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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
営業編 第7章.ドラゴンと同胞(仮)
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40.謎の肉

「なあ英里、時雨煮ってどこにあるんだ」

「煮物の鍋の隣にある白い器に、蜃モドキを山椒と一緒に炊いたのが入ってるよ」

「お、あったあった。へぇ、どす黒い見た目の割には塩っ辛くなくて、そのまま食ってもうまいなこれ」

「味見はほどほどにね。蜃モドキって元の色がアレでしょ、濃い口の醤油を使うとどうしても見栄えがいまいちなのよね。でも素材の色を活かすのは無理だし」

「蜃モドキを時雨煮にする時は普通白醤油を使うだろ。英里は変なことにこだわるよな。青い食いもんを嫌がるなんてさ」


 蜃とは、日本の海の向側、大陸に広がる一番最近帝国の参加に入った国の名。

 それと同名の蜃気楼を見せるという蛤に似た巨大貝は元の世界でも知られている伝説の生物だけど、こっちの世界のそれは、幻を見せる能力を持つ貝の魔物。

 といっても、海の上に蜃気楼のような幻覚を見せるのは二百年以上歳を経た大貝。

 海中の魔力を吸収し蜃気楼を見せるだけで人を襲ったりはしない大人しい貝だけど、残念ながら毒貝なので食べられない。それも食べた者には幻覚を見せ、だんだんと脳を溶かし死に至らせるという怖い猛毒を持っている。

 だけど生後十年以内の小粒のものなら毒素の影響はほとんどなく、むしろ食べることで軽い幻覚効果を楽しめるらしい。

 それで、よからぬ人々が幼い蜃を乱獲。大貝も海の貴婦人と呼ばれる白く美しい姿が好まれて、昔は鑑賞用として多く採られていたとか。

 だから今は世界的に希少魔物として保護され、幻の貝と呼ばれている。


 さて、蜃モドキという呼称で知られる青蜃貝は、その幻の貝と全く同じ貝殻の形をしている。ただしあくまで貝殻の形がそっくりというだけで、貝殻も身肉も鮮やかなスカイブルーだという決定的な違いがあるから、間違えて食べてしまうという事故は万が一にも起こらないと思う。

 そして本物よりよっぽど毒々しい姿をしているくせに、毒性や幻覚作用もなく、味もいい。


 魔力を好み、その濃度が高いほど成長が早く身が大きくなる為、海中の魔力脈からの魔力漏れの箇所や、魔法戦争の海中の攻撃跡でよく見られる。

 海の色が不自然に青いと、この貝が群生しているのだと市場で教えてもらった。

 もちろんこの吉祥寺沿岸も例外ではなくて、朝採れ蜃モドキをリアカーで売り歩くおばさん達の姿は夏朝の風物詩になっている。

 うちの前の岸壁の水面下でもちっこいのが張り付いているのが見えるけれど、海底の砂の中で育ってる方が断然美味しいらしく、時々近所の子が遊びで採ったり、釣り人が魚の餌に使うくらい。


 最初見た時はその鮮やかすぎる青色に及び腰になったけれど、加熱しても肉厚な身はふっくらジューシーで柔らかく、うまみが濃厚でとても美味しかった。

 小粒のものは味噌汁に。大ぶりなものは酒蒸しや網焼きにして出すと、その香りに誘われる人が多く追加注文が止まらない。

 未だに食べ物としては毒々しい色に抵抗感を拭えない私は、醤油色に染めた時雨煮を好んで食べていた。

 でも、夏の終わりと共にシーズンも終わるので、店で出すのもあと少し。

 私は窓の外に生い茂る庭木の間から、晴れ渡る八月の青空を覗き見た。

 

「なあこれ、本当に間に合うのか」

「あと三十分あるもの。余裕余裕」


 振り向き笑顔で答えながらも、私は揚げ物の手を止めない。

 そして背後に立つ蓮也くんも同様に、せっせとおにぎりを量産していく。

 おにぎりの作り方は大将の許にいた時に蓮也くんに教えたけれど、野豚野郎にはないメニュー。なので久しぶりだと言いながら、それを感じさせない手際の良さで仕上げていく。


 普段なら昼の仕込みをしている時間。でも今日は、仕出し注文のお陰で早朝から大わらわ。

 初めての仕出しの依頼に受けるべきか大将に相談したところ、助っ人に蓮也くんを送り込んでくれ、臨時のアルバイトとして手伝ってもらっている。

 元の世界に比べればずいぶん控えめな暑さだけど、夏は夏。

 祖母のアシスタント時代にケータリングを手伝った経験もあるからこそ、この時期にこういう仕事は受けたくはなかったのだけど、例の噂や蕎麦屋の件でとてもお世話になった町内会長さんの依頼。

 しかも仕出し先は、うちの隣の倉庫の前。食べる直前に店から運ぶという条件で引き受けた。

 メインの肉料理だけは別に用意があるというので、オードブルや副菜になる和洋折衷の総菜を十品と、おむすびを六十個用意する。

 二人の頑張りもあって、なんとか予定時間前には全て盛りつけも終わり、一息ついていたところで依頼人である町内会長の奥さんが来店した。


「みなとさん、今日は無理を聞いてくれてありがとう、お料理はもう出来ているかしら」


「はい、この通りご用意出来ています。会場へお持ちしますか」


「ええ、机の用意が出来たのでそちらへお願いできるかしら。そろそろ主菜も届くし。そうだ、この後時間が大丈夫なら、ぜひ参加してらして。ご近所の方々もお招きしてるから気兼ねは無用よ。それにあなたならきっと珍しがってくれると思うの」


「珍しい、ですか?」


「私達にとってはいつもの夏の風物詩みたいなものだけど、新しく来た方にはそうだと思うわ」


 今日は土曜日。

 いつもなら営業日だけど、慣れない仕出しに加え、夜は珍しく貸し切りが入っているので臨時休業にしてある。

 昨晩は仕込みに終われ徹夜明けで、受け渡しが終わり、片付けを終えたら少しでも仮眠をとる予定だった。

 だけど奥さんの思わせぶりな口調に興味を引かれ、料理を運ぶがてら行ってみることに。

 早朝の市場への仕入れ帰りの早朝から手伝ってくれていた蓮也くんも、疲れた様子も見せず、同じく興味津々でついて来た。


「おい、ここで何があるんだ」


「さあ、私も船が帰港するのでその慰労会としか知らないの。さっき庭に香草を摘みに行った時、大きな竈を用意していたから魚か肉でも届くのかな」


 会場である店の隣の倉庫は、常に閉じられたままだった扉が開かれ、辺りには顔見知りのご近所さんから面識のない人まで、老人から子どもが二十人程集まっていた。

 そして入り口の前には使い込まれた組み立て式の大きな鉄の竈が用意され、上に二畳分もある鉄網が乗せられている。

 竈の中をのぞくと炭や薪ではなく、かまぼこ板サイズの黒色の無骨な金属の板が数枚無造作に入れられていた。よく見れば、その表面には呪紋のようなものが刻まれている。 

 これは特大のバーベキューコンロのような魔道具かと見ていると、奥さんが私の肩を叩いて海を指した。


「ほら、だいぶ見えてきたわ。船がこっちに向かっているでしょう」


 見れば、青い空と海に挟まれ、まっすぐに白波のラインを引きながら一艘の船がこちらに向かっている。

 陸に近づくにつれ船の姿が大きくよく見えるようになり、甲板に立つ数人の男達がこちらに向かって手を振っているのが分かった。

 岸壁で佇む人達はその姿に歓喜し、皆口々に叫び手を振る。それは、普段お淑やかで上品な風情の奥さんも同様だ。


 吉祥寺で生まれ育つと船に憧れる男児は少なくなく、大人になって船舶関係の仕事につく率が高いと、前に孝介さんが言っていたっけ。

 倉庫の前に接岸した船は大型の漁船で、白い船体に黒い太々とした字で「瑞宝丸」という名が入っている。

 船は町内会長のお兄さんが所有していて、一度航海に出ると半年は戻ってこないと、奥さんが教えてくれた。なるほど、船から下りた青年から初老の男性まで総勢八人は、生半可ではない日焼けっぷりで真っ黒だ。

 家族や知人が出迎え、集まった人達無事の帰還を喜ぶ。この歓迎ムードには蚊帳の外の私達は、そろそろ退散をしようと目で相談していた。

 そんな時にそれは登場した。


「おーい、下ろすぞーっ」


 甲板から滑車を使い、大きな木箱が地上の台車の上に吊り降ろされる。

 船内で充分冷やされていたようで、暑い日差しの下で白い冷気を放つそれは、すぐさま倉庫の中へと運ばれた。

 その場にいる皆は大きく開かれた倉庫の入り口にぞろぞろと移動し、私達もそれに続き中の様子を見守る。


 バールを手に待ち構えてた男達がさっそく木箱を側面をこじ開け、さらに内側で包んでいた厚手の帆布を解き開いた。

 そしてその中から現れたのは、白いクリーム状のものをたっぷり塗りたくられた巨大な肉塊だった。


 大将の車より一回り大きいその肉塊は、魚肉よりほ乳類に近い肉質をしている。色は牛や鯨肉よりも薄く、鶏肉のような鮮やかなピンク色。骨は見えず、皮と肉の間にはぼってりと黄色っぽい厚い脂の層が見えることから、それが生き物の身体の一部なのが想像出来た。

 男達の手でその肉塊が動かされると、赤色の皮が姿を現し、濡れてぬめりを纏ったそれは、ごつごつと褐色の松の樹皮のような鱗がついており、鰐皮に似てる。


「ものすごく大きいけど、蜥蜴や鰐の仲間かな。蓮也くん、あれって何の肉か分かる?」


「いいや、さっぱり。でもきっと本体はクラーケン並かそれ以上のでかさなんじゃないか」


「うわぁ、どんな姿をしていたんだろうね。見てみたいな」


 去年のこの時期、出雲の海上で男達に狩られた水棲魔物の巨体を思い出し、私は目を輝かせ、蓮也くんは嫌そうに顔をしかめる。


 と、いきなり私達二人周囲の人達が入り口の方を向き、歓声をあげた。

 儀式めいたゆったりとした足取りで登場したのは、船が到着した時、特に熱烈に歓迎されていた社長と呼ばれる総白髪の船長だった。

 町内会長夫婦が出迎えていたので、きっと話に出たお兄さんなんだろう。

 社長は右差し出された包丁を受け取ると、肉を一片削ぎ取る。

 そして今度は左から差し出された白い紙にそれを挟むと踵を返し、自然と割れた人垣の間を抜けて船をつけた脇、うちの店の前の岸壁に海へ向かって立った。


「今回も無事我々は戻ってこれた。そして例年にない豊漁。これも住吉大神様のお陰。感謝の献供、受け取りたまえ」


 波音や港から聞こえる喧噪にも負けない大きな声で口上を述べると、手にしたものを海へと投げる。

 白い紙も肉片も、瞬く間に波間に呑まれていった。

 途端に歓声や口笛が上がり、社長の日に焼けた顔が破顔する。


「よう、神さんへのお礼は終わった。残りは皆がもらってくれ。いつも通りに先に振る舞いをするから、配るのはその後だから待っていろや」


 社長の合図に肉塊の側に残っていた船員達からひときわ野太い声があがり、鯨包丁に似た大ぶりな刃物が入れられた。

 四分割されると、手の空いた男がすかさず包んでいた布にべったりとついているクリームをへらでとり、肉の断面に塗り込む。

 そして切り出された肉塊の一つはそのまま倉庫から運び出され、網の上に置かれた。

 それから竈に火が入ったのだけど、網の下から噴き出し肉を包み込んだのは、虹色の火柱だった。


「なんて豪快」

「ああ、すっげー迫力」


 固唾を飲んで見守る私の目の前で、表面にべたりと張り付いたクリームがみるみる透明になり、流れ落ちるかと思いきや肉の表面に留まってじゅわじゅわと音をたて煮えはじめり。だけど、皮も肉も火にあぶられているというのに変化が見られない。

 

「まだ少し時間がかかるから、それまで酒でも飲んでいよう。つまみも用意してあるから好きにやってくれ」


 社長がそう言うと、阿吽の呼吸で船員の身内らしい婦人達が沢山の湯飲みと焼酎の瓶を数本持って現れた。

 最初の一杯を受け取った社長はそれを再び海に中身を放ち、二杯目を受け取ると乾杯の音頭をとる。

 海の男らしい振る舞い酒だなと見ていると、私も勧められ、形ばかりそれを受けた。

 横にいたはずの蓮也くんの姿が見えないと思ったら、ご近所の奥さん達に取り囲まれてお酒を勧められている。

 大将から夕方までに店に戻る出るようにって言われてるのに……と心配しながらも、私はすぐに炎の中の肉塊にすっかり夢中になっていた。


「結局、何の肉なんだろう」


 誰かに尋ねようとしても、皆久しぶりに会った家族との会話に忙しく声をかけずらい。


 これだけの炎の中で、未だ肉自体に変化は見られない。

 火が通っても見た目は変わらない肉なのかな。

 焼肉のように切り分けて焼いた方が火の通りも早いし、食べやすいはずなのに。塊のままというなら、ローストビーフ風になるのかな。

 未知の食材に未知の調理法。

 軽く口をつけただけの湯飲みを手にしたまま考え込んでいると、いきなり強い力で肩を叩かれて飛び上がった。


「嬢ちゃん、飲んでるかい」


 振り返れば、先ほどの社長が、湯飲みと半分ほど空いた酒瓶を手に立っていた。


「弟の嫁に聞いたが、隣の空き家に入った店は嬢ちゃんのだって?」

「ええ、そうです」


 そういえば、この人が倉庫の持ち主ということは、お隣さんになる。

 店を出した時に持ち主に挨拶をしようと調べたのだけど、連絡したら長期不在だからというのでとりあえず言付けだけお願いしていたんだった。

 改めて自己紹介すると社長は物珍しそうに私を見ながら頷き、硬く荒れた手が強引に私の手をとり力強く握ってきた。

 そして私の湯飲みに酒を注ごうとするのを、まだ仕事があるのでと申し訳無いが断った。


「ああ、そういえば何の漁に出ていたのですか。それからあの肉って何の肉なんですか。周りに塗ってある白いものは何でどんな役割があるんですか」


 話題を変えるというより、せっかく向こうから話しかけてくれたチャンス。

 さっきから尋ねたくてたまらなかった質問を浴びせかけた。

 社長はそんな私の勢いに目を丸くして驚き、そして豪快な笑い声をあげた。


「なんだあ、お前さん、何も知らないでここにいるのか」

「はあ、今日は立食の宴会と聞いていたのですが……」


「はははは。そうかそうか、じゃあきっとアレも見たことがないな。じゃあちょっと待ってろ」


 社長はそう言い置いてひとり倉庫に入り、少しすると戻ってきた。

 手には長い間窓辺にでも置いてあったのか、日に焼け白く色褪せ読み込まれた図鑑が一冊。

 その表紙を開き、パラパラとページをめくる。

 そして見つけたそれを私の鼻先に突きつける。


「どうだ、俺達の獲物は」


「こ、これってまさか……」


 私は息を呑んだ。

 見開きのページに精密に書かれた魔物の絵。そしてびっしりと添えられた帝国語の解説。

 文字は専門用語ばかりなのか私にはほとんど理解できなかったけれど、絵を見るだけで充分だった。

 顔の半分以上を占める口にはずらりと鋭い歯が並び、頭には瘤のような出っ張りがある。首は細長く、その下の胴は象のようにまるまるとした巨体で、手足はひれのようになっている。

 先ほど見た鱗付きの皮よりも鮮やかな赤い表皮に描かれ、元の世界なら白亜紀を代表する生物のひとつ、巨大水棲爬虫類の姿にそっくり。

 いや、水面に浮かび首を突き出す挿絵を見て、恐竜よりもっと印象深い生き物を思い出し、思わずその名が口をついて出た。


「ネッシー?」

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