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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第4章:魔女っ子と酒造り
18/44

18.魔女宅にて

 私はノートの一番新しいページを開いた。

 そこには、おか持ちのような箱の絵が描いてある。


「料理に使うんですが、一定の温度で保温しておける容れ物が欲しいんです。材質は錆びたり腐食しにくい金属素材で、保温の調整機能がついて、防水だけど適度な通気を備えた箱が欲しいんです。大きさは新聞の片面くらいで高さは五十センチくらい、中は三段の棚で取り外し可能に。箱の横に持ち運べるようとってをつけてください。水洗いや消毒がしたいので――」


「なるほど、以前パン屋からこれと同じような注文を受けたことがあるよ。もっともあれはこの部屋の半分ほどの大きさだったけどね。これなら半日で作れるな。ただ魔法の刻印発注が必要だから一週間待ってもらえるか」


「もちろんです」


「英里ちゃんは料理人で菓子もうまいうえに、パンも作れるのか」


 しげるさんはグラスに残った麦茶を飲み干し、私に向けて柔らかく笑う。

 この家の人、朱美さんとしげるさんは大のあんこ好き。

 私も和菓子は作るのも食べるのも好きなので、二回目にこの家を訪問した時から何かしら作って手みやげにするようになった。

 私は、しげるさん達が美味しそうに食べてくれる姿を想像しにやけながら答えた。


「もちろんパンも作りますよ。でも今回これで作るのは食べ物じゃないんです。お酒なんです」



 実は、出雲で私は捜し求めていたものと出会った。

 あれは祭りの後に参加者に振舞われたお神酒。

 どうせ焼酎か何かだろうと、後片付けの時に好奇心から小さな樽に残ったそれを分けてもらい私は愕然とした。

 見た目は白濁していて、市販でも見かける小麦の濁酒かと思った。

 でも一口飲んだらすぐに分かった。かなりアルコール度が高いその濃醇な酒は、果実の甘く深い風味で濃密のとろりとした口当たり、極上の米のお酒だってことを。

 振舞っていたお爺さんから、それが地元の酒造所が神事用に古来の製法で作られていて、神社からの予約注文限定でのみ作っていることを聞き出した。


 東京から帰る日、神主で地元の名士でもある女将さんのお父さんに紹介してもらい、大将達とその酒造所にお邪魔した。

 味噌や醤油には麦麹を使う。それを使えば麦の濁酒や焼酎が作れる。それは東京でも簡単に手に入った。

 だけど米のお酒には米の麹が必要で、肝心のそれがどうすれば手に入るのかずっと探していた。

 もしかしたら米麹こうじが手に入るかもしれない!

 群馬の里でも八坂さんが神様に備えるお神酒は、近隣の農家が作った米の濁酒だったけど、麹を使わない先祖伝来の方法で作られ、出来上がったお酒は似ているけど私が求めているそれと少し違った。

 

 訪れた酒蔵では、お神酒のことで頼みがあると言うと、須佐之男命すさのおのみこと八岐大蛇やまたのおろち退治に作った八塩折やしおりの酒の流れを汲み、一族当主の秘伝。外部の人間に製法は教えられない! とけんもほろろに断られた。

 そこで率直に製法ではなく米麹が欲しいことを話し、素人知識だけど私が知る濁酒の造り方を話すと態度が軟化し興味を持ってくれた。

 そして種麹を少しならと分けてもらえることになった。


 もし『巫女による口噛みの酒』だったらどうしようと内心不安だったのはここだけの話。

 それにもしこれで駄目なら稲麹という稲の籾に深緑の玉のようにつく菌を探し培養する手しかないなと考えていた。

 祖父が連れまわした場所のひとつに津々浦々の酒蔵があった。まだお酒が飲めない頃だったけど、興味を示した私に杜氏さんが昔の人がどうやってお酒を作ったかを教えてくれたひとつの稲麹、そんなことをよく覚えていたと思う。でもさすがに素人が見よう見真似で作るにはリスキーなので、日本酒用の種麹を手に入れることが出来てほんと幸運だった。


 かくして私はようやく酒造りの第一歩を踏み出すことにしたのだけど、その前にやらなきゃいけないことがある。

 そのために私は、今日この佐藤家にしげるさんを尋ねてきたんだから。

 しげるさんに製作を依頼したのは、貰ってきた種麹から米麹を作るための麹室ならぬ麹箱。

 米麹の作り方は一度見学したことがあるので記憶を頼りに試行錯誤。その先はどぶろく特区にある民宿で一度体験させてもらったので要領は分かる。

 その箱は、ついでに酒造りやパン作りにも使えるといいなとこの一週間寝る前にアイデアをまとめてきた。

 小型だけど大量に作る必要がないので充分なはず。

 ちなみに、酒税法で禁止されていた家庭での酒の製造は、この世界では認められている。お店でも自家製酒は提供することは出来るけど、さすがに瓶に詰めての販売は法にひっかかるらしい。


 とにかく、私としては料理酒に使える清酒を作るのが当面の目標。

 それを、私の熱弁に押され苦笑気味なしげるさんに滔々と語ってしまった。

 

 

 

「魔女、さんですか」

 

「そう、さっき話した古い仲間の一人で今も私と仕事をしていてね。外注の魔法設計士ってところかな。さっき話しを聞いて思ったが魔法に対して面白い考え方をしている。でも魔法の知識はないようだね。よかったら打ち合わせに同席してみるかい。きっと興味深いと思うよ」


「いいんですか、でも今日はしげるさんも、その魔女さんもお休みじゃ……」


「あの人は、世間とはあまり関係のない暮らしをしているからね。大丈夫、心配いらないよ」


 この世界で魔法の専門家、魔法使いの女性はここ近年『魔法使い女子』という呼び方が流行っているそうだけど、それを略して結局昔から変わらず魔女と呼ばれるのが一般的らしい。

 ちなみに男性の場合は、ただの魔法使い。女子に対抗し『魔法使い男子』略して魔男と呼び方も流行らせようという動きがあったけどすぐに消えたとか。

 そんな魔法使いとは、魔法について学び魔法士の国家資格を持つことで、魔法使いとして仕事が出来るんだそう。

 誰でも魔力を持っているんだから使えそうなものだけど、使いこなすには14、5歳から六年間専門の魔法学校での勉強や実習経験が必要で、元の世界のお医者さんになるくらいの難易度。

 学校以外でも個人的に使いたい人のための個人塾や徒弟制度もあるそうなんだけど、一朝一夕で習得は出来ないらしい。

 だから魔法使いと呼ばれる人は少なくないけど、見渡した中に一人いるほど多くもない。



 しげるさんと二人で打ち合わせた後、孝介さんが言っていた通り昼過ぎに朱美さんと旦那さんが帰宅し、私と朱美さんで簡単な昼食を作り皆でテーブルを囲んだ。

 食後にお茶を飲んでいると、しげるさんがどこかに電話をしていると思ったら、少し出かけましょうと私を家から連れ出された。


 そしてその行く先が、佐藤家よりも西側に5分ほど歩いた所だった。

 そこはレンガ造りで蔦に覆われ、バルコニーには蔦と薔薇を模した洒落た鉄柵、窓にはステンドグラスが嵌まった古い洋館、ではなく一軒の古い木造アパートが建っていた。

 一階三部屋の二階建てで計6部屋。建物の正面の壁には黒く塗られた細長い板が打ち付けられ、白字で「月影荘」と角ばった手書きの文字が並んでいる。


「しげるさん、あの、ここが魔女さんのお宅なんですか」

 

「ああ、間違いなくここですよ」

 

 いえそういう意味じゃなく、魔女がどうして木造アパートに住んでいるのかが気になってるんです

 

『はいっといで』

 

 しげるさんが一番奥の部屋の呼び鈴を押した途端、玄関脇に置いてある陶器で出来た洋風顔のカエルがいきなり口を動かし喋った。

 私が声も出ないほど驚いているのを見て、しげるさんは目で笑いながら扉を開けて中へ誘った。

 

 黒いローブに黒いとんがり帽子に空飛ぶ箒。幼稚かもしれないけど、私が持っていた魔女のイメージ。

 だけど今私の前にいる女性は、肩で切りそろえた白髪まじりの栗毛にふちどられた顔は柔和だけど日本人離れした彫りの深い西洋的な顔立ちで、楕円の銀縁めがねが乗っている。そして、夏らしい藍で染められた乱菊柄の紗の着物を着ていた。

 いくぶんぞんざいな口調ながらしげるさんと似た雰囲気を持つ魔女さん、大貫ミカゲさんは魔法使いというより学者の雰囲気を持った人だった。

 戸惑った私が魔女に持っていたイメージを話すと、しげるさんは良く分からないという顔をし、魔女さんは意味深に笑った。


「しげちゃんは、幼馴染みたいなもんでね。遠慮はいらないよ」


「そうですよ英里さん。彼女のお父さんは帝国の学者さんでね、この国の研究に来てうちの親父の友人の妹と結婚したんですよ。その縁で家族ぐるみの付き合いだったからもう長いよなぁ」


「ああ、そうだね。でも、あんたがこんな若い子を連れまわす日がくるなんてな」


「ミカゲ、そんなことを言うと英里さんに失礼だろう。彼女はうちの子達の友人でもあるんだ。それに今日は依頼人だからね」


「はいはい、分かってますよ。それにしても、この国でそんな風に魔女を想像する人がいるとは思わなかったよ」

 

「すみません、小さい頃に読んだ本のイメージが残ってたみたいで」

 

 元の世界の、とは言えずエヘへと笑ってごまかそうとした。

 ところが、本と聞いてミカゲさんは驚いた顔をした。

 私が怪訝な顔をすると彼女は席を立って壁一面を埋め尽くす書棚から一冊の本をとった。

 

「英里ちゃんだったね、あんたが見たのはこういうのじゃなかったかい?」


 彼女が見せてくれたのは、赤い装丁の厚い本だった。みっちりとアルファベットが並ぶ中、ところどころに挿絵が入っている。

 それはまさに、私の知る魔女だった。

 そしてふと文面を見て首をかしげた。

 

 「そうそうこんな魔女です。あれ、これって帝国語じゃなくて英語ですよね」

 

 そう声に出して、しまったと口元を抑える。

 この国には帝国経由で英国が来ることはあっても、日本との直接の国交はなく日本人は帝国外の国へ訪問することは基本許されていないし、英国の物が渡ってくることはかなり珍しい。

 そのせいで英語を知る人は限られる為に、八坂さんには伏せて置いたほうがいいですねって言われてたんだった。

 

 しげるさんはけげんそうな顔をし、ミカゲさんは楽しそうにフフと笑う。

 魔女だ! この含みのある笑いは魔女の笑いだ!

 魔法で快適な涼しさが保たれた部屋で、私は額にじっとりと汗をかいた。

 

「しげちゃん、もう帰っていいよ」

 

「いやいや、さっき言ったよね。今日は依頼の品の打ち合わせだって」

 

「今回はお客さんの要望を訊くだけだろ。魔法の要望ならアタシ一人で充分じゃないか。それにあたしはこのお嬢さんに俄然興味が出てきてね。なに、終わったらそっちに寄らせればいいだろ」

 

「……分かりました。英里さんは今夜うちで一緒に夕食をとる約束をしてるんです。早めに返してくださいね」

 

「はいはい、わかったわかった」

 

「し、しげるさん……」

 

 私が必死に行かないでと目でうったえるも、その前に楚々とした物腰でミカゲさんが立ちふさがると、しげるさんは心配そうに振り返りながら「待ってるからね」と私に声をかけ出ていっていしまった。

 

「さて、英語を理解していて、魔法学校でも上級クラスでしか習わない魔女の歴史を知るお嬢さん。あんた何者だい」

補足)

★濁酒

文中では濁り酒ではなくてどぶろくを指します。

麦の…はマッコリ的なものをイメージしてやってください。


★口噛みの酒

お酒を作る際、材料に紛れこんだ野良酵母が糖を分解してアルコールにする働きを助けるために、一部を咀嚼して唾液ででんぷんを分解し糖にしたものを戻すことで発酵を促がす、ごく原始的な醸造方法。


★稲麹

稲の病気の一種で、9月頃籾殻に麹菌の深緑の玉がつきます。その菌の一部にお酒を造ることができる麹菌がいて、灰を利用しそれを取り出して培養すると酒造りに使えるという説があります。今の麹を利用した醸造の元祖がこの稲麹とも。

実際にこれでお酒を作っている蔵元さんもあります。

ただ、麹菌とは別もので身体に害のあるカビを含んでいるので安易にその使用を薦めるものではありません。

参考/wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%98%E7%97%85

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