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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第2章:丘スライムと涙と出会い
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8.佐藤家の人々

「色々ご迷惑をおかけしました」


 私が恐縮し頭を下げると座った座布団の横に孝介さんのお姉さん、朱美さんが茶托に乗った湯のみを置いてくれる。


「いーえ、ごめんねびっくりさせて。あたしったらたまに早とちりしちゃうのよ」


「なーにーがたまにだ。その”早とちり”にオレが昔からどんだけ迷惑してると思ってるんだよ」


 朱美さんが肩をすくめ舌を出すと、背後に立った孝介さんがそのこめかみを拳でぐりぐりと攻撃する。

 中々ワイルドな姉弟だなと見ていると、くっくっと私の横で優しい笑い声が響く。

 私が座っている縁台に一緒に腰をかけているのは、袖や腹に油の汚れの残る白い作業服姿のおじさん、この佐藤家の家長で姉妹の父親、しげるさんだ。

 洗面所を借りて顔を洗って玄関に戻ると、二人がしげるさんにいい歳をしてと叱られていた。

 そして私が挨拶をすると、お茶でも飲んで行きなさいと誘われ、ここで一緒にお茶をいただいている。

 孝介さんそっくりの笑い方をするその顔は、やはりよく日焼けしていて深い笑い皺が出来ている。そして湯のみを持つその手は、大将に比べれば小さいけれど、荒々しく節くれだってごつごつしている。

 実は私はこういう手に弱い。

 祖父は働かなくても困ることのない育ちで、とある専門誌に雑誌に寄稿し数冊のあまり売れない本を出した文筆家。まさにペンと箸より重い者を持った事がないという人だった。

 その祖父は自分の白く滑らかで細い女性的手を恥じ、いつも私を連れて歩く先で出会った様々な人の手を褒めていた。

 家事に仕事にいつも台所に立ち、そのせいであかぎれてしまう祖母の手に、毎晩愛おしそうに薬やオイルを塗ってあげていたっけ。

 そのせいで私もこういう使い込まれた手に、憧憬と敬意の入り交じった気持ちを抱くようになった。

 しげるさんの手、触ってみたいな。思わずにへらと笑いかけあわてて湯のみを口に運び顔を隠す。


「お前達もうそのへんにしておけ。英里さんが驚いてるだろう。ほら、冷めないうちにお茶を飲んでこれを食べてごらん。朱美、これはあそこの角の店のだろ」


「そうそう英里ちゃん、これは駅の北口の通りにあるお菓子屋さんの一番美味しいって評判のおまんじゅうなんだけどね、毎月個数限定で、予約してもなかなか手に入らなくて。今月は運良く予約できてさっき受け取ってきたとこだったの。この皮の食感が珍しくて中の餡とよく合うでしょう。周りの皮が硬くなるから買ったら早めに食べなきゃいけないの。だから遠慮しないで食べちゃって」


「ねーちゃんも親父も、甘いものに目がないんだよな。特に揃ってあんこが好きでさ。だからこいつもコマメって名前をつけられてさ、オレは獅子丸がいいって言ったのによぉ」


 縁側に足をかけ尻尾をさかんに振っていたコマメは、同意を求めるように頭を撫でようとした孝介さんの手をするりと避け、しげるさんの足もとへと移動した。


 私は、差し出された皿からそれを一つ受け取り、持つ手が思わずプルプル震える。

 まるく形をととのえられ、まっ白くしっとりもっちり艶やかな肌をしていて、その奥にかすかに餡のえんじ色が慎ましく透けて見える。

 おまんじゅうを凝視しながら、思わずこくりと唾を飲み込む。

 この皮はまごう事なき、米から作った上新粉を使ったお餅だ!

 小麦粉が主要穀物のこの国では、和菓子として小麦粉の皮のおまんじゅうがポピュラーで、私も何度も食べている。女将さんが買って来る山芋と小麦粉で作った皮で餡を包むじょうよ饅頭はお気に入りでつい食べ過ぎてしまう。

 だけどやっぱりこういうモチモチと噛みごたえのある食感も恋しいなと思っていた所だった。

 米はなんとか流通してるとはいえ、さすがに米粉や餅粉の類いはお店で取り扱いはない。だけどさすがに和菓子屋さんだと手に入るルートがあのか、自分のところで挽いてるのか。


「どうした?英里さん、おまんじゅうは嫌いかい」


 しげるさんの声に我にかえった私は急いで首を横に振って否定し、勢いよくぱくりとくわえる。

 思った通り、その白い皮は歯にくっつくことなくふつっと噛み切れ、中の柔らかめのこしあんがとろけ出る。

 噛み締めるほどに持ち自体のほのかな甘みにあんの甘さが絡みついて口に広がっていく。

 当たり前に食べていたのに、久しぶりの懐かしい味と食感。

 嚥下した跡、その余韻を緑茶のさらりとした苦さで洗い流した。


「どう?どう?」


 私の反応を興味深げに見守る朱美さんに、私は笑顔を向けた。

 そのはずだったのに、頬を熱い涙がほろりと伝い墜ちる。


「英里、ちゃん?」


「すみません、これ、美味しすぎて……なつかし……くて」


 嗚咽が出かけて、私はあわてて残りを無理矢理口へ押し込んだ。

 どうして、どうして今日はこんなに涙腺が緩いんだろう。そう思いながら甘いそれを咀嚼する。

 口の端に到達した涙の先端が唇から侵入し、しょっぱ甘くなったそれを強引に飲み込んだ。

 案の定喉に詰まりかけて苦しくなり、あわててお茶を飲み干す。


「そういえば、コマメが埠頭のとこで泣いてた英里ちゃんを見つけたって孝介が言ってたけど、何かあったの?私達でよかったら相談に乗るわよ」


 焼け具合に違いはあるけど色黒で笑い皺のある同じ遺伝子を持つ三人が、顔を並べて心配そうに私をみつめている。

 ちょっと強引な所もあるけど、佐藤家の人々はいい人達だ。

 彼らを心配させたことがすごく申し訳なくて、私は朱美さんが差し出したおしぼりで目元を拭くと笑顔を見せた。


「心配かけてごめんなさい。私は今、三鷹の居酒屋に住み込みで働いてるんです。実はこの吉祥寺が私の故郷にすごくよく似ていて、ホームシックでつい泣いてしまったんです。このおまんじゅうも……柏餅っていって、これを塩漬けの葉っぱくるんだものが私の故郷にあるんです。大好きだったから懐かしくて嬉しくて、ついまた涙が出てきちゃって……」


「あらあら、そうだったの」


 朱美さんが瞳をうるませながら私に抱きつき、そのボリュームのある凶暴な胸に顔が圧迫された。

 そしてもがく私を助けようと、孝介さんが朱美さんを私から引きはがそうとする争いが勃発した


「すまんな、落ち着きのない姉弟で」


 二人の間でもみくちゃにされ目を白黒させている私を、しげるさんは足にじゃれつくコマメの頭を撫でながら楽しげに笑って見ていた。



 佐藤家で過ごすうちに、気がつくと三時を過ぎていた。

 皆話好きで、この港町のことやそれぞれの仕事のこと、出入りする船のこと、亡くなった奥さんのことなどを聞かせてくれ話が尽きなかった。

 途中、工場に戻ってこない社長を探しに朱美さんの旦那さんの吉郎さんが来たけど、しげるさんは私が帰るまでは休憩すると一緒にいてくれ、すぐにヒートアップする姉弟に翻弄される私を助けてくれた。

 夕食も食べてらっしゃいと朱美さんが誘ってくれたけど、女将さんには夕方までには戻ると伝えてあるし、何より丘スライムが私を待っている。

 そう伝えると朱美さんは私にまた遊びにくることを固く約束させて、送らせるからと孝介さんにバイクをとりに行かせた。


「私、バイクになんて乗ったことないし、それに電車ですぐだから一人で帰れます……」


「いいから、そのくらいうちの弟を使ってやってちょうだい。それにやっぱり一人で返すのは心配だから」

 

 佐藤家の人にあれだけ泣き顔を見せてしまった手前、心配されるのは仕方がないと、ありがたく申し出に甘えることにした。


 孝介さんのバイクにはもちろんタイヤがついていない。

 まるで未来映画に登場しそうなその銀色に鈍く輝くメタリックなそれに乗るのかと思うと、私はくらくら目眩がした。


「ね、この子のバイク派手でしょう。でも性能と安全は父さんの折り紙付きだから安心して」


「そうそう、整備は散々親父に鍛えられたからな。英里ちゃん、乗る前にこれを被ってくれ」


 孝介さんに渡されたのは、赤色のフルフェイスのヘルメットだった。

 女の人を乗せる時用かな、なんて思いながらそれをかぶろうとしたけど、首元を締める金具が外れない。

 柔らかく盛上がった四角いプレートの所がよく触れられるせいで、そこだけ磨かれたように光っていて目立つ。そこに指を当てるのは間違いないんだろうけどと何度も押したりさすったりしても、外れる様子がない。

 戸惑っている間に孝介さんがバイクにまたがって、もたつく私を怪訝そうに見ている。

 そしてようやく、もしかしたらこれも魔力を使うのかもと思い当たった。

 ペンダントを使えばいいけれど、朱美さんやしげるさんに見られてしまう。今は未だ、魔力がないことまで知られたくないんだけど……。迷っていても結局はこれを被るしかない。


 二人の視線を感じながら、私はシャツの胸元からペンダントをひっぱり出したその時、しげるさんが私のヘルメットをとりあげた。


「あっ」


「貸してごらん」


 私が必死で触っていた所に親指で軽く触れて金具を外し、そのまま頭にすっぽりと被せてくれた。

 そして私にだけ聞こえる小さい声で「それはしまっておきなさい」と囁いた。



 海岸線を銀色のバイクが走り抜ける。

 ヘルメットは、装着者のサイズに合わせて頭を保護し、重さを感じさせないので首に負担がかからない。そして走行中も会話が出来る機能がついた優れものだった。

 さすが魔法仕掛け、と孝介さんが時折話しかけてくる度に相づちをうちながら、その性能に感心する。

 そしてスカートがまくれあがらないよう太腿を車体にぴったりと押しつけ孝介さんの腰にしがみつきながら、私はいつしかしげるさんの事を考えていた。

 あのペンダントの事を知って、二人に知られないようにしてくれた心遣いに感謝しながらも、どうしてこれのことを知っていたんだろうと首をひねる。

 介助用品といっても、魔力を放出できない人はめったにあることではないから、単価も高くなってしまうんだと役所の担当さんが言っていた。

 そのめったにないことに出会った経験があるのかな。亡くなったっていう奥さんに関係があったりするのかな。今度会った時に訊いてみてもいいかな。

 そんなことを思っているうちに、道を間違えることなく孝介さんのバイクは店の前に止まった。


「英里ちゃん……随分いかつい名前の店で働いてるんだな……」


 バイクを降りて孝介さんにヘルメットを返していると、彼の顔は店の入り口の上に掲げられている看板に釘付けになっていた。

 一枚板に力強く『野豚野郎』とのたくった黒文字に若干怯え気味だ。

 そうか、やっぱりこれが客層が偏ってる原因のひとつなのかも。


「名前はともかく、大将の味は絶品なんですよ。よかったら皆さんと食べに来てくださいね。私はまだ見習いだから営業中は大将の手伝いやお料理運んでますから私の味を、とは言えないけど」


「わかった。今度皆で来てみるよ。英里ちゃんもまたうちに遊びに来いよ。ねーちゃん随分気に入ってたからね。来ないと直接迎えに来そうだ」


「そ、それは……今度、美味しいおまんじゅうを持って行きますから、お家で待っていてくださいと伝えてください」


「わかったよ、じゃあオレはいくわ」


「色々ありがとうございました」


 私が深々と頭を下げると、孝介さんは眩しい笑顔を見せてヘルメットを被り直し颯爽と去っていった。

 そしてふと視線を感じ見上げれば、二階の窓から口を全開にして驚愕の表情を浮かべた蓮也くんと、満面の笑みを浮かべた女将さん、そして……無表情で威圧感を放つ大将と三人の顔がのぞいていた。


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