逃走
「皆、落ち着いて出発の準備をしてくれ」
ヒヨウは語ったが。
「おいおい、まだ子供だぞ、大丈夫なのか?」
と不安げにロットは言う。
チェコより体も大きいが、ヒヨウも成人男性から見たら、まだ子供だ。
「彼は本当に優秀なエルフよ」
キャサリーンは言うが、杣人は不安げな視線を交わす。
「おい!
俺に怒鳴られなければ支度も出来ないのか?」
プーフが苛立たしげに杣人たちを責めた。
「皆、ともかくここを脱出しないと野垂れ死にだ!
ヒヨウ君に従おう」
杣人のリーダーが話した。
「たぶんピンキーの仕業なんだ。
俺たちをバラバラにするのも、奴らの手なんだよ」
チェコは、仲良くなったイガに言うが、
「ごめん。
俺があのとき、アイダスに声なんか掛けなけりゃあ、全部上手く行ってたのに…」
と萎れていた。
「違うよ。
ピンキーっていう灰かぶり猫の女がいて、裏で糸を引いているんだ。
凄い嫌らしい策を使う奴なんだよ!」
とチェコは、イガを慰めた。
「でもさぁ。
アイダスが俺たちを裏切る訳は無いんだ…。
村に許嫁のリコだっているんだ…」
アイダスさんには、何か謎がありそうだな、とチェコは思った。
「あの時、仲間に入れなかっただけ、まだチャンスはあるのよ。
そこに賭けましょう!」
キャサリーンは皆を励ます。
と、外で、うわっ、と叫び声が上がり、ドッ、と何かが倒れる音がして、ピィ、と鳥の鳴き声のような音がした。
「行くぞ!」
ヒヨウが、小屋の壁を力一杯に蹴った。
ガラ、と壁が崩れ、穴が開いた。
「走れ!」
小さく叫び、ヒヨウは飛び出した。
目の前に、一人の兵士が倒れていた。
全員が穴から飛び出すが、横の草むらから、バ、と槍を構えた兵士が飛び出してきた。
チェコは驚いて叫びそうになったが、兵士の鉄兜の下の眉間に、ドス、と深々と矢が刺さり、兵士は砂袋のように倒れた。
チェコたちは必死でヒヨウについて走る。
木陰から別の兵が出てくるが、ヒヨウは腰の剣を抜くと同時に、兵士の喉に剣を突き立てていた。
ビュン、と大弓の矢が、チェコの頭上を飛び抜けた。
この時ばかりは、チェコも自分がチビで良かった、と冷や汗を流した。
ヒヨウは深い茂みに飛び込んだ。
道があるとも思えないが、不思議とスルスルとヒヨウの後ろは歩けてしまう。
そして一度、岩場を登り、岩石の隙間をするり、と抜けると、チェコたちはエルフ道に出ていた。
全員が夢中で走っていた。
ハァハァと息の音だけが森の道に漏れていた。
三十分も走っただろうか。
ヒヨウは再び、茂みに飛び込んだ。
草を抜けると、ちょっとした広場があった。
ヒヨウは指を口に当てて、静かに座る。
皆、息を荒げて、ゆっくり腰を下ろした。
一分か…、十分か…。
チェコには判断つかなかったが、座り続け…。
「よし、大丈夫だ」
ヒヨウは言った。
「ほ…、本当に、もう大丈夫なのか?」
ロットは不安げに言う。
「ああ。
この道には幾つか、必ず足音が出る場所がある。
音がしないので、追跡者はいない」
チェコは上空を睨んだ。
「左腕がいるかもよ?」
「それは無いだろう。
ドゥーガは白昼には上手く飛べない。
あれは闇を飛ぶように出来ているんだ」
「じゃあ、やはりアイダスが俺たちをつけていたのか?」
杣人のリーダーが問う。
「一人で熊を狩るほどの名人というのなら、きっとそうなのだろう。
タカオも、そんな奴は想定していなかった。
そうと判っていれば、あの時、迷わず殺していた」
イガは、ガクン、と肩を落とした。
「チキショー、何であのアイダスが…。リカだっているのに…」
「仕方の無い事もあるものなのよ、イガ君。
軍隊というのは、一度入ったら鉄の掟で縛られてしまうものなの。
なかなか途中で、怪我や病気でもないのに、勝手に抜ける、のは難しいものなのよ」
とキャサリーン。
「もしタカオさんが死んだら、俺はアイダスを許さねぇ…」
とイガは呻いた。




