37.日曜日
みなと食堂の定休日は日曜日。
お客の入りも悪いので当分は無休でいくつもりだったけど、このままだと焼け石に水。なので、今日は店の扉に「休業中」の札が下げてある。
だけど店の庭では騒々しい物音が響いていた。
音の主は私。
五月晴れの昼下がり。日差しの下で帽子のつばの影の下の首筋に汗をにじませながら、工具を手に木材と格闘していた。
店の窓辺に設けてあるウッドデッキでは、佐藤家のコマメが心地良さそうに昼寝をし、その横で孝介さんはビールの小瓶を片手に座りくつろいで私の様子を見ている。
傍らには大きめの盆が置いてあり、お替わりのビールにスナックやサンドイッチといった軽食が乗っていて、それを頬張りながら私に指示を出した。
「ちゃんと板を足で固定しなよ。そんなに力を入れなくても、軽く手を引けばまっすぐ切れるからさ」
「はい」
木の板に引いた鉛筆の線に沿って、のこぎりを引く。
何度も歯を当て直したせいで断面がギザギザになりながらも、どうにか板を真っ二つにすることが出来た。
「おつかれさん。それが最後の一枚だろ、一息つきなよ」
「ふう、もちろんそのつもりですよ」
私はデッキの上の椅子にかけておいたタオルをとって汗を拭くと、盆を挟んで孝介さんの隣に座った。
盆の端に乗せていたグラスをとると、中に入っていた麦茶を喉に流し込む。
そしてほっと一息つくと、孝介さんの視線を追いかけて右手、庭の海側に目をやった。
今朝まで板塀が遮り空しか見えなかったのが、今は青空の下に穏やかな海の間に大きな貨物船や客船がゆっくりと航行する姿が見える。
今日は休みを利用して、塀の改修作業をしていた。
予定外の改装にお金をかけたくないこともあり、今ある塀をそのままに低くすることにした。
具体的には、支柱に横向きに渡し張り巡らせてある板の上部を取り払い、二メートルほどある塀を半分の高さにして白く塗るという計画。
さすがに扉を作るのは無理だから、改めて板を買って木戸のようにとりつければ……と簡単に考えていた。
ところが、釘を抜いて板を剥がそうとする所からうまくいかない。
脚立に乗っての高所での作業に加え、長い年月潮風に晒されているのに何故か錆びずに黒々としている釘頭が板に深くめり込んで全然抜けない。
計画通りに進まないどころか釘の一本も抜くことができず、釘抜きを手に塀にしがみつき、半泣きになりながら格闘していた。
そんな苦戦していた所に通りかかったのが、コマメを散歩中の孝介さんだった。
何故自分に相談しなかったのかと言われ、仕事として頼まないのは申し訳なくてと答えると呆れられ、更に水臭いと更に怒られてしまった。
そして手伝を申し出てくれたのだけど、私がお世話になりっぱなしだからと渋る私。
結局昼食を対価に、板を取り外し低くする所までは孝介さんが手伝ってくれることになった。私の担当は塗料を塗るだけ。
「英里ちゃんさ、前にオレが言ったこと忘れてるだろ」
「前?」
「ここはただの古い建物だと侮っちゃいけないって話」
私は首を傾げ、改修工事の時に孝介さんが毎日のように目をキラキラさせ、嬉しそうに建築の専門的なことを語ってたのを思い出した。
正直内容に興味が持てず右から左に聞き流していたんだった。恐らくその時のことなんだろう。
孝介さんは、板塀を愛おしそうに撫でながら続けた。
「これはうちの親方の受け売りだけど、ここは建物だけじゃなく塀まで、当時の帝国の魔法を使った技法や貴重な素材が使われているんだ。この塀って百年くらい経ってるのに痛みが少ないだろ。潮風は木を劣化させやすいんだ。だから今は木材には専用の塗料を使うけど、この家の木材には今は希少種で捕獲が禁止されている魔物の体液から作られた溶剤が染みこませてある。これは金属と違って魔法を伝達し難い木材の処理方法で、この処理と魔法を合わせれば、風雨に晒されても傷みにくいし耐火性にも優れてるし、何より衝撃にも強い。魔力を流した後なら釘も錆びないし抜けない。でもそれじゃあ効率が悪いし金もかかるんで、塗料の方が広まったんだ。素材の調達だけじゃない。作業をするには魔法を解除する必要があるが、イチイチ魔法使いに頼むと更に金がかかるだろ?塗料の方はその場所の塗料を専用の溶剤で拭き取ればいいが、ここのは効果に割り込む専用の道具が必要なんだ」
「なるほど、だから私じゃ歯が立たなかったんですね。じゃあ孝介さん、昼食にビールをつけるので手伝ってもらえますか。お願いします」
「まかせとけ。ただし、やるからには妥協も手抜きも無しだよ」
頭を下げた私に、威勢良く言って胸を叩いた孝介さんは、コマメを置いて私の自転車で工具を取りに戻った。
そして携えてきたそれは、かなり使い込まれた風合いの一見普通の大工道具のセットに見えるのだけど、柄の尻の方に金属の輪が嵌められ、そこに魔法刻印が刻まれている。孝介さんの親方の持ち物だったけれど、もう今は使うような仕事がないからとうちの仕事を機に譲ってくれたんだそう。
私が店の厨房で約束の昼食を用意している間、庭をコマメが駆け回る中、さすが大工が本職の孝介さんは一時間程で不要な板を全て外し終えてしまった。
上に飛び出すように残っていた支柱も新しい高さに合わせて切り揃えられている。
「英里ちゃんのお陰でオレもここの仕事をさせてもらって、いい勉強になったよ。ということで英里ちゃん。色を塗る前に、ついでにこの廃材で扉を作っちまおう。これを捨てちまうなんて勿体ないからな。それに後で板戸をとりつけるって英里ちゃん一人じゃ無理だろ」
「え、扉まで作るなんて。さすがにそこまでお世話になるわけには……」
そう言いながらも、孝介さんに助けられるまで手も足もでなかった為に、朝までの妙な自信はすっかり消えていて語尾が弱気になる。
「だから英里ちゃんがやるんだよ。英里ちゃんも勉強しよう。この道具を貸してやるから、板の長さを揃えて切って、そこの細い板に釘で打っていくだけだから。簡単だろ?」
数枚の板をまっすぐ切って釘を打つだけ。
と言われると確かに簡単そうだけど、普段持ち慣れない道具にほとんど経験のない作業。
孝介さんが簡単に引いた図面にそって板を計って切り、示された場所に釘を打つ。
道具の持ちから教わり、なんとか作り上げるまで結局二時間以上かけてしまった。
でも、これであとは色を塗るだけ。そう先が見えて安心すると急に空腹を覚え、私は残っていたサンドイッチを一切れとると頬張った。
孝介さんの作業が早いので、大急ぎでありもので作った一品。
試作の焼き豚の残りのスライスが、一緒に挟み込んだレタスとトマトとマヨネーズに合っている。
二人分用意したつもりだったけど、既に8割が孝介さんの胃に消えていた。
休憩を終え、すっかり重くなった腰をあげて作業を再開。
私が端から刷毛を手に塗っていく横で、孝介さんは私が作った扉を塀の支柱にとりつける。
二人で喋りながらの作業のお陰で、飽きることなく順調に進んだ。
海側の道は、日曜日の人通りが多い。
もちろん、端に当たるので、皆が皆この庭の前を通るわけではないけれど、決して少なくない人が興味を持って庭を覗いた。
そこをすかさず、孝介さんが人懐っこい笑顔で気さくに声をかけお店の宣伝をしてくれる。
お陰で、いつもここの前あたりで道を折り返すので、店の存在に気付かなかった人が結構いたことが分かった。
もちろん、近所に住んでいるらしい例の噂を知り気味悪そうな顔で見る人もいた。
でも、明るい日差しの下で、手入れされた庭で植えたばかりの草花がそよぎ、古い建物は異国情緒あふれ、窓辺にはまだ新しい真っ白なカーテンが揺れる。そんなメルヘンチックさはあっても決して呪われているようなおどろおどろしい雰囲気が微塵もなくて、皆安心したようながっかりしたような表情を浮かべる。
そこをトドメに私が笑顔を向け挨拶すると、首を捻りながら気まずそうな顔で去って行った。
やっぱりこの改造作戦は当たりだった。
私は気分を良くし、パフォーマンスよろしく塀を塗りながチラシを配っていると、困惑したような声が私の名を呼んだ。
「英里、さん? 何をしていますの」
「ああ、いらっしゃい。日曜大工と営業活動をちょっとね」
休日なので、制服ではないけれどそれに似たような恰好をしたルリちゃんが、作業を見物していた人垣の端から、珍獣を見るような目で私を見ていた。
「なるほど、そんなことがあったのですか。いったいどこの誰なんでしょうね、英里さんを貶めようとするなんて許せない。私の魔法を駆使して全力で犯人の発見を……」
ルリちゃんがやってきた所で、ひと通り最後まで塗り終わったので、孝介さんに新しいビールを、私と英里ちゃんに冷えたジュースを用意し一息つく。
作業が終わったので、見物人達も去って私達だけ。
彼女がどうして孝介さんと二人きりで共同作業をしているのか、手伝いたかったのに自分を呼んでくれなかったと気にするので、もともと一人でするつもりだったことや日曜大工をすることになった経緯を説明した。
途端に、目に邪悪な光が宿り、一人でぶつぶつ言い始めるルリちゃん。
どす黒い気配を漂わせるルリちゃんに孝介さんは顔をひきつらせ、庭を自由に走り回っていたコマメも孝介さんの後ろに隠れ怯えている。
「英里ちゃん、この子怖いこと言ってるけど大丈夫か」
「ルリちゃん、物騒なことはしないでね。大丈夫、人の噂は七十五日というし、正攻法で信頼を勝ち取るのが一番の近道よ」
「正攻法?」
「そうそう。お店や私のことを知ってもらうのも大事だけど、料理を食べてもらってね。そう、今日庭で過ごしていて、いいことを思いついたし」
「英里さんて、甘いですわね」
肩をすくめて立ち上がり、腰に手をあてたルリちゃんは私を睥睨する。
「いいですか。敵に情けは無用。むしろ手を出したことを後悔させてやらねばいけません」
「まあまあ、落ち着いて。そもそも敵なんていないから。ただの子どもの怪談から変な噂になっただけだから、ね。ルリちゃんだってここの学校に通っていたんだから聞いたことなかった?「呪いの家」の噂。それがうちのオープンと混ざって「呪いの店」になっただけよ」
「……ですの」
「ん? なあに」
ルリちゃんの華奢な白い手を握って諭していると、彼女が私の手をきゅっと握った。そして頭上から小さな声がぽつりと落ちる。
「怪談の話は知らなかったのです。学校で友達、いなかったから……」
「ああ、ご免。そういうつもりじゃ」
俯く彼女を見上げると、俯いたルリちゃんの瞳に光が揺れ、口がへの字に固まっている。
「そんな顔しないで。今は私がいるじゃない。それに、魔法学校で友達も出来たって言ってたでしょ」
コクンと頷いた表紙にルリちゃんの目から涙が零れてしまい、私は肩に手をまわして抱き寄せ、ハンカチで濡れた頬を拭いてやる。
本当にルリちゃんは感情が豊かというか素直というか。どこか危うさもあってほっとけない。
「おいおい、仲が良いというかなんと言うか、友達より姉妹、いや、親子みたいだな」
「失礼な。私達は大親友です」
チーンと勢いよく鼻をかみ、鼻先と目元を赤くしたルリちゃんが、孝介さんの言葉に勢い良く立ち上がり、彼をねめつけた。
「私だって英里さんのお役に立ちたいですわ。孝介さんばかりいい思いはさせませんの」
「おいおい、いい思いって何だよ。まあよし、それじゃあお嬢ちゃんの心意気を買って手伝ってもらおう」
「お嬢ちゃんじゃないですわ、ルリとお呼びください」
「わかったわかった。ルリちゃん、君はミカゲさんとこの魔法使い見習いだったよな。じゃあこういうのは出来るかな?」
孝介さんがルリちゃんを塀の所へ連れて行き身振り手振りを加えて言うと、彼女は少し考え込んでから二、三質問しようやく首肯した。
「ルリちゃん、一体何をする気? 魔法はまだ外で使っちゃいけないってミカゲさんにこの間も叱られて…」
「ここは、英里さんのお宅の敷地内で、”外”ではありませんわ」
辺りをキョロキョロと見回し、塗り立てで艶々光る塀に目を留めたルリちゃんは、何か思いついたとばかりに目を輝かせた。
そしてポケットから取り出した皮のケースに入った名刺大のカードに、ピンク色のペンを取り出すと何やら書き込んでいく。
その間に孝介さんが工具箱から針金を取り出すと、塀の上の部分に内側から沿わせ、小さな釘頭で止めていく。
何をしているのか尋ねても、二人はまだ内緒だと教えてくれない。
孝介さんの作業が終わったところでルリちゃんもペンを仕舞い、呪文を唱えながら紙を二つに千切ると、壁のそれぞれ左右の針金の先に押し当てた。
すると白い発光と共に紙が溶けるように消えてしまった。
その様子を確認したルリちゃんが、満足げな物騒な笑顔を見せたので不安が募る。
「ねえ、いったい何をしたの。なんだか危ないことじゃないでしょうね」
「英里さん、これは防犯装置ですよ」
「防犯?」
「以前の高さならまだしも、この高さでは不用心過ぎますわ。なんたって女の一人暮らしですもの。だからこの上を乗り越えようという不埒者があれば、ピカピカのバッチンバッチンのボッチャンで退治しますのよ〜」
高笑いを始めたルリちゃんに、苦笑を隠しきれない孝介さんが補足した。
「後半は意味不明だけど、要するに塀の上に接触すると光るようにしてもらうんだ。このへんは治安がいいといっても、夜はここの通りは人目がないからね。光は目立つし泥棒も嫌がるって効果的な対策方らしいよ。もちろん鳥や小動物が乗っても反応しないようにしてある。そうだよな? ルリちゃん」
「ええ。後で遠隔用の操作盤を作ってお渡ししますわ。侵入者があると分かるようにしますわね。うふふふふ、これで不埒者は一網打尽。うふっふふ」
「光だけで一網打尽もあるかよ。これは気休め程度だし。それに昼間はたいして役に立たないしさ。ほら、天気が良いし余計に分かり難いだろ」
「あっ、孝介さんむやみに触らないようが……」
ふいに孝介さんが塀に手を伸ばしたのを見て、私は嫌な予感がし制止したが遅かった。
閃光とバチンと弾けるような大きな音に思わず目を閉じ身をすくませる。そして次に目を開いた時にそこに孝介さんがいなかった。
「ええっ、消えた?」
私が声をあげたのと同時に、水音と叫び声が聞こえた。
すると急にコマメが扉の前に駆け寄り吠え立てて、私も音がした方を見ると、岸壁から二メートルほどの海の中でもがく人の姿が見える。
「おおい、助けてくれ〜」
なんとか海上に浮かび体勢を保とうと手足をばたつかせているのは、消えたと思った孝介さんだった。
「どうして海に? ルリちゃん何をしたの」
「やった! 成功ですわ」
振り向けば、ルリちゃんが嬉しそうにガッツポーズをしている。
あわてて岸壁へと駆け寄ると、コマメが心配そうに吠える横で膝をつき、必死に呼びかけた。
「孝介さんここまで来て下さい! ひっぱりあげるものを何か……」
私のいる所から海中まで高さは一メートルほどあるが、この付近で海中から上にあがれるような足場はない。
孝介さんがこちらに泳いで近づいてきたので、私はあわてて庭へ戻ると柵を作った残りの板を持って戻り、海の中へ差しのばした。
「ルリちゃん、私を支えていてね。孝介さん、頑張ってこれに捕まってください」
日中は半袖でも過ごせる季節に入ったとはいえ、五月の東京の海は海水浴には早い。
幸い二人がかりでなんとか孝介さんを引っ張り上げることに成功。すぐにうちのお風呂で暖まってもらっている間、ルリちゃんは私にこってり絞られた。
「いやあ、びっくりしたのは確かだけど、まあいいよ。オレがちゃんと確認しなかったんだし。濡れたポケットの中身も服もちゃんと魔法で乾かして元通りにしてもらえたしね。それにしても、ルリちゃんは学生なのにこんなに魔法が使えるなんてすごいな。しかもまだ一年生だろ? さっきのあれ、何がどうなったんだ」
風呂上がりの孝介さんにルリちゃんが改めて謝罪すると、彼は笑ってそれを受け入れた。それよりも自分の身で経験した魔法に興奮していたみたい。
道具や素材にかけられた魔法を利用することはあっても、目の前で魔法使いがかけた魔法の効果を経験することはめったにないらしい。
ルリちゃんは侵入者を撃退する為に、光と探知の他に、強い静電気で衝撃を与え、風魔法で反動をつけ海中へ放り投げるという荒技な魔法を組み込んでいたらしい。
ちゃんと怪我をしないように海へ落ちるようにしたと言うけれど、ショックで意識を失ったりカナヅチだったら危ない。
朝起きて、うちの前に水死体がなんてことになったら、呪いどころか危険な家になってしまうじゃない。
だけど彼女の心配も全くの杞憂とは言えないので、せいぜい不法侵入者を驚かす程度、ばちっと軽く手が弾かれ驚く程度にしてもらった。
今度は私が身を持って試したから間違いない。
それから孝介さんは、すっかりルリちゃんと魔法の話に熱中した。仕事の中で出会った専門的な魔法について尋ねると、博識な彼女が的確にそれに答える。
場をコマメの待つ庭に移しても二人の話は途切れず、二人と一匹が帰路についたのは、日がだいぶ傾いた頃だった。
海沿いを行く彼らに大きく手を振って見送ると、今日自分が作った扉をくぐって庭へ戻る。
今日一日で随分雰囲気の変わったそこは、建物の影で目の前の夕日に染まる海より一足先に暗く紺色に染まっている。
慣れない大工仕事にルリちゃんの起こした騒動で、忙しく騒々しい休日だった。一人になると急に疲れが押し寄せてきたけれど、今日は不思議とそれが心地良かった。




