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図書室シリーズ

図書室一味の日常風景

 秋の日差しが、柔らかく部屋を照らしていた。

 徐々に茜が差してきた日に染まるのは、幾列かの本棚と大きな長机。

 平均よりも二回りも小規模で、こじんまりとした印象を与えるが、それは紛れもなく図書室である。

 そして、人気がない……というか、ぶっちゃけ誰もいないその場所で、俺、天野義樹(あまのよしき)は、心地良いまどろみに揺られていた。

「ふあ……」

 徐々に暖かくなる春の日差しも絶品だが、逆に肌寒さで日差しのありがたみを思い出せる秋も悪くない、と思う。

 衣替えが終わってそろそろ体に馴染んだブレザーが、ほんのり温かい日差しを逃さず、心地良いぬくもりを提供してくれる。

 ……至福だ。

 これを至福と呼ばずになんというだろうか。

 思考を放棄し、何もしない、という幸せ。

 天より人間にだけ与えられた特権を、堂々とドブに捨てる贅沢。

「これぞ、究極の贅沢……」

 静寂の中で、無と同化する快感。

 それはまさしく、身も心も溶けだすような至上の時間――

 ッズバタン!!

 ――の終了のお知らせが、いつものようにハタ迷惑な騒音と共にやってきた。

「やっほー皆の衆! 凪音ちゃんの到着だよっ! ……ってあれ、よっしーだけ?」

 無駄に元気の有り余った、甲高い声と共に現れたのはツインテールの少女。

 ド派手に扉を開け放ってやってきた彼女こそ――

 この図書室の支配者。私立明祥高校一年C組出席番号十七番。御藤凪音(みどうなぎね)である。


    *


 私立明祥高校。

 ここは、県内ではそこそこの進学校であるのだが、学校全体の敷地の狭さから図書室はとにかく小さい。

 当然ながら蔵書は微妙。席の少なさから自習室にもなりきれず、近所に立派な県立図書館があることも相まって、ここを訪れる学生は皆無と言っていい。

 もう何年も専属の司書は付いておらず、今は現代文や古典の先生が年ごとの持ちまわりで管理するだけ。

 この学校では、まさに捨てられた場所。

 そこに目をつけたのが――

「あっれ。珍しいなー 先輩はいると思ったんだけど」

 ――ついさっきド派手な音を立てて飛び込んできた彼女、凪音であった。

 こいつは図書室がロクに利用者がいないことをいいことに、担当の先生を上手いこと丸め込んだ末にこの高校の図書室を私物化。そこに俺やクラスメイトで友人の神田佳央里(かんだかおり)秋山瑞奈(あきやまみずな)などを巻き込み、さらにたまたま図書室を訪れた二年の先輩、上嶋悠美(かみしまゆうみ)先輩をも巻き込み、以来ここ、私立明祥高校図書室は『いつもの五人』のダベリ場兼お茶会場と化していた。

「瑞奈は今日掃除当番だとは聞いてるし、佳央里はなんか知らないか? 同じクラスだろ」

「そう言えば佳央里も掃除当番って言ってたっけ。先輩も多分後から来るだろうし……ってことはしばらく図書室二人占めかー なんかこういうのもいいなぁ」

 凪音はそう言いながら、俺の正面に腰を下ろし、広い机に上半身をくてんと寝かした。

 うにゃーと気持よさげに机に身を預ける凪音を見てふと思う。

 狭い図書室。密閉された空間に、女子と二人っきり。

 客観的に見れば、チャンスとかラッキーとか。そう言われかねない状況であることにふと気づいた。

 ……あくまで、客観的に見れば、なんだけどな。

「今日は何しよっかなー」

 凪音はそう言いながら、ぐてー、と机に上半身を投げ出している。

「折角の二人っきりだし、いつもと違うことがしたいよね」

 そう独り言を続けながら、凪音がこちらを向いて、笑みを浮かべる。

 ……これも多分、普通の男子にとってはかなり強烈な言葉だろう。

 それが、可愛い女の子が妙に嬉しそうな表情で、イタズラっぽい口調で発したものならばなおさら。

 その先に起こるであろう、めくるめくあれこれを夢想してしまうことは必死。

 ……なのだろうが。

 俺は知っている。彼女が、御藤凪音であるということを。

 そして、身に染みて理解している。御藤凪音という人間を。

 だからこそ。

「よっし決めた!」

 凪音はそう言っておもむろにパイプ椅子から立ち上がり、拳を握りしめ――

「今日は、本棚でドミノ倒しを――」

「却下」

 ――アホなことを言い終わる前に、俺は中指を思いっきり凪音の額に叩きつけた。

「へぅっ!?」

 いわゆるデコピンが自己ベスト迫る勢いでスマッシュヒットし、快音と共に凪音がのけぞった。

「今日の晩御飯を提案するかのような口調でイキナリ何を言い出すんだお前は」

「あいたた……だって、前から思ってたんだよ。本棚ってドミノみたいにバタバタバター!って倒したら面白そうだなーって」

 額をさすりながら彼女が言う言葉は、ある意味で俺がもう何度となく聞いてきた言葉。

 ……そう。御藤凪音とはこういう奴なのである。

 その行動は『面白そうだから』という理由のみに基づき、好奇心と思いつきで縦横無尽に暴れ回る。

 そして、

「それで一体どれだけのものを破壊してきたと思ってんだお前は」

 小学校に上がって以来、彼女が破壊したものは数知れず。

 そして、幼馴染だった俺が巻き添えを食ったことも、それこそ数知れず。

 ……だからといって嫌いになれないあたり、何とも不思議な奴なのだが。

「せっかく図書室を我が物にしてるのに、長年の野望を実行しないのはもったいないと思うんだよね」

「もったいなくないからそんな野望今すぐ捨ててしまえ」

「ええーっ」

「『ええー』ってな……」

「誰もいないと普段出来ないことをしたくならない? 例えば、こう、バーッ!っと、ズガァーン!的な」

「いや全く分からん」

 そもそもどういう擬音だそれ。

「というか俺が居るんだが」

「んー……、よっしーは義樹だし、よしきんだから、いいんじゃないのかな」

「何だそれ」

「つまり問題なしということで」

「訳が分からん」

「気にしたら負けだよー」

「…………」

 確かに気にしたら負けな気がしてきた。

 ……でも、問題ないという気持ちは、わからないでもない。

 俺にとっての凪音は、気楽に素の自分のままでいられる相手。

 凪音は凪音。それ以上でも以下でもない。

 きっと彼女にとっての俺もそういうものなのだろう。

 ……と理解しておくことにした。

「じゃあ何しよっか。んー」

「あんま派手にモノ壊しそうなのとかは無しだぞ?」

 ふらふらと気の向くままに図書室を徘徊し始めた凪音に、一応釘をさしておくが――

「あ……カポエラの演舞とかどう?」

「いやだから人の話を聞けよ」

 ――全く無意味なのは、いつも通り。

「でも結構面白そうだよ、カポエラ」

 そう言って凪音は怪しげな本を一冊、寄贈図書の棚から引き抜き、読み始めた。

「というかそもそも俺たちに出来んだろ、カポエラなんぞ」

「でも、奥義書読んでみたらなんかできそうな気がするよ?」

 そう言って凪音が指さしたのは、手にした本の表紙。

 そこには、こう書かれていた。

『カポエイラ~奥義、その全て~』

「誰だよこんな微妙な本寄贈したのは……」

 しかし並べる学校も学校だ。いいのかこんな変な本が並んでて。

「ね、やってみない? カポエラ」

「カポエイラだろ。その本が正しければ……っていやそんな事はどうでもよくてだな。だから図書室の中で暴れるなと」

「むー……じゃあ、『リアル空中コンボの組み方』とかどう?」

 そう言って凪音は先ほどと同じく寄贈図書の棚から一冊の本を引き抜いた。全く人の話を聞いていない。

「……リアル空中コンボ? なんじゃそりゃ」

 仕方なく俺がそう聞き返すと凪音は、んー、と表紙を見ながら、煽り文らしきものを読み上げはじめた。

「『これで貴方も、現実で格ゲーのような最強空中コンボが思うがまま!』……だって」

「いやそれもできんでいい……ってかそもそも空中コンボなんかどうやるんだよ」

 アレはゲームだからできるのであって、現実ではまず不可能だろう。

 一体どんなことが書いてあるのやら。

「じゃあ読んでみるね。『まず第一段階』」

「ああ」

「『宙に浮けるようになること』」

「できるかっ!?」

 初っ端からムチャぶりだった。

「『何らかの方法――気を練るか、解脱するか、魔術を紐解くか、反重力ユニットを完成させるかして重力に抗う方法を手に入れましょう。そうすれば空中コンボ完成は完成したも同然!』」

「いやだからそれは無理だろ現人類には! いきなりムチャぶりにもほどがあるわ!」

 そりゃ宙に浮けるようになれば空中コンボもできるだろうさ……

「面白いよねー どこまで頭のネジが飛んだらこんな本書く気になるんだろう」

「……というかそれ以前にこんな本よく出版されたな?」

「これ、自費出版みたい」

「……さいですか」

 作者の頭のおかしさがよく解る。

 こんなもんを大真面目に書いて自費出版までする人間って一体なにを考えて生きてるんだろう。

「他にも『ムー大陸の歩き方』とか、『UFOにアブダクトされたら読む本』とか色々有るけど」

「カオスすぎんだろ! どんだけフリーダムなんだ寄贈図書棚」

 オカルト通り越してファンタジーだろそこまで行くと。

「ってかそもそも誰なんだ? 狙ったようにそんなおかしな本ばっかり寄贈してるのは」

「誰だろうね? きっとこの本の作者たちにも勝るとも劣らないよっぽどの変人――」

 凪音はそう笑いながら本の裏表紙を見て……唐突に固まった。

「ん、どした?」

 気になり覗き込んでみるとそこには、

『寄贈 御藤正一郎』

 なんだか妙に見慣れた苗字。

 というか、名前も聞いたことがある。

「なあ、これって……」

 恐る恐る凪音に尋ねてみると、

「……うん。うちのじーちゃん」

 呆然とした表情のまま答えが返って来た。

 血は争えないということか……

 何とも微妙な空気のまま、俺たちはしばしその場に立ち尽くすのだった。


    *


 二人の間の沈黙を破ったのは、柔らかな女性の声だった。

「遅くなりました~」

「あ、悠美先輩。こんにちは」

 声の主は上嶋悠美(かみしまゆうみ)先輩。

 俺や凪音のひとつ上で、ここの常連の中で唯一の二年。綺麗に伸ばした黒髪がトレードマークの、ぽやっとした雰囲気の漂う先輩である。

「こんにちは。……まだなぎちゃんと義樹くんしか居ないんですね?」

「ああ、残り二人はなんか用事があるらしくって遅れるみたいです」

「そうですかー……あれ、何ですか? その本」

「ああ、凪音のじいさんが学校に寄贈した本らしくて」

「ちょっと見せてもらっていいですか?」

 先輩はそう言いながら、凪音から『ムー大陸の歩き方』を受け取り、パラパラとめくってみる。

 そして一通り目を通し終わったのか、本を閉じ、

「……何と言うかこう……………………夢のある本ですね?」

「無理に褒めようとしないでいいですよ」

 というか何故疑問形。

「な、なぎちゃんのお祖父さんらしいと思いますよっ」

「それフォローになってないですって」

「……うん、まぁ私だって解ってたよ。ウチの家系が代々が頭おかしいってことぐらい」

 あ、なんか凪音が落ち込み始めた。

「あれ? なぎちゃんどうしました?」

「うう……あのアホじぃ……」

「あ、いいですよ。もう凪音は放っといて」

「いいんですか?」

「たぶん寝たら忘れますし」

 これ以上先輩が天然で追撃かましたら流石に可哀想だしな。

 気が済むまで落ち込ませてやろう。

「ところで悠美先輩は今日はなんの用事があったんですか?」

「それがですね…………実は教室で飼っていた『ヘラクレスコモドオオネズミモドキ』が逃げ出しまして」

 ……は? 

「ヘラクレスコモド……なんですって?」

「はい。『ヘラクレスコモドオオネズミモドキ』です」

「どういう生き物なんですかそれ……」

「可愛いですよ。ヘラクレスコモドオオネズミモドキ」

「可愛いんですか」

「手のひらサイズで、ちっちゃくて可愛いんです。ヘラクレスコモドオオネズミモドキ」

「オオネズミモドキなのに手のひらサイズなんですか」

「ほっぺたに食べ物詰め込んだりして、餌を食べるしぐさもとってもキュートでですね」

 ……ほっぺたに詰め込む?

 なんだか聞き覚えがあるような。

「滑車を回してたら時々滑車ごと回ってたり、毛づくろいをしている仕草とかも、とっても可愛いんですよ~」

 教室で飼える、可愛くて、小さくて、エサをほっぺたに詰め込み、滑車を回す……ネズミモドキ。

 それって、まさか……

「……ひょっとして先輩、それって、もしかしてハムスターとかそんなんじゃ……」

「はい。いたって普通のジャンガリアンハムスターですけど?」

 その回答に、俺は盛大にずっこけた。

「あれ? 義樹くん、どうしました?」

「ハムスターなら最初からハムスターって言っといてください……てっきりコモド諸島原産の怪しげな何かかと」

「すみません、ヘラクレスコモドオオネズミモドキって名前で言い慣れてまして」

 言い慣れられるものなのか……

「というか、そのヘラクレスなんちゃらって何です? 学名とかじゃないんですよね?」

佐依(さより)ちゃんがそう呼んでるんです『どうせなら変な名前をつけたほうが面白い』って」

「ああ、なるほど。……って紛らわしすぎでしょその名前!?」

「でも、佐依ちゃんらしい、面白い名前だと思うんですが」

 ちなみに、『佐依ちゃん』というのは、悠美先輩のクラスメイトで、先輩曰く『無二の仲良しさん』だそうだ。

 人柄は何と言うか、うん。凪音とはまた違ったベクトルの変人というか、そういう人。

 ある意味先輩がここに居ついてくれるのも、この人のせいで変人耐性がついていたからなんじゃないのかとか邪推させるような。

 図書室には時々顔を出すが、『同じ場所、同じ空間に同じ人間と居続けるのは趣味じゃない』と意味不明の供述をしてすぐどこかにフラっと行ってしまうので、俺もまだ佐依さんの全貌は把握してはいない……が。

「佐依さんなら、確かにジャンガリアンにそんな奇っ怪な名前を付けるのも頷けますね……」

 僅かな時間と先輩からの伝聞だけで、まぁそれくらいならやるだろうな、と第三者にも納得させるほどエキセントリックな人でもある。

「ちなみに佐依ちゃん曰く、あえて『ネズミモドキ』とすることで徹底的にデタラメな名前ながらげっ歯目らしき外観を持つことを匂わせてるのがミソだそうです」

「さいですか……で、先輩のクラスでは、そのネズミモドキが逃げ出して大変だったと」

「はい。放課後にクラス総出で探しまわって……最後は掃除用具箱の中に浅沼くんが頭を突っ込んで中で大乱闘の末に捕まえました」

「大乱闘て」

「ヘラクレスコモドオオネズミモドキが浅沼くんを噛むわ、浅沼くんは浅沼くんでヘラクレスコモドオオネズミモドキを潰さないように大変だったとかで」

「はぁ……」

 なんとなく大変だったのは伝わってくるが、名前が気になってなにが起こったのかさっぱり頭に入ってこない。

「というか何で教室でハムスターなんて飼ってたんですか? 中学生でもあるまいし」

「それがですね、話せば長くなるのですが……」

 先輩は、どこから話したものでしょうか、としばらく考える仕草をした後、ゆっくりと話し始めた。

「まずですね、私のクラスの担任の先生が、ご友人から押し付けられたそうなんです」

「押し付けられたんですか」

「はい。ですが、先生の住んでらっしゃるマンションがペット禁止なので、捨てるのも何だしどうしようかと悩んだ末、紆余曲折あって私たちのクラスで飼えないかと提案されたんです」

「公私混同もいいところですね先生」

「それで、結局クラス会にて、世話は全て先生がすることを条件にクラスでハムスターを匿うことが了承されました」

「先生弱っ!?」

「『クラスの誰かに世話をさせるなどと言い出すなら学年主任に言いつける』と、委員長さんが強硬に主張しまして、先生のほうが折れた感じで」

「先輩のクラスの委員長、強いんですね……」

「『先生は何の権限があって私たちにハムスターの管理を私たちに押し付けることができるのですか?』という感じで、もう委員長さんは凄くってですね……先生、最後は土下座でした」

「ちょっとは手加減してあげましょうよ!? どんだけ立場逆転してるんですか!?」

「私たちのクラスの委員長さんは真面目さんですから」

「真面目さんの域を超えてませんかそれ」

 何と言うか先輩のクラスはキャラ濃い人が多いなぁ……

「そんなこんなで、めでたく私たちのクラスで先生のハムスターを飼うことになったのです」

「で、そのハムスターが逃げ出したわけですね」

「はい。今日の放課後に先生がエサをやろうとしたらケージから居なくなっていまして……みんなで探しまわって、ようやく掃除用具箱の中から見付け出した、というわけです」

「なるほど……」

「ちなみにその後先生は委員長に正座させられてお説教されてました」

「どっちが先生かわかりませんねホント……」

『ハムスターが逃げ出してクラスで探した』という事柄だけ見れば普通の出来事っぽいのに、それを取り巻く状況は何故こんなに奇怪なのだろうか。

「ちなみに、そのコモドなんちゃらって、クラスでの正式な名前なんですか?」

「いえ、呼び方は人によって色々違いますね」

「……違うんですか?」

「普通に『ハムちゃん』と呼ぶ子たちも居ますし、『ハム次郎』とか『ハムえもん』とか、『ネズ公』とか、『カザフスタン=ドフトハムスキー』とか『ボンレスハム』とか呼ぶ子も居ますね」

「前半はともかく後半明らかにおかしいです」

「『呪われし蒼き齧歯目の末裔』とか呼ぶ子たちも居ますよ」

「何ですかその中学生の間に例の病気を直しきれなかった人が付けましたみたいな名前……」

「いっぱい名前があって覚えられないので、私はとりあえず佐依ちゃんが呼んでる名前で呼ぼうかと」

「いや覚えてましたよね普通に。スラスラ言えてましたよね他の名前」

 単に佐依先輩の名前がお気に入りなのかもしれないが。

 その候補の中だと普通に『ハムちゃん』とか呼んでそうなイメージだったのだが、さすが先輩。変なとこで斜め上だ。

「ってか、先生はなんて呼んでるんですか? そのハムスター」

 そもそも公式の名前があるはずなのに、何故そんな亜種が蔓延るような事態になってしまったのか……

「えっと、何でしたっけ。先生は確か……」

 そう言って先輩は、うーん、と考えこむが、そのまま静止してしまう。

「先輩が覚えてないほど存在感がない名前なんですか?」

「はい、先生以外は呼ばない名前なので……えっとですね……」

 そう言って先輩はもうしばらくと考え込み、そしてもう幾分かの間を置いてようやく、

「思い出しました! 『豆板醤(とうばんじゃん)』です」

 ぽん、と手を合わせてそう言った。

「とう、ばんじゃん……?」

「はい。豆板醤です」

 ……それってアレか。中華料理、とりわけ四川料理でよく使われるという、あのピリ辛調味料の豆板醤か。

「何故にハムスターにそんなけったいな名前を……」

「先生曰く、ジャンガリアンハムスターなので、豆板(トウバン)『ジャン』だと……」

「……………………」

「……………………」

 場を、沈黙が支配した。

「オヤジギャグだ……」

 しかもかなり残念な方向の。

 そりゃ誰も呼びたがらん訳だ。

「先生本人は、すごくいい名前だと思っていらっしゃるようで」

「残念な先生ですね」

「ちなみに最終候補は豆板醤と『じゃがり子』だったそうです。オスだったので豆板醤になったようですが」

「……残念な先生ですね」

 先生と言い生徒といい、何故に先輩のクラスはこうもカオスなのだろうか。

 遠い目をしながら、俺はそう思わざるを得なかった。



 その後、先輩とのんびり世間話をしていると、間もなく最後の二人がやってきた。

「……皆さんお揃いで」

「やほやほ。来ましたよー」

「あら、瑞奈ちゃん、佳央里ちゃん。いらっしゃい」

「…………ん」

 先輩の出迎えに小さく会釈を返すのは、俺と同じB組で、長く伸ばした髪を適当に縛り、普段からだいたい無表情の食欲魔人、秋山瑞奈。そして、

「やー掃除が長引いちゃいまして」

 笑顔でそう言うのが、常識人にして俺と並んでツッコミ担当の苦労人で、凪音と同じC組の神田佳央里である。

「二人とも掃除お疲れさん。結構掛かったな?」

「……ウチは、男子が仕事しないから大変だった」

「そうか? どうせ沢成とか金山のやつらだろ。アイツらいっつもあんなんじゃん」

「……うん。あいつら吊るすのは本当に面倒だった」

「吊るすっ!?」

「……またやったのか。アイツらホント懲りないな……」

「ってちょっと待ちなさいB組コンビ! 『吊るす』って何!? って言うかまた(・・)ってどういうことよまた(・・)って!」

「ああ。最近、一部の生徒が不良の道に足を踏み入れたらしく、最近の素行が芳しくなくてな」

「確かに、そういう話はポツポツ聞くけど……」

「ああ。で、不幸にも瑞奈の掃除班にその手の輩が集中しててな。ぶち切れた他の班員が……」

 指先をぐるぐると回し、そのまま放り投げるジェスチャーをしながら瑞奈が、

「……胴体をぐるぐる巻き。で、五階の窓からぶらーんと」

 そう言って俺の言葉を継いだ。

「何と言うか、バイオレンスね……」

 対する佳央里はコメントしづらそうな表情でそうコメントする。

「相手も相手だしな……先週も、掃除時間中に教卓に飛び乗ってリサイタルなんぞを始めたらしいし」

「……ん。今日は変な盆踊りを始めたから、開始二分でぐるぐる巻き」

「確かにそれは相手も相手でどうかしてるわね……」

「それで、今回はどうしたんだ? 瑞奈」

「……吊るしたけど、『落とせるもんなら落としてみろって』強気で」

「強気なんだ……」

「……だから落とした。……加賀美さんが」

「落としたの!?」

「ははは、流石ワンダーフォーゲル部の加賀美さんは強いなぁ」

「笑うとこ!? そこ笑うとこなの!?」

 班長だしな加賀美さん。そもそも吊るすためのロープは彼女の私物(登山用ロープ)だし。

「で、落としたのは生きてたのか?」

「……木に引っかかって無事。……後で泣いて土下座させた。……次やったら吊るさずに蹴落とすって言って」

 そう言って瑞奈はピースサイン。

 無表情だが、なんとなく『やってやったぜどうだざまぁ見ろ』と言わんばかりのオーラを発している。

「もう何と言うか何も言えないわね……ってか義樹、いつもはツッコミ側に回るあんたが妙に冷静ね」

「あのゆとりこじらせたのはいっぺん死なんと治らんだろ」

 普段ならたしかにツッコむ所だが、今回ばかりは当人たちの残念ぶりを知ってるので、ノーコメントで。

 ……うちの学校では基本的に成績は良いのだが、成績では人間を測れないというべきか、成績は良くても頭おかしいのが一定数紛れ込んでいるのが通例らしい。

 うちのクラスにもその例にもれず、何でここに居るのかよく解らないようなアレな人種が数人いる。

 そして、掃除班の男女八人のうちに男子三人も瑞奈の掃除班の中にいるのだ。

 そりゃ吊るしたくもなるだろう。ロープがあれば。

「あ、そう……」

 なんか佳央里に呆れ気味に見られたが仕方がない。

 うちのクラスは今なかば無法地帯だしな。

「何だかよく解らないですけど、義樹くんたちのクラスも元気そうで何よりですね」

 そして妙な形で先輩に感心されてしまった。

「私はこの話を聞いてそんな感想が言える先輩が怖いです……」

「そうですか? みんな楽しそうじゃないですか」

「いえ、もういいです……」

「……そう。そんな事よりおやつの時間」

 そう言ってひょい、と瑞奈がカバンから取り出したのはスーパーの袋。

 いつも彼女が手作りおやつを持ってくる時に使っているもの。

「……というわけで、今日は大福持ってきた」

「大福!?」

 それに真っ先に反応したのは、部屋の隅っこで体育座りで今の今までいじけていた凪音だった。

「相変わらずこういう時は反応早いな、凪音……」

「……ん。なぎぃ、大福だよ~」

 駆け寄ってきた凪音に、瑞奈は手元に持っている袋を頭の上まで持ち上げ、右に左に振る。

「わーい大福~♪」

 すると凪音は、スーパーの袋に釣られて瑞奈の周りを右に左に……

「犬かお前」

「へぶっ」

 ちょうど目の前に来た所でチョップ。

「じゃあ私はお茶を入れてきますね」

 俺たちがそんな風にじゃれあっている間に、先輩は立ち上がり給湯室へ向かった。

 ……何気に給湯室には悠美先輩が持参したインスタントの緑茶・紅茶・コーヒーがちゃっかり常備されている。ぽやっとしてわかりにくいが、なんだかんだで実は先輩も結構ノリノリなのだ。

「おお、手作り感満載の大福! おいしそー」

 待ち切れなくなったのか、凪音が、瑞奈の持ってきたスーパーの袋の中を覗いて感嘆の声を上げていた。

 またこいつは本能に忠実な……

「凪音、先輩のお茶が入るまでは待ちなさいよ」

「いーじゃんかおりんのケチー」

「……なぎぃ、お手」

「わん?」

「……おかわり」

「わんわん」

「……なぎぃ、まて」

「わん……って犬ちゃうわー!?」

「ツッコミおせぇよ! ノリノリだったろさっきまで!」

「む、よしきんうっさい。噛むよ?」

「ってやっぱ犬じゃねぇか!?」

「そんなことより大福くわせれ~」

「そんな恨めしげな声出しても駄目なもんは駄目だっての」

「はーいお待たせしました。お茶が入りましたよ~」

「わーい! センパイ待ってましたぁーっ!」

「それお茶じゃなくて大福待ってただけでしょうが!」

 ――かくして、今日も図書室で、いつものようにお茶会が始まるのだった。


END

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