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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第2章:丘スライムと涙と出会い
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7.魔力の悩み

 青空のキャンパスに筆で佩いたような白い雲が薄く浮かぶ。

 その下で、灰色がかった青い海に陽光が煌めいて目に眩しい。

 私は目を細め、車窓からただじっと海原を眺めていた。

 日当りが良過ぎて熱気の籠った車内に、乗客の誰かが開けた窓から冷たい潮風が流れ込む。

 その潮の匂いに、確かに目の前の広大な水たまりが海だという事実が突き付けられた。


 線路の下には幹線道路が走り、その車道の向うには少しの緑地があり、そしてすぐ海が始まる。

 時折、その緑地で竿をたらす釣り人や、沿岸に浮かぶ釣り船が視界を通り過ぎ、沖というにはやや近い所に貨物船が見える。

 吉祥寺駅で降り損ねてしまい、そのまま荻窪、高円寺、中野と馴染みの駅名アナウンスが聞こえながら、私は列車から降りることが出来なかった。

 ようやく中野を出た頃にこのまま乗っているわけにはいかないと我に帰り、次の新宿で降りなきゃと決心をした所で、列車の車体が珍しく揺れる。


『これから急なカーブが続きますので、ご注意ください』


 男性車掌のアナウンスと共に列車は大きく弧を描く海岸線に添って車体を傾け進む。

 そして車体が再び水平に戻った時、再びアナウンスが流れ、私はショックを受けた。


『次は、新井薬師前、新井薬師前。続いて池袋に止まります。池袋での埼玉線へのお乗り換えはーー』




 池袋で一度列車を降り、反対ホームにいた同じ路線の小金井行きに乗って吉祥寺へ戻った私は、少しでも何かが触れたらその拍子に色々なものが吹き出して止まらなくなる気がして、顔を強ばらせたまま足早に駅の南口を出た。

 三鷹に比べるとはるかに人の乗降者が多く、ロータリーも広くて、駅前には待ち合わせの人や迎えやバスを待つ人、待ち合わせをする人でごった返している。

 駅前の交通量の多い通りを渡り、元の世界ならデパートがあったはずの立ち並ぶ店の間の路地を入った。

 一歩進むごとに潮の香りが濃くなり、2ブロック進んだところで視界が180度開けた。


 薄赤と白の敷石が敷かれた埠頭を、私はゆっくりと歩く。

 ここは違う世界なんだ。

 だから井の頭池はなくても当然だし、動物園だってあるはずない。

 祖母の生徒さんで私によくお土産のケーキをくださった畠さんのカフェだって存在しないし、幼馴染みの陽子や康平の住む家やマンションだってあるわけない。

 それに……私の家だって。家族だってこの世界には存在しないのに何を動揺してるんだろう。

 私は立ち止まり、池の反対側の公園を抜けた先の住宅地の中にあった私の家がある方向へ目をやった。

 あの小舟のあたりかな、それともあの飛んでいる海鳥の下あたりかなと揺れる海面を見つめる。


 私は東京に出る前から、この世界に来て少し経って色々と勉強を始めた時にはもう、この辺りが海になっていることも知っていた。だからそれをこの目で確かめるのが怖かった。

 その反面、ここに来ればもしかしたら、という淡い期待も持っていた。

 もしかしたら、違う世界にいるのではなくて、世界が変わってしまっただけで私の知ってる人達がそこにいるんじゃないかと。


 この世界に来て教わった日本のことで番衝撃が大きかったのが、蜃との戦争の魔法の影響で、すっかり国土の形を変えてしまった日本のこと。

 北海道は諸島となり、東北も北の三県はいびつな形に削られていた。そして北九州と中国地方の北西部の一部も同様に失われている。

 その被害は、蜃に隣接している地域だけに留まらなかった。

 世界が違えどやはり国の首都の東京も当然標的となった。

 蜃は総力をあげて大魔法を成功させ、それを当時帝国司令部の置いてあった品川区を中心とした都心を壊滅させることに成功した。

 その影響で、墨田区や台東区、文京区、新宿区、杉並区、そして三鷹市の各一部及び以南が壊滅し、大地が抉り取られて海水が入り込み、地図の海岸線が描き変えられることとなった。

 幸い、政府はその攻撃の情報をわずかに早く手に入れ、要人や政府の機能を避難させていた。

 そのお陰で復興は予想されたよりも早く進み、埼玉が新首都として生まれ変わり日本の中枢になっている。


 東京は旧都心と呼ばれ、国内最大の港町として国内最大の重要な海上物流と交通の拠点となった。

 中でも葛飾は国内外の貨物船を受け入れる最大の物流港に、そして池袋は国内外の客船の発着港「東京港」として賑わっている。

 そしてこの吉祥寺は、池袋側の負担を減らすための受け入れ港として利用され、第二東京港と呼ばれていた。

 もちろん船の発着はひっきりなしで人が溢れ賑わってはいるけど、どこか落ち着いた雰囲気が、元の世界のこの街と似ていると感じてほっとする。


 この埠頭だって、釣り人や散歩する老人、デートするカップルなど人通りは少なくない。

 太平洋から吹き付ける風は強く、ぼうっとつったっていた私はそれに押されるようにふらふらと後ずさった。

 そして、シャッターの閉まった倉庫を背にしゃがみ込むと膝に顔を埋め、同時に堪えていた涙の堤防が欠壊した。



 どのくらい泣いていただろう。

こんな場所でとあきれながらいい加減もう泣くのはやめようと思った時、すねに何か冷たい濡れたものが押し当てられた。そしてそれはスカートの中に潜り込もうとする。

 ふいを突かれ、不覚にも珍妙な声をあげてしまった。


「ふひゃぁっ」


「こっ、こらっ、コマメやめろってば」


 驚いて顔をあげると、いつの間にそこにいたのか芝犬を連れた男の人が私に向かって鼻息荒く飛びついてこようとする柴犬のリードを、必死でたぐり寄せ咎めている。


「な、なんですか、あなた……」


 警戒の声をあげようとしたところで、未だ止まらない涙と共に鼻水まで垂れた。

 あまりの恥ずかしさに耳まで熱くなり真っ赤になったの分かる。

 あわてて顔を伏せて鞄からハンカチを出そうとしていると、膝小僧の前に青いチェック柄のハンカチがそっと差し出された。

 畳んであるけど皺が寄ってくたくたになってる。


「これ使ってよ。あっ、まだ一回も使ってなかったから綺麗だからさ。ほら、早く拭かないとまだ鼻水がたれてるよ」


 私はそのハンカチをひったくって広げ、顔に押し当てた。


「いーよ、それあげるから好きに使って」


 私はその言葉に遠慮なく熱っぽい目のまわりから濡れた頬、そして鼻までしっかり拭く。そして熱がとれない鼻と口元を押えたまま恐る恐る顔をあげると、目の前に芝犬の顔と、犬と同じ薄茶の髪と日に焼けた色黒の顔が並んでいた。

 30代くらいの男の人で、目尻に皺を寄せ人懐っこい笑顔を見せる。


「お、もう平気みたいだな」


「あの、どうして私に……」


 声をかけなくても、放っておいてくれてよかったのに、とは今更言えず、見ず知らずの人に泣き顔を見られたことに未だ動揺していた私は続く言葉が出てこなかった。


「オレじゃないよ。このコマメがどうしても君が気になるって動かなくなってさぁ。邪魔して悪かったな」


「いえ、いいんです。あの、ハンカチありがとうございました」


「気にすんなって、あげるから持っていって捨てるなり好きにするといいよ。それより顔腫れちゃってばっちり泣きましたって顔になってるよ。よかったらうちそこだから顔洗ってくといい」


「ええっ、そんなご迷惑かけられません。駅に戻ってトイレ使います」


「警戒することないよ、駅よりも近いし。オレんちは姉ちゃんも旦那さんもいるし、父ちゃんもいるからさ、なんも心配いらないよ」


 そう言うとその人は私の腕を掴んで強引に建たせると、ぐいぐいと引っ張って歩き始めうる。

 あわてて腕を振り払って逃げようとしたけど、足もとで柴犬が嬉しそうにじゃれついてきて、踏まないようにしているうちに結局その人の家についてしまった。


「佐藤工作所?」


「ああ、それ親父のやってる会社。家族経営ってやつ。姉ちゃんの旦那が婿入りで跡継ぎなんだ。オレは孝介。跡継ぎから逃げ出した不肖の息子で大工をやってる」


「私は花沢英里です。大工さん?日に焼けてるから船乗りさんかと思った」


「あはは、そりゃこの街で育った子どもはみんな一度は憧れるけどね。残念ながらオレ船酔いがひどくってさ、浮き輪でも乗ったらオエッてなるの。だから中坊ん時にすっぱり断念したんだ」


 工場の入り口の、錆びに覆われ赤茶けた鉄の扉の前を通ると、中には色々な工作機械が見え、火花が飛ぶのが見えた。

 好奇心を刺激されて足がとまりそうになるけど、容赦なく腕を引かれ、そのまま隣にある一戸建てへと連れこまれる。


「あらぁ、こーちゃんおかえり。って、あんたいい歳をして実家に女の子連れ込んでるなんて……」


 玄関を開けるとちょうど靴を脱ごうとしていた女の人がこちらを向き私に笑いかけたけど、顔を見て顔を曇らせた。


「すみません、突然お邪魔して」


 私は恐縮しあわてて頭を下げる。

 その上で、バチンッと派手な音が鳴った。


「孝介っ!あんたナニ女の子を泣かせてるのよっ」


「ま、まってよねーちゃん、勘違いだって」


 驚いて顔をあげると、女の人が孝介さんの胸ぐらを掴んで鬼のような形相をしている。

 私はあわてて二人を止めようと間に割って入り、女の人に取りすがった。

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