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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第4章:魔女っ子と酒造り
17/44

17.製作依頼

 残暑の厳しさに私は白いハンカチで額の汗を拭う。

 それでも、元の世界のような酷暑ほどじゃない。魔法のお陰で温暖化が進んでいないのかどうなのかは分からないけど、緑が多く半分以上海となり首都ではなくなったこの東京は、少なくともヒートアイランド現象とは無縁だった。

 もともと夏が好きでしかもあの暑さに慣れてる私にとっては、白いブラウスの背中が肌に貼りつこうが、エスニックな柄の薄いグレーのスカートが足に絡まってうっとうしくても、気持ちに余裕がある。


 今日は出雲から帰ってきた最初の休日。

 例のお祭りのクラーケンは冷凍されたまま持ち帰られ、この一週間「クラーケン祭り」なるフェアでクラーケン料理尽くしだった。

 クラーケンといっても切り身になればただの巨大イカ。フェア価格でお得だけどそれでお客さんが喜んでくれるのかなと思ったら、壁にあるものが張り出され、常連さんだけでなく口コミで人が人を呼んだ。お陰で、休みぼけになる暇もなく、連日満員の大盛況だった。

 その原因は、店奥の壁の黒板に書かれている「当店逸品素材の生産者紹介」にあった。

 普段なら、直接仕入れている野菜やお米の農家さんの名前や写真などが張られていて気に入った人には通販の斡旋もしている。

 ところがそこには「当店従業員が身体を張って捕りました」と海から生えた巨大触手に挑む大将の姿に加え、争奪戦で持ち帰ったクラーケンの大きな足を抱え満面の笑みで駆け寄る水着姿の私と蓮也くんそれぞれのA4サイズにプリントされた写真が貼られた。

 女将さんの命令で、フェア期間中それに触れることを禁止され、一週間三人は羞恥に悶えて過ごすことになった。

 あの水着、海だったしお祭りのノリで有りだったけど、今更になると絶対無し!私にあのぶりぶりに可愛い水着はすごく違和感がある気がして、こんなことならスクール水着みたいな地味色のワンピースタイプにすればよかった。

 フェア終了前日にはクラーケン完売で普通のイカ祭りになってたけど、大盛況のうちに終了した昨夜の閉店後、証拠隠滅をと蓮也くんと壁に駆け寄った時には、既にそこにはない。

 女将さんの手で撤収され、もちろん私達が触れることの出来ない二階のリビングに飾られ、我が家の思い出ですもの一生大事にするわ、と笑顔で釘を刺されてしまった。


 そんなわけで、一足早い夏休みを過ごしたお陰で今がちょうど世間では夏休み。

 元の世界ではお盆時期だけど、こちらでは「みたま祭り」といい祖先の霊を迎えてお祭するのも同じ。

 市場も休みなので今日は一日フリー。なので私は朝から吉祥寺へと来ていた。

 駅の南口を出て、駅前通りを西に歩き二ブロック目の海側へ右折。ゆるい坂を下るような車一台がギリギリ通れる道を進んですぐの左手に、目的の佐藤工作所がある。

 さすがに工場の扉は閉まっているけど、私は慣れた足取りで軽トラックの横をすり抜け、同じ敷地に建つ一戸建てのドアベルを押した。


「よう、いらっしゃい。暑かったろ、さぁ入って入って」


 出て来たのは、連絡しておいたはずの朱美さんではなく弟の孝介さん。寝癖の残る頭に白い帝国語の文字入りのタンクトップにハーフパンツとラフな姿で、いつもの人懐っこい笑顔を見せて迎えてくれた。


「ねーちゃん、義兄さんの親戚に不幸があったって、急に出かけたんだ。昼過ぎには帰ってくると思うから絶対待ってるようにって言ってたぞ、それまで俺に接待しろってさ」


「そうなんですか。お休みなのに朝からすみません……」


「いいっていいって、それより英里ちゃんが来てくれて嬉しいしさ」


 私はそのまま佐藤家の居間の座敷に通される。ここにお邪魔するのもこれで四度目だ。

 初めて孝介さんに連れてこられた時から、月に一度はここに来てることになる。

 さっそく私に気付き縁側に足を乗せて尻尾をちぎれんばかりに振る、柴犬のコマメの頭や頬をわしわしと撫でてやってると、孝介さんがグラスに並々と冷えた麦茶を入れてくれた。

 私はありがたくゴクゴクと飲んで乾きを癒す。


「で、今日も街歩きにきたの」


「ううん、今日の目的はこの佐藤家です。まずはこれが貢ぎ物と夏休みの旅行のお土産」


 私は、重箱の入った風呂敷包みと、先日の出雲の帰りに買った干物やお醤油などが入った大きな袋を渡す。

 

「うわっ、こんなに色々貰っていいのか。ねーちゃんにゴマすらなくていいからね。もう煩いくらい英里ちゃんのこと気に入ってるから心配ないよ」


「何の心配ですか。これはただのお土産ですよ。それなら孝介さんはゴマすり対象には入れないから食べなくていいです」


「わぁ冗談だよ冗談、この包みはあれだろ? いつものお手製の菓子だろ。なんだろうな、英里ちゃんの作ってくれるあんこ菓子って珍しくて美味いから楽しみなんだよね」


「今日はしげるさんにお願いがあって来たんです。私、夜は仕事だし休みは平日だからなかなかゆっくりお話する機会がなくって。朱美さんが今日なら一日家にいるから大丈夫って教えてくださったんです」


「親父に? ちぇっ、英里ちゃんてオレ目当てでは来てくれないんだな」


「用が出来たら、ちゃんと孝介さん目当てで来ますよ」


 私は、来年店を出すつもりのこの吉祥寺に、リサーチや物件探しで月に一度は訪れるようになっていた。そのついでもあって朱美さんに連絡をとってこの家にお邪魔している。

 孝介さんも仕事があるのでこの家ではあの初めて会った時ぶり。そのかわりお店にお客さんとして何度か来てくれているので、すっかり気軽に話せるようになっている。

 ううん、最初に合った時からこの人はこんな風にきさくだったな。


 孝介さんは、工場の裏庭の草取りをしていたしげるさんを呼んでくれた。

 今日は生成りの短パンに水色のTシャツ姿。汗に濡れた顔をタオルで拭きながら、縁側に腰をかける。

 そして孝介さんが私に出したのと揃いのグラスにしげるさんの麦茶を持ってくると、部屋ですることがあるからと気を効かせて二人にしてくれた。


 孝介さんが去ると急に部屋が静かになった。

 私達は初めて会った時のように縁側に並んで座り、開け放たれた窓から部屋に緩い風が吹き込むのを感じていた。その度に庭木がサワリと揺れ、軒に吊るされたガラスの風鈴がチリンと軽い音をたてる。

 私はその心地よい沈黙を破るのを惜しみながら口を開いた。


「しげるさんは、これのことご存知なんですね」


 私は襟元からペンダントを外し、自分のぬくもりが残るそれを手の平に乗せて見せる。


「……ああ、それは、中に魔力を貯めて放出するための道具。英里ちゃんは魔力障がいを持っているんだね」


 私は苦笑しながら頷いた。魔力を持ち操ることが出来るのが普通なこの世界で、私のように魔力を保持出来なかったりうまく体外に出せない人は稀なんだそう。それは病気やけがによることがほとんどで、魔法文明では通常の生活には支障が多い。

 だから身体障がいの一つとされ、私も認定を受けて身分証には但し書きが付いている。一年に一度は病院に通い検査を義務付けられているのが面倒。もちろん認定を受けないことも選択出来るけど、私が色々制度を利用するためには避けられなかった。

 そのことで差別を受けたりということはないけど、気を使われてしまうので必要がない限り、親しい人以外に特に明かすつもりもない。


「そこまで分かるってことは、知り合いに同じものを使っている方がいるんですか」


「それに近いかな。実はその道具を考案したのが私の仲間なんだ」


「仲間、ですか」


「若い頃に同じ年頃の職人と魔法使いが集まって、新しいものを発明しようと息巻いた頃があったんだよ。研究会といえばいいかな、随分おかしなものを作ったもんだよ。しかも半分以上は失敗に終ったしね」


 しげるさんは、庭を眺めながら懐かしそうに顔をくしゃりとゆがめて小さく笑った。


「じゃあこれもそれで……」


「そうだよ。仲間の一人の母親が病気で魔力を身体がコントロール出来なくなってね。それでこの魔力を溜めて放出する代替装置を作ったんだ。そいつはその後もこの開発を続けていって、去年仲間で集まった時にこれが成果だって見せてくれてたんだよ。本当に小さくなって普通の装飾品にしか見えないと皆で驚いたな。最初はこのくらいあったんだよ」


 私に握りこぶしを作って見せると、そんなに大きかったんですかと驚く私にしげるさんは話を続けた。


「その時に、魔力障がいが専門の医師に協力してもらって、病気や事故での様々な事例を調査をしたんだよ。だけど英里さんみたいに若くて健康そのものな人は初めてだよ」


 穏やかだけど強い視線でまっすぐに見つめられ、私は胸中で迷う。どこまで言うべきか。さすがに他の世界から来ましたってことは言えないけれど、出来る限りの情報は出したほうがいいだろうし、大将と同じようにこの人なら信用できると思った。


「私が元流民だってことは朱美さんからもう聞いてますよね、実は事故にあって……神様に助けていただいたことがあるんです。その時に神様の加護を受けた結果、魔力の蓄積が出来ない体質になったんです」


「なんと……神様に助けられたという話は何年かに一度は聞くが、そんな現象は初めて聞いた。まさかそういうことがあるなんて……」


 私は、白川様と出会った時のことを、中津様に教えてもらい知ったことを含めて簡単に説明した。

 しげるさんは最初半信半疑だったようだけど、私の目をじっと見つめ、それから信じるよというように頷いてくれた。


「あの、魔力を持たないことは朱美さんと孝介さんにはお話するつもりなんですが、神様のことは出来れば伏せておきたくて……こういうことは万人に一つも起こらない条件下でのことだそうなので、他の人には内緒にしてもらえますか」


「それはそうだ、神様の力は人の分を超越したものだ。むやみに好奇心を持てばつい禁忌に踏み込みたくなる。そして神の怒りを買うだろう。これはあの子達に言う必要はないことだな。もちろん他の仲間にも伏せておくよ。では、私に頼みとはそれに関係したことだね」


 私は大きく頷いた。

 そしてカラフルなストロー編みの手下げ籠から、この世界に来てから知ったことや考えたことを毎晩寝る前にまとめているアイデア帳を取り出すと、その中の一ページを開いて見せた。

「一つは、ペンダントのことをご存知なら何か知恵をいただけないかとご相談があって。私、来年この町でお店を開くつもりなんです。それで問題なのが魔力で……この首飾りの強化版じゃないですけど、ここに描いた図のような、人の助けを借りずに魔力を蓄えられる装置が作れないかなと思って。自家発電……じゃない自家魔力吸収装置みたいなものです。人の魔力では稼働させるのがおいつかない大きな工場などは、地下の魔力脈から直接魔力を吸い上げ利用してるって聞いたんですけど、その家庭用ってないんですよね、そういうのが作れないかなと思って………それで魔力を必要としないで誰でも作動させられるように出来たらいいなって。それが無理なら最後の手段で公共機関でみかけるみたいなお客さんが触れる所から僅かづつ力を頂いちゃう装置とか。そんな装置って作れるものなんですか。朱美さんが佐藤工作所はそういう魔法機器の製造が専門だって教えてもらって詳しいと聞いたので」


「ふむなるほど。ああ英里さん、その最後の人から貰う方は無理だよ。本人に許可なく強制的に魔力を利用出来るのは、公共機関でのみと法律で決められてるからね」


「そうだったんですか……」


 自分ではいいアイデアだと思ったひとつをさっそく却下され、私は肩を落とした。そんな私に目もくれず、しげるさんは私のノートを見つめその目を好奇心で輝かせていた。


「だけど面白いな。普通に暮らしていれば魔力を使うことに慣れ切って当たり前の存在だけど、なんらかの原因で自分の魔力が使えない状況になった時には我々は脆いな。確か一般には出回っていないが研究用として魔力を溜める装置や魔力脈から魔力をとりだす技術の開発が進んでると聞く。それを家庭用にか、うん面白い」


「あの、そんなに大掛かりになっちゃうものなんですか?その私、お店のこともあってあまりそれに割けるお金がなくって……」


「ああ、英里さんからは材料費はいただくけど、無理なことは言わないから心配しないでいいよ。来年の開店まででいいんだよね。仲間は皆それぞれ年をとって半隠居みたいな奴も出始めてるからな。時間も出来たしそろそろまた一緒に何かをやろうって皆で言ってたところなんだ。さっそく提案してみるよ」


 軽い打診のつもりだったのが思いがけなくトントン拍子に話が進んだことに驚き喜んで、私はしげるさんの手を握りしめた。


「この無理なお願い、本当に受けてくださるんですか」


「あ、ああ。少なくともそれを作ってるアイツは協力してくれるはずだよ。何、もし結局無理ってことになったら、責任をもって毎日孝介に英里ちゃんの所へ寄らせるから心配しなさんな」


「え、しげるさんそれはちょっとひど……」


「ははは。そういえば、まだもう一つ用件があったんじゃないのかい」


 話を戻され、私はまだその手を握ったままなことに気付きあわててその手を離す。

 居ずまいを正して咳払いをひとつすると、今日の訪問の目的だった本題に入った。

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