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馬から見る騎士の成り立ち


 この章では史実における騎士がどうであったかを確認します。


 序章で書いたとおり、騎士はどう発生したのか、どのような活動をしていたのかという部分は、多岐にわたる上に明確な資料がなく推測の域をでません。


 ただ、恐らくこれで間違いがないだろうというのがあって、これをもとに多くの小説やゲームに登場しています。特に歴史シミュレーションゲームをやる人にとっては、騎士の大体の成り立ちはイメージできるでしょうし、その特性や性能を把握していることでしょう。


 馬に乗って剣や槍、鎧で武装し、主君に忠誠を誓い領地を守るために高い戦闘力を有する、というのが多くの作品に登場する騎士の姿です。

 学校の世界史でも大体がこうでしょう。これは間違っていないし、むしろそのような姿をしたものこそが騎士であると認識されています。



 では騎士はどのように発生したのでしょうか。皆さんはこれを明確に説明できるでしょうか。

 

 封建制度の中の戦士層として語られる騎士ですが、なぜ馬に乗るのか、どうして個人完結の武技を持って戦闘に参加したのか、ということが説明されることは少ないのではないでしょうか。


 そもそも、欧州の戦士は馬に乗っていませんでした。

 ヨーロッパ人はもとより農耕民族、つまり土を耕して麦などを育てることによって食糧を確保する社会を構築していたので、長い距離を移動する必要もなく、馬に乗ろうなどという考えは発生しなかったのです。労働に使おうにも、牛の方がよっぽど適していました。


 馬を利用した戦闘は最も古いもので、馬で移動して下馬して弓を射る、略奪行為を働くという方法であったと言われています。紀元前に中東で活動をしていた蛮族が取った方法でした。

 このころはまだ乗馬に関する様々な道具は生み出されておらず、騎乗したまま複雑な戦闘行為を行うことはできなかったのです。


 機動力が必要となった国家は、戦車チャリオットを編み出しました。複数の馬にワゴンを引かせ、そこから矢を射るのです。人が追い付けないほどのスピードで戦場を移動し、時には突撃をして敵の軍隊を瓦解させるこの形式はしばらくの間上手くいきました。周辺に敵を抱える黄河(中国)、メソポタミア(中東)、エジプトなどの古代国家は戦車の数を揃えることに躍起になったのです。

 やはりここでもおもに移動方法として馬は扱われていると言えます。因みに馬に武器を曳かせて戦場を移動する方式は、騎乗兵が活躍するようになってもエンジンが開発されるまで続き、馬は大きな弩や大砲、補給物資を積んだ荷車を運びました。


 戦車は複数の馬が一つのワゴンを引っ張るわけで、もちろん御者は戦闘に参加できず、ワゴンの重さや操縦性にも難がありました。荒地を移動するのは不便だったし、高額の維持費もかかりました。しかし馬が小さかったり上手く乗りこなす技術を持っていなかったので仕方がなかったのです。


 古代国家の主な敵は周辺の騎馬民族でした。

 当然騎馬民族も戦車の脅威に対抗するために騎乗戦闘技術を編み出し、より効率的に馬を扱うようになっていきます。牧畜を行うために社会全体が移動する騎馬民族は、農耕で国を支えている農耕民族と違い、より多くの戦士を戦場に投入できるうえ、馬の扱いにも長けていたのです。


 しばらくたつと鐙が開発されました。

 これは農耕民族にとって革新的な技術で、乗馬のハードルが下がり、騎馬民族のように騎乗したまま戦闘ができるようになったからです。


 2,3人の戦士を運ぶために、御者と車輪のついたワゴンを複数の馬に曳かせている兵科と、一人一頭で済む兵科、どちらがより安価でより柔軟な運用ができるのかは想像に難くありません。


 騎乗兵は瞬く間に最強兵科として認識されるようになったのです。


 中国で発明された鐙は交易路に乗ってだんだんと広まりました。ユーラシア大陸を東から西へと順番に広がっていきますので、欧州に伝わるまで約300年かかったようです。


 戦争に非常に役に立つ馬ですが、馬を戦争に用いるにはいくつものハードルをクリアしなければいけません。武具を含む乗馬技術、馬の安定した生産(繁殖)、調教です。

 

 馬はもともと"走るのが早い草食動物"であり、非常に臆病な性格です。つまり、馬を戦争に利用するには飼育環境を整えたうえで、武装した人間に臆さず立ち向かい、騎手のいう事を聞くように調教しなければならないのです。


 当然生き物を飼育するわけですから、莫大なお金がかかります。

 それに加えて騎手の乗馬訓練や装備を整えなければいけません。


 軍馬が富裕層の持ち物になるのに時間はかかりませんでした。例えば古代ローマでは武装は自前でしたので数を揃えることができず、そのうち騎馬隊は騎馬民族を雇うことで賄うようになりました。

 300年ごろ、強力な騎馬民族に追われるようにしてヨーロッパにやってきたゲルマン民族ですが、ヨーロッパでも度々騎馬民族の侵入にあい、その結果、ゲルマン民族は次第に騎乗技術を手に入れていきます。


 しかし、未だに鐙は遠い地で生まれたばかりで伝わっておらず、軍隊も古代ローマに倣ったため歩兵が主体でした。騎馬兵が誕生するきっかけがなかったので、少数精鋭の重装備騎乗兵の誕生は800年ごろまで待たなければいけません。

 700年初めごろ、アフリカからジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島(今のスペイン)に攻め込んできたイスラム教徒(アラブ人とベルベル人)の軍隊は騎兵のみで構成されたものでした。


 アフリカ北部、マグレブ地方という場所で遊牧を営んでいたベルベル人は、イスラム帝国西方征服の尖兵となり、圧倒的な機動力で瞬く間にイベリア半島のほとんどをイスラム教徒の物としたのです。さらにピレネー山脈(スペインフランスの国境にある3000m級の山々)を超えてフランスになだれ込もうとしました。


 これをフランスの英雄、カールマルテルが食い止め、その息子が新たに王朝を開いたのが750年頃でしたので、この戦いが欧州に騎士を誕生させる大本になったと言って良いでしょう。



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