声
悪魔が樽に浸けられると、樽がガタガタと大きく揺れた。
「ちょっと押さえてろ!」
タフタは言い、チェコたちは樽の四方から必死で押さえた。
タフタは、大ぶりの山刀の柄を使い、コンコンとヒヨウの割った樽の蓋を、再び嵌めた。
樽はしばらく、倒れんばかりに揺れていたが。
しばらくすると、しん、と静まり返った。
「え?
死んだのかな?」
チェコは呟くが。
「全く死んでなどいない」
とプルートゥが唸った。
「え、じゃあどうして静になったの?」
「悪魔は元々生きて無いのよ。
水にも人にもなれる、というのはどんな物質にでもなれるという事。
酒になれば、酒でダメージは喰わないわ。
特に、エルフ酒と違って、駐屯地の酒は嗜好品だから、それほど辛くないのかもしれないわね…」
とキャサリーン。
「しかし、樽に封じ込めたんなら、それで良いんじゃないのか?」
イガは、自分達の勝利だ、と言うように喜びを声に浮かべた。
「封印する魔法っていうのは長い時間がかかる上に、相手を弱らせてないといけないわけよ」
とミカは溜め息混じりに語る。
「奴は、全然、元気なのよね…」
肩を竦めるミカの目の前で、悪魔はゲラゲラと笑い始めた。
「酒風呂とは、なかなか愉快な気分だぞ!」
「聖なる攻撃が良いのなら、やってみよう」
ゴロタは、背中から、光りの柱を二本出すと、それを素早く樽に突き刺した。
樽が、微かに振動し始めた。
樽は、ゴロタの光りを受けて振動を続けるが、悪魔は押し黙ったままだ。
「どうなったのかな?」
「おそらく、聖なる攻撃を受け流しやすい物質に変身したんだろうな。
銀などだ」
とプルートゥが教えた。
「え、銀になったら、聖なる攻撃も受け流せちゃうの?」
「たぶん完璧には無理よ。
しかし、銀器は聖なる儀式に使われる金属。
他の姿よりは凌ぎやすいわ」
酒も、聖なる攻撃も凌いでいるという…。
一体、どうすれば悪魔に勝てるか、チェコには皆目、解らなかった。
「ミカちゃん。
今のうちに樽に封印できないかしら?」
キャサリーンがミカに聞く。
「あれだけの悪魔を完璧に封印する、と言うのはあたしには無理。
でも、しばらく押さえるくらいなら出来るかもしれないわ」
ミカはいうと、背中のナップサックから赤い布を取り出し、三枚の皿を取り出し、何かの粉末を皿に満たした。
それから手のひらに収まるほどの本を取り出すと、
ばっ、と開いて、
「ユルフォンクルスリィン、大いなる時の眠りが汝を導かん」
カンカン、と小さな木切れを叩き合わせて、透き通った音を立てた。
「ロゥバンストゥリン、清き聖木の音色が神の言葉をお主に伝える」
そこからミカは、津波のように、謎の呪文を一心に語り始めていた。
その鬼気迫る有り様は、大変な力をミカが使っているのを理解させた。
「手を合わせ、祈るのよ」
と、キャサリーンが囁く。
チェコはおよそ祈りの文句など知らなかったが、
「助けたまえ、救いたまえ…」
と、祈った。
ダリアによれば、神には何でもお見通しなのだから、そう心で唱えれば良いのだ、という。
ミカの呪文は、もの凄い早口に、延々と続き、その間、小さな聖木を叩き続けていた。
タッカーは、指を左右の手の甲に食い込ませるようにがっちり組んで、
「神の御手の中で我は祈らん、エズエズアリア…」
と呟き続けており、ヒヨウは、おそらくエルフ語の祈りの言葉を呟いていた。
山人たちは、また別な何かを呟いているようだったが、しかし全体から見て、何ら違和感は無かった。
皆、必死だった。
ゴロタは聖なる攻撃を続けており、プルートゥ以外の全員は必死に祈っていた。
樽は沈黙し続けている。
そのまま、五分、十分と時間は流れていった。
これは、効いたのではないか…。
チェコは思った。
その瞬間…。
「セイさん!
後ろに袋トカゲが!」
チェコの声が叫んでいた。
え…?
一番、驚いたのはチェコだ。
チェコは生まれて初めて、自分の声を聞いた。
それは、到底、自分の声とは思えない、甲高い子供の声だ。
だが、口調で自分と判った。
セイが、うわぁ!
と、叫び、チェコは、
「違う!
俺じゃないよ!」
と立ち上がって叫んでいた。
「落ち着け!
悪魔のよくやる手だ!」
とプルートゥがドッシリした声で言う。
チェコは生まれて初めて、人の声に羨望した。
「もう一歩なのよ、チェコ君…」
キャサリーンが囁く。
「馬鹿チェコ…!
座れ…!」
ああ、とチェコは座った。
まさか自分の声を聴くとは思わなかった…。
カリカリカリカリ…。
背後から、謎の音が聞こえてきた。
何だか判らないが、背中の毛を撫でられたような、薄気味の悪い音だ。
新しく買った豆に、不意に穴が開き、中から虫が顔を覗かせたように不愉快だった。
カリカリカリカリカリ…。
背後に、そう真後ろから、ずっとその音はしていた。




