41.竜と魔力
「ネッシー?そんな呼び名は知らんが、これはアカハラオオウミリュウっちゅう竜だ。海底火山の近くを餌場にしてるから、俺たち船乗りは火山竜って呼んでいるぞ」
「竜、ですか」
以前私は、出雲で中津様を乗せた龍を見たことがある。
その時の龍、東洋で馴染みの神聖さや畏敬さを感じた龍とはまったく異質な、獰猛な顔つき。
これが竜なのかと驚き本に見入っていると、社長さんは愉快そうに笑った。
「昔に比べると頭数も減ったし、竜肉は加工して帝国へ輸出されるのがほとんどだからな。若いもんは普通食ったこともないわな。こいつは竜種の中では特に小さい部類だが、海竜の中では一番旨いぞ。日本近海じゃ小笠原周辺にしか見かけないし、警戒心が強くて群れを見つけても狩れるほど近づくまでにまず三ヵ月はかかる長期戦だ。お陰で一年のほとんどはそのあたりの海に船浮かべて暮らしてるようなもんだ。もちろんその価値はあるがな」
そして、図鑑の絵の背中の背中の一部を指差す。
「今焼いてるのはここんところの肉だ。今回の獲物はまだ若くて小さい。それでもうちの船二艘半程はあるから、島の基地へ引いて運ぶのも一苦労さ。そこでバラして加工するんだ。火山竜は自分より大きいものには絶対近づかない性質があるから、これ以上船もでかいのにはできないし。捕竜船は小回りと馬力が第一だが、どんだけ肉を詰め込んで帰れるかが……っておい、嬢ちゃんはそっちには興味ないようだな。やれやれ」
私は社長さんの話を聞きながらも、改めて炙られている肉塊を凝視し、感動に打ち震えていた。
この世界にきてその魔物の存在を知った時、その一部が食用にされていることを知っていつか食べる機会があればと思っていたけど。
なんて幸運!今、まさにその竜の、ドラゴンの肉が目の前にある。
食い入るように肉を見つめていた私は、少しして我に返り、隣に立つ社長さんの存在を思い出しあわてて質問した。
「それで……それで、どうして火にかけてるのに肉が焼けないんですか?」
ちびりちびりと酒を飲んでいた社長さんは、興奮した口調で真剣に問う私に喉の底で笑い声をあげる。
「クククッ、嬢ちゃんは面白いな。火山竜の皮や肉は普通の刃物や熱にめっぽう強いんだ。しかも肉は露出した部分は水や空気に触れれば五分ほどで硬くなる。なんせ住処が住処だからな。もちろん食うためには切り分け火も通さにゃならん。そこで魔力や竜脂を使うんだ」
「え、話が分からないです。さっき普通に刃で切ってましたよね?」
私が首を捻ると、出来の悪い生徒に教えるようにゆっくり言葉を選びながら説明してくれた。
「火山竜は噴火している火口や溶岩の中に飛び込んでも短時間ならピンピンしてるくらいに強靱な身体だ。噴火の時に飛んできた岩に当たっても衝撃は受けるが皮は傷つかねぇ。それでも仲間同士の争いや、他の魔物との争いで怪我をする。竜に喧嘩を売るような奴は人間を除いてバケモノみてえな魔物ばっかだだからな。そいつらは膨大な魔力を持っていて本能で操ることが出来るんだ。竜が炎や氷の息を吹くのはさすがのお前さんでも知ってるだろ?あれは竜が使う魔法の亜種みたいなもんだ。喉元に魔導環って器官があって、魔力をそこに通すことで炎や氷のブレスが吐き出されるんだよ。ま、そこまで詳しいことは魔法学校くらいじゃねぇと習わんだろうが。それと同じに爪や牙に魔力を流すってことも出来るんだ。そうすると、普通じゃ切れねぇもんにぶち通すことができる。竜の皮や肉を切り裂けるんだ」
「なるほど、さっきの大包丁は、刃に魔力を流せる魔道具なんですね」
私の言葉に、社長はニコニコしながら頷く。
竜の生態についてもっと話を聞きたいけれど、今は優先して尋ねたいことが他にある。
「じゃあ、竜脂とは何でしょう。竜の脂ってそのままの意味ですか」
「ああ。さっきも言ったが竜の肉は、特に火山竜は空気や水に触れるとその部分が鱗のように色が変わり硬くなる、この特性を肉鱗化と呼ぶんだ。さすがに熱に強いといっても、皮はともかく肉は溶岩に耐えれるほどじゃない。場所によっては海中に有毒ガスが溶け込んでる場所もあるからな。この肉鱗化を防ぐ為には同じ種の竜脂で覆ってやるのが一番なんだ。一度加工し糊状にした竜脂は扱いやすいし、魔力伝導効果が格段に上がる」
魔力伝導ーーまた知らない言葉が出てきた。どうやら竜と魔力は切っても切れない関係らしい。
魔力を持たない私には、もしかして最も不向きな食材じゃないだろうか。
「魔力伝導というのは、もしかして加熱といった調理する時には切り分ける時のように魔力が必要ってことですか」
「そうだ。だから竜脂に魔力を流すことで、こうやって低い温度でも竜肉に熱を通すことが出来るんだ。これはちょうど三百年前くらいに、竜を研究していた帝国の学者先生が確立した竜の食い方らしい。魔力と竜脂を使えば竜も食えるってね。魔物の王って呼ばれるこんなもんを食おうと思った人間てすげえもんだ。おっ、始まるようだぞ。蘊蓄はこのくらいにしておこうか。百聞は一見にしかずだ」
社長さんが顎で示した先では、肉を竈に乗せた男達が再び動き出していた。
それから目の前で行われたのは、料理、といっていいのか理科の実験のようだった。
私の目の前で、燃え上がる炎に構わず肉に金属のワイヤーで編まれた網がかぶせられた。
その端から伸びるケーブルがその場を取り仕切っている中年の船員さんが手にしているボタンが並ぶ箱に繋がっている。
ボタンが押されると、残念ながら爆発や炎上といった劇的なことは起こらず、ただ箱の上についたランプに緑色の光が点灯する。それが魔力を流していることは、先ほどの説明から想像できた。
ルリちゃんを見ていると魔法は派手なものという印象があるけど、あれは魔法の発動と共に色々派手にやらかしているだけで、実際は地味なものばかり。
結局「魔法って自家発電の電気じゃない」と身も蓋もないことを考えてしまったり。どうやら私には、ファンタジー方向でのロマンが欠如しているのかもしれない。
いやいや、それでもちゃんと目の前のファンタジーには心躍らせてる。
魔力が流し込まれる金網の下で、ようやく肉に変化があらわれたんだもの。
周囲で溶け煮える脂に誘われるように、ワイヤーに近い部分からどんどんと肉の色が薄ピンクから赤味を増していく。そして全体が赤黒くなった頃には表面にこんがりと焦げ色もつきはじめた。肉色の変化だけでなく、溢れ出た肉汁と溶けた脂が火にが垂れ落ちて立ち上る白煙と肉が焼ける匂いが周囲に漂う。その香ばしい匂いには今まで経験したことのない肉の濃密な香気が含まれていて、それが私達の鼻孔を刺激し口の中に唾液があふれる。
肉の切り出しから今まで、塩や香辛料を使った様子は全くない。それに竜肉も周囲に塗られた竜脂だって、魔力を流される前は全くの無臭だったのに。
初めて嗅ぐ、濃密な甘く熟成したような獣肉臭にスパイス香と僅かに磯の香りが入り交じったような、私には「妙なる美味しそうな」としか表現できない芳香はたちまち私の食欲中枢を刺激した。
まるで何時間にも思えた十分後、竈から大きな板の上に竜肉が下ろされた。
皮には変化がないが、その下の脂肪の層は透明になり、くつを音を立てながら脂をしたたらせている。
肉の表面はかなり焦げ付いており、皮と、脂の層と肉の表面を切り落とすと、残った肉はいくつかのブロックに分けられた。
まるでハムかベーコンを切るようにスパスパとスライスし、無造作に皿に乗せる。その手慣れた動きの無駄のなさに感心して見入っていると、いつの間にか肉を乗せた皿が参加者に配られていた。
私はあわてて駆け寄ると列に並び、自分の分を無事確保出来た。
「いただきます」
見た目は厚めに切ったローストビーフだけど、ステーキ1枚分のボリュームのあるそれは、まるでマグロか鯨肉のようにとても鮮やかな深紅色をしている。
魔力効果か短時間にもかかわらず中心部までしっかり火が通っているようで、あふれだした透明な肉汁と脂で表面がてらてらと光っている。
味付けは最後まで何もされた様子はなく、ソースもついていない。
箸でそれをつまみあげぱくりと口に頬張ると、歯が微かに抵抗を感じながらもふつりと簡単に噛み切れる。
肉の線維はとても細かく詰まっており、そこに脂の溶け込んだ肉汁を多分に含まれている。そしてその肉汁にしっかりとした塩気を感じた。
この塩気も肉本来の味なのかな。
匂いに違わず濃厚な肉の味わいを堪能しながらも一気に完食すると、ほうと息を吐き無言で天を見上げる。
私だけでなく、集まった人達皆が竜肉を食べることに夢中になり、波と溜息の音が聞こえるばかり。
美食家の祖父のお陰で色々なものを食べていたけれど、こんな肉は初めてだった。そして心の底から思った。祖父に食べさせてあげたかった、と思う。
若い頃から世界中を旅してまわり、地球上の人間が口にする多様な動植物を、ほ乳類から虫まで食べ尽くしたと豪語していた祖父のことを思い出す。
祖父が口にしたことのないこの竜の肉、食べたらどんなに喜ぶだろう。
私は口元についた肉汁をハンカチでぬぐいながら、空の皿を手にしたおかわりを求める人達の列の後ろについた。
「おいゴン、お前ええ加減にしろや」
それは私が四枚目の竜肉にかぶりついていた時だった。
社長の大きな声で場が騒然としていることに気付き顔をあげると、騒ぎの中心はうちの店側、仕出し料理が並ぶ机のあたり。
三回目の肉のおかわりの頃には列はなくなり、今は代わりにビュッフェ形式で並ぶ料理に長い列が出来ている。
料理を気に入ってもらえてよかったと胸を撫で下ろしつつ、船員さん達のお言葉に甘えて肉のお替わりをさせてもらっているのだけど、どうやらその料理の前でトラブルがあったらしい。手伝いのおばさま達と社長さんに一人の青年がどやされ、その場の注目を集めていた。
と、そこに町内会長の奥さんが登場し、その場を取りなすことで事態はすぐに落着したよう。
青年の問題のようだけど、もし料理に何か粗相があったのならまずい。
私は二人で話しをしていた奥さんと青年の元へと駆け寄った。
「あの、お話中すみません。うちの料理に何か問題がありましたか」
「あらやだ。みなとさん、心配することは何もないの。その逆よ。ねえ、ゴンちゃん」
ゴンと呼ばれる青年は、顔も腕も真っ黒に焼け、船乗りの皆さんと揃いの褪せてくたびれた作業着を着ているので、その一員なんだろう。歳は私より少し上に見えるけど、私より頭ひとつ上にある顔の色が黒すぎてよくわからない。
そんな彼はぎょろりとした目を私に向けながら奥さんに詰め寄った。
「おばちゃん、さっき言ってた、おむすび作ったのってこの子なん?」
「おむすび?ああ、おにぎりのことね。そうよ、こちらはお隣のみなとさんの店長で、英里さん。みなとさん、騒がしくてごめんなさいね、このゴンちゃんがおにぎりをすごく気に入ってしまったようで、一人で十個も食べてしまったのよ。みなとさんのおにぎりを楽しみにしていた方も多かったから、それで……ね」
「ああ、なるほどそういうことでしたか。でも、うちの店の料理を気に入ってくださって嬉しいです。ありがとうございます」
私が営業スマイルでお礼を言うと、ゴンさんが飛びつくように私の両手をとって上下に振った。
「まさかまたおむすびが食べられる日が来るなんて思ってなくてさ。しかも超うまかったし。カンドーして食い過ぎたよ。米料理は寿司か帝国料理のリゾットくらいじゃん?寿司は高すぎて、親父さんにご馳走になるくらいしかチャンスないし。リゾットもなんか違うしな。あ、俺は山田権兵衛。ゴンでよろしく」
「は、花沢英里です。宜しくお願いします」
なんだこの人。
勢いに押されて私は数歩後退し、ゴンさんは私の手をとったまま同じ歩数前進し、まるでフォークダンスだ。
「おい英里、大丈夫か」
私が戸惑っていると、今まですっかり存在を忘れていた、口元を脂でぎとぎとさせた蓮也くんが現れ、ゴンさんの手を私から引き離してくれた。
「ごめんごめん。つい興奮しちゃって。悪気はなかったんだ」
「いえ、気にしないでください。蓮也くん、大丈夫よ。このゴンさんがおにぎりがとても美味しかったと喜んでくださったの。ゴンさん、今回のおにぎりは彼が担当したんですよ」
私が状況を蓮也くんに説明すると、自分の作ったものが褒められ悪いきはしなかったのだろう。
登場した時の威嚇するような表情が一変して、嬉しそうにふりほどいたばかりの手を取ると、先ほどの彼のように激しく振った。
「ありがとうございます。俺、まだ自分が作ったものを食べたお客さんから直接感想もらったことがほとんどないんで、嬉しいっす」
「いや、うん。ほんと旨かった。これが食えるのなら、例えヤローが作ったものでもいいんだ。俺のほうが礼をいいたいよ」
「あらあら。ゴンちゃんがそんなにおにぎりを喜んでくれるなんて、今回のお料理をみなとさんにお願いして本当に良かったわ」
「おばちゃん、隣の店は食堂って言ったよね。じゃあ米が食えるってこと?寿司じゃない米料理」
「そうよ。珍しい米を使った料理が色々あって、しかも美味しいのよ。私がお気に入りのカレーは、帝国料理のとはまた違って美味しかったわ」
「カレー!カレーだって?」
「カツ丼というのもほっぺたが落ちるくらい美味しくて、夫のお気に入りで、最近メニューから無くなってがっかりしていたわ」
「すみません。鬼豚が終わってしまったので、また少し時間を置いて復活させる予定なんです。普通の豚肉になっちゃいますけど」
「カカカカカカカ、カツ丼?」
「ゴンさん、うちの店以外にも近所の蕎麦屋の千登勢さんで、親子丼や天丼も食べられますよ。それに少し遠いですが、彼の働く三鷹の居酒屋では、うちよりもずっと前からお茶漬けや白ご飯がメニューにあるんですよ」
「オーマイガッ!あの千登勢で丼物が食えるって?しかも居酒屋で米が食えるって?俺が一年海に出てるうちにどーなっちゃったんだよ。米革命?それとも別世界にトリップしちゃった?マジかよ。夢じゃないよな!ビバ米!生きててよかった!」
「ゴンちゃんたら、子どもみたいにはしゃいじゃっておかしいわ。ほほほ、あなたはお寿司が好きだと思ったら、お米が好きだったのねえ」
一人で拳を天に突き上げ、海に向かって何やら叫ぶゴンさんを見ながら、私は完全に固まってしまっていた。
彼が口にする言葉は何から何まで、私に確信のGOサインを出す。
間違いない。
この人は同類だ。




