武士の成り立ち
騎士の成り立ちについての話題を閉じる前に、日本の封建制度の戦士である武士に触れておきたい思います。
というのも、我々としては世界史より日本史の方が馴染み深く、また、武士と騎士は多くの点で似通っているからです。
もちろん相違点がありますが、そのうえで多くの点で似ているということは、騎士という要素に余裕を持たせられるという事になります。
武士はその時代毎によって様々な姿になりました。
荘園や宮中の警備をしていた彼等は次第に力をつけ、幕府を開き、約1000年の長い期間、日本の歴史を作ってきました。ただ、卓越した戦闘技術と忠誠心を持った存在であるという点は共通して描かれます。
さて、みなさんは武士の成り立ちをどのように習ったでしょうか。
墾田が推奨された結果荘園を持つようになった豪族が自衛のために作ったのでしょうか。それとも軍事を任された平安時代の貴族が戦闘技術を専門技能として扱ったのが始まりだったのでしょうか。もしくは地方の騒乱を沈めるために中央が派遣した役人が作った軍隊が元だったのでしょうか。
どれも妥当性がある話で容易に想像できますが、少なくとも当時の私は1つ目のイメージを授業の中で持ちました。
荘園を守る戦士として発生したのが武士だ、という説です。
墾田永年私財法によってやたら力をつけた豪族が、宮中に入っていって貴族となり、現を抜かしている間に源氏によって倒された、という流れだと思っていたのです。
しかしよく考えてみれば、そんな簡単に貴族の仲間入りができるわけがありませんし、朝廷に軍事を司る部門がないわけがないでしょう。
むしろ彼等貴族が豪族と結びついて、軍事力を拡大していったとする方が自然です。
つまり、地方で発生して中央に向かったのではなく、中央から地方に向かって発生した、というわけです。平氏は武士から貴族になってしまったのではなく、貴族が軍事的な成功によって権利を拡大したという考え方です。
このようにして武力を拡大した貴族を軍事貴族といいます。彼等はもともと大した力を持っていなかったのですが、盗賊や蛮族への対抗策として朝廷が打ち出した、「地方ごとに役人を送り、そのもとに軍隊を編成して鎮圧させる」というやり方が、転機になります。
この時役人をやっていたのが下級貴族で、朝廷ではなく地方で武勲を上げ官位をもらい、力をつけていくのです。
軍役を担って身分を手に入れた騎士も、身分がある人が軍事力になった武士も、在り方も役割も一緒でした。
しかし、カロリング王朝の権威が残らなかったヨーロッパと、一時的に形骸化しようとも朝廷が残った日本と言う環境が、微妙なニュアンスの違いを生み出しているように思えます。
日本にも馬賊や外国勢力の脅威はありましたが、大規模な異民族の流入ができない地形的な要因で、独特な軍隊が生まれたのではないでしょうか。
さて、騎士は馬に乗った少数精鋭の軍隊という性質を崩すことはありませんでした。前に書いたように、それこそが自分の身分を保証する物だったからです。
次第に近隣勢力に対策をされるようになり、騎士は軍隊としての役割を終え称号として残るのみで、影を薄くします。
対して武士は特徴としての武技を振う必要がなくなる環境になる前に、その権力を盤石なものとすることに成功しました。加えて、武士は武技を専門的に取り扱う存在だというままにしておいては、身分の根拠が薄くなりますので、武士という存在に対して様々な要素を付け加えました。
中世(戦国時代)が終わって江戸時代が到来するころには、もはや戦闘集団としての性質は一つの側面に過ぎず、政治もすれば優雅にティータイムを楽しむようにもなっていました。
より頻繁に外国勢力がちらつくようになると次第に権力は落ち、最後には根源的な要素である刀を取り上げられ武士は姿を消します。
一見武士とファンタジーは相いれない存在のように思えますが、武力を担保に権力を握り、近代的な社会においても武技を根拠とした身分があった、というように見ると、ファンタジー要素があるように見えるのではないでしょうか。
戦争の規模が拡大し、個人戦から集団戦に移っていと武力が保証した身分というのは力を失っていくのが共通する流れですが、そんな中で武士は生き残ったのです。
我々が最もイメージしやすい軍隊だということもあり、ファンタジー世界の騎士にも大きく影響を与えているのではないでしょうか。
今回で第1章(前置き1つ目)を終わります。