第80話 : heart
麻奈は、手術前日の夜、神城のことが心配で一睡もできなかった。ただ、一瞬だけ、極度の疲労に負けて意識が遠のいた。そして、目が覚めた時には、すでに手術が始まる時間をわずかに過ぎていた。
身体は鉛のように重く、頭はガンガンと痛んだが、彼女の意識のすべては、病院と、今手術を受けている神城のことに注がれていた。麻奈は、手術当日、朝早くから病院へ向かっていた。
病院に駆けつける途中、スマートフォンが鳴った。医師団からの連絡だった。
その声は、麻奈のすべての不安を一瞬にして打ち砕いた。
手術が無事に成功したこと、そして三人が意識を取り戻したことを知らされたのだ。
麻奈は、その場で安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになった。しかし、すぐにその手に力を込め、文字通り、魂が引かれるように、病院へ全速力で走って向かった。
そして、病室の扉を開けた瞬間、麻奈の目に飛び込んできた光景は、彼女のこれまでのすべての不安と、苦しみを打ち砕いた。
ベッドの上で微かに体を起こしている、神城、凛、翠の姿があったのだ。
そして、安堵から声を上げて涙を流している環奈、何も言わないが、その瞳の奥が緩んでいるのがわかる石田の姿もあった。
「快……!」
麻奈は、その場で力が抜け、床に崩れ落ちそうになりながら、神城の名前を呼んだ。
彼女は、震える足で神城の元に歩み寄ると、涙で顔を濡らしながらも、優しく、感謝の気持ちを込めて神城の頭を撫でた。
「おかえりなさい」
その一言には、失いかけた絶望と、再び手に入れた幸福のすべてが詰まっていた。
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安堵が広がる一方で、一つの大きな謎が残る。
心臓、肺、肝臓という致命的な負傷と、その難易度の高い手術を経て、どうやって絶望的な状況にあった三人が、まるで一つの力に導かれたかのように、揃って奇跡的な回復を遂げたのか。
その答えを知る者は、この場には誰一人としていなかった。
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安堵と歓喜が病室に満ちる裏側、三人が奇跡的な回復を遂げたその背景には、一つの尊く、残酷な選択があった。
手術の前日
神城とは別の病室の隅で、重い会話が交わされていた。
「ご家族の意思を尊重します」
医師の重い言葉に、病室の片隅で、声を殺し、肩を震わせながら泣く一人の女性が、ゆっくりと頷いた。その先に横たわっているのは、意識不明で眠っている、彼女の息子である一人の男。神城の父親のかつての後輩だった。
「はい........構わないです」
麻奈が病室を離れた後、神城の病室に、一人の男が訪れていた。
神城と凛、翠はまだ意識を失い、ベッドに横たわっている。
「神城さん……」
床に頭を擦りつけるように土下座をしている、山口の姿がそこにはあった。
彼は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げることもできない。
「......顔をあげてください」
彼女の尊い決断により、神城の心臓は、彼の後輩から提供されることが決まった。
山口は、自身の後輩が自分の不甲斐なさが原因で命を落とし、その心臓が息子の命を救うという、残酷な運命の皮肉に、ただ打ちのめされていた。この土下座は、後輩への謝罪なのか、あるいは後輩の命を預ける重みを示しているのか、定かではなかった。
しかし、その瞬間、神城の胸のあたりから、小さく、しかし確かな、新しい命の鼓動が響いた気がした。
この誰かの犠牲によって、三人の若者は、新たな生を与えられたのだった。




