22.お披露目
「蓮也くん生二つを四番五番さんに」
「うぃっす」
「大将、空飛びイワシのフライ二つと鶏つみれ二つ、芋サラダ四つお願いします。それから大下さんがいつものアレを欲しいって」
私は声を張り上げ、大将が頷くのを確認すると、厨房をのぞき盛りつけられた冷や奴とおくらと山芋の和え物をお盆に乗せる。そして入り口近くのテーブル席へと急いだ。
日焼けと酔いで真っ赤な顔の三人が、賑やかに私を迎える。工務店の橋本さん、電気屋の太田さん、リフォーム業の金井さんは仲良しで、よく揃って来店するので私もすっかり顔見知り。
「おまたせしました。奴にオクラヤマですっ」
「英里ちゃん、ウーロンハイおかわりね、あとこいつ甘いのが飲みたいって言うんだけどおすすめある」
「ならカルピスサワーと梅サワー、レモンサワーを甘めにもできますよ」
「じゃあカルピスで」
「英里ちゃんカルピス濃いーくしてやってね」
「濃いーくですね、かしこまりました」
「あー英里ちゃんにもご馳走してーっ」
ゲラゲラと笑い声があがる中、私はもう隣の席で次の注文を受けていた。
首もとがよれて元は黒だったはずの褪せて赤っぽくなったTシャツを着た郷原さんは八百屋さん。ブルドッグのようにたるんだ頬や顎の肉を振るわせながら発せられたダミ声が、三人声をかき消す。
「っ、たく、品がねーな。若い女の子にはもっと紳士にふるまえっつーんだ。立派なたまぁついてんだろうが」
「さぁさぁ郷原さん、水茄子の一夜漬けでしたね。他はよろしいですか。そうそう、今日は帝国産オーク肉を大将がベーコンにしたんですよ。お好きでしたよね、オーク肉。炙りとソテーの半熟目玉乗せが出来ますよ」
「おっ、オーク肉があんの? 英里ちゃんよくわかってくれちゃって嬉しいねぇ。くー、あれはそのままだと臭みが強いが、ベーコンやハムにするとえれぇ美味くなるんだよな。あのカリカリになった肉に黄身を絡めるのもたまんねーが、今日はもう焼酎飲んでるしなぁ。んじゃ、炙りでよろしく。厚めに切ってくれよ」
手にした鹿児島産の芋焼酎の入ったグラスを掲げ、グラスが小さく見えるような太い指三本で拝むような仕草をする郷原さんに私は笑顔を向ける。
「はいはい、大将に伝えますのでお待ちくださいね」
土曜日8時の居酒屋野豚野郎は、一週間で一番の賑わいとなって戦場になる。
金曜日も同じくらい多いけど仕事帰りのお一人様が多く、グループがほとんどの土曜日は耳が痛いほどの賑やかさだ。
今夜も賑やかだけどいつもと違った。この一帯の三鷹北商店街の旦那会で貸し切りになっている。
皆よくお店に来る常連さんばかりで、月に一度の集まりといってもあまり顔ぶれが変わってる気がしない。おまけに貸し切りといっても、コース料理ではなく各自の注文で伝票もそれぞれに切るし、会計後に領収書も全員分用意しなくちゃいけないのが大変だったりする。
皆一通り食べ進みお酒もほどよく入って注文は一段落し、店内は少し落ち着いてきた。
「おい、英里」
「はいっ、ただ今」
一通り受けた注文の料理を出し終わった所で、私は大将に呼ばれた。
駆けつけると、女将さんが小さめのグラスが沢山並ぶお盆を用意していて、その横にはもともと麦焼酎が入っていた一升瓶が2本出してある。
そして調理台の上では、大皿に乗ったアサリ料理が湯気をたてていた。
「大将、これ……」
「もういいだろう、そろそろ出すぞ」
「はいっ!」
とうとう、この時が来た。そう思うと急に緊張が襲ってきて、肩に力が入ったままグラスがめいいっぱい並べられたお盆を持とうとした。思いがけないその重さ身体がぶれ、横の棚にぶつかりそうになった所を、背後に立ってた蓮也くんが支えてくれる。
「何ボケてんだ、気をつけろよ。かせよ、それは持って行くから残りを頼むわ」
「う、うん。ありがとう……」
私の手からそれを軽々と片手で奪い運んでいく蓮也くんの後ろ姿を見送りながら、私は唇を噛み気合いを入れ直した。そして台にまだ残っているグラスを空いたお盆に乗せ配るのを手伝う。
「おい、大将このグラスはなんだ? 何がでてくるんだ」
そんな声があちこちに広がり賑やかになる中、大将はカウンターからお客さん達を睥睨した。
いや普通に見渡したのだけど、大将がやるとそれは睥睨になる。でも、幸いなことに今日のお客さんはその程度で怯む人は一人もいない。
そもそも本来なら大将もこのメンバーの一人で、皆が大将の料理のファンだからという理由で、この会はこの店で定期開催されていた。
だから一見のお客さんが怖がるので普段は言葉少なく料理に徹する大将も、今日は気軽にカウンターに座る人達とやり取りを楽しんでいる。
「今日は、珍しい酒を用意した。それとそれを使った試作の料理を一つ。ぜひ皆で試してくれ」
大将の言葉に皆から歓声があがり店内に轟く。痛いほど大きな音に私は思わず空いた左手と肩で耳を塞ぎながら、酒瓶を抱き上げた。
褐色のその瓶の中には白い液体が詰まっていて、顔の近くにきた瓶の口からシュワシュワとはじける音がする。
「なんだこれ、小麦濁酒か?」
「いやいや、それにしては匂いが違うし舌触りも違うぞ」
「おお、なんだかわからんが美味いじゃんか」
「おっ、これは飲み易いな。うまい、もう一杯!」
舐めるように一口づつ含みながら慎重に何かを探ろうとする人、他のお酒と変わらないペースで飲む人、ただ酒に喜び一気飲みして早々におかわりをねだる人と飲み方は様々だけど、一様に飲んだ後に笑顔が浮かぶ。
私は、あっという間に空になった空き瓶を厨房の端に置き、冷蔵庫から新しいのを出そうとした所で大将に肩をつかまれた。
「大将?」
「いいからこっちへこい」
私は大将の前に立たされ、まるで熊に捕まった兎のように両肩をがっちりホールドされた。そんな私達に視線が集中し、気恥ずかしくなって俯いてしまった所で、大将のいくぶん上機嫌な声が頭上から振って来た。
「あー、それはこの英里の手製の米の酒だ。そのアサリはそれを使って酒蒸しにした。皆どうだ」
米の酒と聞いて周囲がどよめく。
なるほどと頷く人、そうだと思ったと嘘ぶいて左右からつっこまれる人、珍しげにグラスを口に運ぶ人など反応は様々だけど、皆が笑顔がだったので私はほっと胸を撫で下ろした。
米麹がうまく出来なかった原因が、種麹の量と蒸し米の量の比率にあることが、分かるのに一週間かかってしまったけど、無事、菌糸を纏いながらパラパラに乾燥したそれが出来た。それから後完成に至までは早かった。
そもそも、濁酒は気温が三十度を越える日もある今なら三日でほぼ完成する。
使っていなかった果実酒用の大きな瓶に、硬めに炊きあがった熱々のお米三カップ分と四カップの水を入れて混ぜ、その温度が四十度程に下がった所で、二百グラムの米麹と店に常備しているパン用酵母を少量入れてよく混ぜれば仕込みは完成。
その後は常温でも大丈夫だけど、安定させる為に箱の中で30度に設定し入れておいた。
あっという間に水分がお米や麹に吸われてしまうけど、半日もすれば下の方に液体が溜まっていく。おたまを差し入れれば、気泡が上にふんわり層をなすお米や米麹の間からぷくぷくと顔を出す。
一日二回混ぜていけば、次第に米や米麹の粒がお粥状になり、果物のような甘い香りに混じりほんのりと混じっていたアルコールの香りが主張し始める。そして発泡が一段落した所で完成。ザルで漉せばそのまますぐに飲めるけど、瓶に入れて一晩寝かせて冷蔵室で飲み易い温度まで冷やせば完成。
ただ、料理に使えるのはこの後火入れといって八十度で湯煎し発酵を止めた後、上澄みを汲みとったもの。所謂元の世界で清酒と呼んでるもので、こうすれば長期間の保存も出来るし、熟成して美味しくなってくれる。
最初に出来上がったものを味見した時、大将達は目を見張って驚き、よくここまでやったなと褒めてくれた。
古米を使ってることや、水道水が元の世界のそれに比べると段違いに質がいいけど、念のため湯冷ましにして使ってるなど素材の時点では適わないけど、出雲のあのお神酒にかなり迫る味だと思う。
それを作ってる間もその後も、私は時間を惜しむように色々な分量や温度を試していた。乳酸菌を加えてみたり、酵母を変えたりと色々試した結果、現状では自分好みで大将も納得の味を作ることが出来た。
その翌日、大将がどこからともなく新しい漬け物樽を持って現れ、それで十倍の量を作ってみろと言われた。箱に入らない大きさなので二階の一番涼しい洗面所に置かせてもらい、五日かけて完成したのがこの濁酒で、味見をした大将が予約の入っていたこの宴席で披露すると宣言した。
もともと料理酒の確保と身近な人達と楽しめればいいやと少量しか作るつもりがなかっただけに、ここまで沢山作らせた大将の意図が分からなかった。そして、この会でお酒のお披露目をすると言われた時も、皆の前に立たされた今もまだ分からずにいる。
自慢したいだけにも思えないし、この顔ぶれでお店をアピールしたいなんてのも考えられない。
この世界でのお米の値段は高く、気軽に米のお酒なんかに出来るもんじゃないし、そうなるとお酒の値段も馬鹿高くなってしまう。
既に八坂さんから送ってもらったお米も残り半分、米麹だって沢山あるわけじゃないからこれからも店に出すほど一定量作り続けるなんて無理な話で、それは大将だって理解してるはずだし。
そんな私の困惑を他所に、皆は興味深々といった風に飲んでいき、用意していた四本のうち三本目が半ばまで空いていた。
「おい、米の酒といったら神社への直販のお神酒か、金持ち向けの高級品なのに、そんなに簡単に造れるもんなのか」
商店街の老舗のひとつ、紺屋酒店の若旦那の高坂さんが怪訝な顔で尋ねる。私が大将がどう答えるのか待っていた私に、大将が肩を掴む手に力を入れる。
「何ぼさっとしてる、お前が答えるんだ」
「あ、はいっ。これは麦の濁酒とほとんど作り方は同じで、材料さえ揃えば誰にでも作れるものなんです。もっと美味しく洗練された味にするに、お米やお水にこだわって、冬の寒い時期にじっくり時間をかけて作ったのが、お神酒や売られているものだと思います」
「おれぇ、田舎で米で作ったお神酒をもらったことあるけど、全然こっちのほうが美味いぜ」
鰻屋丸一の入り婿のヤスさんが赤ら顔でぐびりと喉を鳴らしながら飲み干す。確か長野出身と言ってたけど、群馬と似た作り方なのかもしれないな。
「場所によって作り方も色々あるみたいで、味も色々なんです。これは出雲のお神酒と同じ麹を使っているのでそちらのに近い味かと……あの、皆さん、これは飲みやすいけど、酔いやすいので気をつけてくださいね」
私の最後の言葉は、それなりに大きい声で言ったつもりだけど誰の耳にも届かなかった。
「なぁなぁ熊さん、今度からこれを店に出すのか? もしそうなら毎回注文するぜ」
「俺も! やべぇよこの酒、いくらでも飲めるわ」
「悪いなおまえら。出せる残りはこれだけだ。後はじっくり味わってくれ」
残り一本あるはずだけど、目に見えて皆の酩酊度があがったせいか、大将はそう言い渡した。
「なんだと。英里ちゃん、この酒簡単に作れるんだろ? また作ってくれるよな」
「あー、みんな聞いてくれ。悪いがこの酒は今夜限りだ。店に出すことはしない。これはまともに出すとなると単価が高くなってうちの店には合わないからな。それからもうひとつ……」
大将は次の言葉を口にする前に再び私の肩に手を置いた。今度はさっきの捕獲するようにではなく、励ますような優しく暖かい置き方だった。
「これを作れる英里は来年春でここを辞めて、吉祥寺に店を出す。次に飲めるのはその店でってことだ、なぁ」
「はい。料理用に作る必要があるので、少量ですが定期的に提供する予定です」
私が店を辞めるというのはお客さんには未だ開店が決まるまでは伝えない予定だったので、店内がどよめき、私もそう答えながらも大将がいきなりこの話を口にしたことに驚いた。
「まじかよ、英里ちゃん野豚を辞めちゃうのか。俺、英里ちゃんに会うのが楽しみでここに来てたのにぃ」
「だったらその英里ちゃんの店に行けばいいんだろ」
「だけどなぁ、うちの奥さん熊んとこだから許してくれてるが、女の子の店だと知れるとなぁ」
「あの、私が開くお店は食堂なので、その時はぜひご家族でいらしてください」
私はそう言い、ざわめきが止まらない客達に向いて、その時は宜しくお願いしますと言うと大きく頭を下げた。
その私の頭を大将の大きな手がわしっと撫でたかと思うと、そのまま脇へ押しのけられた。
まだ何かあるのかと私が見守る中、大将が皆に向かって話を再開した。
「ということでだ。もちろん店に足を運んでやって欲しいがその前にはまず無事に店を出さなきゃならん。その為に皆に手伝って欲しい」
「おい熊公、何が言いたいんだ。俺達にまさか金を出せとでも言うのか。悪いがそういう金の援助はこの会はやらんことになってるのは知っとるだろう」
カウンターに座っていた、一番年配の秀さんが口を開いた。
この会のリーダーで大辻というお茶屋さんの秀さんは、商店街の協会長を務めている。そんな重鎮が、腕組みをして大将に厳しい目を向けていた。




