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スペルランカー  作者: 六青ゆーせー
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パトス

チェコは、木苺の木から、ゆっくり、ゆっくりと、這い進んで行った。


チェコが目指している、馬車からとれた扉らしき物体は、およそ三メートルほど離れている。


チェコは、べったりと腹を地面に付けて、まるで自分が大トカゲであるかのように、ずりぃ、ずりぃと、一センチ刻みに進んでいく。


木苺の茂みから顔を出し、パトスは心配そうに、コカトリスを見つめていた。


ちょっとでもコカトリスが動いたら、チェコに知らせよう!


そうは思うが…。


おそらく、コカトリスが動いた時には、既にチェコは石だろう。

そう思うと、パトスの目に、涙が浮かんだ。


パトスは精獣の子だ。


だが、気が付いたときには、親から離されてしまっていた。

親に何かあったのか、それとも、元々、人と共にある精獣で、友好的にパトスを譲渡したのか、パトスには分らない。


だが、物心ついたときに、パトスの所有権を主張していた、薄汚れた旅の男は、とても臭く、自分の食い残しの残飯をパトスに放って地面に落とし、パトスに拾わせていた。


パトスは常に腹を立て、男にも、周囲の人間たちにも牙を剥いた。


俺は精獣の仔、なのだ。


そもそも精獣は、獣に号令する立場のものであるはずだ。

だというのに、この男は、俺の首を紐で繋ぎ、自分の食い残しをわざわざ地面に落として、パトスに拾わせ、そのくせ他の人間たちには、媚びへつらい、俺のことは、犬っころ、と侮蔑した。


なぜ俺は、こんな臭い男のところで、紐に繋がれて引きずり回されているのか?


そんな疑問も、いくら噛み千切ろうとしても決して切れない紐や、牙を剥いたところで、男に蹴っ飛ばされて終わってしまう、ひ弱い自分の現実を見るにつけ、段々思索は哲学的迷宮に入り込み、男に歯向かう回数も、段々と減っていった。


通りすがりの動物たちによると、精獣の仔は、大人になるのに、人間よりも長い年月がかかるのだという。


パトスは絶望した。


周りでは、楽しそうに、仔犬や子猫や仔鳥たちが、親と集い、舐められながら育まれていく。

パトスは、男に残飯を投げられ、それを唸りながら食らいつき、毎日を過ごしていた。


ある時、パトスは、リコの村を訪れた。


男は、いつものようにヘコヘコと頭を下げ、使い走りの仕事をしていたが、パトスは、男がねぐらに貸してもらった馬小屋の隅に置いておかれた。


臭い男から離れられて、やっと一息ついたパトスを、枯稲色の髪の少年が覗き込んだ。


「なー、俺、チェコって言うんだ。

お前は?」


パトスは、餓鬼の相手などする気はなかったので、無視をしていたが、少年はお構いなしで、将来はスペルランサーになりたいこと、だけど毎日はダリア爺さんの手伝いで、ろくに遊べず、年齢の近い村の子供たちにはハブられていること、赤ん坊のころダリア爺さんに預けられて、親とのきずなは、いつも首にかけている黒い石の嵌ったペンダントしかない事などを、まくしたてていた。


「なー、俺のスペルを見てくれよ」


チェコは勝手に、パトスの横に座って、腰のベルトの四角い箱を取り出し、中を開いた。


中にはスペルカードが入っている。


全てのスペルランカーは、この箱の中に自分のスペルカードを、戦う順に入れている。


戦いは、むろん、状況により変わるものだが、戦闘において一人のスペルランカーが使うスペルは、余程状況や相手との相性が悪い、と言うのでもない限り、そうは変わらない。


長槍の使い手が、ナイフで戦っても仕方が無いのだ。


が…。

それにしても…。


この小僧のスペルときたら、ウサギだらけだ。


なんでも、村の子供たちにハブられているので、いつも村の裏の草原で、ウサギ相手に遊んでいるらしい。


「本当は、このスズメバチを使いたいんだけどねぇ…。

二アース出すには、一回貯めないといけないんだよねぇ…」


ハハハ、と小僧は笑った。


一アースしか出せないスペルランカーか…。


パトスは、鼻で笑った。


が…。


精獣なのに、臭い男に紐で縛られて、連れ回されている自分も、同じようなものなのではないか…。


そう気が付くと、パトスの胸に、何か苦いものが広がってくる。


その時、急に馬小屋の扉が、大きな音を立てて乱暴に開け放たれた。

茶色の髪をした、汚らしい餓鬼どもが三人、ズカズカとパトスの馬小屋に押し入ってくる。


「よー、みなし子チェコじゃないか。

サモシイ孤児は、この貧乏ったらしい仔犬ちゃんと、早速仲良しごっこかよ」


ぶよぶよに太った、饐えたバターの匂いのする餓鬼が、子供が、ここまで薄汚い表情ができるのか、というほどの侮蔑を顔に浮かべて、チェコに言った。


「お…、俺はみなし子じゃないよ…。

ダリア爺さんに預けられているだけで…」


デブは、ギャハハ、と唾を飛ばして笑い、汚い足で、チェコを容赦なく蹴っ飛ばした。

チェコは、奥の壁に、凄い音を立ててぶつかった。


「馬鹿じゃねぇの!

お前は捨てられたんだよ。

落ちていたから、乞食のダリアが拾って来たんだ!


ヒヒヒ…。五十過ぎで錬金術の部屋住み見習いで、女とやったことも無いダリアが、捨て子のお前を、ありがたーく拾ってきて、そこの仔犬のように、残飯を食わして育ててんじゃねーか!」


「ダリア爺さんは、部屋住みなんかじゃないよ。

西方のパトリシア候のお屋敷で、機械人形を作っていたんだ…」


チェコは、デブの隣に立っていた、痩せて吊り上がった眼をした、ニキビだらけの小僧に、棒で殴られた。


「そんなお偉い錬金術師様が、こんな辺鄙な村に流れてくるかよー、考えろよ、捨て犬!」


パトスは、犬の名が出たことで、ムッとした。


チェコが馬鹿にされているのが、まるで自分を蔑まれているような気がした。


パトスは唸った。


「おっ、このチビ犬が、牙、剥いてるぜ!」


デブの横にいた小柄な餓鬼が、パトスを指さした。

真ん中のデブは、にやりと笑うと、パトスに、自分の指を、ゆっくりと突き出す。


パトスは、馬鹿な餓鬼の考えなど、判っていた。


臭い流れ者の連れている仔犬など、ブチ殺しても構わない。

だが、理由もなく生き物を殺すと、村の教会の牧師や、牧師に告げ口された母親に叱られてしまう。

だから仔犬を構って、噛みついたところで、三人がかりで殴り殺し、噛まれそうになったのだ、と言えばいい。


馬鹿な連中のすることなど、はなから判っていたが…。


臭い男に引き回されて、歯を剥けば蹴っ飛ばされ、しかも、そんな毎日が、永遠に繰り返されるぐらいなら…。


人の子よりも、ずっと長く、仔犬でいなければならないと言うのであれば…。いっそ…。


デブは、パトスを突っつくように、繰り返し、指を出してみせる。


ほら、噛みつけ、とばかりに、精獣たるパトスを犬っころ扱いし、間抜けな顔に残忍な笑みを浮かべて…。


指を、突き出してくる。


良いだろう…。


だが、覚えておけよ…。


パトスは思った。


その指一本だけは、地獄に持って行ってやる。

俺はここで死んでも、お前の人差し指の欠損として、ずっとこの世に、傷跡を残し続けてやる。


唸ったパトスが、デブの指に食らいつこうとした瞬間、金色の影がパトスを包み込んだ。


「止めろよ…、まだ、仔犬じゃないか!」


チェコが、パトスを抱きしめていた。


デブは、水を差されて激高した。


「汚いみなし子は、すっこんでろよ!」


デブは、パトスに指を差しだしながら、左腕には短い棍棒を持っていた。

その棒で、容赦なく、チェコを殴りつけた。


ズンッ。


チェコは、パトスと共に飛ばされていた。

額からは血が流れだしていた。


三人の餓鬼は、血に興奮したのか、残虐な笑みを浮かべて、パトスに迫る。


だが、よろよろと立ち上がったチェコが、再びパトスを抱きしめた。

その体を、容赦なく三人は、殴りつけた。


チェコは、唇を、血が滲むほどに噛み締めていた。

チェコが殴られている振動が、腕の中のパトスに伝わっていた。


パトスは、自分でも思いがけず、チェコの顔を舐めていた。


親が、仔犬を慈しむように…。


それは、大切な存在に対し、自然と体が動き出す行為、という事を、パトスは初めて気づいて、衝撃を受けた。


これが、慈しむ、ということだったのだ!


仔犬たちが舐められているのを見ながら、パトスは羨ましいとは思ったが、ウザそうだな、とも思っていた。

その行為の意味までは、自分で行ってみるまで、パトスは気が付かなかった!


パトスは、一生懸命にチェコを舐め、やがて、腕から身を乗り出して、チェコの額の傷を舌で舐めた。


チェコの味が、パトスの体じゅうに広がっていった。


これは…。


パトスは、初めて気が付いた。


これは、血の盟約、というものだった。


「チェコ。

俺の名は、パスティエル、アシャル、レ、ビィンズ。


今、精獣の神アルドバァンの名において、お前と血の盟約を交わしてやる!」


パトスの額に、青い光が輝きだした。


「さぁ、チェコ、俺のアースを使え!」


突風とともに、青いアースが浮き上がった。


チェコは驚き、パトスを見た。

が、次の瞬間にはニィと笑って。


「俺はチェコ、アルギンバ。

ここにパトスと血の盟約を交わす!


そしてっ!」


チェコは立ち上がり、三人の餓鬼を睨みつけた。


「今、スペルランカーとして、お前たちに決闘を申し込む!」


チェコの頭上に緑色の球体が浮き上がった。


「召喚!

スズメバチ!」


鳥ほどもある、巨大な虫が馬小屋に現れると、三人の餓鬼はひっくり返り、目に涙を浮かべながら、馬小屋の隅に逃げ込んでいく。


「お…、お前!

村長の息子の俺に、スペルなんて使ったら…」


チェコは、口角をニッと吊り上げ、


「心配すんな。

お前ら三人を殺したら、すぐに丘の麓のリルベ川に投げ込んで、馬鹿が水遊びして死んだことにしてやるよ」


ヘヘヘ、とチェコが笑った時、


ドン、と馬小屋の扉が開き、流れ者の臭い男が、飛び込んできた。


三人の餓鬼は、悲鳴を上げながら、馬小屋から逃げ出した。


男は、血相を変えて、チェコとパトスを見ていたが。


男は、しばらく二人を見て、呟いた。


「そうか…、その少年が、契約者となったのか…」


男は、チェコにいくつかのスペルを渡した。

そのうちの一つは、パトスを縛っていた首の紐をほどくスペルだった。


パトスは、チェコの腕に抱かれて思った。


しかし、こいつときたら、パスティエル、アシャル、レ、ビィンズだって、名乗ってやったというのに…。

俺の事を、パトスなんて呼びやがって…。


パトスは笑っていた。


俺は、今日からパトスなんだ…。




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