離の戦闘には向かない。殺傷能力はそれに劣るものの、近距離に有利なのはラドゥーのナイフだ。そこを利用して、鎌の凶刃をかわしながらダガーを繰り出す。
しばし、刃物がぶつかり合う音のみが場を支配していたが、やがて、ピエロが突然身を引いてきた。刃物を引きながらピエロは口を開く。
「もうちょっと楽しみたかったけど、ここまでだネ。そろそろ日が暮れる。新しい明日の始まりが来る」
白々しい。
「…攫った人達を元の所に帰せ」
「ヤダヨ、めんどくさい。そんなに言うなら自分でやれば?」
「自分で広げたおもちゃくらい、自分で片付けなさいよ」
エルメラが口をはさむ。ラドゥーは漸くエルメラと一緒にいることを思い出した。それだけ集中していたらしい。道化のいう通り、窓の外はもうずいぶん暗くなっていた。
「なんで? まだ遊んでいたいのに」
「…自分達で帰せば文句はないんですね」
「うん。まあ、出来るならネ。当然ボクは邪魔するけど。せっかく、集めたんだし」
ピエロは鎌をくるりと回す。するとその鎌は真っ黒な布に様変わりした。
「ここで君をどうこうするのは無理そうだし、とりあえず、ここから出てってもらうヨ」
ちらりとエルメラを見て言った。
「じゃあね」
そういって、ピエロは布を僕達に向かって広げた。
「っ!?」
視界が真っ暗になった。と、思うとすぐに開けた。目を開いてあたりを確認すると、広大な田園風景が広がっていた。
「…どうなっているんです?」
ダガーを鞘にしまいながら問う。
「あいつに追い出されちゃったみたいね」
「…城が見えるということは、まだ同じ夢の中にはいるみたいですね」
「ええ。あいつはそのまま夢の外に放り出す気満々だったみたいだったけど、なんとか夢の中に留まったわ。それでもずいぶん飛ばされちゃったけど」
遠くにそびえる、さっきまでいた城を眺めた。
「あいつは何者なんですか?」
結局、何も出来なかった。
「あいつは…恐らく“奇術師”ね」
エルメラは眉根を顰める。
「“奇術師”?」
ラドゥーは首を傾げる。エルメラは頷いた。
「と言っても、ただの名前。通り名というだけ。あいつの正体は不明よ。夢にはそういうやつがうようよいるの。ヤツはその一つというだけ。確証はないけど、一番厄介な"奇術師"っていうバケモノだと思う」
鎌を布に変えたのを思い出す。あれは棒を赤色の布に変えるといった定番のあれに見えた…。
「…むしろ手品師」
あの派手な衣装は道化師でも通る。
「まあ気持ちは分かるわ。でもあれ、種も仕掛けもある手品じゃないのよね」
「じゃあ何ですか?」
「ほら、ファンタジーな世界では定番というか、お約束というか、普通に存在する“力”よ」
やはりここは夢らしい。
「…魔法とかいうんですか?」
「ピンポーン」
「簡単に、はいそうですかって信じろと? 俺は夢見る乙女じゃないんですよ」
「あら、乙女に誤りさないよ。最近の乙女だってかなり疑い深くなってきたんだから」
エルメラは笑った。
「貴方の世界は魔法要素のない世界だから信じられないのも仕方ないわ。だからすぐに信じろとは言わない。でも、私は貴方に嘘はつかないということだけ知っておいて」
その言い方に違和感を覚えた。
「…まるで、他にも世界があるような風に聞こえたのですが」
「その通りよ。さすがね、話が早いわ」
たっぷり三泊沈黙した。
「…俺はとんでもない勘違いをしているのかもしれませんので、はっきりと明言してくれませんか」
「多分勘違いじゃないと思うけどね。…貴方から見て異世界と呼ぶべき現実世界ならあるわよ。ああ、もちろんこの夢の世界ではなくてね」
今度こそ絶句した。
「世界の中には、魔法が普通に日常生活に使われてる世界もあれば、存在はするもののそれを行使する者は希少な存在とされてる世界もある。貴方の世界のように殆ど魔法という要素がない世界も」
「…昔はそういうのを生業としていた方もいらっしゃったみたいですが」
どうせ眉唾ものだと思っていたが…。
「まれに、魔法要素のない世界にも突然変異みたいに特殊な力を持って生まれる人もいるらしいわ。そういう人は必然的に神子とか悪魔の子とか、超能力者とか言われて特別視されちゃうわね。元々要素が薄い世界だから、大した力は振るえないけど。手品に毛が生えた程度の」
歴史を紐解けば、神聖視されたり、差別対象として蔑まされた人達の史実や伝承は沢山ある。ラドゥーの世界にも昔は魔術やら呪術やらが貴族の間に流行していた。有力貴族はそういう力を持つ者を秘密裏に囲っていたという。
「そうじゃなくても、異世界に移動したり飛ばされたりする事もままあるし」
「は?」
「忽然と消えた人を貴方の世界ではなんて呼ぶのかしらね、そして突如こちらにやって来た人を?」
幼いころ聞かされるようなお伽噺にその手の話は定番ともいえる。だが、あくまで御伽話だ。
「“神隠し”にあったとか、“来訪者”とか言いますが、でもそれはあくまで小さい子をあやしたり、躾けるためのおどかしの話のもので」
「実際あっちゃったりして」
「信じられませんよ、そんなの。大方、当時の新聞記者が面白おかしく迷宮入りになった事件をそう書きつづったのが偶々伝わっただけでしょう」
今回、ラドゥーの世界で騒がれてる失踪事件みたいに。この世界が関わっている時点でもはや普通の事件ではないが。
「じゃあ、今貴方がここにいるのは?」
「ここは…自分が実際体験したのでなければ否定したでしょうけど、認めています」
秘かにこの世界を『奇怪界』とか呼んでいたりするが。文字通り、奇怪なトンデモ世界。
「夢は信じて、異世界は信じないんだ?」
「証拠もないのに、すんなり信じられる方がいたら、それこそ頭を疑いますよ」
迷信を信じる人が少なくなってきた現代に生きるラドゥーの反応は当然ともいえる。
「じゃ、魔法は?」
「それも、完全に信用したわけじゃありません」
ピエロのあれだけでは、ただの手品で通じる。けれど…
「でもちょっとは揺らいでるわけね」
「そこですよ」
ラドゥーはエルメラの目を捉えた。
「さっきはそれどころじゃありませんでしたから、あまり深く考えませんでしたが、貴女が俺を鎌から庇った、あの時」
エルメラの笑みが深くなる。
「鎌の勢いはあったのに、それが俺の目の前で寸前で止まった。あいつが寸止めしたようには見えませんでした。またそうする理由もない」
「それで?」
「あれは貴方ですね」
「魔法で止めたって?」
「違いますか」
鎌を避けるのに必死でよく聞き取れなかったが、鎌が振り下ろされる寸前、何か呟いてはいなかったか。
「本当に、察しがいいのね。順応能力が半端ないわ」
「認めるんですか?」
「否定する理由もないし、イエス、よ」
「…そうですか」
ラドゥーはまた一つ、これまでの自分の中の常識に訂正を加え、脱力した。どんどん俺は未知の世界に足を踏み入れてしまっている。弟妹達の夢見がちな話を笑えなくなってしまう。だが、それを受け入れないことには話が進まない。それならそれで対策を練らねば。
「貴女も、その、魔法を使えるなら、その力で連れてこられた人を元の世界に戻せないんですか?」
相手は魔法を使う危険な道化――“奇術師”。魔法を使えない、ただの人間であるラドゥーには人を見つけても返せない。彼らを庇って"奇術師"と戦う自信も無い。黙って食われる気は毛頭ないが。
エルメラは溜息をついた。
「それが出来たら苦労はしないわよ」
「出来ないんですか」
意外だった。何となく、この少女には不可能はないと根拠もなく思っていただけに。
「出来るけど出来ない」
「どっちですか」
「能力的には出来るわよ。貴方を引きこんだことの逆すればいいだけだもの。でもね、出来ないの」
「要を得ないんですが」
「基本、夢の住人が行うことに関して、その人が容認しない限り一定以上干渉が出来ないわけ。規則というか、この世界における絶対ルールの一つなの。“夢の旅人”もあの“奇術師”も例外じゃないわ。つまり、あいつが連れて来たヒトは私は返せない」
奇術師の『出来るならね』という言葉を思い出す。そういう意味だったのか。
「それで、俺に出来ることは」
「その絶対ルールは夢の住人にだけにかかるもので、貴方は人間。存分に邪魔が出来るわ」
「でも、帰せるのは、あのピエロだけなんでしょう? 俺は返し方が分からない」
あいつを倒したところで素直に戻すとは思えないし。
「攫われた人があいつに戻される以外に元の世界に戻れる方法はもう一つあるわ」
「それは?」
「夢を壊せばいい」
「壊す?」
夢の世界をどのように壊せというのか。無茶を言いなさる。
「夢は夢の主の思うままに変化する、って言ったと思うんだけど」
ラドゥーは頷く。
「つまりそれって、主の一存で夢はどうともなるわけよ。消滅もね。でも、それも干渉にあたるから、私では無理。だから人間の貴方にしか夢は壊せない。フォローは出来るから安心して。貴方の願いを叶えるという建前なら、ある程度は動けるから」
色々言いたいことはあれど、ラドゥーを連れてきた理由を漸く知ることが出来た。自分にできない事をやらせるためだ。
「…どの道、またあの城を目指すしかないですね」
長い道のりを想像して、ラドゥーは深い溜息をついた。
この時はまだその本当の意味を分かってなどいなかった。
“壊す”というその意味を。