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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
営業編 第6章.鬼豚と呪いの店 
38/44

38.侵入者

「ねえ、今日のおにぎりの具は何かしら」


「醤油で和えた鰹を入れたのと、梅干し入りがあります」


「じゃあ両方下さいな。外に置いてあるお茶は頂いてもいいのよね」


「はい、ご自由にどうぞ。おにぎりは鰹と梅の2つで二百円になります」


 厨房の奥、勝手口を覗いた女性に明るい声で接客していた初ちゃんの顔が私に向けられ、「庭に、鰹と梅の二つお願いしますー」と注文が伝えられる。

 それを聞く前に洗った手に塩をつけると、お櫃の中でまだ湯気をたてる白いご飯をしゃもじでひと掬い。

 手の平に乗せた艶やかなご飯に具を乗せざっくり丸く形を整えると、ぎゅっぎゅと前後に三度転がして握り三角形を作る。

 海苔で巻いたら皿に乗せ、胡瓜のぬか漬けを添えて完成。

 すると待ち構えていた初ちゃんが、それを取り上げ外に待たせていた女性に手渡した。



 庭を無料休憩所に解放作戦は大成功。

 入り口には『無料休憩所/月曜〜土曜、9時から5時まで解放』と木の板に書いてかけてある。

 初日の月曜日朝、張り切って庭の扉を開けたけど、無人だと遠慮するのか一人目に入って貰うまでがなかなかだった。

 前を通る人はちらちらと中を覗くけれど、誰も入ってこようとしない。

 午後になり、定休日で暇だからと言って様子を見に来てくれた女将さんがさっそく庭で寛いでいた所、それが呼び水になって一人、また一人と興味深げに入る人がいた。

 そして十日後には、昼間はお年寄りの散歩の休憩所、夕方は制服姿の学生カップルが仲睦まじく肩をくっつけあって海を眺めている。


 ちなみに、大人の頭ほどの大きいヤカンと湯飲みを多めに用意してお茶のセルフサービスを始めたのは、初ちゃんの提案。

 テラスの所に机を置いて自由に利用できるようにし、側にはさりげなくお店のメニューやチラシを置いてある。

 ううん、全然さりげなくはないけれど、効果はあり駅前で配るよりも早いペースでチラシが減っていった。


 だからといって、それに比例し店の客がすぐに増えるという甘いことはない。

 例の噂はまだ健在で、店内より数人分の椅子しかない庭のほうが人が多いという有様。

 家賃の安さと、港湾の関係者の皆さんが誘い合って食べに来てくれるお陰で、なんとか初月の赤字はギリギリ回避できそうだった。



 そして梅雨入り間近となった六月最初の日の午後、曇天の空模様のように不穏な空気を漂わせる女性の一団が訪れた。


 何人か見知った顔を見て町内の主婦達ということが分かり、昼営業を終えた店内に彼女達を招き入れた。

 メンバーの中で何度か話をしたことのある、いつも和装に身を包み、皺の浮かぶ口元に穏やかな笑顔をたたえる町内会長の奥さんは、初ちゃんが出してくれたお茶を一口すすると申し訳なさそうに切り出した。


「実は、ご存じかも知れないけれどこちらのお店のことを色々耳にしましてね。三鷹北商店街の協会長さんからもしっかりした方だと紹介いただいたし、私が心配ないと何度もお話したのだけど。ご近所の皆さんが色々心配だと納得いただけず、直接お話すれば安心していただけるかと思ってお邪魔したんですよ」


 そう紹介された奥さん達は、近所の中学校のPTAで熱心に活動しているという専業主婦や、近所の不動産会社の社長夫人や同じ通りにあり開店の挨拶にも訪れた美容室と蕎麦屋の奥さん達。

 皆好奇心で瞳を爛々と輝かせ、口々に質問を浴びせかけたいのを、年功序列なのか奥さんの話が終わるまではなんとかこらえているといった様子。

 これが俗に言う「スピーカー」と呼ばれる人達なんだなと心の中で苦笑しつつ、私は営業スマイルを浮かべ気さくに答えた。


 呪いの噂がたったのは最近だけど、昔から空き家のままでいい気持ちはしなかったと吐露する奥さん達に真偽を尋ねられ、人の紹介でここを借りることが出来たけれど、怪異も変調も何も無く快適だと伝えると、皆一様にほっと安堵の表情を浮かべ、噂を真に受けてしまってと謝られた。

 もちろん私もそういう怪談が噂されるような家の側に住むのは気分が良くないもの。そのことを責める気はない。

 蕎麦屋の奥さんが紹介とはどういう紹介なのかとしつこく尋ねたけれど、アレーナさんからは帝国貴族とのつながりが知られることは双方にとってあまり良いことにならないから公言は控えてと忠告されていたので、個人的な知り合いの紹介でとはぐらかした。


 そしてせっかくだからと、これを機会に噂のことや呪いのことをじっくり聞いてみた。

 彼女らも出所は知らなかったけれど、以前実際にこの店の前に救急車が呼ばれ怪我人を運んだことがあったので、噂を本気で信じたのだそう。

 怪我をした中学生男子が誰だったかは事件が伏せられたので個人の特定はされず、友人談なる噂だけが一人歩きしたらしい。もちろん、噂も私が聞いたものより枝葉がついていた。

 皆口ごもってはっきりとは言わなかったけれど、私についても魔物憑きだとか、よくないことを言われていたらしい。

 町内でそんな噂のたつ店があると不安で落ち着いて暮らせない。それで真偽を確かめる為に来たのだと頭を下げられた。


 そして、ここからがびっくりしたのだけど、皆が鞄やポケットから取り出したのが、ここに来る前に神社にで貰ってきたというお守りやお札。

 まだ完全に疑惑が晴れていないのか、さりげなく私にそれを手にとらせ様子を伺う人もいた。

 まさかこの世界の人がここまで怪談を真剣に受け止め恐怖を感じているなんて思いもしなかった。

 もちろんこの世界にも眉唾物の呪いの噂はあるけれど、本物の呪いも存在するらしい。

 普及している帝国伝来の魔法の中にも、そして日本に古来から伝わる魔法にも「呪法」と呼ばれる呪いをかけるものがある。そして未だ解明されない、人に害を成す事象も呪いと呼ばれている。

 そういったものに対処する国の専門機関もあるんだとか。


 この世界に来て不思議な事や物にすっかり慣れたつもりだったけど、やっぱりこういうファンタジーな事象には頭がついていかない。

 とりあえず所有者の都合で空き家になっていただけで、私がここに来て住み始めてとても快適だと熱弁しておいた。

 初ちゃんがいつもの明るい調子で援護してくれたことで、更に説得力が増したよう。

 そしていつまでも呪いの話をするのもと、良い機会だからと仕込んであった常備菜やぬか漬け、そして一口大に握ったおにぎりなど店の味を試食してもらいながら親睦を深めておいた。



 こうして、ご近所の奥さん代表者との面談が上手くいったことが功を奏したのか、歩く放送局の皆さんの活躍で「呪いの店」の噂は新たに「珍しい米料理の店」に上書きされ、それを聞いて少しづつ店や庭を利用する人が増えた。

 店の営業に支障のない範囲の数量限定で、庭で食べられるテイクアウトのおにぎりの販売を始めてみたところ大好評。

 田舎で米を食べた経験がある人は懐かしんでくれ、都会育ちの初めて食べる人には新鮮だったらしい。嬉しいことに、おにぎりを気に入ってくれた人が店を利用してくれるようになった。

 噂に振り回されていた近所の主婦達も店や庭を利用するようになったけれど、そもそも財布の紐が固く、店より庭の方を好んでおにぎりを注文する人が多い。

 それでも、米料理と店が確かに受け入れられたことが嬉しくて、私は舞い上がった。


 そしてすっかり忘れていた。

 というよりどうでもよくなっていた。

 噂の出所がどこで、どういう意図を持っていたのか。

 そのせいで、まさかあんなことになるなんて。




 事が起こったのは、梅雨が明けようとしている七月半ばの日曜日。

 いい加減長雨にうんざりし、雨脚が強く外に出かける気にもなれず、一日中独り家で過ごしていた。

 日中は仕込んでいる保存食の様子を確認したり、思いついたレシピを試してみたりと店の厨房に籠もりきり。

 日が落ちて部屋に戻っても、今度はダイニングで帳簿を前にうなっていた。

 家族連れが増えてその場で臨機応変に出していたオムライスなど子ども向けのものをメニューに載せることにし、そのための原価計算をしていた。

 料理の腕を振るうのは得意でも、こういった事務仕事は増えてではないけれど好きじゃない。

 電卓に似た計算機を叩きながらどうにかこうにか数字を並べた所で、ふと外で物音が聞こえた気がして顔をあげた。


 家内の戸締まりは万全なので心配はしていないし、庭もルリちゃん謹製の防犯魔法を発動させてある。

 部屋の隅の壁にかかった防犯魔法の操作盤に目を遣ると、見慣れない黄色の光が点滅していた。

 これは柵に人が触れた合図で、接触から一分間光続ける。

 もちろん、孝介さんが海へ飛ばされた「ピカピカのバッチンバッチンのボッチャン」から、触れた場所がただ光るだけになっている。

 更に強引に庭の中に侵入すれば、操作盤の光が赤く変わり警報のベルが鳴って知らせてくれ、同時に庭の片隅に置いてある大人の頭ほどの大きさのピンク色の蛙の置物が光りながらぴょんぴょんと跳ねて追尾し、侵入者に警告メッセージを発するようになっている。はず。

 はずというのは、最初に試しに作動させてもらった後、ルリちゃんが何やら調整だと触っていたから。

 そう出番はないものだしと、あえて見なかったことにしていたんだった。


 最初はうっかり通りすがりの人が触れてしまったのかもしれないと思っていた。

 今までも何度かあったし、このまま立ち去ってくれればと思ったのも束の間。光は赤の点滅になり、まるで午後のお茶の時間を知らせるかのような軽快なベルの音が部屋に響いた。


「やっぱりこの音、緊迫感がないな」


 思わず脱力してしまいながらも警戒音だったことを思い出した私は、あわてて庭側に面した寝室へと向かう。そして暗い部屋の中から窓の外をのぞく。


 庭では予想通り、ピンク色に発光している蛙がルリちゃんの可愛らしい声で「侵入者ですの!」と連呼しながら、黒ずくめの人間を追いかけ回すというシュールな光景が広がっていた。

 侵入者と名指しされている黒ずくめの人間は、言葉にならない叫びをあげながら、暗く雨に濡れた庭をこけつまろびつ駆け回る。

 そして外に逃げようとしたところ、塀にかけたそこが光って手を弾き慌ててその手を押さえるの様子が見えた。

 庭に面する建物の外壁も窓も同じ状態で触れられず、庭に閉じ込められ八方ふさがりになった模様。

 私はルリちゃんの徹底ぶりに背筋を冷やしながら、慌てて不審者の侵入を警察に通報した。


 警察は元の世界のそれと役割はほとんど同じ。

 この世界に来てすぐにお世話になった警護番は、離島や過疎地に置かれた警察の管理下にある自警団なのだそう。

 出来ればもうお世話になりたくなかったけれど、背に腹は代えられない。

 私は通報の通話を切った通信端末を手にしたまま、カーテンの影から侵入者を観察した。

 暗がりだし、黒い目出し帽のようなものをかぶっているので、人相は分からない。

 私より小柄だけど、武器か何かを持っているかもしれないので余計なことはせず、じっと上から様子を見守る。

 そして数分後、元の世界のそれとは違うけれどけたたましいサイレン音を立てた車がこちらに近づいてきた。

 庭で息も絶え絶えといった様子の侵入者もそれに気付いたようで、狼狽をみせ思いがけない行動にでた。


 黒づくめの人物は、たまたまテラスの柱に立てかけていた立て看板を両手でつかむと頭上まで高く振り上げ、追ってくるピンク蛙に思い切り振り下ろす。

 私は蛙が壊されるだろうと息を呑み、次に蛙が放った閃光に思わず目を閉じた。


「ぎゃあーーーーーっ」


 まるで蛙が潰れたような声が響きながら遠ざかっていき、派手な水音が響く。

 覚えのある音にまさかと思って目を開けると、庭にはピンク色に発光する蛙がいるだけ。そして岸壁の向こうに広がる真っ黒な闇のような海の中で、やはりピンク色の発光体が浮かんでいる。


「ルリちゃん、だからボッチャンは駄目だってば……」


 私は慌てて外に飛び出すと、ちょうど店の前に到着した警察を捕まえて状況を説明し、海の中の犯人の救出をお願いすした。




 無事犯人が海中から引き上げられた時、周囲には騒ぎを聞きつけた野次馬、いや、ご近所さんに囲まれていた。

 警官にに事情を聞かれている私の隣には、ピンク蛙の作動を感知し、お風呂中だったのですわと遅ればせながら転移魔法で登場したルリちゃんがいる。

 犯人が助けられたと聞いてそちらにかけつけると、濡れ鼠になった犯人の太い胴に、すっぽり大型トラックのタイヤほどもある発光するピンクの太い浮き輪が嵌められていた。


「ルリちゃん、これは何なの」


「見ての通り浮き輪ですわ。どうです、これで万が一溺れたりすることはないし、見つけるのも簡単でしょう。色々考えたんですのよ、怪我をさせずに天誅を下す方法」


「これはやりすぎよ。海へ飛ばさなくても、その場でこうすれば動けなくなるじゃない」


「えー、それだとお仕置きになりませんわ」


「それは警察に任せるの。ともかく話は後でね。まずその浮き輪を外してあげて」


 巨大浮き輪は、胴体にぴっちりとはまり、数人の男手でも引きはがすことができない。

 ルリちゃんは不満の声を漏らしたけれど、私と事情聴取後にやりすぎだと小言を言った警官に睨まれ、しぶしぶ魔法を使ってそれを消した。

 警官達は魔法を見慣れないようで、犯人とルリちゃんをおっかなびっくり交互に見やっていたけれど、身体が自由になった犯人がじたばたと動き始めたところを押さえつけて水を吸って重たくなったマスクや上着を脱がす。そして隠されていた中身を見た私は驚きの声をあげた。

 下に着ていた濡れたTシャツを張り付かせた丸い身体は女性のもので、更にわかめのような乱れ髪が張り付いた顔は見覚えのあるものだったから。


「蕎麦屋の、千登勢の奥さん……!どうしてこんなことを」


 救出時に多少水を飲んでしまったのか、咽せていた彼女は私の声に顔をあげると憎々しげににらみ付けてきた。


「全部、あんたの店、あんたのせいよっ! あんたと、この店のせいで私達の計画はめちゃくちゃなんだからっ!」


「ちょっと、奥さん何を言って……」


 町内の奥さん達と店に来たときも多少テンションが高かったなと思うけど、不機嫌な様子は微塵もみえなかった。それ以前も、開店の挨拶に訪れてからは時折顔を合わせたら挨拶をする程度。

 そんな怖い顔で威嚇される覚えはない。


 奥さんに近寄り問いかけようとした所で、警官に連れていくからと遮られてしまった。

 毛布に包まれた彼女は、衆目に晒されながら警官を引き連れて病院に運ばれ、私は翌朝警察署に出向くようにと言われる。

 その後、簡単な現場検証が終わると警察は引き上げて野次馬も去り、夜半前には静けさが戻った。

 そして警察から連絡を受けて鬼気を纏ったミカゲさんもかけつけ、私に事情を聞くとルリちゃんに有無を言わさず回収していった。


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