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つぎのつぎ




 坊ちゃんが私をお認めくださり、邪険には扱わずにいてくれるようになったのもつかの間。中学校へ入学し、二年生に進級なさったあたりからまたもや雲行きが怪しくなった。

 坊ちゃんが私と目を合わせてくださらなくなったのだ。


 これについて彼のご学友、森野谷水廉もりのや すいれん氏はこうおっしゃっている。


「思春期だからしかたないよ」


 まったく意味がわからない。




 今日も今日とて坊ちゃんを起こしに私は行く。彼は勉強のよくできる子どもで、私が教える必要など皆無であった。

 そんな優秀な頭脳を持つ坊ちゃんのため、彼がお屋敷にいるときでも私は口をつぐんでいなければならない。勉強の邪魔になるからだ。しかし朝と昼と夜だけは、ご飯休憩のために彼の学習は中断される。

 そこでここぞとばかりにしゃべる私を、いつも彼はうんうんと簡単な相槌を打ちながら見守っていた。基本的には文字通り見守っているだけなので、たいした返事はない。おまけに目を見つめようとすると、ばっと反らされてそのたいしたことない返事すらさらにそっけなくなる。なぜだ。つらい。


「私は最近、つらいという人間の感情を学びました」

「うん」

「考えていたこととは違う結果になると、たいていつらいと感じるものなのですね。でしたら、坊ちゃんが私と視線を合わせてくださらないこともつらいと言えるのではないかと判断いたしました。まじハンパねーです」

「いきなり飛び出すそのスラングみたいなのはどこで学んでくるんだよ、崩れすぎだろ」

「これは最初から組み込まれている言語です。三河迎撃システム容赦削ぎ落としバージョンプランAで使用する手筈となっております。これを受けたらひとたまりもないのです! ケツの穴に手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやるのです!」

「……どこから突っ込んでいいのかわからない」

「何をおっしゃいますか! 坊っちゃんが直々に突っ込む必要はございませんよ。手が汚れてしまいます、何しろ相手はケツの穴ですので」

「……うん。そうだね……」


 坊ちゃんは食卓に用意されたクロワッサンを皿に置いて、疲れたように猫背になる。


「じゃ、おれもう行くから」

「まだ少し時間に余裕がありますが……」

「うるさいな、いいんだよ」


 まるで小学五年生だったあの頃に戻ったみたいで、私は非常につらたんでございます。


 これも森野谷水廉氏いわく、


「返事があるだけマシ」である。


 つまり反抗期というものらしい。しかし執事にはちゃんと答えるどころか敬語まで使い始めたので、私はその不公平を理解できずに日がな一日検索をかけまくった。それでも結論が出なかったため、とりあえず執事は嫌いだ。



 そんなある日のこと。坊ちゃんを尋ねていらした可憐な少女がいた。森野谷水廉氏もご同行なさっているところを見るに、学校で何やら催しものがあるようだ。三人は朝早く集まるなり空き部屋にこもって出てこなくなった。


 仕方がないので扉の横で待機していると、やがてやわらかな茶色の髪をした少年がひとりで出てきた。撫で肩で華奢な体躯をしているが身長は高い。ふと私に気付いて、彼がめがねの奥からこちらを見つめる。色素の薄い人のようだ。産毛が透明に光って見えた。


「ああ、秋道くんのヒューマノイドか……。やあ、こんにちは。ここで何をしているの?」


 少年、森野谷水廉氏がにこやかに話しかけてくる。坊ちゃんとはえらい違いである。水廉氏には反抗期がないのだろうか。うらやましい。


「こんにちは。私は坊ちゃんに待機を命じられましたのでここでお待ち申し上げております。早く出てくるように呪いをかけようか少し迷っているのですが、水廉氏はどう思われますか」

「……すごいことを言うなあ。語彙が豊富だとそういう人間味の強い会話ができるのかな? うちのも、おしゃべり機能の充実した子だったらよかったのに」


 彼はほがらかに笑い、私のとなりに立ち位置を移動した。


「きみってとても面白いし、僕もここでしばらく待機しようかなあ」

「作業の進捗率はいかがですか。うまくいっていないのでしょうか」

「いや、台本の読み合わせだからね。気恥ずかしいことを除けばたいしたことはないんだけど」


 僕らの記憶力は悪くないしね、と付け加えたあと、彼は私にも聞こえるような溜め息をついた。


「でも、カップルの間に挟まって練習するのってけっこう緊張するんだ。気を使わなきゃならないほど、秋道くんたちもあからさまじゃないけどさ」

「カップルとは?」

「あれ、知らないかな。秋道くんと今一緒にいる女の子、彼と付き合っているんだと思うよ。確かめたことはないけど絶対そう。ええと、彼氏彼女の関係ってやつ。恋人って言ったほうがいい?」

「なんと! それは存じ上げませんでした。赤飯を炊かなくてはなりませんね!」

「うわ、それはやめたほうが」

「なぜです」


 めでたいときには赤飯。三河の旦那さまはそう言っている。もちろん私に料理機能はないので、大嫌いな執事に頼みに行かなくてはいけないのだが。


「秋道くんってクールだから……あんまり騒ぎ立てると怒られちゃうよ」

「騒ぎ立てるのではなくお祝いです。善は急げと三河の旦那さまは申しておりますし、さっそく行ってまいります!」

「えっ、ちょっと!?」


 水廉氏は坊ちゃんに愛する恋人ができたことがどれほど重大なことかおわかりでない。

 恋人……それはやがて将来を誓い合い、お互いにお互いを支え合う大切な存在になっていくもの。いるかいないかで人生が大きく変わる、変革の瞬間なのです!



 しかし、トイレから出てきた執事を取っ捕まえたところ、おおむね彼も水廉氏と同意見のようだった。解せぬ。


「何を騒ぎ立てているかと思えば……。あなたも相変わらず余計なことしかしないな」

「心外であります。坊ちゃんの十代に華を添える大事な出来事ではないですか」

「まったく……無駄に人間じみてきたものだ。この間アップグレードされて少しはマシになったかと思ったが、言葉が流暢になっただけか。いいかロボット、十代の恋人といったらそこまでたいしたものではないんだ。こういうのはそっとしておくに限る」

「だからなぜだ!」

「今、坊ちゃんは難しい年頃だからだ。あまりかまうとかわいそうだろう」


 むむむ、と思考をめぐらせ、私は言ってみる価値のあることがひとつだけあったと結論を出した。今にももう一回トイレに入っていってしまいそうな執事の袖口をむんずと掴み、強い口調で言った。


「ならばなぜ私にはつっけんどんなタメ口をお利きになるのに、あなたには敬語なのか。反抗期とやらなら、私たちは公平に無視されるべきではありませんか!」

「それはあれか、ロボットにも敬意を払えと言いたいのか?」


 ぎろりと音がしそうなほどきつく睨まれたので、私も同じようにする。目蓋を半分おろして、上目遣い。三白眼はこうしてつくられるのだ。


「そういうことではありません! 私はつらたんなのでございます! ここ最近の坊ちゃんは私と目も合わせてくださらないというのに、なぜ執事クソヤロウだけが丁寧な言葉をかけていただけるのか心底疑問なのです!」

「……おまえがただの女なら今頃屋敷の外へ放り投げているところだぞ」

「なんということをおっしゃる……あなたは女性の敵だ! 悪魔だ! 三河の旦那さまにもっと優しくしてさしあげろこのうんこ野郎!」

「この言葉選びはあの人の差し金か……っ!」


 ぎりぎりと執事がこぶしを握るので、私は回避運動の準備をした。残念ながら私には戦闘能力がない。あるのは言葉を使った三河迎撃システムのみだ。


「ときにおまえ、坊ちゃんにもそういう下品な口をきいているのではないだろうな?」


 自力で怒りを抑え込んだのか、こぶしは無事におろされたがいつの間にか私を「あなた」と呼んでいた口が「おまえ」と言うようになっている。


「先程のような言葉選びは執事に対してのみ発動するようプログラムされております。当たり前だろ? 何言ってんだあなたは」

「くっ……この苛立ち……覚えがある」


 私にがっちりと掴まれていた袖口をいきおいよく払い、執事はよろめいた。


「まあいい。坊ちゃんはもう大人になりかけていらっしゃる。反抗期といえども、反抗していい相手とそうでない相手をきちんと見極めているんだ」

「では私は反抗していい相手だと?」

「ロボットだからな。そのためにいるんだろう、おまえは」


 私は譲坊ちゃんのために作られたヒューマノイドロボット。彼が私に反抗することで安寧の日々が訪れるというのなら、私はそれを受け入れる必要がある。人間のようにつらいと感じる器官がないのだから、どのように罵られても、どのように無視されても、どのように殴られても、痛くも痒くもないのだ。


「そうか……ならば坊ちゃんには私を使ってもっとストレス発散していただくべきですね! そうです、私は機械ですから。人間相手にできないことでも、私相手にならしてもいいのです。そのために、私はここにいるのです。なるほど、あなたもなかなか頭が良いではないですか」

「……おい」

「どうされました」


 執事が、坊ちゃんがよくするばつの悪そうな顔をしていた。


「いや、前言撤回する。今のは少し言い過ぎ、」

「玉森!」


 執事の言葉をさえぎる声が、彼の肩越しに聞こえた。

 坊ちゃんの声だ!

 執事が邪魔だったので突き飛ばそうとしたが、颯爽ときびすを返されてしまってうまくいかなかった。


「なにやってるんですか、玉森」


 坊ちゃんが足早にやってきて、少し強い眼差しを執事に向けている。執事のほうは完璧に繕われた無表情で迎え、ご用聞きをした。


「いえ、何も。それより坊ちゃん、何かご用事がおありで? お茶のご用意をいたしますか?」

「お茶は大丈夫。南さんが帰るから、車を用意してください。家まで送ってあげてほしい」

「かしこまりました。すぐに手配を」

「うん、頼みます。……イエル、おまえは待機って言っただろ」


 イエルは、坊ちゃんがつけてくださった私の呼び名。心を守る、心を癒す、この言葉から最初はマモルとイエルで迷っていたようだが、イエルのほうがあまり聞かない名だということで後者に決定した。今後坊ちゃんが呼ぶ他人の名前は周囲にとって気にするべき相手になりうるから、マモル、マモルと呼んでいるとマモルという名の赤の他人がとばっちりを食う可能性がある。そういう配慮がされたのだ。


 私は持ち場を離れたことを謝罪してから、坊ちゃんに歩み寄る。


「申し訳ありません。ですが火急の用事がございましたので」

「なんの用」

「実は坊ちゃんに恋人ができたとお聞きいたしましたので、そのお祝いをすべく執事にご相談を……」

「は?」


 坊ちゃんは道端に落ちているうんこを見るような目で、私を睨んだ。そ、そんなにまでお祝いされるのが嫌なのだろうか。さすが水廉氏、ご学友の性格をよくわかっていらっしゃる。悔しいが執事も。


「またバカなことを」


 坊ちゃんに舌打ちまでされてしまった。これは相当苛立っているのだろう。私は急いでもう一度謝ろうとしたのだが、坊ちゃんは気まずそうに後ろ髪を掻き乱してこう言った。


「情報源は水廉だろ。いい加減に相槌打ってたらいつの間にか勘違いされてたんだ。だからおまえが聞いたのはデマ情報」


 なんとびっくり。森野谷水廉氏の情報はデマであった。執事の様子をうかがうと、こちらも舌打ちしたそうな顔で私を睨んでくる。さっきもやったように睨み返そうとして、珍しく何ヵ月かぶりに坊ちゃんが私の手首を掴んだのでやめておいてやった。


「あいつのデマ情報なんか信じてないで、行くぞ」

「はい坊ちゃん」

「だいたいおれはなんにも言ってなかっただろうが……」


 どうやら私が水廉氏の言葉を真に受けたのが気に入らないようだ。迂闊であった。例え坊ちゃんの大切なご学友といえど、坊ちゃんと同列に扱うことがあってはならなかった。

 何しろ私は譲坊ちゃんのためだけに作られたおしゃべりヒューマノイドロボット。最優先にすべきは坊ちゃんだ。


「私としたことがとんだおバカでした。面目次第もございません」

「勘違いするな、怒ってるわけじゃない」


 もそりと答えて、坊ちゃんはやはり私を見ない。絶対怒っているだろうと検索結果は言うのだが、それを指摘してもきっとさらに怒らせるだけだろう。

 私の手首を引っ張る坊ちゃんの手に、空いたほうの手を使って触れる。人間は、お互いに触れ合って慰め合うという。撫でる行為がいかに心を癒すか、私は稼働したときから学習済みだ。


「私、今度からは坊ちゃんのくださる言葉を第一に信じます。誓います」

「え」


 坊ちゃんがちょっと振り向いたので、すかさず笑ってみせる。坊ちゃん専用の笑顔である。


「ですから坊ちゃん、もっと言葉をください。私にあなたのことを教えてください。そうしたら私は、もっともっとあなたのお役に立ちます」


 思春期だの反抗期だのと言われていたが、私にとっては彼がいくつになっても大切な譲さまであることに変わりがない。話しかけてもらえなければ存在意義がないし、返事をもらえなければ職務怠慢。放置されれば廃棄処分だ。私は私がどうなろうと人間のように痛がったりはしないが、坊ちゃんの心を守れないことだけが唯一の痛みになる。内部から熱が生まれて、じわじわと焦げていく。そして次第に錆び付いて、動かなくなるのだ。それが私の死というものだろう。


 坊ちゃんは、重ねられた手に、自らも手を添えた。はじめてのことだった。

 いつかの日のように、涙の膜の厚い濡れた瞳が私を見る。その深海に、やはりダイオウグソクムシは現れなかった。


「べつに役に立たなくてもいい」


 がーん!

 この効果音はきっとこういうときに使うものだろう。私はまたひとつ賢くなった。




 後日、坊ちゃんが私を邪険にしていることを耳にした旦那さまが、こんな質問をなさった。


「さすがにそろそろ飽きてきたか? どうやら恋人もできたようだし、相手の子が誤解しないようにイエルを三河に返すよう手配してもかまわんが」


 これには坊ちゃんも慌てていた。


「いえ! そんなことはありません。イエルがよくしゃべってくれるので暇をすることがありませんし、屋敷はいつも彼女のおかげで賑やかです」


 しかし、と気遣いをみせる旦那さまに、坊ちゃんは終始首を横に振り続けた。


「僕に恋人なんていません。勘違いした誰かが噂を流しているだけでしょう。イエルのことは、最近、学祭の準備が忙しくてかまっている余裕がなかっただけで、べつに鬱陶しく思っているわけではないですから」

「そうか? ならいいんだが。おまえもよくよくイエルを気に入ったとみえる。よかったよかった、三河を脅したのは無駄ではなかった、うん」


 脅されて作られたのか、私は。

 坊ちゃんは難しい顔で「気に入ったわけではないのですが」とゴニョゴニョ言っていたが、旦那さまはあまりちゃんと聞いておられなかった。私にも、坊ちゃんの態度は照れ隠しにしか見えなかったからだろう。

 それにしてもよかった、私はお邪魔ではないようだった。まだ坊ちゃんのためにおしゃべりをしていてもいいらしい。本当によかった。



 私は譲坊ちゃんの心を守るヒューマノイドロボット。彼を守れなくなった私は、きっと焼け焦げて錆び付いて、やがて死んでいくのだ。




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