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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
営業編 第6章.鬼豚と呪いの店 
35/44

35.噂

「おー、旨い煮付けだなあ。なるほど、この甘めの味付けは米がすすむ」


 今夜もなんとかボウズ、お客ゼロを免れた。そんな情けない安堵の中、追加注文のだし巻き卵の乗った皿をテーブルに置く。

 その席に座っているのは今夜の最初の、願わくば最後になって欲しくないお客様。

 擦り切れた紺色のブルゾンを羽織った小柄な老人で、お向かいの港の通用門に昼間常駐する守衛の野田さん。

 もともと港の保安職員で定年退職後に再就職したのだという気の良いおじいちゃんは、 開店の挨拶に訪れた時から色々と気さくに声をかけてくれ、ご近所さんのような付き合いをしている。

 奥さんを亡くし男やもめだからと、開店以来二日に一度は通ってくれているこの店初の常連さん。

 剥きたての茹で卵のように禿げあがった頭頂を天井から照らすオレンジ色の灯にてらりと光らせながら、野田さんは上機嫌に料理を褒めてくれた。


「今年のカレイは例年よりも豊漁なんだそうです。脂ののりも良くて身も厚く美味しいと、魚市場で太鼓判を押されましたよ」


「いやいや、素材もいいが、英里ちゃんの料理の腕の良さもあるよ。ほら、この前の通りをずっと駅の方へ行った所に千登勢って店があるだろ」


いきなり出された店の名前に小首を傾げ、それが近隣への挨拶回りで訪れた蕎麦屋のことだと思い出し軽く頷くと、野田さんは饒舌に話を続けた。


「今まであそこの料理は悪くないと思ってたが、英里ちゃんの料理を食うとあっちのはしょっぺえばかりだ。これで後は、この店に蕎麦やうどんが選べれば嬉しいんだがな。あ、いや別に米が嫌ってわけじゃないんだよ。米料理が庶民でも手軽に食べられてこの値段ってだけでもありがたいもんだ。ただ、米もいいがそう毎回はなぁ。それに麺やパンがあるのが分かればもっと気軽に入ろうって奴も増えるだろうし、通いやすいと思うよ。だいたい英里ちゃん、米をこの値段で出すのはきついだろ」


「ご心配ありがとうございます。お米だけだと敷居が高いのは覚悟の上でしたけど、さすがにこの調子だと考えなきゃいけないかもしれませんね。だからこそ、食べた方に満足していただけるよう精一杯美味しい料理を作りますので」


「英里ちゃん、俺は別に文句を言いたいわけじゃねぇよ。他所と比べて、ここは値段にも納得の美味い店だよ。一回ここに来て食べりゃぁ絶対この店を気に入るはずさ。だからもったいねぇと思ってな。千登勢なんてこの時間はもう八分は人で埋まるからなぁ」


 野田さんはそう言うと、がらんとした他に客のいない店内を見渡す。

 私は目を伏せ、口元に曖昧な笑みを浮かべながら湯飲みにほうじ茶のおかわりを注いだ。

 他のお店と比べられる話題は、うちを悪く言われるならまだしも相手の悪口になるようなことは好ましくない。かといって、真面目に正面から反論したり避難をするのは悪手。

 こういう時の対応に店主の器量が出るのだと、食い道楽な祖父の言葉を思い出す。


 私は大将の元で接客も一通りこなせるようになったとはいえ、料理はともかく客あしらいはまだまだ未熟。

 結局それ以上気の利いたことを言えないまま、再び箸を動かし始めた野田さんに「ごゆっくり」と声をかけて側を離れながら、心の中で小さく溜息をついた。


 野田さんの言うことは一理ある。

 米食中心の元の世界の私達にとっては、毎食でも飽きない馴染みの存在。

 だけどここではそれが麺やパンがそれであって、お米は一番遠いところにある「食べ慣れない」存在。

 もちろん、米作が行われている一部地域ではまだ違うのだろうけど、ここにいる限りそうはいかない。

 やっぱりお米だけはいきなりすぎたかな。お米以外の炭水化物を置いて、少しづつ慣らしをしつつシフトしたほうが良かったかしらん。

 現状から芽生える弱気な心が、あれほど考えた末の決心をぐらつかせる。

 まさかこんなに初っぱなに躓くなんて思ってもみなかった。

 初ちゃんに配ってもらっているチラシ作戦の効果が出なかった時の為に、今から次の手を考えないと。

 自分の店主としての未熟さを情けなく悔しく思いながら、今後のことを考えていた時だった。


 ドアベルを派手に鳴らし、勢いよく開いた入り口から潮の香混じりの一陣の風と共に、初ちゃんが転がり込んできた。


「初ちゃん、静かに。お客様がいらしてるのよ」


 入り口側のテーブルに手をつき、苦しげな息をととのえる初ちゃんの側に駆け寄り、小声でたしなめる。

 そんな私に、野田さんは食後のお茶をすすりながら構わないよと声をかけてくれた。

 それでもと彼女の腕を引いて厨房へと連れていこうとすると、初ちゃんは目を吊り上げて私の手をふりほどくと、鬼のような形相で私にくってかかった。


「店長、呪われてるってどういうこと」


「落ち着いてよ。いったい何があったの」


「ここが……この店が呪われてるって聞いたんだ。あたし、そういうのは駄目なんだって。やばっ、もう夜だし。悪いけどあたし、今日で辞めさせてもらうわ。また明日昼間にちゃんと挨拶しに来るから。今日はもう帰るね」


「待って! 初ちゃん待ってちょうだい。お願いだからちゃんと話して」


 初ちゃんは涙目のままエプロンをむしり取るように脱ぎ、乱暴に机に置いた。そのまま店を飛びだそうとする初ちゃんに私は背後からしがみつく。

 そして必死の説得でなんとか彼女をなだめ、引き留めることに成功した。

 手近にあった椅子に座らせ冷水を飲んで落ち着かせる。そして彼女の足下に跪いて彼女の手を握りしめた。すると、重い口調でぽつりぽつりと、少しづつ事の次第を教えてくれた。


「さっき駅前で音楽仲間の彼女に会ったんだ。その子、この近所に住んでる高校生でさ。渡したチラシを見て言ったんだ。ここは『呪いの店』だよって」


「呪いの店?」


 首を傾げる私に、初ちゃんはひとつ頷くと、暗い顔のまま話を続けた。


「私だって最初は何の冗談かと思って笑い飛ばしたさ。その子曰く、もともとこの辺りの子どもの中で『呪いの店』って有名なんだって。昔ここで人が何人も死んで、それからここに入った人に不幸が続いて、だから廃墟になってたって。それが最近になっていきなり人が住んで、しかも店を開いてる。そんな所に住めるなんて、きっとそれは化け物で、まともな店じゃあないって……あ、店長ごめん、あたしがそう思ってるわけじゃないんだよ。ただ学校で最近そんな噂が流れてるって……」


 私が、化け物?

 思わず吹き出しそうになったのを堪えた顔を見て、私が傷つきショックを受けたと勘違いした初ちゃんは、申し訳なさそうに言葉を詰まらせた。


「よく聞きだしてくれたね、ありがとう。まさかそんな噂が立ってたなんて思ってもみなかったわ」


「おいおい、英里ちゃん何を他人事のように言ってるんだい。子どもの噂ってのは親の耳に入るもんだ。俺は客商売のことは分からんが、少なくともその噂は店にとっちゃよくないことじゃないのかい」


「それより店長、本当にここは呪われた店なの?あたしら、ここにいても平気なの?」


「噂の呪いの原因はなんとなく想像つくし、それならもう何も心配いらないわ。ただ、そんな風評が広がるのは困るな」


「もう? 店長、今『もう』って言った?」


「俺は英里ちゃんを信じるよ。こんな落ち着くいい店が呪いの店なんて思えないしさあ」


「ありがとうございます、野田さん」


「ちょっと、店長、無視しないでよ。じゃあ前は何かあったってこと」


 多分、呪いというのは、魔力漏れに関することだと思う。

 未だ不安でいっぱいの初ちゃんに、そのことをどう説明しようかと考えあぐねていると、再びドアが勢いよく開いた。

 高らかにドアベルを響かせ血相を変えて飛び込んできたのは、佐藤家の長女、朱美さんだった。

 そしてその第一声は、店内にいる三人とも心の中で揃って「やっぱり」と思った言葉だった。




 ひとまず、食事を終えた野田さんに騒がせたことを謝り外まで見送ると、朱美さんと今日はもう仕事になりそうにない初ちゃんをカウンター席に誘い、コーヒーを振る舞った。


「それで、朱美さんはその『呪いの店』の噂話をどこで聞いたんですか」


「そうそう、買い物の帰りに近所の奥さん達が集まって井戸端会議をしてたのよ。そこで強引に話の輪に加えられちゃってね。で、話題になっていたのがこのお店のことだったの」


「佐藤のねーさん、噂してたのってもしかして子持ち主婦じゃない?」


 佐藤一家は開店前から店にしょっちゅう誰かしら顔を出していて、気安い人達なのもあり、初ちゃんは「佐藤のおじいちゃん」「佐藤の姉さん」「佐藤の兄さん」と呼んですっかり打ち解けている。


「よく分かったわね。噂話の中心にいたのは、中学生や高校生の子どもを持つ人達だったわね」


「朱美さん、実はもともと子ども達の中で噂になってたみたいなんですよ、その『呪いの店』。きっとそこから大人に伝わったんじゃないかと」


「そうだったの。だから今まで私の耳に入ってなかったのも納得ね。もう私、びっくりしちゃって。早く知らせなきゃと思って駆けつけたのよ。でも、どうしていきなりそんな噂がたったのかしら」


 朱美さんは、カップを手に怪訝そうに首をかしげる。

 それは私も不思議だった。呪いの噂は、ここの持ち主だったボースさんのお爺さんの家族のことと、魔力漏れの影響で起こったことなのは間違いない。

 朱美さんはこの店を借りた経緯をいくらか話していたけれど、初ちゃんは何も知らない。

 私はあらためて二人に、この土地が魔力攻撃の影響のせいで当時の所有者の家族が亡くなったこと。そしてその原因に誰も気付かないまま、また所有者の意思もあって空き家のままだったことをかいつまんで説明した。

 もちろん、所有者であるボースさんの一族のプライベートなことや、魔力漏れの詳細については深く触れず、出来事だけを淡々と語った。


 説明を聞きいて初ちゃんは呪いの正体に納得し、ようやく安心したように頬を緩めた。

 私も自分で語りながら、改めてそういう噂があってもおかしくない物件だったなと思い苦笑してしまう。

 でも、そこまで「呪いの店」だなんて派手な噂になるほどなら、店を探してる時や、開店準備をしている時に耳に入ってもおかしくないし、佐藤一家やルリちゃんやミカゲさんも知っていれば教えてくれるはず。なのに一度も聞いたことはなかったし、ご近所や近隣の店や会社に挨拶兼営業で回った時にも皆好意的に接してくれた。

 それがどうして今更出てきたんだろう?


「この店に『呪いの店』と噂が昔からあったのなら、ここで生まれ育った朱美さんは何か聞いたことなかったんですか」


「子どもの頃に怖い話はそれなりにあったわね。学校の体育館脇のトイレに妖物が出てお尻を舐めるとか、屋上に天狗の羽団扇の羽が落ちてたとか。ここの海で泳ぐと戦争で死んだ人の悪霊に足を引っ張られるとかもあったわ」


「ぎゃー!やだやだ、やめてよそんな話聞きたくないよ」


「初ちゃんはこういう話は駄目なの? 普段強気なのにこんな可愛い所もあるのね」


「うっ、うるさいなあ」


「朱美さん、話が進まないのでひとまず初ちゃんは置いておいてください」

 

 私は、テーブルの上に突っ伏した初ちゃんの頭を撫でながら、大人げない嬉しそうな顔でこちらを見ている朱美さんに話の続きを促した。


「えーと。そうそう、確かにここの噂もあったのよ。その頃は『呪いの家』って呼んでたはず」


「あれ、『店』じゃなかったんですか」


「看板は外されてたし窓は塞がれていたから、子どもには店だかどうかは分からなかったわね。それに持ち主の家族が不幸な亡くなり方をしてその呪いで誰も住めなくなったって曰くはあるけど、建物自体さほど傷んでいないし、庭は荒れていても不思議と陰気さもなかったしね。それに港の西門があるせいで夜も人がいて、灯りもお陰で前の通りは夜中もずっと明るいし。呪いだなんだと盛り上がるには物足りないのよ。それに分別がつくようになると、ただの空き家でしかないのも分かってしまうから、気に留めなくなるのよね。でも、まさかまだ噂が残ってるなんて思ってもみなかったわ」


「朱美さんの時代でさえそうなら、今はもう噂が風化しててもおかしくないはずなのに。しかも、噂の内容がなんだか不自然なのよね。噂の呪われた館で店が開店したから『呪いの店』って。しかもうちは普通の食堂で、ネタとしてはすごく地味だし。これから悪いことが立て続けに起こったり、すぐに店を辞めたりすれば、『呪いの店』って呼ぶのも納得がいくんだけど」


「店長、これから不幸なことが起こるの?呪いが発動するの?」


「ごめんごめん。大丈夫だから、冗談だから、何もないから。初ちゃん痛いから離して」


 私の言葉に初ちゃんが敏感に反応し、私にしがみつく手に力がこもる。

 慌ててなだめて体を引き離そうとしていると、ふいに初ちゃんが顔をあげて私を見た。


「思い出した! 店長、そういえば彼女、噂を教えてくれた時に変なこと言ってたよ」


「変なこと?」


 私が問い返すと、初ちゃんは口にするのも嫌そうに顔をしかめながら教えてくれた。


「二年前に、ここに忍び込んで呪われた子がいたって」

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