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幼なじみ

「幼なじみ」


メアリは、ごく一部の悪ガキ達から「ブラッディメアリ」というあだ名を付けられている。

昔、この国を支配していたメアリという名の女王様がいて、政敵を次々に弾圧しては血祭りにあげていたことからブラッディメアリと呼ばれていたとか。メアリは幼なじみのフレッドや女友達をいじめる悪ガキを口で言い負かすだけでなく、時には拳で叩きのめすことも辞さない、強い女の子だったからだ。

「せっかく母さんに似て美人なのに、跳ねっ返りも大概にしないと嫁の貰い手がないぞ」と、メアリの父は苦笑する。

 メアリは、雪のように白い肌と艶やかな黒髪、黒目がちで涼しげな瞳が印象的で、すらりと伸びた手足を持ち、女王様というより白雪姫を彷彿とさせる美少女だった。

「私は結婚なんかしない。お父さんみたいな、立派な警官になるの」

 義務教育の学校を卒業したら警官の養成学校へ進む、それが彼女の幼い頃からの夢であった。

 しかし、メアリが十五歳ーー、義務教育を卒業する歳になった頃だった。

「……えっ、卒業したら働きに出るって……??」

 同い年の幼なじみーー、フレッドは、年に似合わぬ冷静さを湛えた薄いグレーの瞳に、珍しく驚きの色を浮かべる。

「あんた、小さい頃からずっと言ってたじゃないか。『お父さんみたいな警官になりたい』って。ついこの間まで、養成学校の編入を希望していたのに……」

「…………」

「……もしかして、あのことが関係あるのか??」

「…………」

「……そうなんだろ??」

「……そうよ……」

 三ヶ月前、ある強盗事件の犯人をメアリの父が取り押さえようとした際、銃を隠し持っていた犯人に何発か撃たれてしまったのだ。幸い一命は取り留めたものの思いの外傷が深く、長い期間の静養が必要とされる程だった。 

 意識をなくし、瀕死の状態で病院のベッドに横たわる父の姿と、いつもの気丈さを保ちつつも動揺を隠し切れていない母エリザの姿を見て、メアリの決意は揺れた。

「……怖くなったのよ……」

「……自分も死と直面するかもしれないことに??」

「……それも少なからずあるけど……。……家族や、大切な人を悲しませることになるかもしれないことが怖いの。そうならないように努めればいいんだろうけど、絶対にならないとは言い切れないじゃない??」

 階級制度や奴隷制度の撤廃、教育制度の強化、治安法、労働法の見直し等を百年以上前に敢行されてから、この国では極端な身分差や貧富の差がなくなり、治安も劇的に良くなった。だが、メアリやフレッド達の住む下町では物騒な事件が時々起こることがあり、その度に町の人々の安全を守るために働く父の姿に憧れ、自分もあんな強い人間になりたい、そう思っていたのに。

「私って、案外心が弱かったみたい」

 メアリは自嘲するように力無く笑う。

「……違うな。弱いんじゃなくて優しいだけだろ」

「……そうかな……」

「少なくとも、俺はそう思うけど」

「…………ありがとう…………」

 フレッドは口数が少なく、氷のように冷ややかな美しい顔立ちも相まって他人から冷たい印象を持たれがちだが、彼の家族やメアリ、もう一人の幼なじみのエドに対しては優しかった。

「そういうフレッドは卒業したら寄宿制の高等学校へ行くんでしょ??」

「特待試験が受かればの話だけどね」

「貴方なら受かるでしょ。成績は常に首席なんだから」

 フレッドは高等学校に進み、ゆくゆくは大学に行くことを希望している。

 この国の中流以下の家庭に生まれた者は義務教育を終えた十五歳から働きに出るのが大半で、それより上の高等学校や大学に進む者は高い学費を払えるだけの経済力を持っているか、特待生試験が受けられるだけの優秀な成績を持つ、少数の人間だけだった。 

 フレッドの父チェスターは、富裕層の人々からも評判が高い、超がつく程の売れっ子の美容師なので、一般の中流家庭に比べれば相当な経済力を持っているのだが、フレッド曰く「俺より下にまだ小さい弟妹が何人もいるのに、俺のことで必要以上に金を掛けさせたくない」ということで特待で試験を受けることにしたのだ。

(……まぁ、フレッドらしいと言えば、フレッドらしいわね……)

 フレッドは、チェスターの前妻アビゲイルと別の男性との間に産まれた子供で、彼とは血の繋がりがない。

 しかし、アビゲイルと幼なじみだったチェスターは、未婚の母から生まれたフレッドをずっと気に掛け可愛がっていて、アビゲイルとの結婚後に生まれた実の子、マシューとも分け隔てなく接し続けた。

 更に、アビゲイルがフレッドの実父と再会し、彼と家庭を捨てて家を出て行った後も、変わらずにチェスターは父親としての態度を崩さなかった。

「父さんにはいくら感謝してもし尽くせないし、一生頭が上がらない。父さんには絶対幸せでいて欲しいし、苦労を掛けたくないんだ」とフレッドは言う。

 チェスターと、彼の後妻であるジルとの仲をひそかに取り持ったのも、フレッドだった。

「そういうのは当人同士の問題なんだから、余計なことしない方がいいと思う」

 お互いに惹かれ合っているにも関わらず、一向に進展しない二人にやきもきしていたフレッドに注意を促したこともある。

「だって、ジルさんになら、父さんやマシューのことを任せられそうな気がするんだ」

 実際、ジルはチェスターの良き理解者となり、彼を支え、自身の子供を産んだ後も血の繋がりのないフレッドやマシューに対しても分け隔てなく接していた。

 メアリもジルのことは大好きだった。美人だがぶっきらぼうで愛想がなく、一見きつそうな印象はあるものの、その実、チェスターに負けないくらい家族思いの心根の優しい女性だからだ。何となくだが、フレッドとジルは似ている気がする。もしかしすると、フレッドは自分に似たものをジルに感じたから、母親になって欲しいと思ったのかもしれない。

「そう言えば、ジルさん、もうすぐ生まれるんでしょ??」

「もう九ヶ月に入るから、そうだな。やっとキーラが三歳になったって言うのにまた手が掛かるのが増える、しかも一気に二人も……って、悪態ついてるよ」

 キーラは、チェスターとジルの子供でフレッドとマシューの妹(と言っても、フレッドとは血の繋がりが一切ないが)になり、ジル譲りの亜麻色の髪と薄いブルーの瞳にチェスターそっくりの顔立ちをした、元気で可愛い女の子だった。オールドマン家初の女の子で、三十半ばにして生まれたキーラをチェスターは目に入れても痛くないくらいの勢いで、ジルですら呆れる程に溺愛している。

「キーラでさえ、あんなにデレデレに目尻下げてるのに今度は双子と来るから、そのうち目が溶けてなくなりゃしないかと」

 幼い妹と接する父親の姿を思い出しているのか、さも可笑しそうにフレッドは唇の端を上げる。

「でも、家族が増えるのは俺も楽しみだけどね」

「フレッドは良いよね、兄弟がいて。私は一人っ子だから羨ましい」

「チビ達の面倒ならいつでもしてくれていいぜ?あんたも家族みたいなもんだから、母さんも歓迎するだろうし」

 メアリの母エリザはチェスターの店の美容師で、母子共々、オールドマン家には昔から世話になっていた。


「メアリとフレッドって付き合ってるの??」

 幼い頃から共に行動し、彼を攻撃する悪ガキ達を叩きのめしていたため、時々、級友の女の子達からそんな質問を投げ掛けられる度にメアリはこう否定する。

「違うよ。フレッドは家族同然に育った幼なじみなの」

 更にこう続ける。

「私より背が低い男の子は対象外だもの」

 身長一七二㎝と女の子にしては長身で、下手な男の子より腕っ節の強いメアリに対し、身長一六五㎝と小柄で、いかにも非力そうなフレッドとは端から見ても姉と弟のようにしか見えなかったので、その返答には誰もが納得し、一部の女の子達は安堵した。

 小柄ではあるものの、端正な顔立ちの美少年で頭も良く、同じ年頃の少年達にはない大人びた雰囲気があり、最近ではエドに誘われてバンドで歌い出したことから(エドに、見た目が良いから、とりあえずボーカルをやれと言われた)フレッドは女の子達から大人気で、実際に何人かから告白もされていたが、彼はやんわりと全て断り続けていた。

「皆、良い子ばかりなのに、勿体ないわね」とメアリは詰ったが、フレッドは「勉強と弟妹の世話とバンドでそれどころじゃないんだよ。それに、好いた惚れたなんてものに興味ない」と取り合わない。

 本当に興味がないだけなのかもしれないが、もしかするとアビゲイルと実父との一件で自身の恋愛に関して踏み込むことを恐れているのかもしれない。が、それを口に出して彼に直接問う程、メアリは愚かな人間ではなかったので心の片隅にしまい込んだ。 

 やがて学校を卒業すると、メアリはカフェで働き始め、特待試験に合格したフレッドは高等学校に進学し、二人はそれぞれ別の道を歩み出したのだった。


 それから五年後、フレッドは高等学校から大学に進学し、メアリはカフェで働き続けている。メアリが働いているカフェはジルが結婚する前に住んでいたアパートの近くにあり、仲の良い夫婦が経営していて、よくジルがここに通っていたという。

「ジルちゃんのことならよく覚えているわ。いつも隅のテーブルで煙草を吹かしながら、本を読んでてね。無口な子だったけど雰囲気のある美人だったし、ひそかに他のお客さんにも人気があったのよ。ただ、近寄りがたい感じだったから、誰も声を掛けようとしなかったけど」

 奥さんはよく喋る明るい人で、メアリがジルと繋がりがあることを知ると彼女のことをよく話してくれた。

「この店でプロポーズ受けてたことは、私、多分一生覚えてるいと思うわ。だって、まるで喧嘩でも始めるんじゃないかって勢いで相手の人に突っ掛かりながら承諾してたんだもの」

 ジルらしいな、とメアリは思った。

「あの子が結婚したって噂を聞いたお客さん達の嘆きっぷりは見ていて気の毒だったわ。でも、貴女がうちで働き出した途端に皆が貴女に夢中になるんだから、現金なものよね」

 真面目な仕事ぶりは勿論のこと、クールな美しさとは裏腹に、気さくで誰とでも屈託なく仲良く接するメアリは瞬く間に店の看板娘となり、彼女目当てで店を訪れる客もいるくらいだった。夢を諦めたことに後悔はないと言えば嘘になるが、こういう穏やかな生活を静かに送るのも悪くないと今では思う。

「貴女も早く素敵な人と出会えるといいわね」

 今は特定の恋人はいないが、何人かと付き合った経験はある。メアリの理想通り「自分より背が高くて、心身共に強い人」と。

 だが、付き合いが長くなるにつれ、弱くて女々しい男に変わってしまうのだ。普段は姐御肌のしっかり者で周りから頼られがちなメアリだが、好きな男性くらいには頼りたいし甘えたいのに。

(中々上手くいかないものよね)

 人知れず、メアリはため息をつく。

「あぁ、でも時々遊びにくる、貴女の幼なじみ君達なんかは??あのアッシュブロンドで身長が一九〇㎝以上ありそうな、ちょっと強面な彼なんかは??」

「エドのことですか??中身がてんで子供っぽいから却下ですね」

「じゃあ、貴女とよく似た雰囲気の、すごく綺麗な顔立ちしたブルネットの髪の彼は??背は貴女より少し高いくらいだけど、お似合いじゃない」

「フレッドは……、ますます却下です。それに、彼には恋人がいますし」

「あらぁ、そうなの。まぁ、彼ほどの美青年なら恋人がいてもおかしくないわね」

 大学に進学したフレッドに最近恋人が出来たーー、と、先日店に訪れたエドから知らされた。

 資産家の三男坊であるエドは当然のように高等学校と大学に進学し、偶然とはいえフレッドと大学が同じだったし、他のメンバーは変わりつつ彼とのバンドも続けていたので、メアリよりもフレッドの近況について詳しかった。

「あいつ、高等学校の時もモテるくせに女に一切興味持たなかったから、『もしかしたらゲイなんじゃ……』なんて疑惑を持っている奴らがいたんだよな」

 ミルクティーを啜りながら、エドはそう言った。大柄な体つきで吊り上がり気味の鋭い目つきに似合わず、彼は甘いものが好きでメアリの店に来ると必ずミルクティーを注文する。

 エドの話によると、あるライブハウスでライブをした時に、一緒に出演していた知り合いのバンドのお客として、たまたま見に来ていた女性をそこのメンバーから紹介され、一目惚れをしたそうな。

「あんなに女に興味持たなかったのが嘘かと思うくらいの勢いで必死になって口説きに口説いていたから、見ていて笑えたな。メアリにも見せてやりたかったよ」

「あのフレッドがねぇ……。想像が全然付かないわね」

 そもそも、フレッドが何かに必死になる姿を見たことがない。人には見せないだけなのだろうが、彼はいつでも何食わぬ顔をしながら、サラッと物事を完璧にこなすからだ。

「まぁ、そのうちお前にも紹介するんじゃないか??フレッドの奴、卒業したら彼女と結婚したいとか息巻いてるし」

 エドの言葉通り、それからしばらくしてメアリはフレッドから噂の恋人を紹介された。

「貴女がメアリさん??はじめまして、ナンシー・アレンです」

 フレッドの恋人のナンシーは、ブロンドの長い巻き毛と深いマリンブルーの瞳をした大変美しい女性で、フレッドより五歳年上で落ち着きがあり、大輪の華が咲き誇るような華やかさを持っていた。

「はじめまして、メアリ・グリーンウッドです」

「貴女の話はフレッドからよく聞いています。勝ち気で腕っ節が強いから、ブラッディメアリって呼ばれてたって」

(……ちょっと、変な話しないでよね!)

 おっとりと微笑むナンシーに気づかれないよう、メアリはさりげなくフレッドを睨みつける。そんなメアリの視線をものともせず、素知らぬ顔をしているフレッドが憎たらしい。

「でも、メアリさんって女王様って言うより、白雪姫みたいよね」

「見た目はね。中身は男みたいだぜ??」

「……うるさいわよ、フレッド。ナンシーさんこそ、童話に出てくるお姫様みたいじゃないですか」

「そうかしら??」

 小首をかしげてニコニコと笑うナンシーは、同じ女であるメアリでさえも思わず見とれてしまう。

(……フレッドが夢中になるのも無理ないわね)

「あの、ところでナンシーさんは、フレッドのどこが良かったんですか??」

 ナンシーは少しだけ間を置いてから、答えた。

「……そうねぇ……。素晴らしい才能を持ち合わせているところかしら」

 メアリは少しだけホッとする。少なくとも、彼の美しい容姿と答えなかった。

 フレッドには、心の奥底に消えない闇を抱えている。その部分まで見越して彼を愛してくれる人であって欲しかったので、彼の内面的な部分に惹かれているなら安心だ。

 そう思った。その時はーー。



 フレッドがギターボーカルでエドがドラムをしているバンドは、この街で音楽活動している若者達の間で知らない者がいないくらい実力と人気のあるバンドで、時々、別の街に遠征に行ったり、オーディションを受けることもあった。

「プロを目指しているの??」

 フレッドに尋ねると、「俺以外はね。まぁ、エドもなれたらいいかなって程度の軽い気持ちだけど。むしろ、他のメンバーが躍起になってるだけだな」と素っ気ない返答をする。

「最近じゃ、ナンシーまでやたらと応援してくる」

「あら、良いことじゃない。何か不満でも??」

 ナンシーの家は名門の音楽一家で両親兄弟共に楽団に所属していて、彼女自身も新気鋭のオペラ歌手だった。しかし、「クラッシックだろうとロックだろうと、素晴らしい音楽には変わりないもの。それに貴方の歌声や生み出す曲は大勢の人を魅了できるだけの力があるわ」とナンシーは、彼の音楽に傾倒している。

「……俺は、音楽は趣味でやりたいだけなんだが……」

 そんなフレッドの気持ちと違い、エド以外のバンドメンバーやナンシーはプロを目指すべきだと諭し、お膳立てを試みている。そんな彼等にメアリは複雑な思いを抱く。

 素人のメアリから見ても彼には音楽の才能があると思うし、より大勢の人に彼の歌を聴いてもらいたいとも思う。しかし、肝心のフレッド自身は平凡で穏やかな人生を送ることを望んでいる。

 フレッドの夢は「昼間は図書館で働き、時々夜遅くまで気のおける仲間と音楽を演奏し、いずれは温かい家庭を持つこと」だった。大学まで進んだのも、図書館で働くためには役所の職員にならなければいけない、役所の職員になるためには大学を出ていた方が有利だから、という理由からだ。今でも彼の考えは変わらず、「役所の採用試験に受かって大学卒業したら、ナンシーに結婚を申し込むつもりだ」とメアリに語る。

「……まぁ、貴方らしいと思うわ」

 平凡な人生を退屈だと言って嫌う人々がいるが、あえてそれを望むことを間違いだとは否定されたくない。なぜなら、メアリも平凡な人生を生きることに満足しているからだ。

 しかし、彼のささやかな望みと裏腹にバンドの人気はどんどん上がっていき、周囲からの寄せられる期待も上がっていく。それにつれて、フレッドの音楽に対する情熱は少しずつ下がっていき、メンバー間での温度差が拡がっていく。次第に、フレッドとエド以外のメンバーとでいさかいが起きるようになり、エドが間に入って双方を何とか収めるという事態が度重なるようになった。


「随分と疲れてるわね」

 いつもは快活なエドが珍しく浮かない様子で、カフェを訪れた。

「……今度のオーディションを受けるか受けないかで、フレッドと他の奴らが大揉めしたんだよ」

 エドのダークグリーンの瞳に、疲れが見える。メアリは、ミルクティーにいつもより多めに砂糖を混ぜて彼の元へ運んだ。

「……疲れてるから、いつもより甘めにしといたわ」

 エドは無言でカップを口に含む。

「……甘いな」

「だから言ったでしょ、甘すぎた??」

「いいや、丁度良い。ありがとな」

「……で、結局どうなったの」

「オーディションなんか受けたくないと断固言い張るあいつに、今回で最後にするからと何とか説得した」

「……そう……」

「皮肉なもんだよな。才能がない奴がやる気に満ち溢れてて、一番才能ある奴にやる気がないんだから」

「貴方はどっちなの??」

「俺??俺はどっちでもないな。才能もやる気も、あるともないとも言えない。一番中途半端だと思う。俺はただ、ドラムを叩ける場所があるならそれでいいんだ」

「私は音楽のことはよく分からないけど、最近のフレッドのライブを観ていると何だが彼が辛そうに見えるのよ。周りは騒ぐばかりで、誰も彼の気持ちを見ようとしない」

「……そうだよな……。本当は、俺もあいつを苦しめたくないんだ。だから、オーディションを受けたら、俺はバンドを抜けるつもりだ。俺が抜ければ、あいつもあのバンドを辞めやすいだろう??俺も正直、あいつ以外のメンバーにはほとほと嫌気がさしてるし、他のバンドの誘いも幾つかもらっているから、俺は次に移らさせてもらう」

「……そう……」

 エドも相当悩んだ結果なのだろう。メアリはただ黙って話を聞くしか術がなかった。

 ところが、フレッド達のバンドはオーディションに合格してしまい、最終選考では落選したものの、有名な音楽会社から声が掛かってしまったのだった。 

 この国でプロの音楽家になると、国中の小さなライブハウスから大きな劇場にかけてライブをすることになる。各地を移動するためや楽器、機材を運ぶための荷馬車、ライブハウスや劇場を借りるための資金や、巡業の宣伝は全て会社が負担してくれる。その分、安定した人気と集客力が必要になってくるが、それができれば完全に音楽に専念できるようになる。(中々、容易ではないが)

 しかし、フレッドはその話を蹴った。当然、エド以外のメンバーは激怒し、バンドは現在決まっているライブを終えたら解散することに決まった。

「これで良かったんだ」

 久しぶりにメアリの店に訪れたフレッドの顔は、憑き物が落ちたようにすっきりとした表情に変わっていた。

「……ただ、ナンシーにはまだ言えていないんだ」

 再び、フレッドの表情が曇る。

 今やフレッドとナンシーの仲は深いものとなっていて、お互いをそれぞれの家族に紹介していて、結婚を視野に入れていた。それだけじゃなく、フレッドはナンシーに自分の出生と実の両親のこと、家族との関係について全て話し、ナンシーは全て受け入れてくれたという。

 口には出さなかったが、フレッドの重い秘密を受け入れたのなら、プロの音楽家の道を蹴って平凡な人生を選んだことくらい受け入れてくれるのでは、とメアリは思った。

「……もっと自分に自信持てば??」

 ようやく出てきたメアリの言葉に、フレッドは頷くと「……まぁ、うじうじしていても仕方ないよな。今度ナンシーと会った時にでも言うよ」

(……大丈夫よ。きっと分かってくれる)

 メアリは、店を後にするフレッドの後ろ姿に向かって心の中で励ました。



 雨がしとしと降る夜だった。

 閉店時間の二十時となり、店の後片付けをしていると扉が開く。

「すみません、もう閉店ですので……」と振り返ると、そこにはエドが立っていた。傘を差していなかったのか、いつもはふわりと浮いている癖毛が雨で濡れてペタリと顔や首に張り付き、すっかり濡れ鼠のようだった。

「ちょっと……、どうしたのよっ!びしょびしょじゃない!!」

 慌てて奥の戸棚からタオルを取り出すと、メアリはエドに駆け寄り、背伸びをしながら自分よりも二〇㎝高いエドの頭をゴシゴシと拭き、身体も拭こうとした時だった。

 エドはメアリの細い手首を掴み、彼女の動きを止める。

「……メアリ、俺のことはいいから!フレッドが大変なんだ!!とにかく、すぐに一緒に病院に来てくれ!!」

 エドのただならない様子にフレッドに何かあったことを察すると、メアリは店の主人と奥さんに頭を下げながら事情を説明してすぐに仕事を上がらせてもらい、フレッドが運ばれたという病院にエドと共に急いで向かった。

「……一体何があったの??」

「……俺もさっぱりわかんねぇよっ……」

 エドの話によると、今日の夕方、フレッドに大学の課題を手伝ってもらおうと思って、彼が下宿している部屋に行ったら、玄関の鍵が開いていたという。

 人一倍神経質で用心深いフレッドは部屋を留守にしている時は当然として。自分が部屋にいる時でさえ、必ず鍵を掛けている。例え、まだ日が明るい時間帯であっても。

 エドはフレッドのその習慣を知っていたので、何となく胸騒ぎを感じ、「おい、フレッド。いるんだろ??入るぞ」と、恐る恐る部屋の中へ足を踏み入れた。

 部屋の中は強烈なまでにアルコールの匂いが充満していて、その匂いを嗅いだだけでエドは胸が焼けそうになった。

「お前、この酒の匂いは何なん……って。フレッド!?」

 エドが目にしたのは、ウォッカやラムの酒瓶が何本も床に転がり、酒瓶の他にも、真っ二つに折られたネックに激しく損傷したボディと変わり果てた姿になったフレッドのギター、そして、意識を失って倒れているフレッドだった。

「ありゃあ、一度に大量にアルコール摂取して中毒起こしたんだと思う……。とりあえず、病院に運んだし命に別状はないんだが……、意識戻した後にあいつ、頼むから家族には絶対知らせるな、って泣きながら俺に懇願するんだ……。信じられるか??あの、いつも冷静でプライドが高いあいつがだぜ??だから、代わりにお前に来てもらいたかったんだ……」

「…………」

 メアリは言葉を失い、返事すら返すことが出来なかった。


 病院に着いたエドとメアリは、看護師に診察室の隣の部屋に案内される。そこは四つの寝台がそれぞれ仕切りを間に挟んで並んでいて、奥から二番目の寝台にフレッドは横たわっていた。

「……エド……、……メアリ……」

 元々、色が白く病弱そうに見えるフレッドだが、すっかり青ざめた顔色をしている今は、まるで不治の病にでも罹っている病人のようだった。

「……すまない……、……迷惑かけた……」

「そう思うんなら、最初っから無茶なことするんじゃねぇよ、この馬鹿野郎がっ……!」

 言葉こそ乱暴ではあるが、エドが心底フレッドを心配しているのがひしひしと伝わってくる。

「フレッド……、聞きたいことや説教したいことは山程あるけど……。今は安静にして、早くいつもの小憎たらしいくらいの冷静さを取り戻して頂戴」

 メアリはそう伝えることが精一杯だった。



 二日後、すっかり元に戻ったフレッドはメアリとエドから散々説教を食らっただけでなく、どうしてあのようなことになったのかと説明しろと半ば脅迫気味に詰め寄られている。

「当然だろうが??お前がピーピー泣きながら、家族には言うなっつーから、言うこと聞いてやったし??病院代も立て替えて払ってやったんだぜ??これは義務だ」

「それに、酒瓶と折ったギターの残骸もキレーーに片付けてあげたのよ??私とエドで。感謝しなさいよね」

 フレッドはぐうの音も出ないといった風情で、バツが悪そうにしている。

「大方、ナンシーに振られたんでしょ」

 メアリの言葉に、フレッドの顔色がさっと変わる。

「……図星みたいね……」

 しばらく沈黙が続くと、ようやくフレッドが重い口を開く。

「……ナンシーは俺自身じゃなくて、俺の才能が好きなだけだったんだ……」

 フレッドがプロの音楽家の道を蹴ったことを告げると、ナンシーは彼にこう言った。

「私はね、才能のある男が好きで平凡な男には興味がないの。才能があるのに、それを生かそうとしない怠惰な男も同じよ。貴方がこんなにつまらない男だったなんて……、失望したわ。貴方は私にはふさわしくないから、二度と私には近付かないでもらえるかしら??」

 メアリは、ナンシーと初めて会った時の言葉を思い出す。

『……そうねぇ……。素晴らしい才能を持ち合わせているところかしら』

(……結局、彼女はフレッドを本当の意味で愛していなかったのね……)

 実の母親には愛する男の身代わりとしてしか愛してもらえず、唯一愛した女には才能しか愛してもらえていなかった。彼の心の闇は確実に拡がっている。

 メアリは願う。

 いつか、彼の全てを受け入れ愛してくれる人が現れて、彼の傷ついた魂を救って欲しいとーー。


(終)


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