嗚咽
マズい…。
チェコは一瞬で、全身から冷たい汗を流した。
外道は、ゴロタにしか殺せない。
ゴロタは黒龍山のヌシで、ここは赤竜山なのだ。
何日も歩いて、チェコは、やっとここまで到達したのに…。
外道は、無限の回復力を持っていて、どうやっても死にはしない。
ゴロタの力なら、永遠に殺し続ける事も出来るが、そんな真似は精獣ゴロタにしか不可能だ…。
「ふざけるな!」
イガは叫んだ。
同時に、素晴らしい早撃ちでアイダスの左目に矢を射った。
矢は、しかしアイダスの目に届く前に、軽々とアイダスが一瞬で掴んでいた。
「ケケケケ。
自慢の早撃ちも形無しだなイガ。
この矢は、そのまま返してやるぜ!」
アイダスは、持っていた大弓をに山弓の矢をつがい、ピュン、と放った。
まともに飛ばないような一撃だったが、イガは吹き飛ぶ。
どさり、と石の上に落ちたイガの胸には、深々と自分の矢が刺さっていた。
「イガ!」
ロットがイガを助けようとするが、アイダスは腹を抱えて笑っていた。
「チェコ君…」
キャサリーンが囁いた。
「奴は、この場で皆を殺すつもりよ…。
なんとか防がないといけないわ…」
「…うん、でも…、外道なんて、俺にはどうにも出来ないよ…」
そんなスペルがあったら、とっくにプルートゥに使ってるのだ。
「ほら、思い出して。
病人はどうだったの?
静寂の石なら、アイダスに継続的なダメージを与えられるんじゃないのかしら…」
え…!
チェコの体を、電気が駆け抜けたような衝撃が襲う。
あの病人は、確かに錬金術で歪められた、普通の巨人だった。
ただ、マットスタッフに、天使の肝を無理やり食べさせられていた…。
そして、わずかな期間で、もう寿命を迎えかけていたのだ…。
俺が…、出来るのか…。
「皆、総攻撃よ!」
キャサリーンは叫び、弓を放った。
ウェンウェイも続き、杣人たちもアイダスに矢を撃つ。
不死のアイダスは、ゲラゲラ笑いながら、全ての矢を体に受けた。
皆の攻撃を無駄には出来なかった。
チェコは、静寂の石を発動させた。
どうせメチャクチャにすればいいのだから、さっさとタッチを変えて個別チューニングで水を思いっきり狂わせる。
人体の中の、水のバランスが大きく狂う。
アイダスは、それだけで、ドスンと尻餅をついた。
「あれ?」
アイダスは、驚いている。
続いて、火を狂わせる。
メラ…、とアイダスの着ていた軍服が、薄い煙を上げ、燃え始めた。
アイダスの皮膚も燃え上がる。
闇を狂わせると、アイダスの左目が肥大化し、血の涙を流し始める。
樹を狂わせると、肌が緑色になり、ひび割れた。
紫で、アイダスは唐突に雄叫びを上げ始め、白を狂わせると、体がとろけ始めた。
とろっ、とアイダスの耳が、アイスクリームのように、石に落ちて、ペシャリと潰れた。
「いいわよチェコ君!」
言ってキャサリーンは、
「スペル、樹木化!」
アイダスにスペルを使った。
「樹木化は、威力が強いので今は禁止カードになっている緑のスペルである。
アース三で、一定期間、敵を木に変えるのだ」
エクメルが、聞かれもしないのに話し出した。
「よし、こっちだ!」
ヒヨウを先頭に、チェコたちは岩の上を走り、側面を滑って降りた。
そのまま森に飛び込み、道なき道を、ヒヨウの背中だけを見て、走った。
数分間全力疾走をして、ヒヨウは、ふと下生えの少ない、苔むした大木の根元に抱えたイガを下した。
「チェコ、治療を手伝ってくれ」
イガの背中には、エルフの返しのある矢じりが突き抜けていた。
チェコが静寂の石で、イガの血流を抑えたところで、ゆっくりと矢じり部分を切断し、ヒヨウはエルフ酒で傷を洗いながら、矢を抜いていく。
杣人たちも息を詰めて治療を見守る。
「心配ない、偶然だが肺も心臓も外れている。
イガは強運だ」
チェコが必死で血流を抑えても、生きているのだから血は流れる。
ヒヨウが、何かの粉を傷に落とした。
「血止めだ。
まぁ、何から出来ているかは知らない方が良いだろう」
だが薬の効果と、静寂の石の力もあり、さっと縫うと、血は殆ど出なくなる。
ヒヨウは厳重に包帯を巻くと、またイガを背負い、
「しばらくは走るぞ」
言った時には走っていた。
一時間、チェコたちは必死に森を走り、
「よし、水場で休むぞ」
ヒヨウが言った一分後、森からチェコたちは河原に走り出た。
全員、荒い息をして河原の砂利の上にへたり込むが、
「なぁチェコ。
アイダスをどうしたんだ?」
イガが、囁くように聞いてきた。
「うん、錬金術で体を狂わしたんだよ」
「それって治るのか?」
「治るけど、イガ。
外道は、もう絶対に治らないんだよ」
チェコは、天使の胆を食べた外道は、やがて遠い未来にゾンビになって自我を失っても死なず、病気にもならない、と話した。
「体を狂わせて、普通の人間なら絶対に死んでいるぐらいにメチャクチャにしても、奴は永遠に治り続けているんだ。
いつかゾンビになる日まで、そのままなんだよ…」
イガは呆けたように空を見た。
「俺とアイダスは、同じ年の生まれでさ…。
兄弟みたいに育ったんだ。
あいつは凄い奴で、なんでもすぐに出来ちまう。
話も面白くって、人望もあってさ…。
そんな奴の背中を、俺はずっと見ていた。
同年だけど、なんて言うか…。
兄貴分だった…」
イガは、西が赤く染まった空を見上げて、やがて涙をこぼした。
「アイダスの奴、何であんなになっちまったんだ…」
イガの嗚咽を、誰もが黙って聞いていた。
ヒヨウは、無言で、水で干し飯を戻していた。




