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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第3章:クラーケン漁と海神祭
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16.クラーケン三昧

 あっ、人が飛ばされた。無事救助されてる、よかった。

 ああっ、今度は船が引っくり返されそうになってる、危ない! と思ったら、光が弾けて触手が弾かれた。

 私は手に汗をにぎりながら、海上の巨大触手対人間の対決を見守った。

 ちなみに私以外の見物人は、まるでボクシングやサッカーの試合を見るように声援を送り、いつの間にか太鼓や笛といった鳴りものまで持ち出してすごく賑やかだ。


「ねえ、ねえ女将さん、あれって魔物ですよね。大丈夫なんですか。蓮也くんなんて初めての参加で海の上ですよ。銛だけであれを攻撃とか無茶すぎますよ。それになんなんですか、クラーケンてどんな魔物なんですか」


「クラーケンはね、外国から海を渡ってきた魔物なのよ。目撃されたのが二百年ほど前からだから帝国の船についてきたんじゃないかって言われてるわ。この日本海も深海にも巨大種はいるんだけど、数は少なくてもはるかに大きいクラーケンに縄張りを奪われちゃってね。おまけに漁の邪魔をするし沿岸の海を荒らすしで、侵略的外来種に指定されているの。だけどこの広い海にこの大きさでしょう。それでクラーケンの被害が大きかった福岡では毎年夏にこうやって中津様の力を借りて漁をしていたんですって。戦争の影響で海流の流れが変わったせいで今度はこの沿岸によく出没するようになって。それでうちでも同じようにクラーケン漁をお祭りに取り入れたの。ただ、まだ氏子の数が少ないから三年に一度しか出来ないんだけどね。それでも繁殖周期がすごい長いらしくてそのお陰もあって、かなり数は減らせているのよ」


「へえ、そんな魔物もいるんですね。でもそんなに大変な魔物なら中津様の力で倒してもらったらいいのに」


 私の何気ない一言に、女将さんが顔色を変える。そして私の腕をつかむと真剣な顔で諭すように言った。


「英里ちゃん、そんなことを口にしては駄目よ。神様は産み出すことはあっても、自ら生き物の命をとることはなさらないの。それがどんなに危険なものであってもね。命のやりとりは生き物がすべきことだから」


「そう、なんですか。すみません軽卒なことを言ってしまって」


「知らなかったことですもの。この世界には困ったことに分かっていながらそんなことを願う人もいるのよ……そうそう、祖父の代の時にぜひ追い出してもらいたいって漁師さん達に頼まれて、お願いしたことはあったんですって」


「それで、中津様は何て答えたんですか」


「面倒だって」


「ええー」


「まあ中津様らしいお言葉だけど、それも当然なのよね。神様は祝福を与えてくださるけれど、願いを聞き入れられることはない。私達に力を使われるのはご自身のためよ」


「あ! それは中津様もおっしゃっていました。人のために神力は使わないんだって」


「あら、ふふふ。中津様ったらいつの間に英里ちゃんに……」


「お、女将さん、その笑いちょっと怖い……」


「ううんなんでもないわ。それで頼みを断った後にだけどお前達が祭りで楽しませてくれるなら、礼として祝福を与えようって。そして毎年一匹誘い込んでくださって、漁の道具に祝福をかけてくださるのよ。だから高いお金を払って上級魔法使いを雇わないと倒せないクラーケンを、私達一般人でも狩ることが出来るのよ」


「それがこのお祭りなんですね。うわっ、出た!とうとう本体が見えましたよ」


 既に半数以上の触手が力を失った所で、取り囲んだ船から皆が水面下を攻撃していたけど、高い水音と水しぶきをあげてそれが海上へと半身を現した。


「あれ、クラーケンて、イカ……的なもの? そういえばあの触手、先端が太くてごつごつした形をしてると思ったけど吸盤だったのね」


 それは赤黒い色をし頭上にエンペラをつけた頭をしていた。そして足の付根にある目は浜辺の片隅で沸かされている大鍋より大きい。

 そして、私の知るイカ、この世界でも出回ってるイカとは少し違う形状のもの……鳥のような先がとがった大きな黒い嘴がついていた。


 いよいよ最後の追い込みになったのか、男達は持って刺していた銛をその目に向かって投げつけはじめた。

 男達が何か叫びながらそれを投げると、光を発しながらクラーケンに突き刺さる。

 そして目玉にそれが刺さる度に巨体が跳ねて船が大きく揺れ、海中に落ちたり跳ね飛ばされる人が見える。

 それでも皆果敢に責め、最後には銛だらけになった目玉から墨をまき散らしながらクラーケンが倒れた。

 その瞬間、海上と、そして浜辺から大きな歓声が上がる。

 そして頭上から龍が滑降してきたかと思うと、人々の上を咆哮をあげながら飛び越え、遥か沖の海中へと飛び込んでいった。




「大将!お疲れさまです。 蓮也くんも無事でよかった。すごいかったね、こんなお祭りだと思わなかったよ」


 まだ興奮冷めやらぬ私は、浜辺に戻ってきた男達を総出で向かえる中、二人の姿を見つけて駆け寄った。

 中津様の祝福は銛だけでなく、船や開始前に配る鉢巻きにもかけられているそうで、怪我をしたり溺れることはないんだとか。だから二人とも怪我一つないけれど、蓮也くんは青い顔でふらふらと浜辺の熱い砂を踏みしめるとそこにしゃがみ込んだ。


「大丈夫?」


「……んなわけあるかぁっ、聞いてねぇよ、船の上の銛をとってその向うの船まで泳ぐ競争だって聞いてたんだぜ。そういう神事でにぎやかしのつもりで参加しろって。あんな化け物が出るなんて知ってたら出ねぇよ」


「お、お疲れさまでした。でも女将さんに少しの間双眼鏡借りたから、大将の側で銛を構えてたのは見えたよ。なかなか勇ましかったよ」


「三回、落とされた」


「ん?」


「あのイカ野郎に手も足も出ないうちに、三回も海に落とされたんだっ。しかも船に這い登って次こそは一撃でもって気合い入れた所で全部終ったし」


「あ……それは……」


「許せねぇ……あの化け物イカ絶対許せねぇ。このまま負けっぱなしでいられっかよ。大将、来年、来年も絶対参加させてください。俺、それ目指して身体作りますから。大将みたいにがっちがちに筋肉つけますからっ」


 結局筋肉なのかと心の中でつこんでいると、その勢いに苦笑しながら大将が三年後に連れてきてやるとなだめていた。

 それを側で見ていた祭りに参加していたおじさん達が、弟子は熊そっくりだなと言って笑う。詳しく聞けば、大将も最初の年は海に落ちまくってそのあとしばらく落ち込んでたそう。

 あれ、凛々しい勇姿を見て女将さんが惚れたんじゃなかったの? 

 私が首をかしげていると、拡声器で案内する健一さんの声が浜に響いた。


『それではおまたせしました。クラーケンが浜に到着します。皆さん、どうぞお手伝いをお願いします』


「英里ちゃん、蓮也くん行ってきて!しっかりうちの分をとってきてちょうだい」


「えっ?どうすればいいんですか」


「浅瀬までクラーケンが運ばれて、解体されるのよ。そこで脚一本は中津様のお供えに、一部はこの後の宴会用になるんだけど、残りはこの場の皆にふるまわれるのよ。見ているだけじゃつまらないでしょ、下に水着着てるんだし、深い方に行ったほうが貰い易いわ。ほら行って行って!」


 見れば既に祭りを知り尽くした人々が、クラーケンの到着を前に砂浜に詰めかけはじめている。

 私は張り切って、着ていたショートパンツにパーカーを脱ぎ始めた。


「うわっ、お前こんな所で何やってんだよ、慎み持てよ」


「動くのに邪魔じゃない、それにこの下水着だよ。って、午前中に一緒に泳いだじゃない」


 祭りの準備が始まる前に、私達四人はこの入江の近くにある磯に行って、素潜りをしたり磯の幸を採って楽しんだ。

 さすがに泳ぐにはまだ水は少し冷たかったけど、すごく綺麗な海に感動しながら楽しんだ。岩についた貝やヤドカリもどっさり採ったし、このあたりでは要注意な磯の魔物だという鳥招き蟹という鳥を捕ってしまう凶暴な蟹を大将が素手で捕まえてしまった。

 もちろん雲丹も無事発見し、大将が慣れた手つきで殻を割ってくれて、私は黒い殻の中の鮮やかなオレンジ色のそれをつるりと……とろけました。磯の香りに海水の塩気が濃厚な雲丹の甘みを増して風味が深まって、いつまでもこの余韻を残しておきたいような、ほっぺたがぐにゃぐにゃになる程の美味しさでした。


 そうそう、蓮也くんは雲丹や貝やナマコなどじっとしている海棲魔物は平気でも、蟹やヤドカリ、やたらと体長が長くそれムカデじゃとつっこみたくなるようなフナムシが苦手らしく、海から上になかなか上がろうとしなくて唇を紫にしてたっけ。


 そんなわけで、充分私の水着姿を見ていたくせに、自分だって締め込み姿のくせに私に注文をつけてくる。


「こんなに人が多いんだ、上くらい着とけよ。ほらみんな服のまま入ってるぜ」


「何恥ずかしがってるのよ。そりゃ確かに私はこのデザインが恥ずかしいけど。蓮也くんが照れてどうするのよ」


 私は構わず水着姿になると、身体を見下ろしてずれたり食い込んだりしている所を直す。女将さんが選んでくれた水着は、白地に赤い小さな水玉が散ったビキニだった。ホルダーネックタイプでカップには何段もフリルがついて胸の寂しさをフォローしてくれてる。ボトムも布地が少ないタイプではないので安心感がある。

 そういう細かい女将さんの気遣いに可愛過ぎる部分は仕方がないかと思ってしまう所が、すでに策略にはまってしまっているんだろうか。

 身支度を整えると、まだ不満げな蓮也くんを連れて海へと走っていった。


 大きな網で搦めとられたイカは、まず銛が抜き取られる。そして、大きな出刃包丁を持った女将さんのお父さんが第一刀を入れると歓声が沸く。そしてそのまま三人掛かりで脚を一本切り取ると、恭しげに数人に担がれ運ばれていった。

 後は法被を来た人達が中心になって包丁を振るってどんどん解体していく。

 人々はまるで餅撒きのように投げられるクラーケンの肉片を奪い合い、辺りはすごい騒ぎだった。


「蓮也くん、どっちが大きいのをもらうか競争だからね」


 私達も負けじと競い合いながら海の中へ、人の少ない方を狙っていく。

 胸まで海に浸かり、波や人ごみにもまれながらも大声をあげて手を振りこっちに投げてとアピールする。

クラーケンの身体から流れ出した墨で身体や顔を黒く染めながらも粘ったあげく、自分の胴より太い吸盤の並ぶ足を腕の長さ分ももらうことが出来た。

 にゅるにゅると滑る足片を何度も落としそうになりながらも懸命に抱え、大得意な顔で大将達の所へ戻った私に、辺りにいた皆に大笑いされ、それでようやく自分の姿の惨状に気付いた。あの大将にまで爆笑されてしまったほど、全身が見事に黒い斑に染まってた。

 幸いすぐに海に駆け込んで綺麗な場所で洗い流してとれたけど。後から戻ってきた蓮也くんも私と全く同じことになっていた。


 そうそう、競争の結果は、蓮也くんの勝ちでした。

 一度足をもらいながら、海中で股の間に挟んだまま他の人の所に泳いで行き何食わぬ顔でもらってきたらしい。

 ずるいと憤慨しつつも、二つ合わせれば私の1.5倍の量。潔く負けを認めると、蓮也くんはとても喜んだ。たぶんこの旅行で一番キラキラ輝いていたと思う。


 ダンプカー以上の大きさがあったクラーケンだったけど、二時間もかからないうちに跡形もなくなってしまった。

 肝や嘴、軟骨なども残らず料理や加工品になって使い尽くされるそう。

 そして再び浜辺で始まった後夜祭という名の宴は、浜辺で火を炊きかまどを設置してクラーケン料理がふるまわれた。

 もちろん大将や私達は料理人として駆り出され、知る限りのイカ料理を作った気がする。

 あ、クラーケンはイカです。風味はそのままだけど、ただ肉厚すぎるイカでした。切り分けるのが苦労したな。

 私は揚げ物担当になったので、振る舞い用のビールを拝借して粉を溶いて揚げたクラーケンフリッターに、クラーケンの立田揚げに、長いもを擦り入れたクラーケン団子揚げ。

 その後でお腹がたまるものが欲しいと言われたので、鉄板を借りて大阪風のクラーケン焼きもどきを作った。さすがにプレスする道具はないので、蓮也くんのご自慢の筋肉を借りました。でも昼間の疲れでほとんど普通のお好み焼きっぽくなっちゃったけど。それでも皆喜んで列を作って食べてくれた。

 お店ではまだお客さんに料理を出すことがほとんどないだけに、この経験はとっても嬉しかった。


 元の世界に帰るために決めたお店を持つこと。だけどそれは、元の世界の私の夢でもあった。それが重なったのは、運命なんだろうか。

 私は、元の世界に戻るためならなんでもするつもりでいる。だから無我夢中できて今ここに立ってる。

 それでも、私が作った色んな料理を沢山の人に食べて欲しいな、なんてことに胸をときめかせてしまう。

 今まではそう感じることに後ろめたさがあった。だけど中津様がくれた言葉のように、帰るためにあがきながらもこの世界にいる間は楽しくても、嬉しくてもいいかな。

 今日、自然と何かふっきれた気がした。


 片付けを終え、先に一人屋敷へと向かった私は松林の所で足を止めた。

 振り向けば、浜辺ではまだ片付けをしている人達や、更に打上げだとたき火を囲んで呑み始めている人もいる。

 そしてその向うには満天の星空の下で、全てのモヤモヤを飲み込んでくれるような暗い海が静かに広がっていた。

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