世界的創作物の中の騎士
先に書いたように、騎士道物語は一大ブームとなりました。
中でも代表されるのがアーサー王伝説でしょう。
当時から愛された題材で、沢山の人が自分の考えた理想の騎士を詰め込み、様々な物語が付け加えられ、そうして生まれた騎士は、今なお数々の作品に登場します。
騎士の文学的なイメージを形成したといっていいわけですが、アーサー王伝説には数々の騎士が登場してそれぞれ異なった性格を持っています。
しかし、中でも人気のある騎士はやはりいて、それがつまりパブリックな騎士のイメージとなることでしょう。
アーサー王の全体的なテーマは王や騎士の性質と言うことができるでしょう。
王はどのようにして王となるのか、王とはいったいどのような存在か、という事が語られるアーサー王の話、王や騎士に課される試練や決闘を勇気、武力、知性、信義を駆使しして打破していく話、そして聖杯や奇跡を追い求める話です。
不思議な力に認められた者のみが王になる資格を持っているし、騎士は騎士に相応しい素養を持った者であればなることができます。そして、この世ならざる物、力には善悪の2種類あるというのも一つの特徴でしょう。
円卓の騎士もアーサー王伝説の代名詞となっていますが、この騎士部隊はアーサー王と主従関係を結んでいます。騎士と王は12の使徒とキリストの関係になぞらえる場合もありました。
聖杯を求める話もそうですが、騎士道物語にはキリスト教的要素が色濃く現れています。
これは、支配層に座る根拠としてキリスト教の出す保証が有力だったためでしょう。イエスキリストは神に認められた存在という事ができて、それを王と重ねているわけです。
もっともすぐれた騎士が聖杯を手に入れることができるという物語も、つまりは騎士としての道を極めるとことで、楽園への道が開かれるという考えの表れでしょう。
ここには中世の主従関係と宗教の影響を見ることができます。アーサー王自体が実在したかどうか、から始まって、もしいるとして6世紀イギリスには騎士と呼べるようなものはいなかっただろうという話でもありますが、それはそれなのでしょう。
騎士が世間で影響力を失いルネサンス期を迎えると、騎士道物語の人気も下火になりますが、1800年頃にロマン主義が始まると物語である騎士道物語は人気の題材となりました。
ここにルネサンスで見直されたギリシア神話や古代ローマ帝国の物語に加え、様々な民族が各々の文化の再評価を行いそれが欧州芸術界に認められたことで、神話や伝承の芸術作品が創作の舞台に現れることになります。
初めは各自独立した作品だったのですが、それに影響を受けた作品が生まれてくるようになると、本格的なファンタジー世界が生まれてくることになります。
もっとも偉大で重要な作品が指輪物語です。
ケルト神話、北欧神話、騎士道物語などの要素が詰め込まれた冒険譚で、当然そこにはキリスト教的な道徳観念のような物も見えます。むしろ作者トールキンがナショナリズム的な目的を持っていて、いくつかの独自の種族の存在を見ていると、イギリス独自の伝承やおとぎ話を作りたかったのではないかとも思えます。
トールキン自身は熱心なカトリックだったようですが、創作とは切り離しているようで、キリスト教物にありがちなあの寓話満載の世界観ではないように感じます。
騎士道物語的な要素というのは、実際に登場する騎士と言うわけではなく、試練に立ち向かい善悪がどうのという部分です。知性、信義、勇敢、という側面は常に登場人物は持っています。
指輪物語に登場する騎士は悪の手先で、これはひょっとしたら異教徒相手に自分を信奉する物のために力を振るった騎士を言っているのかもしれません。
指輪物語はファンタジーの代名詞となり、トールキン風、という言葉も生まれたようです。剣と魔法の冒険譚はここらへんから始まったといえるようですが、その指輪物語も騎士道物語に大きく影響を受けているのです。騎士自体は大きく取り上げられませんが、多くの人は騎士の精神を見たことでしょう。