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みなと食堂へようこそ  作者: 庭野はな
開店準備編 第1章:松茸探しから異世界へ
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1.松茸狩りへ行こう

 市内に沢山の土地を持つ旧家を継いだ祖父は食道楽で身代を食いつぶし、彼の愛した美食による晩年の持病、高血圧でぽっくりと亡くなった。

 連れ合いに先立たれた料理研究家としてそこそこ有名だった祖母は、大切な宝物だったレシピ帳を紛失し、更に弟子の美人料理研究家が祖母のレシピを盗用して本を出したことが発覚し、気落ちした所で夏風邪にかかって先々月に逝ってしまった。

 そんな二人を例に挙げ、料理音痴な専業主婦の母とお子様舌なサラリーマンの父はこう私に言い聞かせた。「食い意地が身を滅ぼす」と。


 あれは先週のこと。

 祖母の49日の法要で、遠い親戚で祖父の親友でもある群馬に住む松下のおじいさんが来ていた。

 3年前に祖父が亡くなってからも、ちょくちょく家を訪れて祖母を元気づけてくれ、沢山の山の幸をお土産にくれていた。

 そして祖母も亡き今、集まった親族の中で唯一仲の良い私と縁側でお茶を飲みながら、この家を訪れる口実が無くなり孫娘のように可愛がってくれた私と会う機会が無くなることを心から惜しんでくれた。

 私としても、大好きなおじいさんでこのまま縁を終らせたくない。

 かくしてその週末、祖母の家の整理をしていた出て来た年代物の味噌や梅干しをお弟子さんと私で分け、残りをお礼として送りつけた。

 松下のおじいさんは祖母の味の大ファンで、祖母も毎年で出来た味噌などを届けていたっけ。

 そもそもうちの両親と兄妹は、あろうことかスーパーの出汁入り味噌のファン。

 祖母の作ったあの深みのある麦味噌は、父にとっては複雑な味過ぎ、母にとっては面倒で、母の料理で育った兄妹にとっては慣れない味だった。


 幼い頃から美味しいものに目がなく、食べ物の為なら五つ上の兄をも泣かせる私に、祖父母にはあの両親から産まれた奇跡の子だと可愛がられた。

 物心ついた頃から祖父に様々な食べ歩きに連れ出され、祖母から手ほどきを受けた。

 最初は私ばかり狡いと文句を言っていた兄と妹も、数度同行すると美味しいとは分からない大人味の料理に、窮屈な大人ばかりの席に閉口しすっかり興味を失った。

 お陰ですっかり家では変わり者扱い。

 母と料理のことでしばしば喧嘩し、それが原因で父ともぶつかって以来すっかり家に居場所を失った私は、余計におじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子になった。

 

 小遣いやアルバイト代をオシャレや遊びに費やす同級生を尻目に、食べ歩きと食材探しに勤しんだ。

 友人達には彼氏への好感度を稼げるお店選びアドバイザーやお弁当係として利用されていたとはいえ、差し入れのお菓子のお陰か概ね好意的に受け入れられていた。胃袋を掴むってのは強いね。

 だけど、それは私の家族には通じないのだった。

 手作りよりも既製品の味を好む父に、手抜き最高!な母、そしてそんな母の味至上主義な兄や、兄大好きな妹。

 私のこの食べ物への情熱は家の珍獣を超えて厄介者扱い。だから大切な理解者だった祖父母の死が本当に寂しい。

 しかも両親達は私の食への傾倒ぶりを戒めるいいチャンスとばかりに、葬儀の後から頻繁にあの言葉を口にするようになった。



 そして今、私こと花沢英里はまさに食い意地の為に窮地に陥っていた。


 深い緑の中に時折黄や赤に染まった葉が映える晩秋の山の中を私は歩き回っている。

 目的のものを探し、さほど大きくはない里の山の斜面を慣れた足取りでざくざく進む。

 熊や猪はいないけど、足もとの蛇への用心にとトレッキング用というより登山用の茶皮のブーツに厚手の靴下、ベージュの長ズボンで足もとを防御。上には長袖の白いTシャツの上にピンクとブルーのチェックシャツ、仕上げにウィンドブレーカーと防寒対策も万全。赤いニット帽の両脇から胸まで伸びた髪を三つ編みにして垂らしている。

 春は山菜積み、夏は渓流釣り、秋はキノコ狩り、晩秋から冬には山の会の皆さんの猟にお供するので、山歩きのコツは叩き込まれている。

 母は私の山歩きを年頃の女の子らしくないと嫌がり、今日も出がけに派手に嫌みを言われてきた。


 でも、この山は私にとって特別なんだ。

 松下さんの山は、毎秋祖父母の元に届けられるこぶし大の傘を持つ立派な松茸がとれる宝の山。その場所を知っているのは松下のおじいさんだけ。

 亡くなった奥さんにも疎遠の息子達にも教えていないんだと言っていた。

 私は、祖父に連れられてここに来る度に、おじいさんが勝ち誇ったようにつきつける「松茸、見つけられるもんなら見つけてみぃや」という挑戦に挑んで来た。

 10戦全敗。

 この山に自生するナラタケやアカモミタケの場所なら知り尽くしてるのに、祖父の力を借りてなお松茸のまの字も見つからない。

 毎回、下魚ならぬ下きのこで山盛りになった籠を背負って下山し、ふてくされながら祖母の作ってくれたきのこ料理を頬張ったものだ。


 そして一昨日のこと、松下のおじいさんから送った荷のお礼の電話があり、そこでこう言われたのだ。


「なあ英里ちゃんや。最後の挑戦しねえか。わしも年だ、息子は山なんていらんというから先の用意をせねばいかんでな。もし英里ちゃんがアレを見つけられたらあの山くれてやるよ」


 ちなみに松下のおじいさんはいくつも山を持つ、地元では「本陣さん」と呼ばれる名士なのだ。

 本来なら山の管理のことや相続税やら色々と考え両親と相談してから決断すべきことなんだろうけど、その時の私の頭の中はピンク色、いや松茸色に染まっていた。


「ほ、ほんとに? 松茸のお山を私にくれるの?」


「ああ、そうだよ。わしも男だ、男に二言はないや。ただしそんためにも今年こそアレをみつけないとのう」


「行く! 今すぐ行きます!」


「おいおい英里ちゃん。いくら小さい山だからって、ちゃんと準備はしてこねえと。仕事もあるんだろうし週末にでもおいで」



 大学を卒業して1年目。

 私は定職にはつかず、学生時代から続けていた祖母のアシスタントのアシスタントというバイトをしていた。

 祖母が病の床についてからは、祖母の仕事は愛弟子であるアシスタントが継ぎ、私はバイトを休み看病に励んでいた。

 そして、いやもう大変だったのですよ、お葬式の後は。

 1人娘の母は祖母の経営していた料理教室には全く感心がなく、後継は愛弟子のアシスタントか、孫娘の私かと弟子内がまっぷたつに割れてしまって大騒ぎ。

 師匠のもとにいることを選んだアシスタントと対立する、午後のTV番組でそれぞれ活躍する姉弟子の皆さん料亭に呼び出され囲まれて、美食を前にしおあずけをくらったまま説得という名の地獄の軟禁を5時間。

 あのどす黒い女の戦場の中に入るのは本能が危険だと告げるので、私は皆さんの前に華麗に土下座を決めて辞退の意を伝えた。

 お陰で現在絶賛無職中。

 いや、専業主婦がいるはずの我が家でおさんどんをし、将来について検討中なわけです。

 だから翌日にでも向かうことは出来たのだけど、母に無職なのはみっともないから極力触れ回るなと釘をさされているし、確かに準備は必要。

 なんたって、これが正真正銘最後のチャレンジだからね。

 既に土地といえば我が家と無人になった祖父宅しか残されていない花沢家の庶民の生活水準からすると、これを逃すとあんな立派な松茸を口にする機会はもうないかもしれない。

 色々なものを食べさせてくれた、スポンサーと言うべき祖父母ももういないのだから。

 いつものように山勘で進むんじゃなくて、念入りに松茸が好む育成条件や過去の探索ルートを分析し、そこから導き出した未踏の場所に私は踏み込んだのですよ。



「何これ、神社?」


 思わず口について出たほど突然、木々の影からひょっこりと朽ち果てたお社が姿を現した。

 信仰深いおじいさんらしくない、というのが第一印象。

 麓の町の祭りの顔役で、山に入る前には必ず山の神様に手を合わせるよう私を躾けた松下のおじいさんが、自分の山のお社をうらぶれたままにしておくはずがない。

 山の中を3時間強歩きまわり、山の裏手にあたる場所だとしてもだ。

 右足を失いながらもかろうじて立つ白っぽく朽ちた木の鳥居を一礼してくぐすると、すぐに二畳分の広さしかなく、床板がやぶれ草ぼうぼうな社殿があった。

 神社の名前を記したものがないかときょろきょろとあたりを見回すがそれらしき板きれも石碑もない。

 社殿の中を覗く限りはご神体のようなものも見当たらない。


「おじいさんがここを知らないなら、この場所ははずれってことだよね。でも、だからって誰も知らないなら可能性がゼロってことはないはず」


 破れた壁の奥には、うっそうと茂る木々の中に赤松の姿が見える。

 私は、社殿を迂回して裏手へ回った。

 下草が茂る中注意してすすめる足もとに、朽ちて千切れほとんど原型を求めていない綱のようなものが見えたが、その時の頭の中は赤松に全てをロックオンしていたので気にも止めなかった。


 目指す木の根元に辿り着いた時、私は思わず悲鳴のような歓喜の声をあげる。

 土色に染まって土に還りかけたふかふかとした松葉が重なるその間から、アレが大小いくつも顔を出していた。

 とうとう探し当てたんだ。十年越しのお山の松茸を!

 そして感慨深く目の前の特に大きいそれの根元に手を伸ばした瞬間、私の手に鋭い痛みが走り、正真正銘の悲鳴をあげていた。


 私の手は、松茸に深々と咬みつかれていた。

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