30.朗報と懸念
「魔力が漏れ出してる?」
「人は大量の魔力に晒されると、魔力酔いを起こします。それが長時間になれば、身体に障害が起きるのですよ。魔力脈は本来地中深くにあって、地上へと染み出すのもごく僅か。でも魔法攻撃の影響で地形が変わり、魔力脈の位置が移動したり、枯渇したものもあるとお師匠様から教えてもらいましたの。特に魔法で地面を深くえぐりとられた為に、その周囲、現在の沿岸は地表近くにあった魔力脈が寸断され、魔力が通常の数百倍の濃度で漏れ出したんだそうですわ」
それからしばらくルリちゃんが難しい魔法用語混じりで淀みなく説明してくれた。
要約すると、紙一重に助かり海沿いとなった場所に住む人々が謎の病に倒れ、重篤になり死亡者まで出たらしい。幸い政府の研究機関がすぐに原因を特定し対処したけれど、魔法の悪用につながってはとその結果は隠され攻撃魔法の魔法力の残滓による影響とされた。
だから状況が改善した後もその時のことが人々の記憶に残り、また僅かに影響が残った所もあることから、人は海沿いを住むのを避けて倉庫を建てたり、政府が買い上げて公園になった。その為店舗や住宅のままというのは珍しいのだとか。
私は思いがけない戦争の傷跡を知り、深いため息をついた。
「ルリちゃんは、そのことを私達に話しても大丈夫なの?」
「もちろん、当時の政府は関係機関の口を封じましたが魔法使いであればすぐに理解できることです。恐らく当時近くに入ればどの魔法使いでもすぐに分かったでしょうね。ルリもお師匠様に話を聞いた時はピンとこなかったのですが、ここに来てすぐに分かりました。蓮也くんも分かるんじゃないですか」
「うーん。歩いてると気にならなかったけど、ここでじっとしていると落ち着かないというか船に乗った時みたいに少し足下がぐらぐらしてくる」
「そうなの? 私は平気だけど……。でも、そんな場所の側にいて大丈夫なの?ここから離れたほうがいいんじゃない」
自分の五感を研ぎ澄ませてみるけれど、もともと魔力を感じることすら出来ない私はもちろん異変を知覚できない。
そんな私に蓮也くんは気の毒そうな視線を向け、ルリちゃんは好奇心で瞳を輝かせた。
「それは大丈夫です。漏れてるといっても、魔法攻撃直後の時に比べれば僅かですから、ここに長居しなければ平気です。魔力を蓄えられない英里さんなら全く問題はありません」
「え、じゃあ私がこの体質だからこの土地の影響を受けないだろうから交渉してみろってこと? 私はお店を開くのよ。私は平気でも、お店で過ごすお客さんが身体を壊すなんて駄目よ」
「落ち着けよ。ルリもそこは大事な所なんだからちゃんと説明しろよ」
「ごめんなさい。えっと魔力の漏れですが、魔法使いに依頼すれば簡単にすぐに解決出来るんです。政府が施した対策にくらべればずっと小規模ですから、お師匠様にだって可能です。ただ、ルリが聞いた限りではお値段が結構いっちゃいますけど……お師匠様は英里さんを気に入っていますし、ルリもお手伝いすれば少しは安くなるかも」
私はすまなさそうにルリちゃんが口にした金額、7桁のゼロがつくそれに驚き、すぐには言葉が出なかった。
だけど、あきらめがつくには十分な金額だった。
「……これは無理ね。お店を出すのに必要な費用の倍はあるわ。ミカゲさんのご厚意に甘えても手の届く金額ではないわ。二人とも、ここまで探して調べてくれてありがとう。本当に感謝してるわ。ここももう一度当たってみるつもりだったけど、駄目だってことが分かってよかったわ」
私は二人に向かって深々と頭を下げた。
そして頭をあげようとした途端、頭頂にごつりと固いものがあたった。
大将よりも軽くて骨張ったその拳は、蓮也くんだった。
「ばーか。何一人で抱え込んで突っ走るんだよ。俺達だって、英里がそんだけ出せるはずないことくらい分かるさ。この変人ですらな」
「変人って何ですか。ルリはれっきとした魔法使いの弟子ですのよ」
「英里、お前借家に住んだことないだろ」
私は、蓮也くんの言葉の意図が分からず首を傾げながら肯定した。
私の家も祖父母の家も、一戸建てだった。一人暮らしの経験もないので、賃貸に住んだことはない。
「やっぱりな。じゃあ、ここは今は誰のもんだ」
「所有者。大家さんね」
「ああ。じゃあ英里が借りたらどうなる」
「同じ、でしょう」
「ちっ、まだわかんねーか。こういうのは持ち主が解決することで、対処するのは借りるほうじゃねーってことだよ」
「あっ」
頭になかった答えに、私は目を見開いてあんぐりと口を開け、視界の端でルリちゃんが私を見ながら楽しげにクスクスと笑っている。
「蓮也くん、すごい! そうね、そうなんだわ。まだ諦めなくていいよね」
諦めの後から訪れた希望の光に気持ちが舞い上がり、つい目の前の蓮也くんを抱きしめてしまう。
「おおっ、おちつけっ、離れろっ」
「英里さん、ルリはいいですけど蓮也くんから離れてください」
私が手を離すと蓮也くんは急いで後ろに飛びずさり、その間にルリちゃんが割り込んで蓮也くんに歯をむいて見せる。
私は二人に小さく舌を出した。
「ごめんつい」
「ついじゃねーよ、ったく。あ、あとまだ問題はあるんだよ。恐らく貸せない理由はそういうことなんだろうけど、他みたいに倉庫にもせず売りもせずに置いておいたんだ。何か思い入れがあるんだろ。だからいきなり貸せと説得するのは難しいかもしれないぞ」
「うん、お金は無いのはどうしようもないけど、話をするなら可能性はゼロじゃないわ。ぜひ直接持ち主さんと話をさせてもらう」
「よしその意気だ。ということで、今日の昼にここに行けばそのおっさんに会えるぜ」
「えっ、会える? でもまずは面会の約束を取り付けなくちゃ」
「もうしておきましたわ。お師匠様のお客様の一人だったので、話を通してもらいました。魔力脈のことはやはりお師匠様から説明していただかなくてはでしたし。平日のお昼は家にいるので、いつでも尋ねていいということですわ」
「ミカゲさんが?」
驚く私にルリちゃんは胸を張ってこともなげに言った。
「使えるコネはネコでもお師匠様でも使えですわ。それにお師匠様もルリも、早く英里さんのご飯が食べたいのです。ここがお店になるなら近くて入り浸るには理想て……こほん、お友達ですものそのくらい協力させていただくのは当然ですの」
「ルリちゃん……本当にありがとう」
私がルリちゃんの両手をとって感謝をこめて見つめると、彼女は茹で蛸のように真っ赤になると、先ほど私が蓮也くんにしたように抱きついてきた。
と、そこでふと疑問が浮かび、瞳を潤ませ私にしがみつく彼女を引きはがしながら尋ねる。
「あれ、ルリちゃん。今日は学校は?」
「休みですわ」
「あれ、でも平日だよね。創立記念日か何か?」
「三年生の三学期は授業はほぼ終わってますし、受験生が多いので指定日以外の登校は自由ですの」
「そう、大丈夫ならいいけど。って受験? ルリちゃん受験生なのね」
「もちろんですのよ〜」
「それは大変ね。で、試験はいつ?」
「明日ですわ! しかも本命、憧れのの魔法学校ですのよ。いよいよと思うとドキドキしちゃって楽しみで、今夜眠れないかもしれません」
「え、明日?」
私はギギギときしむ音がしそうなほどぎこちなく、蓮也くんを見上げた。
蓮也くんも知らなかったのだろう、青い顔をし、私に向かって首を横に振っている。
「ルリちゃん、受験前日って大事な日じゃないの!」
「えへへ。そうです。そんな日に英里さんに会えるなんてすごく幸運でしたわ。もう明日は上手くいくとしか考えられませんわ」
記憶にある受験の前日というと、吐き気がするほどの緊張感の中、顔をこわばらせて必死で苦手なものの確認を繰り返してた。だけどそれはちっとも頭に入らないほど余裕がなかったっけ。
だけど目の前のルリちゃんは無邪気な笑顔を見せ、自信に溢れた口調で明日が楽しみとまで言っている。
きっと、彼女にとってはこの状態で受けることがベストなんだろうな。
でも、さすがに明日のことを知ってしまった以上このまま一緒に付き合わせるわけにはいかないよね。
かといって、素直に聞き入れてくれるかどうか……。
「そうだわ。これをルリちゃんに渡そうと思って、鞄に入れてたののを忘れていたわ」
私は鞄の中をごそごそとかき回して、紙包みを取り出す。
「ルリちゃんが友情の証って黒猫のぬいぐるみをくれたでしょう? だから私も何か贈ろうと思って用意したの」
「こっ、これっ、英里さんから私への友情の証?」
ルリちゃんが紙袋を開けると、中からテディベア風の熊のぬいぐるみのついたキーホルダーを取り出した。
女将さんに端切れを分けてもらって作ったそれは、彼女の手の平の上にちょこんと乗るサイズで、白地に赤い小花柄の布と赤いフェルトが組み合わせてある。
瞳は小さな黒ボタンで首に青いリボンをつけている。そして縫いぐるみの横に、雑貨屋さんでみつけた、小さな銀製の子猫のチャームも一緒に揺れていた。
布を接ぎ合わせ立体的に縫い上げるデフォルメされたシンプルなデザイン。
妹に作ったことがあったので、一晩ですぐに完成した。
熊を選んだのは、彼女に縁のある英国に因んだものにしたくて。
ちなみに女将さんにこの友情の証について尋ねてみたけど、おっとりと首をかしげて「私の時代にはなかったけど、今の若い子の流行かしらね」という答えで、真偽のほどは分からなかった。
「きゃぁ、すごく可愛い! あら、足の裏に刺繡が……RとE……これってルリと英里さんの名前の? もしかして、手作りですの」
「刺繡はあまり得意じゃないから少し不格好になってしまったけど。受け取ってくれる?」
「もちろんですわ。どうしましょう、まさかこんな素敵なものを頂けるなんて。ありがとうごじゃひまふ」
興奮し過ぎてしまったのか、語尾が可笑しくなったルリちゃんに、私達は慌てた。とにかく明日に支障が出ては困る。
私は、ルリちゃんの肩に手を置き、膝を折って顔をのぞき込み優しく言い聞かせた。
「ということで、ルリちゃん、あなたはもうこれで帰りなさい。家でゆっくり明日の準備をするのよ」
「えっ、でもお師匠様には夕方戻ると言ってありますし」
「ルリちゃん、私は明日の試験に万全で望んで欲しいのよ。それでぜひ魔法学校に行って欲しい。行きたかったんでしょう?」
「わかりましたわ。でもまたルリに会ってくださいます?」
「もちろんよ、友達だもの。ただし次はこの間のレポートの約束を果たしたらね」
私は、ルリちゃんの切りそろえた前髪の間からのぞくおでこを指で軽く突く。
白い肌に一瞬ピンク色の痕がつき、すぐにかき消える。
「う、では私はこれで失礼しますわ。蓮也くん、くれぐれも英里さんをお願いしますね」
「おう任された。気をつけて帰れよ。お前転びそうだから絶対走るなよ」
「余計なお世話ですわ」
ルリちゃんは最後に私を見てぺこりと頭を下げると、マントを翻し走り出しかけて立ち止まり、改めて早歩きで去っていった。
「さて、おまけも帰ったし行くか」
「そうね」
蓮也くんと並んで歩きだした私は、期待と同じくらいに不安もふくらんでいた。
鞄から手帳を取り出し、しおりを挟んでいたページを開く。
今までいた建物の項目に書き足されたメモ書き。
念のためにとメモしていた所有者の名前を見て、やっぱりと小さなため息をつく。
その時は、ただ漠然と日本人じゃないのねと思っただけだった。
“クインタス・シラノビス・J・ボース”
そこにあったのは帝国人の名。
本来なら私には縁のあるはずの無い、現在では帝国の貴族しか使うことを許されていないはずの、古代ローマから脈々と継がれる伝統的な名前だった。




