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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第5章:尻尾といなり寿司
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29.共同戦線

 翌日から私は、仕事の僅かな合間を物件探しに充てて東奔西走した。

 幸い、薬を飲んだ翌日の蓮也くんが、四日目にはすっかり回復した。

 石動医師の太鼓判を持って仕事に復活すると仕込みを引き受けてくれ、午後いっぱいを自由に使えるようになった。


 ちなみに、蓮也くんのお尻に生えた獣相の尻尾だけど、それに異変が起きたのは薬を飲んだ三日目のことだった。

 仕入れから戻って来て蓮也くんの部屋をのぞくと、嬉しそうにパジャマの背中をめくりあげ、尻尾がなくなっているのを見せてくれた。

 朝目覚めると上向きに寝ていたことに気づき驚いたのだそう。

 尻尾のせいで、横向きか俯せにしかなれなかったはずなのにと確かめた所、まるで元から何も無かったかのように、さっぱりそれがなくなっていた。

 この数日悪い夢でも見ていたのかと思ったけれど、布団には確かに抜け毛が残っていた。

 うっかりお尻を丸出しにしたままなのを忘れたまま語っていた蓮也くんは、赤面した私を見てようやく気づき慌ててズボンを引っ張りあげると、紙に包んだ毛の塊を大事そうに見せてくれた。


 そして後日、蓮也くんの診察をして快癒を宣言した石動先生は、獣相はとりついた妖獣の魔力が具現化されたものだから、それが薬で弱体化され魔力が届かずそれを保持できなくなった為に消えたと説明してくださった。

 ちなみに身体から離れた毛が消えずにいるのは、身体から離れることで微細ながら魔力がそこに留まっているせいだと、うっかりその記念品を石動医師に見せた蓮也くんはすかさず没収され、回収された魔封じの糸と共に浄化という名目で燃やされてしまった。

 細かいもの一つ一つに害はないけれど、それを一カ所に集め大切に保管するという行為はそれが持つ妖獣の魔力を強めることになり、何をきっかけに人体に影響を与えるか分からないと石動医師が厳しい顔で諭され、元気になるとろくなことをしない奴だと大将にどつかれ、散々な蓮也くんだった。


 ともかく、私はようやく日中に物件探しに集中できるようになったのだけど、成果は芳しくなかった。

 足が棒になるほどに歩き回り、喉が枯れるほどに交渉してもなかなか契約に至るような物件に出会えない。

 そして一日一日が飛ぶように過ぎ、あっという間に残すところ四日となった。

 最後まであきらめたくないという気持ちは大きいけれど、駄目だった時のこともそろそろ念頭におかなければならないと重い気持ちで玄関で靴を履いていると、蓮也くんがやってきた。


 今日は月曜日。

 定休日で、私が行けないから市場行きも休止だと大将が昨晩言っていた。

 だからこそ、病み上がりの上に連日私のフォローでたまった疲れを癒やしてもらう為、起こさないよう足音を忍ばせて支度をしたのだけど。

 見れば私服のコーディロイのパンツに青色のセーター、そして濃紺のピーコートに女将さん手編みで私と柄違いの手袋まで填めている。


「蓮也くんも、どこかに出かけるの?」


「ああ、英里と一緒に行く」


 躊躇なく言い切る蓮也くんに、私は怪訝な表情を浮かべる。


「行き先が吉祥寺なの?」


「いや、英里についていくんだ。ほら、出るぞ」


 何がきっかけかは分からないけれど、仕事に復帰した蓮也くんが私を名前で呼ぶようになった。しかも呼び捨てで。

 店でそのことに気づいたお客さんにからかわれ、真っ赤になりながら「俺は兄弟子だからいいんだよっ。文句あっかよ」と逆切れして大将にどやされてた。

 何が彼の心境を変えたのか分からないけれど、蓮也くんが私に対して戸惑いのようなぎこちなさをずっと感じていたので、この変化は嬉しかった。

 後輩が女で、年上で、しかも一足先にこの店を卒業して店を持つのはいい気がしないことは私も最初から分かっていたし反発を覚悟していた。それでも、私が知る祖母の弟子達のような足を引っ張り合う関係ではなく、兄弟子らしくかいがいしく面倒を見てくれ、口は悪いけど紳士に振る舞ってくれた。

 それでもいつもかすかな遠慮や戸惑いが存在して、私も気になりながらもどうすることも出来なかった。

 もちろん以前と変わらない乱暴な口調に態度だけど、今は無理をしている様子がない。

 私は好ましいその変化に頬をゆるめながら、紐を結ぶのにもたついてる私を追い抜いて玄関を出た蓮也くんを追いかけた。




「おはようございます、英里さん」


「どうしてここに、ルリちゃんがいるの」


 吉祥寺の駅の改札を出た所に、魔女姿の少女が笑顔で手を振っていた。

 まだ約束は果たされていないのに私の前に立つ彼女に、私の彼女に問う声は少し低くなる。

 ルリちゃんが気まずそうな顔で口を開いたところで、蓮也くんが遮る。


「こいつは俺が呼び出したんだ。怒らないでやってくれ」


「蓮也くんが?」


「こいつでなくルリとお呼びください。そう、昨日蓮也くんから連絡を貰いましたの」


「年上の俺にくん付けで呼ぶなよ。年上には敬語使えよ、むかつくガキ」


「ふんっ、英里さんを普段独り占めしてる人にはこれで十分ですわ。それに、年上だからというだけで尊敬に値すると思っているなら大間違いですわ」


「あー、やっぱりめんどくせぇガキ、好きにしろ。とりあえず行こうぜ、歩きながら話すよ。今日はまた色々探し歩くって言ってたろ。先に付き合って欲しい所があるんだ」


 私はひとつ頷くと、蓮也くんに従った。

 前を、背の高い蓮也くんと小柄なルリちゃんが並んで歩く。

 赤色のダッフルコートに、ロイヤルブルーのチェックのワンピースに黒いブーツ。そしてお決まりの魔女の帽子とマントをつけている。

 一年で一番周囲との違和感が少ないはずの今でもやはり人目を引いていて、蓮也くんは並ぶのを嫌がり後ろに行けと肘で突き放そうとする。

 だけどルリちゃんはまだ事情を聞いていない私と並ぶのは気まずいようで、蓮也君のコートの袖をしっかり掴んで話さない。

 そんな二人の姿が微笑ましくて、私は思わず声に出して笑ってしまった。


「な、何笑ってんだよ」


「ううん、なかなかいいコンビだと思って。それよりいつの間に二人は仲良くなったの?」


「仲良くありませんわ。共同戦線を張ってるだけですわ」


「でも、連絡取り合っているんでしょう。そこまで親しくも見えなかったから」


 私が知っているのは変な子供という珍獣を見るようにルリちゃんを見ていた蓮也くんだったから、年の離れたこの少女とじゃれ合うまでに仲良くなっていることは正直驚きだった。


「それは……」


 蓮也くんはルリちゃんに目をやり、彼女が頷いたので私に話し始めた。


「英里の部屋を借りた日があったろ」


「うん」


「あの時すげー暇でさ。でも俺の部屋はくせーから入れないし、貸してくれた雑誌もすぐに読み終わって、それでその目についたそれを見ちまったんだよ。それ」


 蓮也くんが目をやったのは、私が肩からかけた鞄の側面のポケットに差し込んだ手帳だった。

 確か机の上のもの、雑誌を読んでいいと言ったつもりだったけど、一緒に置いて置いてこれは見ては駄目だとは今更言えない。

 元の世界の荷物は群馬の八坂さん宅に置いているが、買ったばかりだったこの黒い表紙の手帳だけ持ってきていた。最初の二ページには元の世界での最後の一月の間に行ったお店の感想や、食べた料理から思いついたレシピのアイデアを走り書きしていた。今も出来るだけ持ち歩いて様々なことをメモしている。万が一のことを考えて日記めいた個人的なことは書いてはいないけれど、それでもまるでこの世界の初心者のようなメモ書きを不審に思われなかったかと身を固くした。

 そんな私の様子に、蓮也くんは慌てて弁解した。

「雑誌をとろうとしたら、うっかり手帳にも手をかけてしおりが落ちかけて。それを元に戻そうとする時に、そのページのメモを見たんだ。もちろん他は見てないと誓うよ。でも勝手に見たのは悪かった。でも、それを見て俺にも何か手伝いできないかと思って。魔物の野郎のせいで、大事な探す時間を奪っちまったろ。それでリストを写させてもらって、俺のほうで当たってみたんだ」


「実際に当たって歩いたのはルリですわ!」


「ああ悪ぃ。医者の許可が出るまで外に出るなって言われてたから、女将さんに頼んでこいつに連絡とってもらったんだ。この街で生まれ育ったこいつだから掴める情報があるんじゃねーのかって。ガキだしイカレてるけど、英里のために一生懸命なのは確かだからな」


「そうです。ルリは英里さんの為なら、火の中、水の中、世界征服だってなんだってお手伝いします!」


「しないから、世界征服しないから落ち着いて」


私は、頬を薔薇色に染めて目を輝かせて拳を握るルリちゃんを押しとどめた。


「二人とも、私の為にありがとう。私一人でなんとかしなきゃと思ってたからそこまでしてもらえるなんて。本当にありがとう」


「まだ礼を言うのは早いぞ。空いているってのは確認したが、交渉するのは俺は無理だからな。それにちょっと問題もあるんだ……」


 蓮也くんは語尾を濁し、とにかくまずは建物を見てからだと告げさっさと歩き始めた。

 駅前のロータリーを横切り渡ると、ルリちゃんが先頭になりそのまま南下して埠頭に出る。

 初めて吉祥寺に降りたって足を向けたその薄赤と白の敷石が敷かれたそこは、相変わらず穏やかな空気が流れ、平日にもかかわらずお年寄りがのんびりと散歩している。

 そこを少し西に進んで北へ少し戻ると佐藤家があるのだけど、ルリちゃんは反対となる東へ足を向けた。

 そして5分ほどで第二東京港の保安地区の西端で、職員用の裏門に当たるゲートの前、海に面し連なる倉庫の末の角地その建物はあった。



「ここって、確か元は帝国料理店だった所よね」


 私は、外壁の煉瓦を埋め込んだ壁に触れた。

 壁に掲げられた帝国文字で書かれた看板は、海風で真っ白に褪せてほとんど読みとることが出来ない。

 この世界では帝国建築と呼ばれる石や煉瓦で建てられた洋風建築が珍しくない。

 地震が多い日本だけど、魔法を施し基準をクリアすれば問題ないのだとか。

 ただし、昔はその魔法技術が低く基準を超えるものとなると価格が跳ね上がる為に、そういった家は少なくないが多くはない。

 そんな家だからこそ、この海を作った魔法攻撃の衝撃をも耐えることが出来たんだろうな。

 古い建築デザインに特徴的なシンプルで無骨な赤茶色の四角い建物がそこにあった。

 一階が店舗で二階が住居、西側には朽ち果てかけた板塀で囲まれた中に荒れ果てた庭が見える。


 この建物は、この界隈を歩き回っていた時に真っ先に見つけた物件だった。

 長年放置され木板が打ち付けられた窓の中を窺い見るに傷みが激しく、今も使えるかどうか分からないけれど印象に残る建物。近所の人の話だと、戦前は有名なリストランテだったとか。

 私はここならと、この近所の不動産屋から持ち主を紹介してもらった。

 建物を管理しているのはこの近隣で事業を展開している会社だけど、実際はその会社の創業者で、を始め複数の会社を所有する会長の個人資産だと説明された。

 借りることは出来ないかと交渉したけど賃貸をする予定も売り払う予定もないのでとそっけない対応で、持ち主の会長との面会も断られてしまった。


「ここは貸すつもりはないって断られたんだけど、どうしてここなの?」


「それはこいつのお手柄だよ。ルリ、説明してやれよ」


 蓮也くんが、瑠理ちゃんの頭を帽子の上からぽんとたたき、ルリちゃんは慌てて帽子のゆがみを直しながら蓮也くんをにらみつけた。

 そしてコホンと咳払いをすると、おずおずと私を見上げた。


「ここは、貸さないんじゃなく、貸せないのですわ」


「どうしてそれが分かるの?」


 私の言葉に、ルリちゃんは木塀の向こうを指してきっぱりと断言した。


「この土地に魔力脈の魔力が漏れ出してるせいで、ここでは長時間人が滞在することが出来ませんの」


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