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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第2章:丘スライムと涙と出会い
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5.丘スライム記念日

 毎週月曜日が、居酒屋野豚野郎の定休日。

 店の三階に住み込んでいる私と蓮也くんは、その日は朝4時に起きて女将さんの作ってくれるお味噌汁とおにぎりをお腹に詰め込み、大将に連れられ色んな市場を巡る。

 いつもの慌しい仕入れとは違い、私達の勉強のためだけに歩く贅沢な時間だ。

 そこで旬の食べ物や地方独自の特産物などの見識を深め、鮮度の見極めや選び方を仲買人や仕入れに来た人の様子を見て学ぶ。

 そして気になる食材があれば毎回一つ、よっぽど高価なものでなければ大将が買ってくれる。

 もちろんそれは調理し、大将に試食し評価してもらわないといけないけど。


「おじさん本当に食べられるの、これ」


「知らないのかよぉ、おねえちゃん。房総半島といえば丘スライムってくらい有名なはずなんだけどなぁ。ほら、ラジオのCMでやってるだろ。ちゅるるんスラーイム~」


 もう朝は上着がないと耐えられないくらい冷えるのに、目の前で白いランニング姿のおじさんが筋肉の盛り上がる腕をくねらせ唇を尖らせ歌う。

 ここは中央青果市場のど真ん中。

 忙しげに歩き回る業者やセリ人達が苦笑しながら私達を横目に通り過ぎていく。

 私はあわてておじさんが歌うの遮り話を戻した。


「皆どうやって食べてるのかな」


「そうさなぁ、生は最初にぬめりをとらないといけないから、乾物のほう買ってく人が多いなぁ。でもこっちだときっちり下処理すりゃぁ生でいけるからな。薄切りにして刺身醤油もええけど、わしはおでんに入れるのが好きだな。ああ、女の人はサラダに入れるのが流行だってよ」


「……それでこれ、本当に青果扱い?」


 私は、おじさんが軍手をはめた手でもちあげたそれを指しながら問うた。

 ふるるんと揺れる艶と張りのあるメロンソーダ色のそれは、始終うねうねと形状を変えながらおじさんに絡み付こうとしている。

 動きだけみれば、蛸や烏賊、見た目の透明感がくらげに似てるから、魚市場のほうが合ってる気がする。


「何とぼけたこと言ってやがんでー、どうみてもこりゃ野菜だが」



 この世界には「魔物」がいる。

 それは広義には全ての生物を言い、実際には人間以外の生物を示す。

 大地には魔力脈が這い、生き物はなんらかの影響を受ける。

 その影響とは、別の世界から来た私には常識で計りきれないこととしか言いようがない。

 猫に犬、キャベツに、キュウリやイチゴなど私が知ってる通りのものあるけれど、動き噛みつく松茸や歌う人参、鳩がスズメサイズだったりとどこか変なもの、そしてスライムやワイバーン、人魚にドラゴンといったものまで存在するらしい。

 では人間はどうかというと、やはり同じように魔力脈の影響を受けている。

 簡単に言えば、体内に「魔力」を宿してるということ。

 つまり、この世界の人間は力の差はあれども皆魔法使い。


 魔法使いになれるって、なんて素敵なファンタジー!

 と、私のこの世界での保護者、八坂さんに聞いてから自慢にはならないささやかな胸を高鳴らせてたら、「流民保護制度」の申し込みの時に健康診断と一緒に魔力診断というものもあって、魔力値ゼロと公式記録に載せられた。

 確かに元の世界で魔力脈なんてないだろうから影響もあるはずなし。この世界に来たから「ハイ、あなたは今日から魔法使い!」なんてことにもならないらしい。

 仕方が無いとは言え、希望の欠片もないゼロという現実にはへこんでしまうどころではない、これはもう悲劇だった。

 だって、この世界は魔法文明社会だもの。


「おい、早くしろよ。もうすぐ大将が戻ってくるぞ」


「あっ、いけない。おじさん、じゃあこれ1つくださいな」


「そこ書いてあるだろ、五つ半さ」


 そう言いながら、おじさんは片手をパーに開いた後、人差し指を突き出して横に向ける。

 「ひとつ」が100円を指していて、手の動きは口にした数字を示す。セリ人が使う合図だけど、市場の中は喧騒に満ちて値段をうまく聞き取れないことがあるので、おじさんはすっかり手も遣うことが身体に染み込んでいるんだとか。

 その指裁きはまるで手品師のようにす早く流暢で、さすがに素人の私は全然読み取ることが出来ない。


「そこをなんとか。三つで!」


「うーん……三つ半より負けたら母ちゃんに叱られるんだがな。まあたまにはいいか。おねえちゃんはこいつを見るのも食うのも初めてなんだから、丘スライム記念日っちゅーことでそれで持ってけ」


「ほんとに?ありがとう、おじさん!」


「おう、熊の野郎によろしくな。木曜日に頼まれてた岡山の黄ニラが入るから伝えといてくれよな」


「はい!またよろしくおねがいしますー」


 濡れた木箱の中でずるずると這い回る音がする。

 私は恐々とそれを持ち上げ抱えると、同じような木箱を大事そうに抱える蓮也くんの後ろを追った。



 大将が駐車場からまわしてきた車に荷物を積み込むと後部座席に座って水筒からお茶を次いで一息ついた。

 すると、隣に勢いよく蓮也くんが乗り込んできて車が揺れ、私はあわててカップを守る。

 抗議の声をあげようと思ったらぐいと身体を押し付けられ、汗ばんだ男くささと体温にドキっとしかけた所で、それはもう黒目が裏返るんじゃないかと心配になるくらいのメンチを切られた。


「おいお前、後藤商会のおっさんにナニ取り入ってんだよ」


「取り入るって、お店の仕入先だし色々野菜のことを教えてくれるから普通に愛想良くしてたつもりだけど」


「あのおっさん、普段大将クラスの人間じゃなきゃ、普通絶対負けてくれないんだぜ」


「負けてくれたのは私が丘スライム記念日だったからで、たまたまだよ」


「なんだそのふざけた記念日は。ともかく、あの後藤商会さんは市場の顔役の一人で超有名な人なんだからな。大将の顔をつぶすようなことはすんなよ」


「はいっ、あにさん!」


「なっ、なんだよ急に」


「いやあ、蓮也くんが兄弟子らしいことを言うから、ちょっと感動しちゃって」


「ちっ、年上だからって馬鹿にすんなよ! もうしらんっ」


 蓮也くんがふてくされ窓側に身を寄せてむっつり押し黙ってしまったところで、大将が運転席に乗り込んで来た。


「戻るぞ」


 低く響く声が短く告げると、車内に緊張感が走る。

 車が音も無く進み始める中、私達は背を伸ばして座りなおし、大将の本日の市場所感を一言も聞き漏らさないよう耳を傾けるのだった。


 ちなみに、車といっても私が知っていたような金属製で車輪がつき、石油や電機で動くあれではない。

 確かに車体は木製から金属製まで様々だが、屋根付き窓付き荷台つきのソリのような形をしている。

 底に取り付けられた金属の板には魔法の呪文が刻まれて、運転手が魔力を通せば路面からわずかに浮き上がって進むようになっている。

なので悪路でも影響を受けず、極上の乗り心地だ。大将のように運転手の腕が良ければ、だけど。

 この間、蓮也くんが運転した時はスピードは出すわブレーキのかけ方が荒いわで、ぬるぬる動くジェットコースター状態。

 私も大将もひどい車酔いになってしまい、その日一日蓮也くんは私達から八つ当たりのようにこき使われていた。

 ちなみにこの魔力で動く車は、ほんの少しの魔力があればいいので小さい子どもでも動かせる。年齢制限付きの免許制なのでもちろん子どもは運転は出来ない。


 こんなふうに魔法は、魔法を唱えて発動させる方法と、保有する魔力を流し込んで利用する方法と、2種類の手段で利用されていた。

 特に電気の活用習慣がない為、様々な設備や道具、家電のような元の世界でも見慣れた便利なものが多々あるが、全て魔力を使って動かす仕様になっている。

 魔力といっても微量で充分で、それに触れれば勝手に吸収してくれるらしい。

ただ、それぞれに魔力を供給するのも面倒なので、自宅にいる間、寝ている時などに自動的一定量蓄えられるようになっている。

 まさに自家発電!なんてエコ!

 もちろん、工場の機械や公共機関の信号や列車などは個人の魔力で到底賄えるものではない為、魔力脈から取り出した魔力を利用しているらしい。

 女将さんが昔学校で習ったことだけどという説明を聞いて、ソーラーエネルギーや地熱エネルギーを思い浮かべた。


 そんな訳で、この世界の文明の恩恵を受けて暮らすためには、この魔力の問題が私の超えなければならない大きな壁になっていた。

 部屋の灯りをつけるのも、トイレを流すのも、その魔力が必要なんだから。

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