弟
ブーフは、何をしようとしているんだろう。
チェコは訝っていたが…。
陰狼の手元で髪を切り、落下した直後、陰狼の小指に髪を絡ませ、ひょい、と、横に飛ぶと、また急上昇した。
「扉から、毛むくじゃらの手が、一瞬だけ、覗いたんだ。
それは、絶対に人の手じゃ無いものだった。
獣の手、巨体な、牛のような蹄のある手、だったんだよ。
僕は、それを見て、逃げようとした。
だが、背後から、弟の声がするんだ。
兄ちゃん、俺を見捨てて逃げるのか…、とね。
僕の足は止まっていた。
何故だろうね。
禁足の森の奥深く、そんな場所に囚われた弟を、子供の僕が、どうにか出来る訳じゃあ、無かったのに、ね」
エクメルが叫んだ。
「チェコ。
奴のペースに飲み込まれては、いけないのである。」
チェコは、はっ、として、
「召喚、エルミターレの岩石。
そして、多産の女王!」
叫ぶように宣言したが。
「僕は、振り返った。
振り返ってはいけない、と、自分で思いながら、ね。
見ちゃあいけないんだ。
禁足地で、扉の中に入っているものは、決して見てはいけない、って、僕は知っていた。
だけど…。
僕は、自分の体の動きを、止められなかった。
小さな、木の扉は、ゆっくりと開いていった。
その奥には、暖炉があって、火が燃えていた。
その前に、ポツンと、小さな弟が、裸で後ろ向きに座ってるんだ。
その、背中にね、
肩の、肩甲骨から、反対側の肩甲骨までつながるぐらいの、大きな、紫色の、肉厚で醜悪な唇が、笑っていたんだよ」




