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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第5章:尻尾といなり寿司
33/44

33.独り立ち

 ボースさんの許可が出てから、既に用意されていた書類にいくつか署名と押印し、保証人には自分が紹介したからとミカゲさんが署名し、あの店の賃貸契約を無事交わすことが出来た。

 当初懸念していた魔力漏れの対策や装置に関してはボースさん持ちで、装置とその関連技術は彼の独占買い上げとなる。

 建物の改修については品位を落とさなければ好きにしていいと言われ、費用は私持ちに。その分家賃も相場よりかなり安くしてもらった。

 

 保証人は大将にお願いすることになっていたので、口利きだけでもありがたいのに、保証人まで甘えられないとペンをとったミカゲさん。

 彼女の手を押しとどめようとすると、「例の魔力転換装置の開発は私達も久々に燃えててね、それにルリのことで世話になってるし、これから英里には色々期待しているのさ」と意味ありげに肩をたたかれ、何故だか背筋がぞくりとしたという一幕も。


 後から不動産屋の健さんに「あれほど物件は自分を通してくれと言ったのに」と愚痴られたけど、相手が帝国貴族で港のアルベルグのオーナーだと知ると顔を青くし、危うくあの「魔牛」と関わるところだったと震えていた。

 しかも無茶や酷いことを言われたりされたりしなかったかと、すごく心配されてしまった。

 ボースさん、いったい何をしたらこれだけ恐れられるんですか。




 それから約二ヶ月、申請結果が出るまでの間、私は引き続き大将のもとで仕事兼修行を続け、空いた時間を細々とした準備に費やした。


 本当なら早々に店舗の改装などに着手したい所だけど、魔力漏れを封じてもらうまでは手をつけられない。

 ミカゲさん曰く、魔法を施すのは数時間で終わるけれど、その後装置を設置するまでに猶与は一週間しかない。だから完成してからでないと施せないらしい。


 でも、私だけは魔力漏れの影響を受けないから、中に入ることが出来るからやれることは山とある。

 庭の草むしりにがらくたの始末、建物内部の掃除。

 詳しい間取りを調べて必要になるものを書き出し手配を進める。

 もちろん、ミカゲさんの事前調査で、変な魔物が住み着いたり魔力漏れの変な影響が起きていないかと危険がないのは確認済み。

 建物自体、質実剛健といった見た目通りに頑丈に建てられていたのと、昔施されたという潮風と防湿対策の魔法の効果が持続していたお陰で建物自体は劣化も少なかった。

 和風と欧風の入り交じったレトロで質の良い内装も、一目で気に入り、これなら改修は最低限でよさそうねと、頭の中で金勘定をしてほっと胸を撫で下ろした。


 そしてとうとう、役所から無事に審査の結果申請が受理されたという通知を受け取った。

 時を同じくして、しげるさんから、ミカゲさんを始め色々な職人達が夜な夜な集って仕上げた魔力変換装置が完成したと知らされ、そこから開店準備が本格的に始動した。


 魔力攻撃の影響で庭の井戸が枯れそこから魔力が漏れ出していたので、さっそくミカゲさんが魔法を施し封じた。

 そしてその枯れ井戸の上を覆うように、孝介さんが突貫工事ながら木材と煉瓦で可愛い小屋を建て、中にはしげるさん達職人さんによって例の装置が取り付けられる。

 ちなみに孝介さんには建物の改修もお願いしたので、開店予定の二ヶ月後まで一人で仕事をしてもらうことに。

 もともと私からお願いするつもりだったのだけど、有り難いことに、しげるさんから物件が決まった話を聞いた孝介さんの方から申し出てくれた。

 

 それから一月半、建物の改修や装置の調整に出入りする孝介さんや職人さん達への差し入れのお弁当を手に吉祥寺と三鷹を往復する日が続いた。

 交通費も馬鹿にならないと、新調した赤い自転車を乗り回し東奔西走。

 この世界の日本で飲食店を開業するための講習会に出て「飲食店開業許可書」も手に入れ、役所への届け出を着々と済ませていく。


 ドアに五月下旬開店予定と書いた紙を貼った日、その脇の軒にミカゲさんから贈られた鉄製の看板が下がった。

 店の名前は、吉祥寺の海を見た時から決めていた。

 上に碇と波のモチーフがついた黒い鉄の看板には、「みなと食堂」と刻まれ、白く塗られている。

 港町にありがちすぎる名前だと皆から散々に言われ、航路を繋ぐ港のように、一時いっとき羽を休める店にしたいという意味だと説明したけれど、込めた意味はそれだけじゃなかった。

 一つは、私自身が故郷へ戻る旅路の途中で、まさに港にいるということを忘れない為。そしてもう一つ、元の世界にいた時に漠然と描いていた小さな店を持ちたいという夢、その店の名は大好きな、そして料理の師である祖母の名から「みなと」とつけるつもりだったから。

 まさか異世界で夢がかなうなんて。ううん、実現してしまうなんて誰が想像出来るだろう。


 もちろん描いていた夢と違い、現実は本当に大変だった。

 仕事と店の準備で休み無しのてんてこ舞いな日々で疲労は積もり、体重とこの世界に来て溜めた軍資金はどんどん目減りする一方。

 だけど心は浮き立つばかり。

 

 そして四月の最終日、とうとう大将のもとを離れて独立する時が来た。




 早朝から一人店を徹底的に掃除し、午後は今まで毎晩過ごしてきた部屋を感謝を込めて掃除をした。

 少ない荷物は既に大将の車に積み込んであり、部屋の片隅にある旅行用の鞄が一つきり。

 掃除を終えて鞄に身につけていたエプロンを仕舞うと、それを手に階下へ向かった。


 「大将、今までご指導ありがとうございました。そして女将さんも、大変お世話になりました」


 リビングのソファーへ大将と女将さんに並んで座ってもらい、その前に正座して座ると深々と頭を下た。

 そして今までお世話になった感謝を伝える。


「なんだか娘をお嫁に出すみたいで寂しいわ。でも私達はこれからもあなたの親代わりのつもりよ。それに英里ちゃん、私達だってあなたの仕事ぶりにどれだけ助けられたか。ねぇ、熊ちゃん。熊ちゃんも何か言ってあげなさいよ」


「あ、ああ。とにかく、困ったことがあれば無茶する前に頼れ。あと知らん魔物は客に出すものじゃなくてもきちんと調理法を調べろ。自分を実験台にするな、料理人は身体が基本だぞ。手間を惜しむな」


「大将、ありがとうございます」


「ちょっと熊ちゃん、もっと頑張れとか、励ますようなことを言えないの」


 耳が痛い内容だけど、大将らしい言葉に胸が熱くなる。

 そんな私の背後から蓮也くんの遠慮のない鼻をすする音が聞こえ、つられてこぼれかけた涙をこらえるために顔をあげると、顔に妙な力が入り強面に磨きがかかっている大将と目が合った。

 その形相が怖過ぎて、思わず視線を下げてテーブルを見つめた。


 その少しの沈黙の後で、私の視線の先に大将のごつい手が白い板状のものが置かれた。

 

「あらあ、裸のままは無いわよ。だから私が包装してあげるって言ったのに」


「お前はちょっと黙ってろ。英里、これは餞別だ。持っておけ」


 私が戸惑いながら手にしたそれは、この世界でよくみかけ、元の世界で覚えのあるものに似ていた。


「これってテレモですよね。でも形がちょっと違う?どっちにしても私は使えませんよ」


 テレモというのは、帝国で開発され今では日本でも普及しているテルミナ—レ・モービレ、つまり元の世界のスマートフォンに近い魔法道具。

 世の中には、通信端末に、テレビにラジオと世の中便利な魔法道具が溢れていている。

 というか個人の持つ魔力のお陰で電源も電池も要らず、込み入った回路の代わりに魔法刻印が施されているお陰で、凹凸の無いコンパクトでスマートなデザイン。道具の性能だけ見ると、元の世界の文化水準二歩も三歩も先を行ってると思う。

 テレモは大人はもちろん、学生だって持っているすごく一般的な魔法道具。

 だけど、魔力ゼロの私には、豚に真珠、猫に小判。起動さえ出来ないという代物。


 例の介助用ペンダントで日常生活はなんとかなるものの、ここ十年ほどに開発され販売されている娯楽や便利さを追求した「新世代」と呼ばれる魔法道具類は、触れる時の僅かな魔力接触を利用して操作するとか。スイッチのオンオフといった簡単なことにしか使えない介助用のペンダントは役立たず。

 私にとって、それらは魔法と同義な存在だった。

 だから縁の無い存在と常に距離を置いてきた。

 幸い大将のように、そういうものはいらん!という人が高齢者を中心に少なくないので、使えないから生きていけないってことはないしね。 


 憮然とした顔で二人を見れば、私を見てニヤニヤと笑ってる。

 何かある? と私は首をひねりながら改めて手の中のものをよく見た。

 そういえば、普通のテレモは一枚のパネル状になっていて、こんなに沢山のボタンは並んではいなかったような。


「これって、ただのテレモじゃないのかな」


「あたり。前に佐藤さんが英里ちゃんに会いにいらした時にね、待ってる間にお願いしたのよ。テレモの会社で開発をしている方を紹介してもらって、特別仕様で作ってもらったのよ。これにうちの番号とあたしや蓮也くんの連絡先を登録しておいたから、いつでも連絡してきなさい。ううん私からじゃんじゃん連絡しちゃうわ」


「おいおい、英里の仕事の邪魔するんじゃないぞ」


「やだわ、分かってるわよ。いつでも私達がついてるわって言いたかったの」


「女将さん、大将も。ここまでしてくださって、本当にありがとうございます」


 それにしても、今までこういう新世代魔法道具は私が触っても全く反応しなかったのに、ボタンに触れると鮮やかな青色の光が浮かび上がった。

 帝国語のメーカーのロゴがフェイドインで現れた後、いくつものアイコンのようなものが並ぶ。

 

「すごい、魔力のない私でも使えるなんて!でもどうして、どうなっているんですか」


「ここに差し込んである板に魔力を充填するの。週に一度は充填が必要で面倒かもしれないけど忘れないでね。魔力無しでも操作できるよう、テレモの初期型を使って最新機種の機能が使えるよう改良したんですって。私も難しいことは分からないのだけど。とにかく、新しいお店は魔力は困ることないのだし、これなら英里ちゃんも使えるでしょう」


「本当に私もこれが持てる日がくるなんて、夢にも思っていなかったですよ」

 

 江戸時代からひとっ飛びに現代人、それどころか魔法文明の仲間入りをすることが出来た私は、顔がほころぶのを押さえきれない。

 そんな私を見て、大将達は満足そうに頷いていた。


「熊ちゃんは、ほんとは包丁をあげるつもりだったんですって。でも先に自分で揃えちゃったでしょう。だから相談してこれにしたのよ。ほら、前から使えたらいいのにって言ってた食糧庁の魔物研究機関の情報だってこれで調べることが出来るのよ」


「本当にありがとうございます。お世話になったご恩は忘れません」

 

「ああ。その、なんだ。こっちのことは気にするな。前を向いて自分の店のことを考えろや。しっかりやれよ」


「はい。でも、これからもまだまだ大将の弟子でいさせてくださいね」


「馬鹿、当たり前だろ。独り立ちしたって、英里はまだまだ半人前だ」


 すっかり空気が和んだところで、私はそろそろと立ち上がった。

 そこに、後ろで控えていた蓮也くんが始めて口を開いた。


「おい、これは餞別だから、もってけ。いいか、向こうに着くまで絶対開けるなよ」


 赤い包装紙で無造作に包まれたものを受け取った私は、蓮也くんに向かって頭を下げる。


「ありがとう。蓮也くんにも今まで色々お世話になりました」


「よせよ。英里が先に店を持ったって、これからも俺の方が兄弟子なんだからな。いいか、忘れんなよ」


「はい、あにさん! これからも一緒に切磋琢磨、頑張りましょう」


「おう」


 向かい合う蓮也くんを見上げると、目元や鼻先が真っ赤だ。その視線に気付くとあわてて顔を背け、私の頭を押さえつけるようにぐりぐりと撫でまわす。

 そんな私達の様子を見て、女将さんが「まぁうふふ、美しい弟子愛ね」と弾んだ声をあげ、大将は苦笑しながら私を送るために腰を上げた。



 こうして私は大将宅を出て、新居兼店舗への引っ越しは終わった。

 明日からはオープンに向けて、全ての時間を準備に費やすことになる。

 日が落ち暗くなった部屋の灯りをつけた時、ふと自分がこの世界に来て始めて一人で過ごす事に気づいた。

 知らない世界に来て、最初の数日は色々あったものの、その後はいつも色んな人が側にいてくれた。だから感じずに済んでいたのか、今までにない孤独感に包まれる。


 3DKと一人には広い住居部分は、もう五月だというのに夜になるとまだ少し肌寒い。

 店優先で準備を進めたので、住居部分にあるものは箱二つ分の私物に備え付けのクロゼットに片付けた着替え、後はちゃぶ台と布団だけ。

 荷物を片付ける場所もまだ無いので、箱の蓋を開けただけにしている。


 私は居間の片隅に置いたちゃぶ台の前に足を放りだし、壁を背に座った。

 一人の静けさは、気力を奪う気がする。

 そういえば夕食のことを考えてなかった。でも今は料理をする気も起きず、食欲もわかない。

 そのまま後ろに倒れごろりと横になった時、青い光が視界に入った。

 床に投げ出していたコートの上に乗せていたテレモの端の青い光が、ゆっくり点滅している。

 まだ慣れない手つきでそれを操作すると、女将さんから文字メッセージが届いていた。

 そこには『寂しくなったらこれを見よ!』というメッセージと共に、去年の夏に出雲で四人で撮った写真が表示される。

 大将宅のリビングに同じ物が飾ってあったっけと思いながら、見覚えのあるその写真を見つめた。

 カメラを睨みつけ威嚇する大将に、柔らかいほほえみを浮かべる女将さん、その二人の前で私と蓮也くんが肩を組んでいる。この時私が強引に組んだせいで、蓮也くんが決まり悪げな顔をしていた。

 返事を送った後も、ぼうっと写真を眺める。

 大将と女将さんに見守られている安心感、そして蓮也くんとじゃれ合ったり料理のことを語り合うことが、思っていた以上に大事なものになっていたことに気付いた。

 これからは一人でやっていかないといけない。

 決めていたことなのに、今までその為にやってきたのに。

 もっと大将の許にいたかった。女将さんの側にいたかった。蓮也くんと競っていたかった。そんな甘えに似た気持ちばかりこみ上げる。


 今日は野豚野郎の定休日。いつもなら四人揃っての夕食の時間後は大将の講義を聞いたり、それぞれレシピをまとめたりしていたっけ。

 蓮也くん、どうしてるかな。

 明日からは私が抜けたから、店の掃除や仕込みなど負担が増える。

 大将も蓮也くんも、元に戻るだけだからと言って笑ってたけど、なんだか心配で落ち着かない。

 

 メッセージ、送ってみようか。


 渡された時登録済みだった蓮也くんの連絡先を選ぼうとして、手が止まる。

 何を送る?

 今更辞めた店のことに口を出す資格はない。

 それに大将の家を出た当日の夜にメールを送るなんて、まるでホームシックの子どもじゃない。恥ずかしい。それに蓮也君は実の弟でもなく恋人でもない。友達だけどそれ以上にライバルなんだ。

 

 ライバルという言葉で少し頭が冷静になり、手の中のものをそっとちゃぶ台に置いた。

 それでも諦めきれず、しばらく膝を抱えながら横目でそれを見ていてふと、何か忘れていたことに気付いた。


 慌てて寝室に決めた海側の部屋に行って鞄を開けると、入っていたそれを取り出しダイニングへと戻る。

 赤色の和菓子屋の包装紙に包まれたそれを開くと、中から経木(薄く削りだした木の板)の包みが入っていた。

 経木の中には、いなり寿司が五つ行儀良く並んでいる。


 お正月明けに作ってから、女将さんや蓮也くんに頼まれて差し入れ用も兼ねて二度ほど作って振る舞った。

 でも詳しい作り方は説明していなかったはずだし、蓮也くんは米料理にあまり今日見はなさそうだったのに。


 濃い茶の俵を指でつまんで、そっとかじる。

 甘いより塩気がしっかり効いた味付けの油揚げ。反対に穀物酢を使った酢飯は甘めで、具は薄ピンクの刻んだガリ。

 なるほど、そう来たか。

 そう心の中でつぶやきながら、甘じょっぱく、生姜の爽やかな余韻の残るそれをもう一口頬張った。

 味のバランスがいい。

 蓮也くんは技術は荒いけれど野性的とも言える料理勘の持ち主で、特に素材の合わせ方のセンスは大将も認めている。


 私は紅生姜の汁を使ったけど、この揚げの味付けにはこの甘めの酢飯が合ってるし、ガリのソフトな生姜の風味が美味しさを引き上げてる。

 ただ、最初に揚げが舌に当たるせいで、甘みより塩気の印象が勝ってしまうのが惜しい。

 きっと煮上がった揚げの味をみて、思ったよりもしょっぱい仕上がりに右往左往したんだろうな。

 そう自分の経験と重ねて忍び笑いを漏らしていると、経木と包装紙の間に何か紙が挟まっているのに気付いた。


 空いた手でそれを引き抜くと、無造作にちぎり取ったノートの切れ端が現れ、そこに書いてあった殴り書きを見て、私は堪えきれず声をたてて笑った。


『食ったら感想をすぐに忘れず連絡しろ。遠慮なくホメろ』


 見慣れた乱暴な字を見ながら最後の一つを口に納めた私は、いそいそと手を洗ってくると、迷うことなくちゃぶ台の上の白いそれを手にした。


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