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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第1章:松茸探しから異世界へ
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4.噛み付き茸尽くし

 松茸料理を始める時、まずは濡れ布巾で軽く傘の表や軸の汚れをとってやると、包丁で石突を削り落とす。

 その下拵えが終われば、それを手で裂いて炙ったり酒を振ってホイル蒸しにするといい。

 身にじわりと熱が入り松茸の香りがたった所でキュッと柑橘を絞って醤油をひとたらし。

 喉奥から鼻に抜けるほの甘い芳香にくきゅっとしたあの歯ごたえを味わえる、私が一番美味しいと思う食べ方。

 もちろん、短冊に切ってほんのり醤油色に染めた松茸ご飯もいいし、出汁に浮かべれば極上の香りを楽しめる吸い物もいい。

 私には少し濃厚過ぎるけど、すき焼きの具として牛肉との相性もなかなかだ。

 祖母は贅沢にも残った松茸を佃煮にしてた。受験勉強で夜が遅い時に、ご飯に乗っけたお茶漬けを作ってくれた。あの味を思い出すだけでも涎が尽きない。


「おい、見てるだけじゃ何も出来ねぇぞ」


 まな板の上に乗せられ、目の前をごろりんごろりんとゆっくり揺れる噛み付き茸が2本。

 私は包丁を構え、それから三歩下がったところからじっと見下ろしていた。

 それを向かいのカウンターに座ってニヤニヤしながら見物している年下の兄弟子が、野次を飛ばす。


「わ、わかってますよ」


 私は大将から説明してもらった噛み付き茸のさばき方をおさらいする。

 まずは、傘の付け根と軸を切り離して息の根を止める。

 次に傘の口の部分を取り除く処理をしてから石鎚にあたる根元の部分を削るのではなく切り落とす。

 そこは体を動かす神経が集っていて苦味があるらしい。

 ちなみに、この噛み付き茸、噛み付くけど肉を食べたり血を吸うのではなく、歯から遅効性の幻覚毒を注入するらしい。

 噛まれてその場から逃げ出した生き物は、少しするとその場所を訪れたことを忘れ、代わりにハッピーだったりバッドな幻覚の世界へ導びかれる。かくしてキノコ王国は安泰というわけ。

 あの時白川様に会わなかったらと思うとほんとぞっとする。あの場所のことを忘れてしまったら、私がどうして、どこからこの世界に来たのかを忘れてしまっただろう。

 それにしても、私はてっきりキノコが私を食べるのだというホラー展開を想像し恐怖してたけど、ただの自己防衛での噛み付きなのだと分かると少し安堵した。

 それにしてもわざわざ咬まなくても棘で刺すでもいいんじゃないかと思ったりしたけど、どっちも痛くて嫌なのでそれ以上深く考えるのはやめた。

 ちなみに、その毒は歯の中に精製されるので、口ごと取り除けば問題ないらしい。


 と、頭の中では危険がないことを理解したけど、目の前でごろんごろんと動いているのを見ると、まだ少し尻ごんでしまう。

 とその時、ぎぃっみしっと床が鳴り、店の二階の自宅で休んでいた大将が戻ってきた。

様子を伺えば、壁際で腕を組んで黙って立っている。だが普段から熊のような顔が、苛立ち威嚇する熊のような凄みが漂って恐い。

 私はその迫力に気おされて、とうとう覚悟を決めた。


 大股に二歩前に進み、調理台とお腹が拳こぶしひとつ空く様に足を開いて立つと深呼吸する。

 きっとその時の私は鬼気迫った顔をしていたと思う。

 駄々っ子のようにふらふらと揺れる噛み付き茸の軸を掴むと、傘の下にあの時噛まれた手で握る包丁の刃を入れスタン!と切り落とした。

 途端に、大将から叱咤が飛ぶ。


「力を入れ過ぎだ。傘が崩れる!」


 見ればまな板に触れていた傘のふちが押され割れてしまっていた。

私はもう一度深呼吸してもう一つの噛み付き茸を捕らえると、首元にそっと刃を当て軽く引いた。

 タンっと静かにまな板に刃が当たる。

 今度は綺麗に切ることが出来た。

 軸から切り離された傘は、かぱりと口を開く。

 私は口元を引きつらせながらも、その歯の根元部分をごっそり、刃を斜めに入れて全て取り除いた。

 そして石鎚の部分を切り離すと下ごしらえは完了。

 松茸のあの姿はすっかり見る影もないけれど、確かにその香りを漂わせている。


 私はふっと小さな安堵の息を漏らすと、再び口元を引き締めた。

 次は味見だ。

 私はこの世界の素材を知らないから、機会があれば出来るだけ口にするよう大将に言いつけられている。もちろん、言われなくてもなんとかしてそうするつもりだったけどね。

 そのまま1本分の噛み付き茸をスライスし、うち2枚を火にかけた網の上に乗せて軽く焼く。

 火の吐く熱気に乗って松茸の香りが立ち上る。

 私ははやる気持ちを抑えながら焼き加減に注意する。

 じっと見つめ、表面に水分が滲むのが見えたところでさっと皿にとりあげる。

 まずは一枚、そのまま口にする。


 鼻を抜ける芳香、目をつむりひと噛みすれば強い弾力に歯が押され舌にじわりと広がるまさしく松茸の味。

 そしてもうひとつ、今度は塩の粒を乗せ柚子の汁を一滴たらす。


「秋万歳!!」


「なんだよそれ」


 感極まって、思わず箸を持つ手を突き上げて叫ぶ。

 噛み付き茸は、国産物に劣らない松茸のそれだった。香りや味はもちろん、この歯ごたえの良さはそれ以上じゃないかな。

 さすが人を襲うだけある味だ。

 そう思えた自分に驚き、私はくすりと笑いをこぼした。


 念のため、取り除いた石突の部分、普通の松茸なら食べられる場所も少し切り出して焼いてみたけど、苦かった。ゴーヤどころじゃなくウコンのような口内に張付くような苦さだった。

 口をしっかりゆすいでも復活に十分もかかり、その間、蓮也くんや大将の視線が痛かった。


 さて、松茸と同じと分かれば作るものはおのずと決まってくる。

 まずは、土鍋にあらかじめ洗って給水させていた米を入れて水を加える。水の割合は米の1.2倍だけど少し固めにしたいので心持少なめに。そこに醤油を小さじ1に塩1つまみを加えてひとまぜすれば、上に松茸を敷き並べ炊き上げるだけ。

 そしてその間に、手をつけてない一本は割いたものをさっき私が試食したように焼いて食べてもらうことにし、残った軸を昨夜の店の残りの牛肉と厚揚げと一緒に甘辛く炒め葱を散らす。

 うん、噛み付き茸尽くしの完成!

 さっそく料理を盛り付けてフロアの四席のテーブルに並べる。



「あらぁ、英里ちゃんの作ったごはん美味し!熊ちゃん、噛み付き茸ってご飯にしたらすごく香りがたつのね。いつもソテーで食べてたけど、そのまま炙ったままもいいわね。蜜のように美味しいおつゆがぎゅっと染み出してくるわ」


 割烹着姿の女将さんから嬉しい声があがる。

 ちなみに熊ちゃんとは大将のことに決まってる。

 これは愛妻である女将さん限定の呼び方で、間違っても自分もと口にしてはいけない。

女将さん以外の人がそう呼ぶと路地裏に連れ込まれバイオレンスなことになってしまうと、蓮也くんが兄弟子らしく教えてくれた。

 その兄弟子は空腹だったのか、食べることに没頭し、大将にじろりと睨まれても気付かない。


 そして大将は……焼き物は気に入ったのだろう、じっくり噛み締めて噛み付き茸の味を味わっていいた。微かに頷いたのが目の端に見え、思わず頬が緩む。

 炒め物も及第点だったらしく何も反応はない。これは狙い通りで、男性に好まれる濃い目の味付けにしてよかった。

 そして残すは炊き込みご飯。

 私が見守る中、微かに大将の右眉が上がる。


「……これは出せんな」


「……はい。旨みが足りませんよね」


 大将の言葉に、私も苦い顔で頷いた。

 塩と醤油の按配でなんとかなるかと思ったけれど、やはり大将の舌はごまかせなかった。

 炒め物には隠し味に麦焼酎を使ったけど、さすがにご飯ものにはそれは使えない。


 ここは日本。

 異世界だけど日本。

 ならどうして、日本酒がない!

 と最初は憤った。


 いや、ないわけではないけれど、流通に乗らない。多分ささやかに造られ地元でだけ消費されるのだろう。

 その理由は容易に想像がついた。

 とにかくまず米の値が高い。だいたいだけど、元いた世界の倍の価格と思ってもらうといい。

 それには例の戦争が大きく影響している。

 もともと、付属国になった時から、帝国文化の影響で昔から小麦を使ったパンだのパスタだのが普及していた。そこにあの戦争で小麦の需要が高まり、多くの田が麦畑に作り変えられてしまった。

 その上、魔法攻撃の被害で有数の米作地帯が軒並み消失。

 お陰で農家との直接のコネがなければ、高い流通米を買わなきゃいけない。そんな貴重な米を加工品にする余裕がない。


 まだ、豆と麦で作られる醤油や味噌があるだけ救いだけど、日本酒がないということは、みりんもない。

 つまり、私が美味しいと思っている和食が作れない!

 この事を知った時、私はショックでその日一日ご飯が喉を通らなかったほどだ。

 私が食欲を失うなんて、祖父母が亡くなった時しかない。それほど衝撃が大きかった。


 それでもこの居酒屋野豚野郎は、群馬のあの里との繋がりがあるので他店に比べ米料理を豊富に提供していて、ありがたいことに私も賄いでその恩恵に預かることが出来るので感謝している。


 なんとかしたいな、日本酒。

 そう心の中でぼやきながら、自分としてもいま一歩な噛み付き茸ご飯を箸で口に運んだ。



「ええっ、大将、これ充分うまいっすよ」


 一人で三膳目を夢中で頬張るっていた蓮也くんが、話は聞こえていたようで、ご飯粒を飛ばしながらフォローらしき声をあげてくれたところで大将からまた拳固が落ちた。


「お前はまず味わって食べることを覚えろ。料理人になるんだろうが」


「へい、すんません」


 蓮也くんは気まり悪げに頭を下げたが、顔をあげた時には飯櫃をのぞいて残りを確認していた。

 その様子に、私と女将さんの明るい笑い声が店内に響いた。


 そしてその夜、黒板メニューに「絶品!噛み付き茸の焼き物」が書き添えられた。

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