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つぎ



 翌日、私はデータベースにアクセスしてマップを開いた。屋敷で仕事がはかどらないのならば、坊ちゃんの小学校へとついていくしか方法がない。彼の憂いを払うためなら私はなんだってできる。……与えられたスペックの範囲内で。


 しかし、車で通う彼に追い付くのは至難のわざだ。何せこちらは徒歩である。小学校につく頃にはすでに半日近く経ってしまっていた。まずい、もう放課後だろうか。

 そろそろバッテリーも残り少なく、最低でも坊ちゃんと合流しなければ私の明日はない。物理的に。


「すみません、おたずねしたいことがあるのですが」


 昇降口付近には授業を終えた生徒たちがわらわらと集まっている。校門に停められた自家用車から迎えが来るのを待っているのだ。その中の誰かならば譲坊ちゃんの居場所を知っていると思ったのだが、周りがざわついただけで答えが返ってこない。

 なぜだろう、と思考を始めようとしたとき、吹き抜けになっている階上から螺旋階段を駆け降りてくる大人がいた。それは女で、ひっつめ髪をして、唇に真っ赤なリップを塗った人物だった。私を警戒する彼女のきつい眼差しに、すぐに気が付く。


「許可証のない方の立ち入りはご遠慮ください! 正規の手順を踏んでもらわなくては困ります、せめてアポイントメントを取るべきではありませんか」


 どうやら学校に勝手に入るのはよくないことのようだ。許可証といったか、私はそれを持ち合わせていないし、今日ここを訪ねる約束もしていない。

 しかし、今から屋敷に帰ろうとすれば、必ずどこかでバッテリー切れを起こすだろう。女性に拘束されているうちに力尽きる可能性も高い。

 私は仕事をするためにここへ来たのだ。坊ちゃんに連れ帰ってもらうために、半日もの時間を歩行に使ったわけではない。


 女性が私と同じ一階にたどりつく前に、きびすを返した。


「あっ、待ちなさい!」

「やっべ、なぜ追いかけてくるのか興味あるぜ!」


 待てと言われて待つ泥棒はいないと私の辞書には書いてある。残念だったな、警備兵よ。



 しばらく走っていると、校舎の影に入った。紫のタイルを貼り付けた四階建ての学舎を見上げ、この中のどこかに譲坊ちゃんがいるのだろうかと考えたとき、なんとタイミングのいいことに彼の声が壁の向こうから聞こえてきた。さすが坊ちゃんのために作られたヒューマノイドロボットである。主に引き寄せられたようだ。


「なあ、森野谷っておまえんちの会社の傘下だったよな」

「……知らない」


 私は壁伝いに歩き、風通しのために開けられた窓を発見する。覗き込むと、階段下でたむろする人影が四つほど視界に入った。あのなかで一番小さいのがおそらく譲坊ちゃんだろう。他の人影は腰に手を当ててだらしなく立っているか、短いつんつんの髪をいじっているかしていて、落ち着きがない。

 坊ちゃんは体格のいい三人に囲まれ、うつむいてはいるものの手遊びなどはしていなかった。


「はあ? 知らねえってこたねえだろ。おれは誰がどこの会社の奴かだいたい知ってるぜ。ちゃんと父さんが教えてくれるんだ、おまえは跡取り息子だから誰の上に立つ人間なのかしっかり覚えておきなさいってな」

「おれは知らないったら」


 得意そうにしゃべっていた少年が、かたくなに知らぬ存ぜぬと意見を変えない坊ちゃんを睨んだ。


「おまえが知らなくてもおれは知ってんだよ。いいか、森野谷って授業中何度も先生に質問してんだろ? そのくせ当てられても答えられない。ああいう頭の悪い奴を見てるとおれはイライラすんだよ」

「だ、だからなんなんだよ。おれにどうしろっていうの?」

「おまえから父さんに言ってさ、森野谷の父さんを辞めさせちまえよ」

「は?」


 少年はぐいぐいと肘で坊ちゃんを押す。


「父さんの仕事がなくなったら、さすがに別の学校に行くしかなくなるだろ? お金なくてさ。この学校、金持ちしか通えないってみんな言ってるじゃんか」

「そんなことできるわけないだろ!」

「ああ? できねえっての? おまえ、自分の父さんが怖いのかよ」

「そうじゃなくて」


 坊ちゃんが困ったように視線をさまよわせる。蹴っていたサッカーボールが急にどこかに消えてしまったみたいな顔をしている。


「会社のことにおれなんかが口出しできるわけない」

「だから、それが、ビビってるってことだろ」

「ちがう!」

「ちがくない!」

「第一、言えたところでお父さまがその通りにしてくれるはずないよ」

「ビビって言えないだけだろ! 言ってこいよ、じゃねえとまた教科書にラクガキしてやるからな。先生に見つかってクラスのみんなの前で怒られちまえよ、バーカ!」

「なんで、なんでそういうことするんだよ。この前だってテストの答え見せてやったろ。もうやめてよ、おれいやだよ、こういうの」


 おまえが決めることじゃねえよ、と吐き捨てて、少年が坊ちゃんの胸を叩いた。ワンポイントのついた黒のポロシャツを着ていた坊ちゃんが、階段の影のほうへよろめいて景色と同化してしまう。

 闇の中へ消えた彼に、少年たちが畳み掛けた。


「なあ、ユズル。おれら友達じゃん。そう思ってんのっておれだけ?」

「つーかさ、ビビる必要ないでしょ。ユズルんちの会社ってデカイんだもん。先生に怒られたって成績は下げられないよ、平気だって」

「そうそう。天下の秋道家じゃん。ちょっとカンニングがバレたって問題ない。今度はさ、屋上の鍵壊して上にあがってみようぜ。おまえがいりゃ、先生だって親呼んだりできねえだろ、絶対大丈夫だって!」


 友達じゃん。友達だろ。友達ならできるよな。友達ならやってくれるよな。

 そう言って、暗がりにいる譲坊ちゃんを、少年たちが追い詰めていく。ここからでは坊ちゃんの顔が見えなくて、私は彼の感情を読み取ることができない。でも確かなことは、少年たちが意地悪な顔と意地悪な声で坊ちゃんに話しかけているということ。


 私は譲坊ちゃんを守るために戦うヒューマノイドロボット。自走機能付きおしゃべり人形以上のスペックはないが、男は負けるとわかっていても戦わねばならないときがあると私の辞書には書いてある。ただ、私はおよそ二十代半ばの女性モデルなのだが、そこのところはあとで製作者に問い合わせるべきかもしれない。


 窓枠に手を掛け、今にも警告音が鳴りそうな心もとないバッテリーを消費して自分の身体を持ち上げ……いや、持ち上げられなかった。華麗なるヒーローの登場が待ち望まれる展開なのに、どうしたことか。ちくしょう、身体が重すぎる。


「あれっ、なぜだ、えいっ、とうっ、やあっ」


 少年のうちの一人がこちらを振り向き、ぎょっと目を見開く。


「えっなにあれ……お、おいみんな、あれ先生かも……」


 私を先生と勘違いした少年が、仲間の肩を叩いた。しかし私は坊ちゃん以外の人間の心を守るようには設定されていないので、そのことについて訂正する手間は省くことにする。最優先すべきは坊ちゃんだ。


 譲坊ちゃんは階段の影でしりもちをついていた。私を見てやはり驚いたように目を真ん丸にしている。濡れた黒い瞳の中で瞳孔が開く。


「なんでおまえがここに……」


 まるで理由がわからないと言いたげに彼がつぶやくのだが、私にはなぜそんな問いかけをされるのかわからない。

 なぜなら私の仕事はひとつだけだからだ。


「あなたの心を守るために来ました」


 坊ちゃんが、ぐっと小さな手を握るのが見えた。


「あんた、ユズルの知り合いなのかよ……?」


 大人の登場で少年たちはすっかり萎縮していた。このクソガキどもが坊ちゃんにしりもちをつかせ、強く拳を握らせている。なんということだろう、小学五年生にしてすでに他者を傷付ける術を覚えているとは。まさか天性のものか。

 彼の心を脅かす悪いウイルスは、すみやかに排除されなければならない。三河の迎撃システム、容赦削ぎ落としバージョンプランCでいざ殲滅だ。


 私は窓枠を越えようとするのをやめて、にこりと微笑んでみせた。以後この表情で固定しておくこととする。


「みなさまにはご紹介が遅れまして大変失礼いたしました。私は譲さまを主とする三河社製ハイエンド機種、自律思考搭載の自走機能付きヒューマノイドロボット女性モデル。オリジナル機種のため型番は現在のところ設定されておりません。ご了承くださいませ」

「え、え? ロボット? これが?」

「はい。私の外見はほぼ人間と変わりませんので他社製のものと比べても最高峰です。スペックに関しては自由思考による会話に限定されますので家事手伝いや書類整理などはできない仕様です」

「あ、家庭用ヒューマノイドか。でも、何しに学校まで……」


 少年たちの意地の悪い眼差しが、譲坊ちゃんに注がれる。坊ちゃんは顔を背けて唇を噛み締めていた。


「まさかいつも子守りロボットと一緒に登下校してんの? つーかむしろ、学校で待機させてるとか? ……だっせ! おまえってもしかしてママ離れもできてねえんじゃ、」

「お黙りあそばせ!」


 廊下の曲がり角まで届く大音量で、制止を求める。すると、いきなり誰かに突き飛ばされたみたいに面食らった様子で少年はしゃべるのをやめた。


「私は護衛も子守りもできません。できることは前方へ進むこと、手で物を掴むこと、それからおしゃべりをすること。私の仕事はこれらを駆使して譲さまに平穏と安寧を日々供給し続けることです。それを阻害し、あまつさえ私の主を貶める発言をなさるとあっては譲さまのご学友といえど、見過ごすわけにはまいりません」


 みなさまは譲さまのご学友をおやめになったらよろしいでしょう、と私は慇懃無礼に言った。


「譲さまの何がお気に召されないのか存じませんが、態度を改めていただけないというのであれば即刻譲さまとご縁を切ってくださいませ」

「なっ、なんでロボットにそんなこと言われなきゃなんねえんだよ!?」


 顔を真っ赤にして私に掴みかかろうとする少年を、別の少年がしがみついて押さえる。その少年は私というイレギュラーに対して怯えているようだった。だが力には訴えない代わりに、彼の口はよく回る。


「機械のくせに大人みたいなこと言いやがって……。だいたい、ロボットなんか学校に連れてきちゃだめだろ! 先生に言いつけてやるからな」


 譲坊ちゃんが青ざめて、私を見つめた。彼の目は、まばたきを忘れて私に何かを訴えていた。どうやら彼らにとっての先生は、とても大きな存在らしい。ならば、と私は考えた。


「そうですね。先生という方においでいただきましょう。友情を盾にして悪事を強要するその魂胆、私の目を通して録画されておりますので今すぐにでも責任者にご覧いただくのが手っ取り早いと私も考えます」

「えっ」


 自分で提案したくせに、少年はみるみるうちに顔色をなくした。


「どうなさったのです? あなたのお望み通り先生にお言いつけなさったらよろしいではありませんか。真実を真実のままお伝えする術が、なんと幸運なことに今ここにあるのですから何もご心配召されずともよろしいのですよ」


 目の辺りを指差して言うと、終始無言だった三人目の少年が何も言わずに廊下を駆け出した。それを、あっという顔で見送った二人の少年たちが、お互いに顔を見合わせてから私を見上げてくる。

 譲坊ちゃんと違ってなんにもかわいいところなどないが、先生を呼びにいってもらうのだからご機嫌はとっておくべきだろう。

 頬の皮膚に電気信号を送り、より一層にこりと笑う形を作らせたら、少年たちが「あ、あの、やっぱりいいです」と震えた声で言ってきた。


「何が、やっぱりいいです、なのですか?」

「せ、先生に、言うのが……」


 おそるおそるといったふうに付け加えられて、はて、と首をかしげる。


「なぜです? 先生に知られてはいけないようなことをなさった自覚でもおありになるのでしょうか」

「う、えっと、あの、あの、ご、ごめんなさい」

「突然の謝罪の理由をお聞かせくださいませ。思考が追いつきません」

「ゆ、ユズル……ごめん、ごめんって! もう意地悪しないから、だからこのロボットに言うこと聞かせてくれよ……!」


 泣きそうな声で少年が譲坊ちゃんに言葉を投げ掛けるので、私はその間に割り込む。また無理矢理、坊ちゃんを利用されては困るからだ。


「それは譲坊ちゃんへのお願い事でしょうか? 僭越ながら私が代わりに遂行いたしますが」

「も、もういいよ! そいつら反省してるからっ、先生にも言わなくていい!」


 しかし坊ちゃんに止められてしまっては、私はそれに逆らうことはできない。仕方なく少年たちから視線を外すと、彼らはあっという間に逃げ出した。まるで私の前から消えれば助かると思っているみたいだ。記憶データに残っているのだからいつだって探しに行けるのに、どうも思考力に欠ける人たちである。ああ、もともと子どもは知能の低い生き物だったか。


「……なんで、余計なことすんだよ」


 少年たちが去ったあと、坊ちゃんが言った。嗚咽の合間に絞り出したような苦痛の声だった。私の中でアラームが鳴り響く。


「私は、あなたの心を守るのが仕事です」

「っ、余計なお世話だって言ってんだろ! なんなんだよ、こんな、学校にまでついてきて……まるでナニーだ。うざったいんだよ、おまえ!」


 泣く寸前の震え声を無理矢理吐き出した彼のその心は、とてもじゃないが癒されているようには見えなかった。


「では、私こそがあなたの心を脅かすものなのですか……?」


 坊ちゃんは唇を噛んだまま、答えない。

 そうか。私の能力ではこの方のお役に立てないのか。それはまずい、即刻対処しなくては。


「坊ちゃんの憂いの原因が私にあるのならば、旦那さまに急ぎご報告ください。別の機種と取り換える手筈となっておりますから! 大丈夫! 次はうまくいくって!」


 坊ちゃんが、するどく私を睨みあげた。普段よりも涙の膜が厚い。うるんだ黒の瞳は、深海のようだった。しかしダイオウグソクムシは見つからない。不思議だ。


「ふざけんな! いいのかよおまえはそれで!」

「あなたの心が守られるのならかまいません。私はそのためにいるので」


 ゆら、ゆら、と坊ちゃんの瞳が揺れ動く。怒りのような表情が崩れて、覇気をなくしてしまった。


「もしそうなったらおまえはどうなるの」


 ふてくされた口調を、分析しきれない。坊ちゃんの感情も表情も声も多彩で、私の中のデータは溢れそうになる。


「私は譲さまのために生み出されたので、廃棄処分されることになるでしょう。ご愁傷様です!」


 坊ちゃんが、唇を噛んだ。怒鳴りたいような顔をしたが、細められた目は、目だけは、泣きそうだった。


「……おまえって、ほんと、すごく重たいおもちゃだな」

「そうですね。総重量は成人男性よりも重く、女性モデルとして恥ずかしい限りです。ダイエットは明日からします」

「いいよ」


 ゆっくり歩いて窓辺に近づいてきた坊ちゃんが、ぐしゅと鼻をすすってから言った。


「もういいや、おまえの好きにしなよ。ダイエットしたいんならすればいいし、しなくてもいいし……おれと一緒にいたいんなら、いればいい。べつにいてほしいとかじゃないけど」


 ぷいっと顔をそむけるので、私はそれを追いかけた。不機嫌な顔だ。唇を尖らせているし、丸い頬も少し膨らませているようだった。

 けれどもお許しは出たのだ。この記憶データには保護をかけて永久保存しておかなくては。


 私は窓枠の内側に腕を伸ばして、坊ちゃんの手を掴んだ。坊ちゃんがびくっとして私を睨む。

 なぜだ。私の皮膚はつるつるのシリコンよりは人肌に近く、触り心地は悪くないはずだが……。もしや表面温度が低かっただろうか。だったら早いところ屋敷へお帰りいただかねば風邪を引かせてしまうかもしれない。これは急務だ。


「ではご一緒にお屋敷へ帰りましょう。私もそろそろバッテリーが切れそうなので、実はこのままじゃマジやべぇのです!」

「は? バッテリー?」


 ピーという無機質な音が頭の天辺から響く。坊ちゃんの手を握っていた指への電気信号が途絶え、腕が窓枠にぶつかった。


「あっ、おい、そっちに倒れていくな」


 バランスがとれなくなっていく私の頭を、坊ちゃんが飛び上がって捕まえてくださった。髪の毛を掴んでいるようだ。よかった、警備兵のようにひっつめ髪にしていなくて。


 しかし坊ちゃんの背が小さいばかりに私の顔が窓枠に打ち付けられた。ごりごりめり込んでいる。


「うわ、すごい音した……おまえって本当にロボットなんだなあ。痛覚とかあるの?」


 今さらしみじみと言われても、鼻が潰れていくことに変わりはない。次第に笑い始めた坊ちゃんを、私はどうすることもできずにごりごりされたままだった。いつか三河迎撃システム甘々お仕置バージョンでしつける必要があるかもしれない。いや、笑っている顔が百万人の表情データの中でもっとも幼いからやめておこう。こういうのを人間はきっとかわいいと形容するのだ。



 ちなみにこの譲坊ちゃんいじめ事件は、主犯の少年がたいそうビビりなさって先生各位に告げ口をしなかったので、私が再起動の憂き目に遭っただけで終息した。ロボットも脱走するのかと旦那さまが不思議そうに私を見ていた。

 べつに私は脱走したわけではない。




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