34.カツサンド
——本日の夜定食 八百円
本日のおかず 本日の小鉢二品 お新香 汁物 白ご飯
○本日の小鉢(二品お選びください/単品追加は各百五十円)
金平牛蒡、小松菜のおひたし、丘スライムの酢味噌がけ、天狗の鼻もどきの含め煮、だし巻き卵、アサリとキャベツのさっと蒸し
○本日のおかず(一品お選びください/単品追加は各四百円)
江戸前カレイの煮付け、鬼ヶ島直送!鬼豚肩肉の生姜焼き、化け蟹のクリームコロッケ
——本日のご飯もの(米料理)六百五十円
本日の米料理 お新香 汁物 白ご飯
○本日の米料理(一品お選びください)
鬼ヶ島直送!鬼豚バラ肉の焼き肉丼/化け蟹入り焼き飯/
店内の席のどこからも目に入る壁にとりつけた黒板に、白墨でゆっくり丁寧に書き込んでいく。
本日の米料理の最後の一品に、毎日そこが定位置の『みなと食堂特製カレー』と書こうとした所で、真鍮のドアベルがチリンと高く軽やかな音を響かせた。
つい条件反射で「いらっしゃいませ」と声をあげそうになったところで、昼営業を終えた後外に準備中の札をかけていることを思い出し、声を飲み込む。
顔だけ上げて扉の方を見やると、入っていたのは赤いエプロン姿の小柄な少女だった。
彼女はショートボブの頭に耳元赤と黒の対のスペードモチーフがついたピアスを揺らし、重そうに抱えている買い物袋を入り口近くの机の上に置いた。
そして私に向かって笑顔を見せ、皺の寄った紙を振って見せる。
「店長ただいま! メモにあったもの、全部買ってきたよ」
「初ちゃん、ご苦労様。重たい物ばかりでごめんね。一息つくついでに食事にしようか」
「やった、もうお腹ぺっこぺこ! じゃあ、先に荷物を片付けてくる」
「よろしく。冷蔵室に袋ごと置いてくれたらいいから」
「はぁい」
再び袋を抱くと私の横を抜けて厨房の中へと消える彼女を見送り、私はお茶を入れつつ、用意しておいた料理をカウンターに配膳する。
今日は外を歩くのに上着がいらないほど暖かい五月晴れで、窓から差し込む日差しがまぶしく、そちらを見ると目がくらみそうなほど。
そんな明るい窓際を見て、夏に向けて窓辺に日よけをつけなくちゃと思いつき、レジ横に置いてあるノートに書き込む。
私の店、「みなと食堂」が営業をスタートしてまだ五日目。
慣れないことだらけだけど、野豚野郎での修行に大将と女将さんのアドバイスのお陰でなんとか店らしい形を整え営業にこぎつけることが出来た。
でもまだ足りないことや足りない物だらけ。もちろん営業を軌道に乗せることが最優先だしと、やることに考えることが多すぎて目が回りそう。
「店長〜、もう食べてもいいかな?」
いつの間にか彼女が戻ってきてカウンター席に座り、まるで涎をたらんばかりに、目の前に置かれている皿を凝視していた。
「ごめんごめん。さあ、食べよう」
私は慌てて彼女の隣に行くと自分の皿の前に座り、揃って合掌してからそれぞれ自分の皿に手を伸ばした。
二人きりの静かな店内には、厨房のコンロのに乗った寸胴鍋から、香味野菜と肉がくつくつと煮ている音と香りが漂う。
店内は、中古だけど建物に合うアンティーク調な濃い紅茶色の木製のテーブルと椅子が並び、新しく設えたケヤキの一枚板を使ったカウンターは顔が映り込むほど磨かれてる。
私が身につけている赤いエプロンは、そんなシックな色合いの店内で鮮やかに映えるからと決めたこの店の制服。
そしてこの世界に来てからハサミを入れることなく背中の真ん中程まで伸びていた髪は、一週間前にばっさりと肩下まで切ってしまい、今日は短いポニーテールにまとめている。
その私の髪を切ってくれたのが、隣で無心にサンドイッチを頬張る初ちゃん。オープニングスタッフとして雇ったアルバイトの赤坂初子、十八歳。
彼女は、募集していた求人になかなか応募がなく困っていた所、ルリちゃんに連れられてやってきた。
ルリちゃんは無事受験に合格し、先月から魔法学校に通っている。
全国から生徒が集まるので8割が寮生で、吉祥寺からは片道一時間もかからないので彼女は通学生なんだとか。
そうそう、あのとんがり帽子にマントの魔女ルックもミカゲさんと私の説得で、入学と同時に卒業した。
魔法学校生の赤いリボンタイが可愛い黒い制服が、世間も認める魔女の仲間入りの証だからね。
よほどそのことが嬉しいのか、下校途中に制服姿でここに立ち寄る。
開店の一週間前、いつもよりも遅い時間に一度家に戻ったのか、珍しく私服姿のルリちゃんがやってきた。
いらっしゃいと声をかけながら彼女の為にお茶の用意を始めかけた所に、その後ろから続いて店内に入ってきたのが、初ちゃんだった。
「へー、ここがルリの言ってた店? 渋くて格好いいじゃん」
「初子さん、行儀は良くして下さいねって言ったでしょう。ほら、こちらが英里さん。ここの店長さんで、ルリの親友ですわ」
「ぶぶっ、親友ってわざわざ断らなくても普通にダチだって言えばいいじゃん。それに結構年上みたいだけど、ただお友達になってもらってるだけじゃないの?」
「失礼ですわ。ルリと英里さんは、固い絆と誓いで結ばれた大親友なのですわっ」
「まあまあ二人とも落ち着いて。あなたもルリちゃんのお友達? 私はルリちゃんの”普通”の友達で、花沢英里。よろしくね」
「あたしは、赤井初子。友達じゃなくて、ルリんとこのアパートの住人」
ショートカットで派手な柄のカットソーに黒いパンツルックとボーイッシュだけど黒目がちのベビーフェイス。
見かけによらず、少しハスキーな声の彼女は、小柄な体格も相まってルリちゃんの二つ歳上には見えず、私とよりよっぽど友達同士に見える。
そんな私の内心を感じとったのか、「普通のお友達」発言がお気に召さなかったのかルリちゃんがぷりぷりと不満の声をあげるけど、彼女は気にせず、溌剌とした笑顔を私に向けた。
「月影荘の人なのね。今まで何度かあそこに行ってるけど、住んでる人に会ったのって初めてだわ。カウンターはふさがってるから、二人とも窓際のテーブルへどうぞ」
「あそこに住んでるのは、帰るのが遅いか部屋に籠もってる連中ばっかだからね」
どうりで見かけないはずねと頷きながら、私はルリちゃんにはいつものミルクティ、彼女の好みが分からないので、自分と同じストレートティの入ったカップを用意し、ミルクと砂糖を添えてテーブルに運ぶ。
そして並んで座る二人の前に腰を下ろすと、改めて尋ねた。
「それで、今日は二人でどうしたの」
「英里さん、このお店で働く人を探してましたよね。まだ決まってませんよね」
「うん。そうだけど」
ルリちゃんは安堵したように微笑み、初ちゃんの脇腹をひじでつつく。
彼女は鬱陶しそうにルリちゃんをひと睨みしてから、私に向き直り、顔を上げ視線を合わせて口を開いた。
「よかったら私をここで雇ってくれませんか」
初ちゃんはミュージシャン、この世界では帝国風にムジスタと呼ぶのだそうだけど、プロを目指しているのだそう。
夢を追うために高校を中途退学し、実家に居辛くなってミカゲさんのアパートで一人暮らしをしている。
飲食店での経験はほとんどなくて普段もあまり料理をしないけれど、服屋に雑貨屋、花屋といった接客業から清掃員や運送会社といった身体を動かす仕事まで年若いのに経験豊富な体育会系気質。
ちょうど三月からの期間限定だった引っ越し補助の仕事が終わり、次の仕事が見つかるまでアパートでのんびり過ごしていたところをルリちゃんに捕獲されたらしい。
初ちゃんは捕獲されたくだりを苦々しげに語りながらも、アパートから近いし料理が美味しいと聞いたので是非雇って欲しいと頭を下げた。
私も開店までに決まらなかったらとヒヤヒヤしていた所で、ミカゲさんの所の人だし、接客の経験があるなら問題ない。
それに物怖じのない元気で明るい所が気に入り、彼女の休みや勤務時間の希望もこちらに都合が良かったので、その場で採用を決めた。
オープン前日から働き始めてもらったけど、初ちゃんはよく気が付き、くるくるとよく動きまわる様子はリスのよう。
外を掃除したり、机を拭いて皿を片付けたり、ゴミを捨てに行ったり。電話に出たり。 少し前まで野豚野郎で自分がやってた仕事だからつい体が動いてしまう私に、「店長は店長にしか出来ないことをしてくださいよ」と厨房へと追い立ててくれ頼もしい限り。
そういう所に加え、その小さな体でどこに入るのかっていう食べっぷりも気に入っていて、賄いを作るのも気合いが入る。
今日、賄いはキャベツたっぷりのカツサンドと芋と屑野菜のポタージュスープ。
我ながら絶妙な揚げ加減の、うっすらピンク色の残る断面からあふれる肉汁とザクザクの衣の歯ごたえ。
キャベツにと衣に絡むスパイスを効かせ若干辛めに仕上げた特製のソースが食欲をかきたて、ボリュームのあるそれが私と彼女の胃の中にすんなりと収まっていく。
「店長、美味しいけど、賄いでこんなもの食べていいのかな。贅沢過ぎる気がするよ」
「大丈夫。ちゃんとお客さんには出せない端の半端なお肉を使ってるし。それにこの後、初ちゃんにはまたアレをお願いするから力をつけてもらわないとね」
「今日も駅前でチラシを配るの? ま、こんなに美味しいカツサンドを食べたらイヤとか言えないや」
彼女の賛辞につい頬が綻んでしまうのをごまかすように、スープを一口含んだ。
開店の時、色々な人からお祝いを貰った。
その中で一番驚いたのが、女将さんの実家、出雲の江澄家から送られた「鬼ヶ島産上級”鬼豚”一頭」だった。
尾頭付き鯛と同じように、丸ごとというのは縁起が良いそうで、田舎では鶏を生きたまま贈ったりも珍しくないらしい。
包みを開ける前、目録を見て女将さんがそう教えてくれたことで、まさか眠らせてあるとか、死にたてほやほや?と仰天してしまった。
もちろん店に届けられた鬼豚はちゃんと血抜きや毛や腹の中の処理も終わった状態のもので、心底ほっとした。
ちなみに鬼ヶ島は、鬼の末裔が住む島。
元の世界では鬼ヶ島の場所は諸説あったけれど、この世界では瀬戸内の島に異形の「鬼」と呼ばれる者達が棲んでいた。だけど実り豊かな島だった為に人に北へ北へと追いやられ、最終的に隠岐の島へと辿り着く。
ところが人は、今度はそこを流刑地に選び罪人を送り込んだ。そして鬼と人が交わり、鬼の血は年月と共に薄まっていく。
今では異形な容貌も特徴的な角が残る程度で、鬼人と呼ばれる彼らはアイヌ民族と並び国内の少数民族として国に保護され、隠岐の島の自然の中で独自の文化を守りやや排他的な生活を送ってる。
その彼らの貴重な収入源が養豚だった。
彼らの育てる豚は、固く黒い毛にまるで角のように上にそそり伸びる長い牙から「鬼豚」と呼ばれている。
野生に近い環境での飼育で肉質はしっかりとして味が濃く,脂は少めだけれど甘みや旨みがあって食べた人を魅了する。
何より脂肪融点が普通の豚より低いので口の中に入れるととろけてくるのがたまらない。
大将曰く、数が多くないので普通の市場にはあまり出回らず、独自ルートで一級のレストランや料亭に卸されるような肉らしい。
そんな高級食材、目の前の巨大な凍った肉塊に卒倒しそうになったけれど、自分で仕入れるなんてとうてい無理だし料理する機会だってこれが最初で最後かもしれない。
だからありがたく頂戴し、その場に居合わせた大将にお願いしてノコギリで部位を切り分けてもらった。
既に股肉の一本は生ハムに、もう一方の腿肉は普通のハムに、そしてバラ肉の半身はベーコンにするためにそれぞれ下準備を施し、塩漬けになったものが冷蔵室に入れてある。
他はブロックを更に小分けしてから冷凍庫で保存し、随時煮込みや炒め物用に使うことにした。
これでしばらく材料費が少し浮くのはありがたいし、それ以上に豚肉料理のレパートリーを増やすチャンスだと思うと心が浮き立つ。
「やっぱり店長の作るご飯は美味しいよ。一度食べれば、絶対通うようになるって。ほんとおふぃふぃ」
最後の一口を口に押し込みながら感嘆の声をあげる初ちゃんの言葉に、私は苦笑を浮かべ小さく溜息をついた。
オープンから最初の三日は、親しい人や野豚野郎の常連さんが足をご祝儀代わりに足を運んでくれそれなりに賑わい、提供する料理の評判も上々だった。
だけど、そう毎日通ってもらえるはずもない。
新しい店の存在を気にした通行人が、窓から中を覗き込むことは少なくないのだけど、ドアを開くまでには至らないのがもどかしい。
こちらから出て行き声をかけると、そさくさと逃げてしまう。
海沿いを散策に来たカップルや旅行客らしい老夫婦、港の職員がはちらほらと利用してくれるけれど、当てにしていた地元のお客さんが全然駄目だった。
お金をかけた宣伝は出来ないけれど、近所の店や会社に手作りのチラシを持って挨拶にまわった時は、愛想良くまだインクの匂いがするそれを受け取ってくれたのに。
住宅街と港の裏口と海の三方に囲まれ、奥まった場所とはいえ埋もれて目立たないわけじゃないし、店の前に人通りもある。
米料理がメインの食堂のせいか、長らく空き家だった所で店を始めて不審がられているのか、若い女店主だからなのかは分からない。
四人席が二組に二人席が二組、そしてカウンターに八席で、野豚野郎の三分の二の合計十八席。
そこに三人しか入らなかった昼の営業を終え不完全燃焼な気持ちを抱えながら、今夜夜こそは昨夜よりも一人でも多いお客さんが入るよう祈るのだった。
まだスタートしたばかりだもの。
様子を見ながら対策を考えていけばいいよねと自分に言い聞かせながら、とにかくまずは出来ることからと、昨日から夕方の駅前でチラシを初ちゃんに配ってもらってる。
食事が終わって初ちゃんがチラシの束を手に店を出ると、私は黒板のメニューを完成させ、仕込みの仕上げに入った。
品数が少ない為に野豚野郎の時のように慌ただしさはないけれど、女将さんがやっていたようなおしぼりの数を確認したりお酒の発注に箸や調味料の補充など、やるべき雑用はごまんとある。
その為に初ちゃんを雇っているのだけど、今はお客獲得の為の営業が第一。
あれこれしているうちに、あっという間に夜営業の始まる五時になった。
外壁にとりつけられた洋灯を灯し、外に出て扉の横に準備中となっていた木札を裏返し、営業中とする。
そして今日こそはお客さんに恵まれますようにと、店に向かって手を合わせる。
「今日も無事に営業できますよう。お客さんにご縁がありますように」
神に祈るというより決意表明のように口の中でつぶやくと、くるりと後ろを向いて店の前の道路の人通りを確かめるように見回した。
ちょうど正面の港の通用口から、早々と帰路につく職員の女性達が出て駅へと向かう。
そして下校中の中学生らしい集団が海沿いの遊歩道へと、店と私の前を通り過ぎて行った。
心なしか皆ちらちらとこちらを見るのに、私が笑顔を向けるとあわてて足早に去って行く。
開店準備中の頃から、店の前にいるとこんな風に見られることが少なくなかったけれど、開店してから特にそれが増えた。
皆、何を気にしてるんだろう。
お店が気になる、興味を持っているのとは違う気がする。
私は別に変な姿格好はしていないはずだし、異世界から来たなんて分かるはずもないのに。
こういう時は私から声をかけた方がいいのかな。
今度、強引に挨拶してみようか。
首を傾げながら店の中に戻った私は、これから来るであろうお客さんを迎え美味しい料理を作るべく、エプロンの紐を締め直した。




