つぎのつぎのつぎ
譲坊ちゃんが無事、高等部に進学なさった。思春期を迎え、反抗期の真っ只中にいた坊ちゃんも受験生になるとそれどころではなくなったのか、だんだんと私をはねのけることが少なくなった。
そして彼が高校に通っていた三年間は、今までで一番私をかまってくださった。彼は難しい年頃とやらを乗り越え、ツンデレを卒業して大人となられたのだ。
彼は朝起きると、私におはようと言う。微笑みさえする。優しい声と優しい顔だった。学校に行く日は玄関まで見送りに来るよう望まれるので、私は勇んでその通りにし、行ってくるよという挨拶をもらう。
帰ってきたときにももちろんお出迎えして、ただいまとおっしゃるから私がおかえりなさいませと返すのだ。あとはひたすら坊ちゃんのあとをくっついて歩くのだが、昔のように「ついてくるな」とは言われない。段差につまずきそうになると、大丈夫? などと心配して戻ってきてくださることだってあった。
なんという充実した日々だろう!
仕事がさくさくと進んでいるかのようだ。実際、坊ちゃんは不安も何もなさそうにいつも穏やかでいらっしゃる。これは私の仕事がきちんとこなされている証拠ではなかろうか。
しかし確認しようにも本人に聞いたところで「心配ごとなんてない、大丈夫」と答えられてしまってよくわからない。しかたがないので忌まわしき執事に訊ねに行きたかったのだが、これがなかなか探しに行けなくて困っている。何しろ四六時中、坊ちゃんがおそばに置いてくださるのだ。そこを離れてまでやるべきことではないと全機能が結論を出している。私の第一優先は坊ちゃんであり、そばにいなければ彼の表情から感情を読み取ることができないからだ。
「イエルは全然外に出ないし、町を歩くこともないのによく話題が尽きないな」
「引きこもりのニートと同じです。ネットは世界を繋ぐのです」
「なるほどね」
高校三年生の冬、すでに大学への推薦合格枠を掴みとって余裕綽々の坊ちゃんが納得したようにうなずいた。
厳重に毛布を巻きつけ一人がけソファに座っている彼の足元で、私はあひる座りをしている。
女の子はこういう座り方をするのがかわいいとこの間テレビでやっていたのだ。それからおしゃれな子は寒さも暑さも関係ないファッションをするものらしい。
気温に左右されないことに関しては私の得意分野なので、私はさっそくパフスリーブのワンピース一枚でうろうろすることにした。白い薄手のワンピースは最強なのだそうだ。
しかしそれに気付いた坊ちゃんが見ているこっちが寒いからと言って、ご自分の使っていた黒いガウンを着せかけてくださった。彼が満足そうにしていらっしゃるので、とても動きにくいが私も満足だ。
「森野谷が別邸の方に招待してくれているんだ。最新型のヒューマノイドロボットを買ったからって、見せたがってる。おまえも来るか?」
「ぜひつれていってくださいませ!」
即答すると、坊っちゃんはおかしそうに小さな笑い声を立てた。
「わかった。じゃあ一緒に行こう」
私の頭を撫でる手の力が、やはり優しい。
しかし坊ちゃんはどうして私を外に出したくなったのだろう。ナニーじゃあるまいし、家庭用ヒューマノイドロボットはそもそも外出するときに連れていくような代物ではない。まあ私は三河の特別製だ。坊ちゃんが小学五年生のときにはひとりで彼のいる学び舎まで歩いていったので、外出などお茶の子さいさいではある。でも今はべつに緊急事態でもないし、私の仕事ははかどっているし、すぐに充電できない場所へほいほいと出歩くのは感心されないだろう。
それでも坊ちゃんが私を連れ歩きたいと言うのなら、しかたがない。
私は数日後、卒業祝いと題したパーティーにお呼ばれした。
学校内でそれなりの人脈を築いた彼らは、それを卒業後も磐石のものとするために盛大なパーティーを催した。会場の提供者、水廉氏主導のこのパーティーにはほぼ一学年集まっていて、なかにはロボットを連れてくる人もいた。
丸くてころころしたロボットが床を駆け回っているのを横目に、私は坊っちゃんのあとをくっついて歩く。立食形式であるので、ほとんどの人はグラスを持って立話をしている。みんなつい先日まで制服を着ていたはずなのに、商談でも始めようかというしっかりとした大人の服装だ。
「やあ、秋道くん。あれ、イエルにドレスを着せてあげなかったの? きみなら彼女を着飾らせてくるものと思っていたのに」
水廉氏と合流すると、彼は的が外れたように肩をすくめた。彼のとなりには私と同じ女性モデルのヒューマノイドロボットが立っていた。栗色の髪が耳の辺りでくるくるしている。ずいぶんと愛嬌のある外見だ。水色のマーメイドドレスが彼女のふんわりとした印象を引き締め、非常に品のあるたたずまいにさせていた。
対して私は執事に与えられたブラックスーツといういでたちだ。あまり女性らしくはないが、丈の長いドレスとヒールで悠々と歩けるほど歩行の性能は高くない。おまけに毛足の長い絨毯の上を歩くのにはバッテリーを食うので、立食パーティーと聞いた執事が坊っちゃんの提案を退けて機能性重視の服を用意してくれたのだ。
坊っちゃんは無表情でうなずき、水廉氏のとなりにいるロボットに目をやった。
「俺もイエルにドレスを着せようとはしたんだが、執事に止められた。だから今日は護衛風味」
「なるほど。でも君の場合はそのほうがいいのかもね」
「だろうな……。俺だって何もわかってないわけじゃない。それで、そっちのロボットが例の最新型か」
一瞬、何か悩みがあるような眉の寄せ方をした坊ちゃんだったが、水廉氏にロボット自慢をされるうちに呆れた表情に変わっていった。おそらく長い自慢話を聞かされる予感でもしていたのだろう。
「うちのタマも三河社製だからね、外見は本当に人間みたいだろう。いまだに君のオリジナル機種は量産型とは一線を画しているけれど、そろそろ一般に出回っているこの子たちもイエルに追い付くと思うよ」
「最初に作ったものだからこそ、手を加える機会も多かったんだ。それにイエルは父が三河を脅して作らせたものだしな、これが失敗作だったりしたらロボット産業に首を突っ込む許可は下りなかったはずだ」
「それは必死にもなるね」
「だろ」
水廉氏のヒューマノイドロボットは少しも頬を動かすことなく、まばたきもなく、私を見つめている。まったく感情が読み取れないのは、おそらくお互い様だろう。しかし、彼女から言葉を発することは決してない。これは性能の違いで、私は誰に話しかけられなくとも自発的に話すことができる。
坊ちゃんはその理由を水廉氏に種明かししていた。
「昔、勝手にしゃべられるとうるさいって、俺が言ったんだよ。それを三河さんが聞いて、売り出し用のモデルは自発的にしゃべらないようになってる。単独購入ならまだしも、二人以上買ったときにロボット同士で延々おしゃべりされても困るだろうしな」
「ええー、僕はイエルみたいな子のほうがいいのになあ。でも、今でも彼女は好きにおしゃべりするだろ? 言葉を止められたりはしなかったんだ?」
「三河さんにとっては思い入れのあるロボットだからだろう。今まで行動を制限するような手を加えたことはなかったはずだ」
「一度も?」
「一度も」
「愛されてるなあ」
水廉氏がしみじみつぶやくと、冷たい風にさらわれた枯れ葉のようにさびしさの滲む笑みを坊ちゃんは浮かべた。言いたいことを飲み込んだようにも見えた。
「よ、おまえら。相変わらず仲いいな」
数人の男性たちが挨拶にやってきたので、坊ちゃんたちはロボットの話を中断した。
かつて坊ちゃんをいじめた少年たちは、今ではすっかり落ち着いたものだ。嫌みのないさわやかな笑みを二人に向けて、グラスを合わせた。どうやら彼らはいつのまにやら和解し、よき友となっているようだった。
彼は私を見るや苦いものを噛んだときの顔をしたが、すぐにそれを苦笑に変えて会釈する。
「思えば小学校の時、秋道のヒューマノイドロボットが怖くて怖くて。しばらく悪夢を見たぜ」
「ああ……実をいうと俺も少し怖かったな」
「秋道もか? だよな、笑顔で追い詰めてくるんだもんよ、自業自得とはいえ小学生相手に容赦ねえよ」
「いや、あれでも容赦してたみたいだ。三河さんの話では……製作者のことだが……あの撃退方法にはいろいろバリエーションがあって、もっとえげつない言葉遣いをするプランBというのがある」
「うげ、なんだそれ」
私はうなずき、坊ちゃんが高校三年になった頃に起きた「プランBを使う機会」を記憶データから漁った。あれは確か新人メイドが坊ちゃんにしなだれかかったのが原因であったはずだ。
もともとハプニングを装って何やら坊ちゃんに近付こうとしていた彼女は、しきりに私を閉め出したがった。けれどもあの頃にはすでに私は可愛がっていただいている最中だったのでうまくはいかなかったのだが、一回だけ運良く彼女の思い通りになりかけたことがあったのである。
仕事を邪魔された私はそれはもう全機能をフル活用して扉を蹴破り(実際は扉の下の方をたしたし蹴っていたら執事が開けてくれた)、坊ちゃんの意を問うた。
「ご命令を!」
私に出ていってほしければ、そう命令すればいい。
その女を引き剥がしてほしければ、そう命令すればいい。
執事はぎょっとしていたが、坊ちゃんはすぐに我に返って叫んだ。とても強い口調で。
「そばに来い!」
答えは後者だった。
こういうときに笑ってみせるのだと、私はもう知っている。
「ではそこの薄汚い下衆にはご退場いただかねばなりませんね。……おい、いつまでそこに突っ立ってるつもりだ? 坊ちゃんは貴様などご所望ではないらしい。さっさと失せろ」
恥ずかしさからか、怒りからか、メイドは顔を真っ赤にしていた。ぱっと坊ちゃんから離れて謝る姿を、しかし私は許容しない。
「あ? まさかそれで謝っているつもりか? おいおい、その手の冗談は宴会で披露してくれ。坊ちゃんの手を煩わせたおまえが、そのすっからかんの頭を下げた程度でなんで許されると思ってんだか意味がわかんねぇ。……ああ、いい、土下座はいらない。踏みにじってもいいならやってもらってかまわんが、詫びの入れ方も知らねえでよくもこんな恥知らずができたもんだ。三河の旦那にてめぇの頭取り換えてもらえるように話つけてきてやるよ、なあグズ」
言い終えて女のところへ歩み寄る私を、なぜか執事が止めた。羽交い締めだった。それから電源まで落とされて、再起動したときにはすでにメイドは解雇されたあとである。
そのときのことを、坊ちゃんは顔色を悪くして説明した。
「……という感じで、何をやらかすかわからなくて強制的に電源を落としたこともあるんだ。物理的に攻撃することはないと聞いていたが、銃くらい取り出してもおかしくないくらいヤクザの物言いだったな」
水廉氏らはそれを聞いて苦笑いもできないようだった。
「じゃあ俺らは敬語だっただけまだ優しかったってわけだ」
元いじめっこたちは頬をひきつらせている。私としても笑い話ではないから、神妙に顎を引いておいた。
「その節は世話になったな、ええと……」
「イエルと申します」
「俺は木附です。あのときは俺のバカを止めてくれてありがとう。おかげで目が覚めた」
律儀に頭を下げてくれる彼に、私も同じく礼を返す。坊ちゃんのご学友に失礼があってはならない。
「いえ。私ごときがお目覚めの一助になれたのでしたら申し上げることは何もございません。どうぞこれからも譲さまのよきご友人でいてくださいませ」
「……一応、まともにしゃべることもできるんだな。秋道の話を聞いてる限りじゃ、相当の変人……いや、個性的なタイプだと」
「お褒めに預かり光栄です!」
「いや、うん……」
木附氏は、たまに坊ちゃんがするような、疲労を感じたときの顔をする。水廉氏と坊ちゃんに肩を叩かれ、彼は脱力感いっぱいに苦笑いした。「こういう奴なんだ」と何かを諦めたみたいに坊ちゃんがささやいたとき、女性の集団が近づいてきた。
どうやら坊ちゃんはとてもモテモテらしい。
しかし、彼は昔ほど可愛い顔には当てはまらない気がするのだ。可愛い顔でなくともちやほやされるものなんだろうか? それとももしや彼は彼女たちにとって最高に格好いい顔をしているのか。残念ながら私には格好いいの基準がわからないのだけれど。
彼女たちはまず私に興味を抱き、口々に「本当にリアルな顔」だの「さっきから見てたけど羽鷺製のほうが動きはなめらかだよね」だのと感想を言い合った。そして自ら持ち込んだ小型ロボットを腕に抱いて、坊ちゃんの意見をうかがい始めた。
「三河社さんと今度コラボレーションするってうちのパパが言ってたの。普通の充電じゃ味気ないから、ロボットに固形物を食べさせてそれでバッテリーを充電させられないかっていうプロジェクトなんですって」
「ああ、俺も聞いた。寒川さんのところは食品サンプルで有名だし、いい宣伝になると思うよ」
「自分が関われないのは悔しいけど、大学を出たら秋道くんとも商談することになるかもね。お互いがんばりましょ」
「こちらこそ。俺もまずは三河さんのところで世話になろうと思ってるから、たぶん実現するだろ」
「そうだとうれしいなあ」
寒川嬢は集まった女性陣の中ではひときわ落ち着いた物腰で、坊ちゃんも話しやすそうだった。きゃあきゃあとおしゃべりの好きな他の子にも人当たり良く返事をしていたが、たいがい言葉が短い。
「そうだ、秋道くん」
ポニーテールの子が、坊ちゃんの腕を引く。
「向こうに華ちゃんがいるの。中学の時に付き合ってるんじゃないかって噂が立ったじゃない? ホントならごめんだけど、違うなら声かけておいたら?」
「なんで?」
「彼女、海外の大学に行くんですって。次の同窓会はずっと先だし、文化祭で一緒に仕事した仲間だもの少しくらい思い出話をしておいたほうがいいかと思って」
「ああ……」
坊ちゃんはなんの感慨もわかない無表情で了解し、彼女の手をほどいて私の腰に腕を添えた。
「じゃあ少し話してくるよ。イエル、行くぞ」
しかし私が返事をする前に、彼女は怪訝そうに声をあげた。
「ちょっと、秋道くん」
「なに」
「ロボットなんて連れていかないでよ。せっかくの思い出話に水を差されちゃうじゃない」
それは私のおしゃべり機能のことを言ってるんだろうか。確かに話しかけられなくとも自発的にしゃべってしまうところは常々とある人物にうるさいと言われるが、さすがに旧友たちの会話に割り込むほどお行儀は悪くないはずだ。だいたい今日は基本的に話しかけられるまで口を開くなとやはりとある人物から厳重な注意が入っている。坊ちゃんと三河の旦那さまの面子を潰すことになるから黙っていろと言われて、私がその注意を無視することはありえない。
坊ちゃんも彼女の言いぐさに反発し、むっと眉を寄せた。
「べつに、イエルはうるさくしないよ」
「そういうんじゃなくてさ。ふたりで話したらってことよ。関係ない人が横にいたんじゃ……しかもそんな本物の人間みたいなのがいたら華ちゃん話しにくくなっちゃうよ。秋道くんは慣れてるから気にならないかもしれないけどさ」
彼女の言い分は確かに正論で、坊ちゃんも寄せた眉を解いたが表情は晴れない。私は会話に水を差すだろうと言われた手前、坊ちゃんに助け舟を出せず困った。ここで口を挟めば彼女の懸念が現実のものとなってしまう。
しかしこの会場には、坊ちゃんを助けてくれるご学友がいる。
水廉氏がにこやかに頬笑み、坊ちゃんの肩に組み付いた。
「そういうことならしかたないなあ。仕事仲間水入らずで話そうってことなら、僕も行かなくちゃ。タマと離れるのは心苦しいけど、木附くんあとよろしく!」
「えっ……ああ、おー、行ってこい。こいつらの面倒は俺が見とく」
「ありがとう。くれぐれもよろしくね。口説かないでね」
「口説くかよっ!」
「そんな力一杯否定しなくても。いくらタマが可愛いからって」
「俺はロボットに興味ねえっつの! ほら、行けよ」
軽口を叩きあって、木附氏がひらひらと手を振る。それに手を振り返して、水廉氏が坊ちゃんを引きずって行った。
残された女性はぱちぱちとまばたきをしてから、私に視線を移す。観察するような眼差しだ。
「あなたって、本当に人間みたいね」
「だよな」
木附氏が横から同意すると、彼女はそちらをちらりと見てから低い声で言った。
「でも、ただの機械だわ」
ぷいっと顔をそむけて他の女性陣たちとどこぞへと去っていくドレスの背中を、しばらく私は見守った。私はその通り機械だが、何か不都合があるのだろうか。
木附氏を見上げれば、彼は困ったように髪を掻きあげていた。せっかくセットされていたオールバックが乱れている。
「ったく、これだから女ってのは」
「どうかなさいましたか?」
「いや。ありゃ牽制だろどう考えても」
「なんのために?」
彼はきょとんとして、私を見下ろす。
「人間の機敏はさすがにわかんねえよなあ。そんなのを相手にムキになったって意味ねえのに、俺ら人間はおまえらを生き物扱いしちまう」
「よく、意味がわかりません」
「秋道のことだよ」
ふと真剣な表情で、彼は続ける。
「おまえは機械だ。人間じゃねえ。生き物でもねえ。なのに秋道がおまえに執着してるのは、いいことじゃねえだろ。そろそろ手放さねえと本気でのめり込むんじゃねえかって俺は心配してんだよ」
「まさしく私は機械ですが。そもそも生き物の定義とはなんでしょう。近頃では何を魂とするか、何を生きているものとするか、論争が起こるというではありませんか。限りなく人間の思考に近いロボットは、もはや人間では?」
「ほんっと……そういう反論の仕方、人間みてぇ」
「あなたが私を人間だと思えば、それはもう人間であることと同義なのではないのですか? 動きも思考も言動も、人間と同じくなるようプログラムされているのですから、わざわざおまえは機械だと言いふらす必要はないと思われますが? まるで飼っている犬に、おまえは犬だと毎日言い聞かせているみたいです」
ロボットだからといって、何かを戒める必要があるのだろうか。食事を与えなくていい、眠らせなくていい。そういう人との違いをわかって、そばに置く。ただそれだけのことなのに、なぜ生き物扱いしてはいけないとか、これは人間じゃないとか、いちいち確認しなくてはならないのだろう。
どっちにしろ、私たちはロボットだ。人間になりたいと思っているわけではないし、人間だということにしてもらっても当然かまわない。そこを神経質に気にするのは、たぶん、人間だけだ。
「あなたたち人間は、人間以外のすべてを恐れているのではないかと私は結論を出しました。私は私が人間であろうと機械であろうとどちらでもかまいませんが、人間の定義も生き物の定義も曖昧なままで私の仕事の邪魔をされるのはあまり気分のいいものではありませんね」
「……おい、それは三河迎撃システムが作動しての言葉なのか? 小学生の頃を思い出すような言い方だな……」
ぶるりと震えながら彼が言うので、私は口を閉じた。特に迎撃したつもりはなかったが、最近の私は語彙も増えて思考回路もクリアなのでぽんぽんと言葉が出るようになっているのだ。
「どちらにせよ私は譲さまの心を守るために存在しているのです。それを阻害するものは私が排除する、それだけです」
「その一途な言葉が、あいつにとっては心地いいのかもしれねえな。ホントの人間に言われたんなら、俺だって胸を撃ち抜かれるかもしれねえが」
「私は胸を撃ち抜くつもりはありませんよ」
「知ってるよ。でもあいつはたぶん撃ち抜かれてる。きっとあとでむなしくなるのさ。おまえが人間じゃないことを突きつけられたときにな」
まったく意味がわからなかったが、最後に彼はこう付け加えた。
「おまえに言ってもしょうがねえんだが、一応知っとけよ。秋道のやつ、ロボット相手に惚れ込んでるってんで一部の連中にナメられてる。今はまだ下火だが、このままおまえを連れ歩くようなら今後の人生さえ左右されるかもしれねえ。悪いことは言わない、せめて屋敷の中だけで飼われていろ。そんであいつが婚約なりなんなりするときは、三河さんのとこに戻れ」
「それは私が決めることではありません。進言することはできますが、すべての決定権は譲さまにあり、最終的な判断を下すのは譲さまのお父君です。申し訳ありません」
「いや、いい。俺もおまえを人間だと思っちまってる証拠だ。人間の勝手に付き合わされちゃ、おまえらもたまったもんじゃねえよなあ」
たまったもんじゃない、というのはやはりよくわからなかったが、彼こそわかって言っているのだろうか。
私が譲さまのもとを離れるときは、廃棄処分されるときだ。
たとえこの身は残ろうと、譲さまの心を守るという命令を与えられたイエルとしての記憶やプログラムは一度初期化されるだろう。そうなれば、私は私であるといえるのだろうか。
テセウスの舟、というパラドックスがある。
一人の人間の、足を換え手を換え胴を換え、顔を換え、心臓を換えて、果たしてそれが元の人間と同一人物であるのかという「同一性」についての思考実験だ。
すべてのものが、まるで別のものと入れ替わったとき、何を基準に元の人間であると証明すればいいのだろう。
人間の身体をあちこち入れ換えることは難しいが、私たちロボットには簡単なことだ。むしろ私のように長期的に使われるものは、すでに手足は三度交換され、心臓ともいえるバッテリーも五度入れ替わっている。記憶データだけが、私を私たりえているのだ。しかしその記憶データさえ、改竄されている可能性を否定できない。何しろ膨大な日々の記憶をすべて記録しておくには体外に保管場所が必要なわけで、それらはメモリーに移されて私の中から取り出されているのだ。好きに閲覧できるとはいえ、外部から取り込むものを私が私である証拠とすることができるのだろうか。
木附氏が、むなしくなる、と言った意味が少しだけ理解できたような気がする。
坊ちゃんのそばにある「イエル」が、今ここにいる私と同じものである保証がどこにもない。坊ちゃんの目に写るものが「イエル」であるのならそれはそれでいいのだろうが、もしもこのパラドックスに彼が気付いてしまったら、そのときこそ彼はむなしくなるのかもしれない。
長くそばにいた存在が、実は途中で全然別のものに置き換わっていたとしたら、彼は何を思うだろう。
気づいてほしくない、と私は考えた。
気づかれる前に離れるべきでは、とも考えた。
早く彼に婚約者が現れるといい。そうすれば、私はお役御免になるだろう。
そして彼の心を守り、支えていくのは、彼と同じ人間であるその人になるのだ。
もしかしたらロボットは、人間にとって必要ないものなのかもしれない。