騎士の衰退
中世での統治体系に合致した騎士と言う戦士はその数を伸ばし、様々な発展を遂げました。
しかし、その軍事的な成功にも陰りが出てくる時がやってきます。
騎士は武技に頼った個人戦を得意とした戦闘スタイルをとっていました。従卒やその他の騎士と集団を形成することはあっても、飽くまでその戦闘単位は騎士の中で完結していたのです。
まず、騎士は徒党を組んだ敵歩兵に敗北するようになりました。
最も脅威となる騎馬突撃に対して、周辺勢力が何も対策を講じていないはずがないのです。同時につきだされる何本もの槍や鎧を貫くほどの威力を持った石弓に、最強を誇った騎士も常勝というわけにはいかなくなってきます。
そういった歩兵に勝つためには、同じように歩兵を用意するしかありません。
しかし、一体誰が歩兵を統率するのでしょうか。個人武技を一子相伝で育て上げてきた騎士にとって、集団戦技は未知の物だったのです。
そこで領主は傭兵を雇うことになりました。
都合のよいことに、歩兵は敵国家が所有する軍隊というわけではなく傭兵団でした。歩兵を構成する資金もノウハウもない領主は、敵地に出自がある傭兵団を雇い、戦争に臨むことにしたのです。
騎馬突撃を防ぐための槍兵、攻撃担当の石弓兵、隙を見て突撃する騎馬兵という軍隊編成に騎士が組み込まれるのです。
戦争のウェイトを占めるのは騎士だけではなくなり、騎士の価値は落ちます。個人武技よりも集団戦技が重要視されるようになったからです。
しかし、石弓からマスケット銃に武器が切りかわっても、騎馬突撃の有効性は落ちませんでした。
騎馬突撃が決まれば相手の歩兵隊は崩壊し、一度穴が開いてしまうと歩兵は脆いものだったからです。
騎馬軍団を如何に歩兵の群れに入り込ませるかが戦争の要になっていくので、どんなに銃が発達しても騎兵隊は戦場の花形でした。これは第一次世界大戦で陣地戦に敗北するまで続きます。
騎馬の威力は長い時間落ちませんでしたが、騎馬が活躍する野戦自体の重要性は早いうちに低下しました。
経済が発展し市場の重要性が認識されるようになると、野戦で勝利を収めても成果を挙げることができなくなる時代が到来します。
奪うべきは相手の命ではなく経済拠点なのです。
それに加えて火薬兵器が発達したことによって戦争はさらに変化します。
砲撃による都市包囲戦が重要になって来たのです。都市を包囲して数か月にわたって砲撃をあびせ続けるという戦争形体になっていきました。そういった戦いでは騎兵はいらなくなります。
軍団を崩壊させるのも野戦砲が発達したことで大砲が半分担うことになりました。
それでも銃の性能が悪かったり、歩兵軍団が鈍重だったこともあって、騎馬隊は唯一の機動力として活躍しました。
しかし戦場での役割以外の問題が起こります。
それは財政です。高威力な軍隊を組織するには当然、お金が必要となります。軍隊の様式は経済と合わせて見なければいけません。
例えば石弓からマスケットに移った要因は人件費の安さが挙げられます。発射速度や射程が同程度で、命中率を加味した軍隊としての攻撃力も同程度、さらに悪天候で使えないというのが初期の鉄砲です。それでも選んだのは、訓練費用が安かったからです。
石弓を扱うよりもマスケット銃の方が、手早く訓練出来て体格も必要なかったので兵士自体の価格は抑えられました。
より戦争が派手になってきて死傷者が増えるようになれば、兵士となる男性を持ってきて育成するという事も問題となったのです。
対して騎馬隊はどうでしょう。
いくら強力だと言っても、大型の馬を揃え、様々な装備を整え、騎手を育成し、そしてそれを維持する必要があります。騎馬隊はだんだんと縮小されていきます。
馬に変わる動力や高性能な火器が登場するともはや馬は戦争に使えなくなり、20世紀になって姿を消します。
このように中世、近世、近代の戦争は推移していきました。
当然騎士が持っていた、"武技を担保にしていた権力"も落ちていきます。国が作り出す軍隊の前にはもはや一つの家が作りだした戦士は役に立たなくなってしまったのです。
大規模になっていく戦争に対応するために経済規模を大きくしなければならず、それは中央集権を強めます。軍隊の発展により、今まで対処に苦労していた騎馬民族の襲撃も恐れる必要がなくなり、辺境は国境地帯となります。
国境を守り拡大するために軍事システムが国家主導で構築され、経済や対外政策を絡めた戦略が生まれていきます。現地で戦争を行う武人よりも、文官の重要性が増してくるのです。
王宮に出入りする文官とはすなわち貴族です。
貴族のもとに軍隊が運用されるようになり、騎士は時代に対応するために集団戦技を学び、傭兵隊長となるしかありませんでした。
それでも騎士へのあこがれや、身分としての騎士を残さなければなりません。軍事的成功をおさめた者に与える地位も必要だったからです。こうして称号としての騎士が誕生するようになります。
余談ですが近世終盤の国家では、軍隊は国家の総人口の1%でなければ財政破綻を起こす、と考えられていました。一方、紛争地帯においては25%もの人間が軍務についたようです。
近世にて軍隊に参加するのは、傭兵業につく人、強制的に徴兵された人、一旗揚げてやろうと意気込む人でした。そしてよほどピンチになると、義勇兵が加わります。
また、軍隊における貴族の立ち位置(これは国によってまちまちと言えますが)は、例えばオーストリア帝国ではその地理的な特性上他人種の軍人が多かったこともあって、他人種が将校の座につくことができました。
それは貴族の権力を弱める要因となるのですが、既に経済的にも社会的にも十分に成功をおさめていた当時の貴族にとって、そこまで魅力的なものには映らなかったようです。
国と言う概念が希薄だった当時の一般市民にとっては、戦争とはどこか別次元でおこっているものであり、関心は非常に低かったようです。
やがて革命がおきて市民の戦争に対する意識が変わり国民軍が生まれるようになると、戦争はより大規模で高度なものになっていきます。
これが近世までの大まかな流れとなります。