笑い
チェコは、既に召喚に必要な二十アースは出す事が出来る。
冥獣アドリヌスこそ死んでしまったが、チェコの持つ大半の召喚獣は出ていて、エルミターレの岩石もあるからだ。
「召喚、黒龍山の聖獣ゴロタ!」
ドン、と音はしないが、その場の空気がガラリと変わり、音が響いたような気がした。
巨大な熊が、赤竜山に出現した。
「…どうやら、とんでもない奴に絡まれたようだな…」
ゴロタが、頼もしい声で話した。
悪魔は舌打ちし、
「めんどくさいのを呼び出しやがったな…!」
「いいか、ゴロタ!
見て判ると思うが、このボウフラ野郎が物質化したり、液体になったり、あっちの世界に逃げたりするんで手を焼いている…」
プルートゥは簡潔に話した。
彼は元々、優秀な軍人であり、優れた指揮官だった。
「奴を物質状態に固定化できれば、やりようがあるんだ。
可能か?」
確かに…。
悪魔ドルェヴァを物質世界に固定出来れば、一度は既に殺しているはずだった。
「…現実世界に閉じ込める事は可能だ。
しかし液体化や固体化の変化を防ぐのは困難だ…」
すぱりとゴロタは返答した。
「それでいい。
やってくれ!」
「ここにいる全員をバリアーにいれていいのか?」
ゴロタは、いつかのバリアーのようなものを行うつもりのようだ。
「悪いがみんな、一緒にやられてもらうぞ!
誰かを逃がして、とかやってる暇が無いからな!」
山人たちは、唾を飲みながら頷いた。
チェコたち子供が必至に戦っているのに、逃げたいとは言えなかった。
一瞬で、悪魔を白いドームが包み込んだ。
ケケケと悪魔は笑い。
「面白い遊びだ。
付き合ってやろう」
自信満々に語った。
白いドームの空中中央に、赤黒い液体が浮かんでいた。
このドームの中では、悪魔は液体か固体にしかなれないはずだ。
だが、悪魔に通用するスペルは、白の回復魔法だけなのだ。
チェコは、白のスペルなど知らなかった。
ち、と舌打ちし、ブーフが、
「下らない。
液体ならダメージを食わないとでも思ってんのか、糞悪魔!
なら、楽しませてやる!」
言うと共にブーフは空中を掴んだ。
液体が、ガチャリと四方から圧迫されていく。
「どうだ!
圧力を下げてやろう。
常温で沸騰するがいい!」
おお、とチェコはブーフの攻撃に息を飲んだ。
どういう理屈かは判らないが、悪魔は苦しんでいる様子だ。
「何だかわからないけど凄いね!」
と興奮するチェコにため息をつき、パトスは、
「…気圧が低くなれば、沸点が下がる。
やがて常温でも沸騰するようになる。
液体で居続けるのは苦しくなる…」
ふーん、とチェコはまるで理解していないように返事を返した。
気圧を下げる度に悪魔は膨張していく。
膨張すると同時に、悪魔ドルェヴァは呻き始める。
膨張のため悪魔の赤茶けた色が、だんだん小豆色に変わってきた。
と、同時に、濃い色に隠れていた細かい皺が広がってくる。
それは無数の、生き物の顔の集合体のようだった。
人間もあり、牛のような顔もあり、またチェコの見た事の無い、異様な姿もあった。
中には、人と獣の顔が重なり、異形の姿になった顔もある。
それらが皆、苦悶に歪んで、チェコを見下ろしていた。
「顔だ!」
チェコは驚いて叫んだ。
「悪魔の召喚には生け贄が必要なのよ。
おそらくあれは、生け贄になった者たちの姿でしょう」
とミカが教える。
「え、食べられないのに、その姿は体に取り込むの?」
「奴らに本当の意味の感情などは無いから、まるで美術品を鑑賞するかのように、生け贄の姿を身に焼き付け、楽しむのよ」
なんだそれは…。
リコ村の苛めっ子が、チェコをいたぶりニタニタしていたようなものなのか。
だが、その姿を体に焼き付け、美術品のように楽しむ、というのは尋常ではなかった。
「…見解の相違だよ…」
と、苦しみながらも悪魔が語った。
「私は何も所有できない。
無論、その代わりに自由なのだが、せめて束の間の美しい体験を、己の身に焼き付けても構わないではないか。
これらは、そもそも私に支払われた代価なのだから」
時間をさ迷い、召喚される度に、生け贄の姿をその身に焼きつけ、鑑賞するのだという…。
途方もなく孤独な永生者の言葉のようだが、その体は苦痛と呪いに満ちているようだった…。
だが、小豆色がピンク色に薄まるにつれ、生け贄たちの顔面はグニャグニャと蠢き始める。
「な…、なんだ…」
驚くチェコに、パトスが、
「…沸騰したんだ…」
と教えた。
なるほどそれはグラグラ煮える水のようでもあったが、苦悶に歪む顔が、不気味に体を揺すって笑っているようにも見えた。




