りぃん
外は、紅を差したような夕暮れだった。
太陽はいつの間にか、山の影に消えていた。
山の夕方は、思うよりもずっと早い。
頭上には一番星が輝いていた。
東から、もう夜は忍び寄ってきていた。
戦場は、何日も晴天が続いているので、ホンワリと生暖かい。
風が気持ちいいような気候だったが、その風が運ぶのは、途方もない腐敗臭だった。
「…どうしよう、パトス…、エルフ酒も塩も無いよ…」
全く迂闊だったが、村の、ほんの目の前に出ただけなのだ…。
しかし相手は片牙であり、見るだけで魂を半分持っていかれる、死が固まって動いている、ような怪物だった。
「チェコ、タッカー、こっちに来るかな!」
ウェンウェイは二人を押し倒すように、上に被さった。
「ウェンウェイさん!」
「俺は、目的は、お前のお陰で全て果たせたかな。
お前たちは、まだ死んではいけないかな!」
「ちぇこ、うぇんうぇい、僕ガ守ル!」
え、とチェコは驚いた。
「りぃん、駄目だよ。
りぃんは俺なんかを守って魂を無くしてはいけないんだ!
りぃんはお兄さんを待ってないと駄目なんだよ!」
「大丈夫。
友達ヲ守レナイナンテ、オ兄チャンニ怒ラレチャウ!」
「りぃん!
りぃんは冥府に入れるんだ!
だから駄目だよ、俺がりぃんの兄さんに恨まれる!」
チェコは叫んだが。
どさっ、どさっ、と、グズグズに腐ったものが歩いてくるような、重い足音がチェコたちに近づいてきていた。
異臭は、強すぎて頭がおかしくなりそうだった。
臭いではなく、物質がチェコの顔を覆っているようだ。
「…りぃん…」
喉に穴が開いているような、枯れた男の声が聞こえた。
「オ兄チャン!」
「…りぃん…」
声は、それしか知らないように空中の何処からか話しかけてくる。
「…りぃん…」
どすん、と重いものが、ぶつかった音がした。
ガァ!
底無し沼の底から、ガスが沸き上がったような声がする。
「オ兄チャン!」
どすん、どすん、と何か重量のあるものが、激しくぶつかり合っていた。
「…りぃん…」
グチャリ!
と何かが抉れる音がして、どさり、となにかが地面に落ちた。
ベリッ、となにかが引き裂かれる音が聞こえた。
ボウゥゥゥ!
と、何かドロドロに濡れたものが、不満げに叫んだ。
「…りぃん…。
会エテ良カッタ…!」
ごろん、となにか、軽いものが土の上に倒れた。
「オ兄チャン!
オ兄チャン!」
ベチャリ、とチェコのすぐ横に、とても重い腐敗物が潰れて落ちた。
「…りぃん…」
「オ兄チャン!
大丈夫?」
「俺ハ、帰ル所ニ、帰ル…。
オ前ハ、ドウスル…?」
てぇる兄弟の兄は、何処に帰るのだろう?
帰るところが無いから、黒龍山にさ迷っていたのではないのか?
「僕ハ、ちぇこト行ク!
コイツッタラ、面白インダ!」
「…ソウカ、デハ、冥府デ、オ前ヲ待ツ…」
冥府に受け入れられたのか!
チェコは驚いた。
決して受け入れられない片牙であったはずの魂だったが、弟を守ったためなのか、冥府が彼を受け入れたらしい…。
「俺が!」
チェコは叫んでいた。
「俺が死ぬとき、必ずりぃんを連れて、そっちに行くよ!」
オオ…、という声が、微かに聞こえた気がした。
だが、いつの間にか強くなった風が、空で鳴っただけかもしれなかった。
「チェコ!」
ヒヨウたちが駆け寄ってきた。
そこには、何もなかった。
もはや、臭いすら無くなっていた。
死、と言うには、あまりに軽い、滑らかな風が、地を撫でるように吹いていた。




