さいしょ
私はたったひとりの少年のために作られたヒューマノイドロボット。見た目をより人間に近付けた代償にスペックはさほど高く設定できなかったようだが、私がやるべき仕事はひとつきりだから問題はない。
「えっ、これがロボット?」
私を紹介された少年は、大きな目をぱちぱちとまたたかせて不思議そうにしていた。いっそ不審そうでもあり、彼の父親であるところの旦那様は悪戯が成功したみたいに満面の笑みを浮かべている。
「驚いたろう。三河がロボット業界に首を突っ込みたがって鬱陶しいからちょっとやらせてみたんだ。そうしたら思いの外うまくやったらしい、外見の完成度はとても高い」
旦那さまが振り向き、私に自己紹介をするように言った。
「さあ、挨拶をしてみてくれるかな」
「はい旦那さま!」
音量の調整を間違って、私の返事はリビングの扉を突き抜けた廊下の先まで響いた。ちょうどそこを歩いていた大柄な人間がぴたりと足を止めている。サーモグラフィで一目瞭然だ。
すぐ声量を落とし、目を真ん丸にしている旦那さまと少年に改めてご挨拶をする。
「失礼いたしました。私は家庭用ヒューマノイドロボット、ナイスバディな女性モデル。年齢はぴっちぴちの二十五歳! 頭脳は三河の旦那さまを元に、声は三河のかわいいかわいいお嬢様を元に設計されています! どうぞよしなに」
……沈黙。
旦那さまと少年が顔を見合わせ、やがて少年のほうがもそりと訊ねた。
「家庭用のものは、みなこういうふうに話すのですか……?」
額に手を当てて肩を落とす旦那さまを、少年がいぶかしげに見つめている。
「いや……これは三河のバカがバカだったからだろう……。しかし、まあ、屋敷が賑やかになっていいかもしれないな。少しでも母のいない穴を埋められればいいと思っているよ、私は」
「コレで、ですか」
「……多少個性的だが、うまくやってくれ」
そんな無茶な、と言いたげに少年が唇を開く。しかし旦那さまは誤魔化すように、わっはっは、と笑って彼の肩を叩くだけだ。
「しばらくそばにおいてみて、それでも嫌なら言いなさい。暮らしの邪魔になっては元も子もない。三河にはロボット開発の許可を出しておいたから、数年もすれば中身のスペックも外見に追いつくだろう。では私は会食へ行ってくる」
少年は引き止めたそうに旦那さまを見送り、やがて私と二人になると懐疑的な視線を向けてきた。旦那さまがいたときとは全然違う表情をしている。
「おまえ、名前とかあるの。森野谷は最新モデルを持ってるって言ってたけど、おまえの型番は?」
吐き捨てるように問われ、私はこの少年に警戒されていることを察した。私の中には何千何万という人間の目、眉、頬、口、鼻の動きが記録されている。声の高さ、速さ、強さもそうだ。これによって相手の感情を読み取り、私は思考をめぐらせる。
強い口調には明るく柔らかな言葉を!
難解な感情に出会ったときには笑顔を!
三河の旦那さまはそういうふうに私をプログラムしている。
「私はオリジナル機種のため型番も通称も設定されておりません! 残念!」
にこっと頬をあげてみせると、少年は大量の宿題を出された学生のように脱力した。
「このうるさいのが四六時中そばにいるわけ? かんべんしてよ……」
「なぜですか? なぜですか? 参考までに教えてください。顔がお気に召さないのであれば頭部を交換いたしますが!」
「うわ、いい、いい、めんどくさいから何もしなくていい! とりあえず静かにしてろよおまえ、おれは宿題やらなくちゃいけないから」
だいぶ乱暴な口をきいてから、犬を追い払うように私に向かって手をぶらぶらさせた。そのまま命令もなく部屋を出ていこうとした少年が、ふと振り返り私を半目で見上げる。
「参考までに訊くけどおまえって何ができるの。家事手伝い? それとも書類整理?」
「申し訳ありませんが、どちらもできません。残念!」
「もういい」
少年はげんなりした様子で扉に向き直った。その背中に、まだしゃべっている途中だった私の声を投げかける。
「私にできることはおしゃべりをすることです。おはようからおやすみまで延々としゃべっていられます!」
「もういいってば。黙ってろ」
扉が音を立てて閉められた。頭の中で組み立てていた次に話す言葉が、行き場を失って電気信号と共に消え去る。
私は秋道譲坊ちゃんのために作られたヒューマノイドロボット。家事手伝いも書類整理もできないけれど、たったひとつだけ与えられた仕事をこなすためならばバッテリーが切れるまでおしゃべりを続けよう。それが私の存在意義だ。
私が坊ちゃんのおそばに置かれてから、早一ヶ月。坊ちゃんは毎日小学校へ通い、勉学に励んでいる。
「ついてくるなよ、鬱陶しい!」
そして私を邪険に扱うのにも励んでいる。何がそんなに気に入らないのだろう。
「おそばに置いていただかないと坊ちゃんの顔が見えません。目の前が真っ暗! まあどうしましょう!」
「うるさいっ!」
学校から帰ってくるなり自室に引きこもって、私を中に入れてくださらない。
仕方がないので勝手に扉を開けると、坊ちゃんはランドセルごとベッドに倒れこんでいたのか鞄の紐に腕をとられかけながら飛び起きた。切り揃えられたお髪が乱れている。
「なんでいっつも入ってくるんだ! 出てけよ」
「そうはいきません。坊ちゃんのお顔が見えないと、坊ちゃんの感情を読み取って分析することができないからです! まあ一大事!」
「いいよ分析なんかするな! 出てけったら」
「イケズなことをおっしゃらず……」
「イケズってなんだよ、何語!? とにかくほっといて!」
坊ちゃんは私を睨むや、ランドセルをむしりとってベッド脇に放り投げた。そうしてベッドに顔をうずめて、私との会話を遮断してしまう。寝息が聞こえるまでにさほど時間はかからず、私は完全に放置
された。せっかくおそばにいられる貴重な時間なのに。
最近、坊ちゃんはあまり顔色がよくない。笑わないし、部屋にひとりでいることも多い。人との会話も最低限、特に私には強い言葉ばかり投げてくる。それでもきつい言葉を吐いたあとに「やってしまった」というふうにばつの悪そうな顔をするから困ってしまう。怒っているのか悲しんでいるのか、とても曖昧で対応の仕方がよくわからない。
私は何日も何日も坊ちゃんのデータを集めて、何度も検索をかけた。坊ちゃんが何かに苛立っていることまでは突き止めたが、この屋敷の執事にはすでにわかっていることだった。おまけになぜイラついているのかも、執事は知っている様子だ。しかし教えてはもらえなかった。私が余計なことを言うかもしれないからだと言っていた。
私は執事が嫌いだ。
投げ捨てられたランドセルを腕と手と指を使って拾い上げる。ここ数日の日課だ。今日は教科書一冊分重たい。
もしや坊ちゃんは学校の勉強についていけず、先生に怒られているのではないだろうか。何しろ坊ちゃんが通うのは国内有数の資産家令息が集まる小中高一貫の学校だ。将来の事業主を育成するため組まれるカリキュラムが生易しいはずもない。
しかし小学生が習う授業内容程度なら、データベースにアクセスすれば簡単に情報共有できるのではないだろうか。坊ちゃんのわからないところを、私が教えてさしあげることだってできるかもしれない。あらゆるホームページをめぐれば効果的な学習法や教え方も載っているはずだ。
さっそくランドセルの中身を拝借し、文字ばかり書いてある本をぱらりぱらりとめくった。しかしここで問題が発生した。なんと、文字がうまくスキャンできないのだ。これは困った。
この、つるつるした白いページの全面にのたくった線はなんなのだろう。鉛筆や赤い油性ペンで書かれたもののようだ。私にはこれを消す技能はなく、これがあるばかりに既存の印刷文字が侵されて読み取りが難しくなっている。
執事は嫌いだが、あの人間ならばこの鬱陶しい線も消せるかもしれない。
立ち上がり、執事を探して左足と右足を交互に動かしつつ「鬱陶しい」とはこういうことをいうのだなと学習した。目的達成の邪魔をされたときに鬱陶しいと人間は思うものらしい。文字のスキャンを阻害されることはおそらく「鬱陶しい」というものだ。
やがてトイレに入ろうとしている執事を発見し、眉間にしわを寄せっぱなしの彼に教科書を差し出した。この「鬱陶しい」の原因をどうにかしてほしいと頼もうとしたのだが、それよりも早く執事は言った。
「わかっている。けれどこれくらいのことを乗り越えられずに旦那さまの跡を継げるとは思えない。こういうことはこの先どこででも起こる。教師や父を頼るなり、私を頼るなりするというのであればもちろん手をお貸しするつもりだが……それまでは坊ちゃんの判断に任せる」
余計なことをしないように、とまたもや釘を刺された。やはり執事は嫌いだ。
しかし困った。どうやら執事は坊ちゃんがいじめを受けていると言いたいらしい。そしてそれをやめさせるつもりがなく、坊ちゃんが何かしらアクションを起こすまでは見守るという。
いじめ防止のホームページにアクセスしてみると、教科書やノートに落書きをされるといういじめ方が確かにあるようだった。だが私にはクソガキからのいやがらせに耐えることと、社長業になんの関係があるのかよくわからない。
トイレに入っていってしまった執事をしばらく待ってみたが、一向に出てこないのであきらめた。人のうんこ待ちはするべきでない。
「なぜ介入しねえのか興味あるぜ……」
私は譲坊ちゃんのために作られたヒューマノイドロボット。例え執事が放任を選ぼうとも、私だけは坊ちゃんを守るために戦わなければならない。
三河仕込みの戦い方をお見せするときがきたようだった。