42.貸し切り予約
店の窓を開けると、涼しい風が店内を抜ける。
窓の外はまだ八時と早い時間にもかかわらず晩夏の日差しがじりじりと地面を焼き、潮騒が耳にはっきり届く。
それでも風が軽やかで涼しいのは、この建物の窓枠に塩分を除去し、適度な湿度と温度に調整する魔法が仕込んであるから。
この建物はもともとお金をかけて建てられていた為に全ての窓にそれが施されており、私が店を開く時の改装時に是非残すようすすめられた。
昔はお金をかけた建物でよく観られた魔法技術だけど、現代では空調設備にもたせる方が機能的で効率的とされ、わざわざ窓の一つ一つに施すのは設置コストと維持魔力コストが高くつくのだとか。
魔力を持たない私だけど、この敷地内に限っては地下の魔力脈から引きこむ潤沢な魔力のお陰で困らない。
さすがに温度を調整するといっても外気温の前後10度以内しか設定出来ない為冬の暖房設備は必要だけど、夏場は窓を開けるだけで充分涼しく過ごせる。
何より気兼ねなく窓を開けて風を入れられる気分の良さといったら、この世界に来て触れた魔法の中でも特に優れた素晴らしい魔法だと思う。
店の中に篭もった雑多な臭いを風に追い出してもらいながら、私はテーブルを拭き、椅子を拭いたらそれを上げて掃き掃除と、黙々とこなしていく。
厨房の流しに山積みになった汚れた食器を洗うことを思うと気が重い。
その後でもっと気の重いことが待っていると思うと自然大きな溜息が漏れた。
昨日は、初めての竜肉体験に衝撃的な出会いのせいで、あれから仮眠どころじゃなかった。
奥様方に勧められたのと意気投合したゴンさんと盛り上がったお陰で、振る舞い酒が進み過ぎた蓮也くんを送り届け、二人揃って大将に叱られた。
もっとも、蓮也くんはお酒の飲みすぎを、私はひとりで無理をしすぎだという理由でだけど。
店に戻ってお風呂で汗を流して着替えると、再びエプロンの紐を結んで気合いを入れ直し夜の開店準備にとりかかった。
予約のお客さんは、初ちゃんとその仲間達で二十人ほどのライブの打ち上げ。
ここにも元の世界と似たような音楽文化があるのか、黒地の布や皮に金属の尖った装飾が沢山ついた服を着、派手なメイクを施した若い男女の団体が何かやり遂げたような、清々しい顔で店にやって来た。
飲み物の入ったグラスを掲げて乾杯すると、次々と机に並ぶ料理に舌鼓を打ち、笑顔が零れる。
野豚野郎のお客さんの年齢層が高めなので、同年代や年下の若者達の集団は新鮮。というか懐かしい。
元の世界でも料理漬けの生活を送っていた私は若者文化を謳歌していたとは言いがたいけれど、たまにそれを危惧した友人達に引っ張り出されて、友達の友達のライブだの飲み会だのに行く機会は少なからずあった。
気の良い人達と、ハモニカ横丁で食べて飲みながら音楽談義やラーメン談義を聞くのは楽しかったな。
楽しげに騒ぐ客達を見ながら在りし日、元の世界での自分と重なり、懐かしくそしてせつなくなる。
お酒は若干の持ち込み料をとっての持ち込み。そして料理も極々低予算のお任せでと拝み頼まれていた。昼間の仕出し料理と材料を揃え仕込みも一緒に済ませていたので、予算も厨房も大丈夫。
野豚野郎での修行のお陰で居酒屋モードは慣れたものだし、若者が好む料理も心得ている。
次々に料理を仕上げてカウンターに置けば、初ちゃんと仲間数人がせっせとテーブルに運んでくれるので、客席側の心配はあまりせずに済んだ。
ただ、肝心の初ちゃんは途中で酔っ払ってリタイアしてしまい、その代わり彼女のフォローに入り率先して動いてくれたのが剛田くん。彼は中背で筋肉質な体型でボウズ頭。無精ヒゲと太い眉でちょっとこわおもてな、大将の小型版のような人だ。
初ちゃんの音楽仲間で、彼女の紹介で食べに来た以来度々店に来てくれる。
一見、大将と同じように寡黙で気難しそうに見えるけれど、実際は人当たりよく、穏やかな声で静かに話す。
料理を出すペースが落ち着くと、カウンターで休憩していた私は、お酒や飲み会の席があまり得意ではないこという彼に手伝いのお礼も兼ねて珈琲を淹れ、そこで初めてゆっくり話すことが出来た。
彼は初ちゃんとの出会った時のエピソード、そして実は料理をするのが好きなのだと照れくさそうに話す。
私の作る料理について色々質問を投げかけ、流行の食べ物の話題から、私の知らなかった「パガロッティ」を実際に残りの材料で実際に作ってみせてくれることになった。
驚いたことに、彼は私仕様にカスタムされている厨房を、一度の説明で理解し、まるで使い慣れた場所のように落ち着いて調理していく。
いくら料理好きでも、家庭と店の厨房は勝手が違う。ましてうちの厨房は独自仕様でかなり使い難いはずで、毎日野豚野郎の厨房に立つ蓮也くんも未だに手こずっている程なのだから、素人とは思えない。
小麦粉を塩と水で練ったものを丸く伸ばし広げ、帝国産のトレント油を塗って半分に折りたたみ、更に塗って折ると生地を丸くまとめる。再び生地を薄く伸ばすと油を塗り折るという、パイ生地作りでバターを織り込むのに似た工程を繰り返した。
そしてそれを四つに切り分けてそれぞれを伸ばし広げると、今度は作り置きのトマトソースに数種のハーブやスパイスを混ぜ込んで塗り、更に細かく刻んだチーズやハムを散らして半分に折って閉じ、仕上げに油で揚げた。
トレントと呼ばれる樹木の魔物の実から絞った油は、ローストしたナッツの香ばしさに柑橘系のさわやかな香りとほんのりと甘味もあり、帝国料理には欠かせない食材のひとつらしい。
米に合わせるおかずには不向きだけど、デザートや珈琲に添えるサービスの焼き菓子を作る時に使うので、うちの店でも常備している。
生地の製法はパイというより、インド料理のチャパティに似ているけれど、中に包んだ具材からみると揚げピザのパンツェロッティに似てる。
この世界で帝国庶民料理として日本でも定着している揚げピザは、元の世界で言うハンバーガーと同じポジションにあるファーストフード。
揚げピザといっても、その時々で生地や中身の流行があり、今回はこの食感とトレント油の風味が新しいのだそう。
層になったサクサクの香ばしい揚げ生地に、とろけるチーズとスパイスの効いたトマトソースとハムの相性も程よく、若者受けするのがよく分かる。
開店してから今まで、ずっと店のことにかかりきり。世間で流行の食べ物やお店のチェックを久しくしていなかったことに気付かされて反省した。
「美味しい!薄い生地の層のサックサク感が絶妙ね。トレント油のお陰で、揚げ油の風味を感じないのがいいわ。今日はかなり揚げ物で使った後なのに。それにしても手際がすごく良くて驚いた」
「俺、静岡のうどん食堂の三男坊なんですよ。上の兄貴が継いで、下の兄貴も料理人になるって埼玉で修行して。俺も子どもの頃から厨房で手伝いをやってたんだけど、料理よりも音楽やるんだって家を出たんです。実はたいして反対されてなかったのに、その頃家出するのが格好いいとか思って。馬鹿でしょ。でも、音楽やってても料理は好きなんですよね。今、掛け持ちしてる仕事の一つが、屋台カフェなんですよ。今日のパガロッティは中身が手抜きの簡易版なんで、今度ちゃんとしたの食べてください。もっと美味いですから」
「この腕なら今からでも料理で食べていけそうよ。」
「あまり褒めないでください。その気になっちゃいますよ。でも、このまま音楽で芽が出なかったらって考えることはあるんですけどね」
料理は既に全て出し終わり、後は持ち込んだお酒が尽きればお開きという時間になっていた。
すっかり酔っ払った若者達を尻目に、剛田くんの話を聞いていたところ、トイレ帰りの赤い顔をした千鳥足の初ちゃんがやってきた。
どうやら私達の話を耳にしたようで彼の背中に抱きついた。
「えー、剛田ぁ、駄目だよそんな駄目だったらなんてこと考えてちゃー駄目駄目よ」
「わかってるよ。でも俺たちは今のままじゃ、鳴かず飛ばずで終わるのは見えてるだろ」
「キャハッ、剛田はほんと真面目過ぎるよー。鳴かぬなら、あたし達が大衆にとことんまであたし達の音楽を聴かせてやのよーっ」
「まったく、この酔っ払い。店長さん、コイツそろそろ危ないんで部屋まで送ってきます。戻ったら片付け手伝いますから」
「初ちゃんなら、このまま私の家に泊めても構わないけど」
「いえ、こいつ明日は朝から用があるって言ってたので帰らせます」
「そっか、剛田くんは初ちゃんと同じ月影荘だったね。片付けはもともと明日の定休日に一人でゆっくりするつもりだから、気にしなくていいわ」
「手伝う条件で安くして貰ってるのにすみません。でも残りの奴らのこともあるし、すぐに戻ってきますから」
剛田くんに甲斐甲斐しく世話をされ連れ出される初ちゃんを店の外まで見送ると、賑やかな店内にすぐに戻る気がせず、私は夜の海を眺め佇む。
もちろん考えているのは、私の今の一番の悩みの種、ゴンさんのことだ。
私は、元の世界に戻る為に仲間を見つけないといけない。
だからこそ今私はその為に出来ることをやっているのだけど、今日、私が求めていた反応を得た時に気付いてしまった。
米料理への反応だけで、はたして本当に同じ世界から来た人だと判断出来るんだろうか。
現実とファンタジーが混ざり合ったこの世界に来てずいぶん色々戸惑ったけど、同じようにまた少しどこかが違う並行世界の人かもしれない。
おまけに、もしこの世界に来てから魔力を持ってしまっていたら、元の世界には戻れないということになる。
もしゴンさんが魔力を持っていて、私が元の世界に帰るつもりでいることを知り、自分も同じように戻りたいと願ったら?
全く同じ世界の人間かどうかは、さすがに私では判断できることじゃないから悩んでも仕方が無い。それより問題は後者。
今日の彼は米料理のことに夢中だったけれど、さすがに一晩経てば頭も冷え、きっと疑いを持つはず。
米は元々存在しないわけではないから、言いつくろって誤魔化して、確信を与えずにやり過ごすことは出来ると思うけれど、私自身どうするか心が決まっていない。
そして昼間、私はしこたま竜肉を味わった後で蓮也くんを送り届る為に、町内会長の奥さんと社長さんにお礼の挨拶に行った。その時、社長さんに頼まれてしまったのだ。
「なあ、嬢ちゃん。ゴンの奴が嬢ちゃんの店の料理を食べたいと言うんだが、今夜か明日連れていってもいいかな」
「残念ながら今夜は貸し切り予約が入っていまして、明日は定休日なんです。明後日の月曜日からなら通常通り営業していますので、いつでもいらしてください」
「そうか、こいつはこまったな。実はゴンの奴は月曜日にはここを立つんだ」
「せっかく数ヶ月ぶりに吉祥寺に戻ってきたのにですか?」
「ああ。俺たちは一ヵ月は家でゆっくり出来るが、あいつは特別でな。来週からしばらく筑波の研修所に詰める予定なんだ。それが終わったらすぐに島の加工場へ行かさにゃならん」
「じゃあ、ゴンさんはここで二日しか休めないんですか」
「ああ。だから本当なら明日の夜に奴の好きな寿司を馳走するつもりだったんだが、今回はどうしても嬢ちゃんの店で食いたいと頼まれてな。悪いがなんとかしてもらえんだろうか」
社長さんが目をやった先、軒下の日陰にはゴンさんが、満腹になったせいか心地よさそうに寝ている。
明日は特に予定もない。そこまで言ってもらえるならと喜んで引き受けてもいいところだけど、相手が相手なので躊躇してしまう。
と、私の手にずっしりとした紙包みが押しつけられた。
すでに私の手には同じ紙包みが入った袋があり、中には追加で焼かれた参加者のお土産用の竜肉が入っている。
既にもっているからと断ろうとすると、社長さんはにやりと笑った。
「嬢ちゃん、これは竜肉の脂煮だ。竜肉を気に入って、いい食いっぷりを見せてくれた礼さ。ぜひこれも食ってみてくれ。焼いた肉とはひと味違う旨さだぞ」
「竜肉の脂煮?」
「帝国輸出用の竜肉は専ら脂煮の缶詰さ。切り身の冷凍もあるが扱いが面倒だからな。これは端が煮崩れたハネ分だが、喉肉だ。本来なら三つ星缶さ」
自分ののど仏あたりを示しながら自慢げに告げる社長さんは、自社製品の中でも一等品でどれだけ美味しいかを熱く語り、私はごくりと喉を鳴らし、もう否とは言えないことを悟った。
「ありがたくいただきます。それで——材料の準備もありますし、明日の夕方五時はいかがでしょう」
「無理をいってすまんな。その時間なら、奴一人を行かせるから好きなだけ食わせてやってくれるか。来週おたくの店に家族で食事に行くから、代金は全てその時に一緒に払う。休みに無理言って開けてもらうんだ、割り増し料金でも文句はねえよ」
「分かりました。では扉に定休日の札は出していますが鍵は開けておきます。そのまま中に入ってくださいとゴンさんにお伝えください」
店の掃除と皿洗いを済ませた私は、冷えたお茶の入ったグラスを手にカウンターに座ると、一息ついた。
昼過ぎに今夜の予約分の食材の買い出しに行くつもりだけど、時間はまだたっぷりある。
レジ横に置いていたノートをとると新しいページにペンを走らせ、一番上の行に『山田権兵衛様、貸し切り用献立』と書いた。
彼のことは、料理を通して知り、料理を通して考えればいい。
さて、彼は何が食べたいかな。
私は昨日の嬉しそうにおにぎりを頬張るゴンさんの姿を思い出し、ほくそ笑んだ。
作中の「パガロッティ」は創作です。
ググって出てくるパバロッティとは関係ありません。
そしてパバロッティは食べ物ではありません。




