第83話 : stimulation
数日後、凛は神城に翠を紹介するため、翠が移動するための車椅子を廊下に出した。凛は、自分が成功させた時と同じく、「たまたま隣の病室にいる人」という設定で、刺激の少ない接触を試みるよう翠に指示した。
翠は、まだ重傷を負っており、回復は道半ばだった。彼女は車椅子に座り、ベッドで横になっている神城と向かい合う。
翠は、胸の奥で渦巻く感情を必死に抑え込み、敬語こそ使わなかったものの、よそよそしく、平静を装って神城に話しかけた。
「神城くん、はじめまして。井出翠といいます。よろしく」
翠は、再会ではなく、初対面として挨拶をした。
神城は、翠の緊張した表情に気づかず、穏やかに答えた。
「どうも。お姉ちゃんから話を聞いてます」
そのあまりにも平坦な、他人のような声が、翠の心を打ち砕いた。
今まで築き上げてきたすべての思い出—ケンカ、バイト、遊園地、夜の勉強会、そして神城が命を懸けて自分を助けようとしてくれたあの瞬間—それらが全て、神城の頭から完全に消え去ったという事実は、あまりにも重すぎた。
翠の瞳から、大粒の涙が止めどなく溢れ出した。彼女は言葉を失い、喉がひきつけられる。
次の瞬間、翠は理性を失った。
彼女は、車椅子から飛び出し、まともに歩くこともできないその身体で、突発的に神城が寝ているベッドにもつれ込むように飛びついた。
「神城くん!」
あまりにも突発的な行動に、凛も止めることができなかった。
しかし、これは完治していない重傷者同士の、あまりにも危険な接触だった。凛はすぐに我に返り、翠を神城から引き離そうとする。
翠は、その必死な行動を愛する人を引き離そうとする邪魔だと認識し、まだ完全に治っていない自分の腕で、凛の肘に渾身の力で肘打ちを入れた。
「神城くん!忘れちゃったの!?今までのこと!私が倒れた時に運んでくれたこととか!私と毎日のように勉強していたこととかさあ!」
翠は、病院にも関わらず、愛と絶望を込めて大きな声で叫んだ。
凛は、肘打ちを入れられて一瞬怯んだが、すぐに厳しい表情に変わり、翠の頬に強くビンタを入れた。
パンッ!という乾いた音が、静かな廊下に響き渡る。
「いい加減にしなさい!翠!!」
凛の顔は、怒りと悲しみで真っ赤だった。それは、妹の衝動を止めなければならない苦渋の決断と、神城を刺激してはいけないという理性が混ざった、今まで見たことがないほどの怒りだった。




