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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第5章:尻尾といなり寿司
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31.帝国貴族

 私と蓮也くんがたどりついたのは、吉祥寺港の東側のエリア、寄港する船舶の行政関連の施設や帝国人が所有するオフィスビルが建ち並ぶ一等地だった。

 もちろん主要機関の本局は池袋港の方に集中しているけれど、吉祥寺港も相応の出先機関が揃っている。

 行き交う車は高級車が多く、通行人達も帝国人らしき外国人や日本人でもスーツ姿のビジネスマンばかり。

 そして海岸沿いは魔法攻撃の犠牲者の慰霊のために設けられた西部平和公園と呼ばれる緑地帯が広がっていて、それに沿うように低層で横に長い、重厚感溢れる石造りの建物があった。


「ねえ、本当にここなの?」


「あ、ああ。住所は間違いないし、他に該当しそうな建物って……ないだろ」


「でもここって帝国人専用のアルベルグ、よね」


 私はこの世界に来てで覚えた単語を口にする。

 アルベルグとは、帝国語でホテル。

 しかもここはただのホテルじゃない。


 建物の前には車を乗り入れるロータリーがあり、艶やかに磨かれた黒い大理石張りのエントランスには帝国人らしき駐車係にポーター、警備員まで立っている。

 彼らが背にするガラス張りの扉の奥には、豪奢なシャンデリアが下がるロビーがあり、ソファーで談笑する客に受付のスタッフまで全てが帝国人。

 高級感のある佇まいからも見て取れるように、そのアルベルグは帝国人の中でも身分の高い人たちやお金持ちの為のものらしい。

 私達は道路の反対側から様子を伺い、途方に暮れていた。


「どういうことなんだ。ここに泊まってる客ってことか」


「なら納得ね。まさかここで働いてる人じゃないと思うし」


 私は、蓮也くんに手帳に記していた名前を見せた。


「うわっ、第四名まである名前って教科書でしか見たことねぇよ。マジかよ。貴族様だなんてルリは言ってなかったぞ。本当に会ってくれるのかよ」


 第四名までというのは、日本人のような氏名の二つだけでなく、帝国貴族の名は四つのセンテンスで出来ているということ。

 ややこしいことに、帝国内では貴族以外の国民も長い名前をつけることもある。だけどその場合氏族名は末尾につくので、第二名がそれであれば貴族ということになるらしい。

 だからその名前の帝国人に出会ったらご用心、と私の帝国語の恩師、カルロ先生が授業の中で教えてくれた。

 私はカルロ先生の雑学的知識だとばかり、たまたま覚えていたのだけど、どうやら子どもが学校で習う常識的なことだったらしい。

 

「書いてあるのは家名だけだものね。ルリちゃんはともかく、ミカゲさんはもちろん分かって紹介してくれているはず。だから大丈夫だと思うわ」


「あ、ああ。そうだよな……」



 かくして私達は緊張しながらホテルの玄関に向かって歩いた。

 ロータリーに踏み込んだ所で、その前から私達を気にしていた目つきの鋭い警備員が歩み寄り、流暢な日本語で用件を尋ねた。

 シラビノス氏との約束があることを伝えると、襟元につけていたバッチ型の無線機のようなものでやりとりした末に、ホテルの裏口へ回るように告げる。

 その言葉に従うと、ホテル裏の従業員専用の入り口にも警備員が待ち構えてきた。


 そしてそこで問題が起こった。


 約束は私の名になっているからと、蓮也くんの同行は頑として認めてくれない。

 その従業員用の入り口にいた帝国人達は皆笑顔を浮かべているけれど、視線は厳しく、警備の男は剣呑な雰囲気まで漂わせ始めた。

 交渉する余地がなさそうだと察した私は、私を一人では行かせられないと粘る蓮也くんに先に帰って待っていてくれるよう説得し頼んだ。

 五分後、渋々ながら納得し心配そうに何度もこちらを振り返りながら去る蓮也くんを見送ると、私は赤毛のホテルメイドに導かれて従業員通路の奥へと進んだ。


 従業員用兼貨物運搬用のレベーターに乗ると、上の階を目指す。

 裏口に回るように言われた時から予想はしていたけど、私を客の目に触れさせたくないらしい。

 魔法によって音も揺れもなく、通過階が光るパネルで辛うじて分かるほど静かに私達は上昇していく。

 その間にさりげなくシラビノス氏について尋ねたけれど、彼女は私との会話を禁じられているのか寡黙なのか、日本語にも拙い帝国語にも答えてくれず、笑顔を貼り付けて黙ったままだった。


 そして最上階に到着しエレベーターが開き一歩足を踏み出すと、そこはもう部屋の中だった。

 中央に置かれた応接セットの奥の一角にあるデスクから、長めに伸ばした栗色髪を優雅にかきあげながら端正な顔立ちの若い青年が立ち上がる。

 側に来ると、一六〇センチはある私が見上げてしまうほど背が高い。

 彼がその涼やかな視線だけでメイドを下がらせるのを見て、シラビノス氏が思った以上に若いことに驚きながら、私はついさっき蓮也くんから付け焼き刃で習った「帝国式の高貴な人への挨拶」を実行した。



「花沢様、お待ちしておりました。私はシラビノス様の秘書でコンラード・アレーナと申します。これからご案内しますが、主人は寛容な方ですのでどうぞ気を楽になさってください」


「えっ、あ、秘書の方でしたか。大変失礼しました」


 勘違いに赤面しながら、私はあわてて謝罪した。

 するとここに来て初めて好意的な笑みを浮かべる帝国人のアレーナさんは、気にしないようにと言い、自然な動作で私からコートを受け取る。

 いつ所有者との面談があるか分からないからと、出かける時はフォーマルに近い格好をするようにしていてよかった。

 特に今日は手持ちの中でも一番上等な紺色のツーピースにしていたことに安堵しながらも、それでもこのホテルにはとうてい相応しくない安物であることへの気後れは隠せない。


「あのう、シラビノスさんはここに逗留されている方ではないのですか」


「いえ、お客様ではなく当アルベルグのオーナーですよ。普段はこの最上階のフロアを事務所兼私邸としてお使いです。花沢様、申し訳ありませんが主人は帝国貴族のシラビノス家に連なる方です。どうぞシラビノス様とお呼びください。官位をお持ちであれば卿をつけるとよろしいが、主人は違いますのでそうお呼びするのが慣例です。もちろんご本人からのお許しがある場合はその限りではありませんが」


「それは失礼しました。無教養で恥ずかしい限りです。貴族の方はもちろん、帝国の方ともご縁がなかったもので。教えてくださって助かりました」


「いえ市民の方であれば当然でしょう。先ほどのご挨拶はお上手でしたよ。ですがあれは公式の場のものですから、ここでは必要ありません。日本人として敬意を持ったご挨拶をなさればよろしいでしょう」


 私は、アレーナさんの気遣いと流暢で丁寧な日本語でのアドバイスに恐縮し、さらに自分の無知さに恥じ入り熱くなった顔を伏せる。

 この世界の日本人としての常識すら心許ない私にとって、シラビノス氏との面会は地雷原を歩くようなものだなと改めて実感した。

 プレッシャーと緊張に押しつぶされそうだけど、今はなんとかしてこのチャンスをモノにしなきゃいけない。

 気持ちを奮い立たせるために顔をあげ、アレーナさんの将来心許なくなりそうな後頭部、いや、思わず触れてみたくなるようなふんわり柔らかそうな髪を見上げながら進む。

 そしてアレーナさんは、私があまりにも予備知識を持っていなかったことを気の毒に思ったのか、主人に失礼を働くことを未然に防ぐ為か、道すがら彼は私が知っておくべきことを簡潔に教えてくれた。


 シラビノス家は帝国初期に元老院長を務めたこともある名だたる貴族の傍系で、四代前に軍功をあげた当主が日本総督府の副総督に任じられたこと。そして日本へ渡った当主一家はこの地に根を下ろし、現在まで総督府の重要な地位につき続けていること。そして今から会うシラビノス氏は現当主の末弟で、このホテルの他に帝国相手の貿易会社を持っているけれど、本業はあくまで作家であること。そしてもちろん、日本で生まれ育ったので言葉の心配はないですよと、私の一番の懸念を払拭してくれる。

 気を取り直して彼がどんな本を書いているのか尋ねると、アレーナさんは苦笑を一つこぼしてそれには答えず、長い腕を伸ばして前方に近づく扉を示した。


「さあ着きました。こちらです」


 灰色の石壁に映えるモダンな赤い扉の前に着くと、アレーナさんは振り返って私を励ますように微笑み、ゆっくりとそれを開いた。




 華やかなカカオの香気に軽やかなほろ苦さの残るチョコレートををたっぷりの砂糖とミルクで溶かし甘くマイルドに仕上げた上質なココアで唇を湿らせる。

 そして華やかな写実的な花が描かれた上品なカップをソーサーに慎重に置くと、目の前のこれでもかと粉糖を纏ったカンノーロ、円筒形に揚げたパスタの中にチーズクリームを詰めたデザートの一片をためらいながら口に運んだ。

 さくりとした皮の食感に続き、刻んだナッツやチェリー、そしてオレンジピールを抱き込んだ甘さと酸味のバランスがとれたリコッタチーズのクリームが口の中でほどける。

 どちらも至極の逸品。

 だけど組み合わせとしては難ありで、甘さの波状攻撃を受け私はどんどん気力を削られていく。

 そんな私の視線の先にはデミタスカップが置かれ、泡立った黒茶色の液体が白い湯気を揺らしている。

 あの苦い液体でこの胸やけするような甘さを洗い流したい。私の目と心がそれに釘付けになっていると、いきなり低い声が響き私はあわてて顔をあげた。


「どうした、甘いものは苦手か」


「いえ、好きです。ココアもカンノーロも美味しいです」


「だろう、特にカンノーロは本国のママの味だと評判で、うちの一番人気の菓子なんだよ。ココアも、私の姉達や恋人達のお気に入りで特別に取り寄せている最上級品でね。きっとお嬢さんも喜んでくれるだろうと思ったよ。必要ならおかわりを持ってこさせよう、遠慮は不要だ」


「は、はい。お心遣いありがとうございます、これで十分ですので。シラビノス様」


 私は目を伏せ軽く頭を下げた。


 目の前に座る男は、四十前後の上背があり鍛えられがっちりとした体格を高級そうなスーツに包んでいる。

 黒髪は後ろに撫で付け、彫りの深い顔立ちは整ってはいるものの、高すぎる鼻に太い眉、顎の青々としたそり跡の上に濃く長いもみあげが乗り、印象は「濃い」の一言に尽きる。

 おまけに、ハイカラーシャツの無造作に開けられた逞しい胸元や袖元から伸びる手も濃い体毛がのぞき、柑橘系のコロンと共にむんむんとフェロモン的な何かを放出している。

 まるで映画で見るシチリア系マフィアのボスのような彼が、私が面会に来たあの店の持ち主、クインタス・シラノビス・J・ボース氏だった。



 シラビノス氏の応接室を訪れると、彼は私に自分昼食に付き合うよう命じた

 そう、この世界の現代日本は立憲君主制をとっていて、皇族だけでなく華族も存在し、帝国風に「市民」と呼ばれる私達一般人は、彼らには然るべき儀礼を持って接しないといけない。

 それは、帝国貴族に対しても同様らしい。

 確かに元の世界にだって世界に目を向ければ存在したし、この世界に来て学んだ知識もある。だけど生まれて初めて支配階級の人間の前に立って、どういう口を利きどう接していいのか分からず、こんなにも圧倒されるとは思ってもいなかった。

 神様の威圧感とは別種の、抗い難い何かがあった。

 そんな私に、彼は当然のように座る場所から発言のタイミングまで命じていく。


 かくして、彼の昼食に同席することとなり、彼曰くこの国でもトップクラスの腕を持つホテルのシェフが腕を振るう帝国料理を相伴した。

 美味しいものを口にすればいつでも夢中で食べ機嫌の良くなる私も、時折向けられるシラビノス氏のぶしつけな視線に堪え、所作の一つにまで気を遣いながらの食事はまるで砂を噛むような味気無さだった。

 こんな状況で、軽く燻製されたホタテの温製サラダ仕立てや、とろけるほど柔らかい仔牛肉のワイン煮など、皿を置かれただけで極上と分かる料理に出会うなんて。

 そう心の中で泣きながらよやくデザートにたどりつくと、何故か私の飲み物を「ココア」にするよう給仕に命じる始末。


 こうして食事中一方的に話すばかりだった彼が、ようやく私に本題に入ることを許可してくれたのは、給仕が注いだエスプレッソを一口すすった後だった。


「流民にそのような制度があったとはな。無駄金とも思うが、まあひとりでも立派な市民となり日本に、ひいては帝国に貢献するのは喜ばしいことだ。励むがいい。だがあの場所は貸すつもりはないよ」


 私は、根気強く彼の所有する空き店舗を借りて店を出したいこと、事業計画や資金のこと、自分は流民で法制度を利用するので金銭面で迷惑をかけないが、手続きや審査などで手間をかける場合があり、また出来るだけ急いで契約したい旨を伝えた。

 せいいっぱい誠意を込めて話したけれど、一笑に付されてしまった。


「どうしてですか。事前にミカゲさん、大貫さんからあの土地の魔力漏れについて話があったと思いますが」


「ミカゲ? ああ、魔女殿から確かに話しは聞いたよ。あの土地が使えない原因が分かったことは感謝しよう。母方の祖父が昔帝国人相手にリステランテを開いていた場所でね。あの魔法攻撃後に祖母や曾伯父が亡くなってからは店を閉めたんだ。そしてその後にこのアルベルグを始めてね。まさにこのアルベルグの礎でもある大切な場所なんだよ。私が祖父から二つとも相続して、ここは見ての通りうまくやってるが、あっちは長年ろくに手入れすら出来なかったからね。魔女殿には別件の仕事を頼んでいるから、その後で対処を依頼するつもりだよ。きっと亡くなった祖父も喜んでくれることだろう。もちろん、お嬢さんにも礼をするつもりで面会に応じたんだよ。食事はあまり楽しめなかったみたいだね、それでは別の礼を用意させよう」


「シラノビス様。お礼など結構です。私はただ、あの建物をお借りしたいだけなのです」


「お嬢さん、私は貸すつもりはないと言ったはずだが」


「どうしてですか。私が日本人だから?流民だからですか?」


「ははっ、そうだ。君は日本人で流民で若い娘だ。そして我々シラノビス家にとって大切な場所を下賤な食堂に使いたいという。それが許されることだと思うかね」


 ほがらかに辛辣な言葉を口にしたシラノビス氏は、言葉が出ずにいる私を一瞥し、カンノーロを手で掴み三口ほどで食べ切った。

 そしてその味にか、途方に暮れる私にか、とにかく満足そうにこちらを見る目を細めながら、太い金の指輪ごと粉糖まみれになった指と口元をナプキンで拭いた。

備考)カンノーロは、ゴッドファーザーでも登場したイタリアのおふくろの味なお菓子です。


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