社会制度から見る騎士の成り立ち
さて、封建制の戦士と言われる騎士ですが、そもそもその封建制とはどんなものでいつ始まったのでしょうか。欧州と日本の封建制は、大体同じようなものと言われています。
封建制は古代の王朝の中での支配体制が変異し、崩壊すると訪れます。
王朝が崩壊するとはいったいどういう事かというと、王宮に務め実権を握る一族が財政難や軍事力不足で、土地を実際に支配する人間に言う事を聞かせられなくなる状態になることです。
初期に発生した村落の自警団のようなものが近隣にある村落とぶつかって併呑発展し、国なり軍隊になり、勝ち抜いた一族の長が王として国を治めるわけですが、王は一族の権威を存続させるために、様々な努力をします。
その権威の裏付けとなる宗教や法律の研究や、実効力となる軍隊の編成、そしてそれらを支えるための税の設定です。
共同体にいう事を聞かせるには法律や宗教が効きますが、いざという時にいう事を聞かせるには軍隊を持ち出すしかありません。税を徴収して軍隊を整え、そしてその軍隊をちらつかせることで税を徴収するのです。
古代の王朝は方々でおこる、川の水を畑に利用するための水利権争いを調停したり、せっかく蓄えた財産を奪いにくる蛮族の襲撃を撃退しなければなりませんでした。
騎乗戦闘技術が確立されていなかった古代では、問題が発生した時のために歩兵を都市に置いておかなければなりません。また、王都の守りがそういった地方軍隊より少なくなってしまうと反乱がおこる可能性があるため、どうしても限界がありました。
まだ農耕技術がそこまで発達しておらず、充分な歩兵を養うための余剰生産物が生まれにくいのも一因です。
このような問題があって、どうしても王朝はあるとき限界を迎えます。
王朝の崩壊の仕方によって2つの未来があります。
1つは軍事力を制御しきれず反乱が起こる、宮廷の役人に権力を奪われるなどの内部的な要因で王が変わるという結果です。別の一族の長が玉座につき、権利や統治システムは大体引き継がれ同じような体系や領土を持った新王朝が誕生します。王が変わらず、実権を握る一族が変わる場合は新政権が誕生するのです。
もう1つは外部的要因によって限界が訪れる場合です。
共同体に属さない周辺勢力との争いによって財政が圧迫され、統治システムを維持できずに滅亡するというパターンでは、制度や法律そのものがなくなってしまいます。もちろんいくつかは受け継がれますが、こうすると、その地域は新たな時代を迎えます。
800年ごろにヨーロッパの大部分を支配していたフランク王国カロリング王朝は、その広大な領地を継承権のある子供が分割して統治するというシステムを取っていました。分割された土地で継承権が途絶えると、となりに併合されるという事を繰り返しながら統治していたのですが、その結果時代とともに王朝としての権威はどんどん落ちていきます。
それでもなんとか体裁を保っていましたが、例によって東からやってくる騎馬民族の襲撃に対応するために辺境に軍事力がどんどん集まっていった結果、各地の土地を治める一族、いわゆる貴族の影響力が相対的に増していったのです。
こうして国としての王朝は900年頃に瓦解し、1000年頃には最後の血も途絶えてしまいます。地方は地方で統治するという枠組み、慣習だけが残り、いわゆるイメージするところの中世ヨーロッパが生まれます。
"地方は地方で"ということは、狭い領土で財政が完結する状態です。
基盤の小さい勢力ではどうしても生産力は高まらず、当然軍隊の規模も小さくなります。
この王国が残した慣習が生み出した"小規模な勢力"という呪縛に、欧州は長いこと苦しめられます。
自分が土地を支配する根拠が伝統、慣習にあるわけですから、これをひっくり返すような大義名分の無い行動はとれなくなってしまったのです。
一つの家が狭い土地を治め、争いが発生した場合には自分で何とかしなければなりません。蛮族や盗賊はもちろん、継承権云々と変な言いがかりをつけて隣の家が攻めてくるかもしれません。
より巨大な敵がきた場合にはどうしようもないので、自分の領土を守ってくれる、より大きな軍隊、より強固な法律や伝統を持った存在が領主には必要になってきます。
こうして封建制度は生まれます。
臣下は自分の土地を治める根拠を君主に保証してもらい、自分の持っている土地に攻め込ませないようにし、さらに襲撃があった場合には守ってもらいます。その見返りに自分は財力や武力を提供する、という関係を築くのです。
これが進んでいくと、いくつかの大きな領地が誕生します。最大単位である公国はメジャーな単位でしょう。
そしてフランク王国によってキリスト教がすでに十分に広まっていたこの時代の欧州での、最強の根拠は神でした。今から考えれば変な話ですが、神がこう言ったから、と言う文言は驚異的な効力を発揮したのです。その結果、教会のトップである教皇に認められた領主がこの集団――ドイツなら神聖ローマ帝国――のトップ、つまり皇帝や王になるのです。
さて騎士に話を戻しますが、こういった社会の中でなぜ騎士という軍事形体が生まれたのでしょうか。なぜ当時の国、例えば神聖ローマ帝国は大規模な軍隊を組織しなかったのでしょうか。
それは帝国とは名ばかりで、その実態は"小規模"な財政基盤しかもたない領地の集まりだったからです。
成り立ちの段階でそれぞれに対して財政基盤をすでに保証してしまっているので、お金を一か所に集めてから大規模な軍隊にするという事ができません。領地に対して大きく介入することは出来なかったのです。できることと言えば、各領地に対して軍隊を出すことを命令するだけです。
よって、軍隊は一番小規模の財政基盤が取れる最も効率のいいやり方で編成されるようになりました。
つまり、すべての軍事費を特定の人間に集中させ、強力な戦士を作るのです。
こうすれば馬にも乗っけられますし、金属の武具を装備させることができます。特定の人間に栄養のある物を食べさせ、たっぷりと時間をかけてトレーニングするのです。
実際の戦場には騎士の周りに従卒含む歩兵が沢山いて重要な役割を担っていたようですが、どうしても"戦場で最も高価で強力なのは自分だ"という特権意識が生まれます。その特権意識は自分が持つ戦闘技術や武具に由来するものですから、これを磨き、秘匿し、受け継ぐことで、騎士はその地位を盤石なものとしました。
これが、一般的に言われる騎士の成り立ちと成長、そのあり方です。
多くの作品に登場する騎士がこの性格を有した存在であるというのは、そこまで間違っていないことでしょう。とはいえ、なろう小説のファンタジーの騎士や社会と合致するかどうかというのは微妙なところです。
しかし、実際にはまだまだ別の過程を経て誕生した騎士がいましたし、その成り立ちもさまざまです。
次回はその他の騎士を見ていきたいと思います。